第5話 ハイエルフを狙う影
「おおおおぉ~! 俺、こんな顔してたのかぁ!」
直径8センチ程の、丸い金属製の鏡に映っていたのは、青味がかった黒髪に、深緑色の目をした15、6歳くらいの少年であった。そう、ハンクである。
傍から聞いたら、なんと間抜けなことを言っているのかと思うだろうが、ハンクは真剣であった。
なにせ、見た目は普通の人間でお願いしますと魔神に頼んだものの、今までお預けだったのだ。
そして、約束通り普通の人間にしてくれたらしい。先ずは一安心だ。
ところで、何故こんなところに鏡があるのか?
それは、ハンクがアリアに頼んで借りたからだ。女性ならポーチに鏡くらい持っているかも知れないと思い、貸してもらえないか聞いてみたのである。
当然、彼女は訝しんだが「記憶がないせいで、顔も曖昧なんだ……」と、記憶喪失であることを理由に、何とか貸してもらえたのだった。
「自分の顔もよく覚えてないなんて、どれだけ強く頭ぶつけたらそうなるのよ? 荒野に一人だったし、よく死ななかったものね……」
呆れ顔で彼女はハンクの手から鏡を取り、ケースらしきものに入れてポーチへしまった。
「ありがとな。助かったよ」
「その姿を見てると、ほんとに密偵じゃないのかもな。俺はシゼルだ。冒険者をやってる。よろしくな」
そう言って、赤い短髪の青年が握手を求めて手を伸ばす。
「だから、さっきから言ってるじゃないのさ! 僕はハッシュ。僕も、この二人と一緒に冒険者をしてるよ」
さらにもう一人青い髪の少年もハンクに向かって手を差し出す。ハンクはシゼルとハッシュの二人に、両手を取られて握手する格好となった。
「ちょっと! 二人ともすぐに打ち解けすぎでしょ! まだ、たいして話もしてないじゃない」
「悪人じゃない気がして…… そういうアリアも、鏡貸してあげたりして、疑ってるようには見えないじゃないのさ!」
釘を刺すつもりが、逆に反撃を食らって「う……」と、アリアが言葉に詰まる。
「まあまあ、二人とも落ち着くんだ。話が出来ないじゃないか」
「シゼルがさっさと握手するからでしょ!」
場を取りなそうとして、余計な事を言ったシゼルが、アリアの神経を逆撫でた。
そして、アリアは一つ咳払いをしてからハンクの方を向く。
「大分自己紹介が遅れたけど、私はアリア。ハイエルフ。冒険者をしてるわ」
「はは…… 楽しそうで何よりだ。みんないい奴だってすぐ分るよ」
アリアから差し出された手に握手を交わして、ハンクは笑顔で答えた。
めいめいに座る場所を決めて落ち着いた後、ハンクが先に口を開いた。
「名前は思い出したんだけど、どこからきて何をしてたのか、さっきの荒野がどこだかも分らないんだ。分る範囲でいいから、地理を教えてくれないかな?」
先手を打たなければ、怪しまれてしまう。比喩抜きで、ハンクはこの世界の事を何も知らない。記憶喪失と言い続けるには無理があるのだ。情報が必要なのである。
(情報を引き出さなきゃとか……やってることが密偵じゃねぇか……)
心の中で自らに突っ込みを入れていると、アリアが「重症じゃないのよ……地図なんて無いから、知ってる範囲で良ければ、教えてあげるわ」と、呆れた顔で答えたのだった。
ここは異世界。測量された世界地図が普通に流通している、などと言うことはありえない。
それ故、ほとんどの人々は口伝や伝承によって、大まかに地形を把握している程度である。戦乱の異世界では、為政者ですら世界地図はおろか、地方の地図さえ正確な物を持っていないのだ。
アリアはハンクの横に座り、草の無い所に木の棒で線を描いて説明を始めた。
それによると、大陸西部のこの地方には、巨大な内海の周辺にいくつもの国家があると言う。内海の名前はバスティア海。
現在ハンク達が居るこの大森林は、バスティア海の北側中央部にあり、その大森林に隔てられるようにして、西にアドラス王国、東にリガルド帝国があるのだそうだ。
大森林の南には、西と東にそれぞれ大きな半島があり、それら2つの半島が、巨大なアドラス湾を形成している。その為、2国の往来は海上を渡るか、大森林南端とアドラス湾の間にある僅かな陸路を通るかの二つしかない。北側から回り込んで大森林を抜けようとしても、大森林は遥か北の高山地帯まで届き、その隙間に通れそうな場所は無い。しかも、質の悪いことにその高山地帯には、凶暴な魔獣の棲家があり、人々は必然と大森林の南側を交通の場としているのだ。
そして、その高山地帯はアドラス王国の北西の果て、エルダー火山より始まり、アドラス王国、大森林、リガルド帝国の最北端を東西に貫いて北と南を隔て、さらに遥か遠く東方まで山脈が続いているらしい。ちなみに、その山々は大蛇の尾根と呼ばれ、エルダー火山の麓にはドワーフの都市国家があるそうだ。
「……私が知ってるのは、こんなところね。さっきキミがいたのが、大森林から東にぬけた帝国領北西部の荒野。その荒野があるリガルド帝国は、ずっと南のバスティア海に突き出た半島と、そこからさらに遠く東の方まで帝国領土を広げてるわ。私たち3人は大森林南端、アドラス湾の陸路入り口にある、アドラス王国側のドルカスって町を拠点にしてて、そこから来たのよ」
「「「へええ~。なるほど」」」
ハンク、シゼル、ハッシュ3人の声が重なる。
「これくらい、大した事ないわ」と、照れたアリアが立ち上がり、後ろを向いた。
一緒になって感嘆の声を上げた、シゼルとハッシュに突っ込みたいのはやまやまだが、収拾がつかなくなりそうな気がして、ハンクはそれをぐっと堪えた。
そして、肝心の密偵について気になったことを3人に尋ねる。
「ところで、密偵ってことは帝国と王国は戦争でもしてるのか?」
「カンが良いのね。私たちが追ってるのは帝国側の密偵。帝国はアドラス王国侵攻の足掛かりに、この森を支配下に置くつもりなのよ。だから、彼らはハイエルフの言葉を学習して、情報収集か誘拐を目的にこの森に潜んでる。絶対見つけ出してやるわ!」
アリアが誘拐と言う言葉を口にした瞬間、口調に怒気が混ざった。彼女もハイエルフだ。同胞が誘拐される事になれば、どんな目に合うか想像しただけも怒り心頭なのだろう。
「ところでエルフとハイエルフってなんか違うのか?」
ハンクは、ふと思った疑問をアリアに尋ねてみた。
「エルフの王族か貴族、もしくは預言者の一族に名乗る事を許された、称号みたいなものよ」
「そうなのか。アリアはお姫様だったんだな……」
「違うわよ! 変な想像しないでよね! 私は預言者一族の方。才能無いから冒険者してるけど」
アリアに全力で否定され、ハンクが残念そうな素振りをする。
「それにしても、わざわざ言葉を覚えさせようなんて、手の込んだことをするもんだな」
「どうやって覚えたのか知らないけど、大森林の外で学習するなんてありえないわ。ハイエルフの言葉は精霊語って言われて、名前通り王族や預言者が精霊と会話するための言葉なの。王族と預言者も精霊語で会話して政を行ってるわ。でも、普段の会話は今喋ってる共通語よ」
「流石に詳しいな」
「キミこそ、どこで覚えたのよ。かなり上手……って記憶ないんだもんね」
「まあね……でも、状況は理解出来たよ。ところで、俺の疑いは晴れたってことでいいんだよな?」
ハンクが確認するように3人を見た。
アリア、シゼル、ハッシュの3人は押し黙って顔を見合わせ、しばらく考え込む。
「ハンク。お前が密偵じゃないってことは間違いないんだろう。ただ、確証が欲しい」
最初に沈黙を破ったのは、シゼルだった。そして、さらに続ける。
「俺たち3人の冒険者がここにいるのは、帝国の密偵が大森林で暗躍し、エルフ達を誘拐する危険がある。だから、それを阻止してほしいって依頼を受けたからだ。しらばっくれていたが、依頼元は多分アドラス王国だろう。正規兵が表だって動いたら、それこそ戦争に発展しかねないからな」
「じゃあ、密偵じゃないって証明するために、そいつらを捕まえる協力をさせてくれ」
「そんな簡単に言うけど、何かいい手でもあるの?」
シゼルの言葉にあっさり了承したハンクに、アリアが疑問の言葉を唱える。
「みんなの協力がいるけど、いいことを思いついたんだ。服1枚っていう、この格好も丁度いいかもしれない」
ハンクには、ある作戦があった。だが、その前に確認しておきたいことがある。
そして、ハンクはハッシュの肩に手を置いた。
「ハッシュ。俺に魔法の使い方、レクチャーしてくれ」
「え? 僕?」と、ハッシュが狼狽え、アリアとシゼルを見る。二人は大きく頷き、親指を立てた。
「えええぇぇ!」
ハッシュの口があんぐりと開き、情けない悲鳴が漏れた。
ハッシュの魔法の使い方講座はすぐに終わった。
簡単にまとめると、集中して魔力を集め、集めた魔力にイメージを乗せる。そして、そのイメージが一番伝わりやすい言葉をトリガーにして魔法を起動する。
その為、同じ現象を起こす魔法でも、人によって呼び名が違ったりするのだという。オリジナルの要素を加えたものほど、その傾向が強いのだとハッシュが説明した。
「それってイメージ次第でいろいろ出来るってことか」
「まあね。でも、複雑な物ほどその現象をしっかり理解してないといけないし、魔力コントロールが緻密になってくる。何より魔力も余分にいる。簡単に出来るものじゃないのさ」
そういって、ハッシュが得意げに人差し指を立てる。
「よし、早速やってみよう。二つ試したい。ハッシュ、俺に向かってなんか投げてみてくれ。武器とかでもいいけど」
「二つ? 何を試すか知らないけど、ナイフで良ければ」
「いいね。やってくれ」
そう言って、ハンクはハッシュに向き直り集中する。そして、右手に青白い粒子が纏わり付いた。
「いくよ!」ハッシュが短く叫び、ナイフをハンクに向かって投げた。
ハンクは右手を前に出し、短く《アイギス》と唱えた。それと同時に、ハンクの身長をすっぽりカバーするほどの、青白い盾が現れてナイフを弾き返した。
「なんだよそれ!すごいじゃないのさ!」興奮した口調でハッシュがハンクを見る。
「まだまだ、もう一つ実験だ。すまん、ハッシュ。《バインド》」
その瞬間、赤い荒野でハンクがそうなったように、ハッシュもまた両手両足が不自然にへばり付き、下草の茂った地面へと倒れこんだのだった。
ハッシュが抗議の声を上げたのは言うまでもない。
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