第6話 約束

「悪いなハッシュ。密偵を捕まえるために、練習したかったんだ」

 そう言って、ハンクは涙目になったハッシュに手を差し出した。

「悪いなじゃないよ、まったく! なにしてんのさ!」

 抗議の言葉を言いながらも、ハッシュは差し出された手を取り立ち上がった。

「この要領なら、小さな火の球とか氷の槍みたいなやつなら、すぐ出来そうだ」

 ハンクは初めて使う魔法に、興奮を隠しきれず呟いた。身体の中心から青白い粒子の奔流が溢れ出ているのが解る。

 それさえ知覚出来てしまえば、自由に集めたり散らしたりすることなど造作もない。魔力を操作する術はこの身体が知っているようだ。

 いろいろ試してみたい衝動に駆られ、魔法について想像を膨らませていると、

「あのね、ハンク。普通は魔力を集中させて、ロウソクに火を灯す事が出来るようになるだけでも、半年くらい掛かるんだよ。ホント、記憶なくす前は、何してたのさ?」

 訝しむような目でハッシュがハンクを眺める。

 ハンクは「はは……ホントだな」と答えつつ、人前で魔法を使う時は自重しようと心に決めた。

 とはいえ、練習のお蔭でそれなりに収穫があった。魔法を思い通りに発動できた事と、もう一つ、自分の身体能力についてである。

 ハッシュの投げナイフの腕前がどれ程かは分らないが、実際にナイフが自分に向かって飛んできた時、反応できるのか試してみたかったのだ。この身体は、ついさっき動かせるようになったばかりなのである。

 そして、ハンクの身体はしっかりとナイフに反応していた。正直魔法など使わなくても、手で捕まえられるのではないかと思ったほどだ。動体視力と、それを実行に移す身体の性能は、前世とは比較にならないようだった。これなら、密偵と戦闘になっても無駄な命のやり取りをしなくても済むかもしれない。そんなことを考えていると、ハッシュが口を開いた。

「ちなみに常人の魔力なら、《バインド》くらいは結構な回数使えるはず。でも、あの盾の魔法はかなりの魔力密度じゃないのさ。3,4枚も張ったらすぐ魔力切れ起こすんじゃないかな? 見た感じ物理以外にも、魔法や精霊力とかまで遮断できる高性能なものに見えたけど……」

 ハッシュの指摘にハンクは目を見張る。《アイギス》は某有名ゲームに出て来る盾を参考にして、多様な攻撃を遮断する盾をイメージしたのだ。《バインド》を使うところくらいしか見ていないが、魔法を見る目は確かなのかもしれない。そう思って見ていると、ハッシュの言葉で気になる事が一つあった。

「魔力切れって、動けなくなったりするのか?」

「ほんとに……そういう当然のことを真顔で聞き返したりしてこなかったら、容疑者のままだったんだよ」

 そう言うハッシュにシゼルは大きく頷き、アリアは苦笑いしている。

「……喜んで良いんだか悪いんだか」

 ハンクが困惑した表情を浮かべる。

「まあ、魔力切れって言っても体が重くなるくらいだけど、戦闘中は致命的だよね。まれに、頭痛に眩暈、気を失うレベルの人もいるらしいけど」

 ハッシュの説明を聞きながら、ハンクは自らの手を見る。《アイギス》を発動させたが、内に感じる魔力量がごっそり減った感じはしない。むしろ、そんなに変わってないと言っていい。その気になれば、何枚か重ねて耐久度を上げることも出来るのではないかと思う。

(神様に逆らえとか、成長が遅いと命を狙うぞとか言ってたから、中身は「普通の人間」ってことじゃ無いんだろうな、きっと……。何を仕向けて来るつもりか知らないけど、平穏に過ごさせてくれよ……)

 神の世界でのやり取りを思い出して、厄介な神様に気に入られたものだと、ハンクが物思いに耽っていると、それを見てアリアが声をかけた。

「練習も終わったところでハンク。そろそろ作戦ってのを聞かせてもらってもいいかしら?」

「ん? ああ、そうだな。アリアに協力をしてもらわなきゃいけないけど、よくある作戦さ」

 そう言ってハンクはアリアの方を見る。目が合うと、アリアが一瞬たじろいだ。嫌な予感でもしたのだろう。

「俺とアリアがハイエルフ語、精霊語って言ったほうがいいのかな? それを喋りながら、森の中を練り歩くだけさ」

「その恰好がちょうどいいとかそういう事だったのね……」

 いかにも村人といった服装のハンクを見ながら、アリアが溜め息交じりにうな垂れた。



「よし! 打ち合わせも終わったし、作戦開始といこうか」

「私はまだキミを戦闘員として見てないんだけど、大丈夫なの?」

「記憶は無いけど、大丈夫さ」

 そう言ってハンクは腰に佩いた片手剣に手を当てる。護身用にシゼルが貸してくれたのだ。そのシゼルとハッシュは少し離れたところで、深緑のローブとフードを被り、茂みに潜んでいるはずである。

 エルフ達が森で行動するとき、同じような深緑のローブを纏って自らの姿を見え辛くする。今回の依頼を受けた時、大森林での活動が増えることから、街で新たに購入したものなのだ。

 だが、これから囮になろうと言う時に、目立たないようにするためのローブはいらない。

 アリアはそのローブをシゼル達に預け、今は肩に弓をかけて、革製の鎧に手甲とブーツを装備している。

『さて、狩りの時間と行きましょ』

『さっさと捕まえて、俺の潔白を証明しないとな』

 先に歩き出したアリアの言葉に、迷子になった犬でも探す様な調子で答えを返して、ハンクも歩き出した。


 大声で会話しながら、森を歩く。そうは言ったものの、何を話したものか。そんなことを考えていると、いつのまにか二人は無言のまま歩いていた。

(えっと……。ヤバい。俺こういうの苦手っていうか、ほぼ経験ゼロのパターンじゃねえか……)

 年頃の女性と雑談しながら、森を歩く。しかも、相手はさっき知り合ったばかりの美少女ときた。そのハードルの高さにハンクが打ちのめされていると、

『キミ、なんも喋らないけど、どうかしたの? まさか、記憶無いから喋るネタが無いとか言うんじゃないでしょうね……』

 立ち止まったアリアが、腰に手を当ててハンクを見据える。

『いや、そう言う訳じゃないけど……、そう、この言葉。ハイエルフの言葉っていうか、精霊語で精霊たちと何を喋ってるんだ?』

 しどろもどろになりながら、ハンクは会話の糸口をなんとか掴んだ。

『しっかりしてよね。まあ、いいわ。エルフの間では精霊語って言うのが一般的よ。精霊たちとは大森林のあらゆることを話すわ。どこかで獣が増えすぎて、草木が食べつくされそうな時は、狩りを依頼してくることもあるし。家や土地が必要なときは、精霊にお願いして譲ってもらったりとかかな。一番の恩恵は精霊魔法かしらね』

『精霊魔法?』

『魔力を触媒として、精霊の力を借りたり顕現させたりするの。炎や風の刃で戦いに使うこともあれば、生き物の場所を聞いて狩りに使うこともあるわ。わたしも今使ってるのよ。今の所、密偵が近くに居る気配は無いわね』

 そう言いながら、アリアは森の中をゆっくり見渡す。そんなアリアを見ながら、ハンクは愕然とする。

『あの、アリア。その精霊魔法があったら密偵すぐ見つかるんじゃ……』

『まさか。大森林がどれだけ広いと思ってるのよ。届くわけないでしょ。それこそ魔力切れになるくらい精霊に魔力を差し出しても足りないわよ。』

『じゃあ、俺が魔力をアリアに渡して、それを使うってことは出来るのか?』 

 呆れた調子で言うアリアに、ハンクは物は試しとばかりに聞いてみた。

 意識を自分の体の中に向ければ、青白い魔力の粒子が滔々とうとうと流れ出て来るのを感じる。

『確かにキミの魔力がすごいのは分るけど……大森林ってものすごく広いのよ? 端から端へ歩いて抜けようって思ったら最低5日はかかるわ』 

『そうかあ。魔力の受け渡し、やってみたら出来そうな気がするんだけどな』

『無茶言わないでよ……でも、悪目立ちして興味を引く位は出来るかもしれないわね』

 そう言ってアリアがハンクに手を差し出した。

『その手は?』

『キミが私に魔力を受け渡すんでしょ!』

 魔力を受け渡すためには、身体の一部を接触する必要がある。この世界では常識なのだが、もちろんハンクはそのことを知らない。

 再度アリアが手を差し出す。しかし、ハンクは年頃の、しかもハイエルフの美少女が手を差し伸べてくるこの状況に、たじろいでいた。異性と手つないだ記憶など、小学生の時が最後なのだ。思わず緊張してしまったのである。

 しかし、ハンクにはもう一つ気になることがあった。それは、アリアが狙われるということではないのだろうか? と言う事だ。

『自分から言っておいて、なんでキミがためらってるのよ……』 

『いや、アリアが狙われるんじゃないかと思って……』

『あのね、自分でいうのもなんだけど、冒険者としては、私、結構強い方なのよ。狙われるくらいで怖気づいてたら、冒険者なんてやれないわよ。それに、危ないときはあの盾の魔法で、キミが私を守ってくれるんでしょ?』

 ここまで言われて手を引っ込める訳にはいかない。

 ハンクはアリアの手を握り『当たり前だろ』と短く答えた。そして、アリアへと向かって魔力を流す。

 接触しないと魔力を渡せないことは知らなくとも、魔力を操作する術はこの身体が知っているのだ。

 結果、ハンクの魔力は密偵のみならず、3日ほどかかる距離にあるエルフの街でも感知されたのだった。

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