第3話 赤い荒野とローブの人影

 所々雑草が茂った赤茶けた荒野に腰を下ろし、鱗状の樹皮に覆われた木にもたれ掛りながら、奥村桐矢は本日何度目かのため息をついた。

 目の前には、延々と同じ荒野が続いている。何とか動くようになってきた上半身で後ろを見ると、遠くの方に森らしき木々が見える。霞んで見えるのは、大地から巻き上げられた赤い砂のせいだろう。

(何とか体を起こす位は出来るようになったけど、このままだと猛獣に襲われる前に餓死するな……てか、転生させるなら、もうちょっと場所選ぶだろ普通!)

 魂がこの体に定着するまで、満足に動けないにもかかわらず、転生した奥村が目を覚ました場所は、この赤茶けた荒野であった。

 目覚めた時は、指先すらピクリとも動かなかったが、かなりの時間が経過して、徐々に力が入るようになってきた。なんとか腕が動いたお蔭で、やっとの思いで手近にある木にもたれ掛ったのだ。

 この場所にポツンと1本だけこの木が生えているのは、偶然か、はたまた魔神の計らいなのだろうか? どちらにしろ、この状況はスパルタ過ぎるだろうと心の中で独りごちる。 

 異世界転生と言えば、貴族の二男や三男に魂が宿り、すくすくと育ちながらこの世界の事を知るという、お約束の展開は自分には用意されてないらしい。

 これでは、何かを知ろうにも、話し相手はおろか本の一つさえ無い。

 さすが、神ではなく「魔神」と言うことなのだろうか? そこのところ、甘やかしてくれそうに無い。

 これでは魔法が使えると聞いてはいても、使い方を教えて貰えないではないかと、奥村は赤い荒野を眺めながら、無い無い尽くしの状況に悲嘆に暮れた。それでも、ひょっとしたら頭で念じれば、何とか魔法を使えないものかと試してみる。

 攻撃魔法の初歩の初歩といえば、これしか無いだろうと決め念じてみた。

(ファイヤーボール)

 煙ひとつ上がらない。

(ファイヤーボール!)

 次はさっきより強く念じる。しかし、何か変化が起きることは無かった。

(ち、ダメか……)

 そんな気がしていたとはいえ、実際に何も起きないと虚しいものである。未だ、全力をもってしても、腕を軽く突っ張るくらいの力しか出せないのだ。魂が定着するまでは、満足に身体も動かせず、魔法もお預けと言うことなのだろう。

 せめて、何か生き物でも居ないだろうか? そんなことを思いながら周囲を見渡してみる。

 人間寂しくなると、不思議と生き物が恋しくなってしまうものである。

 なにか近くに居ないものかと、探してみる。だが、それらしい生き物は見当たらない。時折太陽が陰り、雲だろうかと空を見上げると、巨大な岩の塊が空を流れていく。

(ここが異世界か……)

 元いた世界では存在すら疑わしい神が実在し、見たことも無い風景の荒野に放り出され、本当に此処が異世界だという実感が今更のように湧いてくる。とはいえ、いつまでもこの状態と言う訳にはいかない。木にもたれ掛るだけでかなりの時間を費やしているのだ。この身体がどういう作りになっているか解らないが、今の所、咽喉の渇きや空腹は感じない。だが、永久にそう言う訳にもいかないだろう。せめて水を確保しなければと思う。

(どうしたもんかな……せっかく異世界転生したのに、干からびたミイラになって彷徨うとか御免だな)

 テレビで見た、エジプトの干からびたミイラの姿が目に浮かぶ。よく見れば、この荒野も実はエジプトなのではないかと、異世界に来た傍から現実逃避しそうになる。

 そこで、はたと気が付いた。

(俺、どんな姿なんだ?)

 すっかり失念していたが、元々の奥村桐矢は事故で死亡し、今ここにいる自分は魔神によって作られた体のはずである。普通の見た目でと頼んでおいたが……。

 割と自由に動かせる首を使って、胸元からつま先までを順番に眺めてみる。

 肌の色は、元の自分より白く感じる。白色系の人種なのだろう。

 体は全体的に細身で、筋肉も未発達な少年のような体型だ。ちなみに、ちゃんと服は着させて貰えていた。いかにも中世の村人と言った服装ではあるが、無いよりは遥かにマシである。

 あとは顔なのだが、鏡でもない限り自分の顔を見るのは不可能である。どんな顔になっているのか非常に気になるが、この状況では確かめることも出来ない。

「まあ、仕方ないか……」

 自然と一言呟いて、聞き覚えのある声であることに思い当たる。魔神と対話した時に自らが発していた声だ。よく聞いてみると、転生前より若い印象の声だ。

(体と声が若返ってるなら、顔もきっと若返ってると信じよう……顔だけ29歳のままとか、それだけはマジで勘弁してほしいな)

 確かめようも無いので、きっと大丈夫だろうと無理やり自分を納得させる。そして、おもむろに顔を上げると、遠くに見える森の方から小さな点が3つ動いて見えた。


 先ほど小さな点だったものが、段々大きくなってきた。こちらへ、近づいて来ているのだろう。

 まだ身体に力が入らない為、動ける訳も無くしばらく見ていると、どうやら2足歩行をしているように見える。

 しかし、ここは異世界だ。敵か味方かと言う区別で周りを見るなら、圧倒的に敵の方が多いであろうことは、容易に想像がつく。なんと言っても、こちらは身じろぎ一つするのにも全力なのだ。味方である確証もないまま、大声で助けを求めるのは自殺行為に他ならない。

 せっかく自分以外の生命体に出会えたというのに、手放しで喜べない処がもどかしい。どうしたものかと思案していると、向こうの3人組が奥村に気が付いたようだ。指を差してこちらへ向かってくる。

 3人組がこちらに到着するまでしばらく時間がありそうだが、知的生命体であることを願うばかりだ。

 もし彼らが、奥村の記憶にあるゲームに出て来た凶暴な獣人や、知能の無いリザードマンだったらと思うと、普通の人間にしか見えない自分は食肉か玩具扱いだろう。そうでないことを祈りつつ、暗澹たる思いで近寄ってくる人影を眺める。

 しばらく時間がたち、3人組が200メートル位まで接近してきた。それぞれに、弓、杖、背中に担いだ斧のようなものが見える。 

 こちらが座って動かないからか、3人組も走って近づいてくるということは無く、悠然とあるいて近寄ってくる。3人とも、深い緑のローブにフードを被っていた。とりあえず、鱗や毛の生えた尻尾が出ているようには見えない。

 そして、3人組は奥村の目の前まで到達し、先に口を開いた。 

『あなた、名前は?ここで何をしているの?』

 突き放すような口調で、先頭の人影が質問を投げかけてきた。凛とした女性の声だ。

 知らない言葉とイントネーションだが、問題なく理解出来そうだ。魔神の言っていた通り、意思疎通出来そうである。

 そしてフードの陰から、形の良い顎が見える。どうやら、人間の様である。飛び上がりたい気持ちになりつつも、重要なことを忘れていたことに気が付く。

 そう、名前である。

(やっべ、名前考えてなかった……。適当に答えておくかな)

 名前の事もまた、すっかり失念していた。

『何をしてるかって聞かれると困るけど、動けないんだ。どうやら、記憶も無くしてて……』

 この世界の事は何もわからないに等しい。記憶喪失と言っておいても問題ないだろう。

『キミ、言葉が解るの?』

『解る?何を言って……』

 少し驚いた様子で、少し砕けた喋り方になった女性の声にどきりとしつつ、魔神が言っていたことを思い出す。

 意思疎通に問題ないという話だった。

 ということは、自分の見た目でこの言葉を喋ることは、驚かせるような事なのだろう。ひょっとして、解ると不味かったのかもしれない。

「質問を変えるわ。なぜヒューマンの、しかも少年のあなたがハイエルフの言葉を理解出来るのかしら?」

『いやあ、それはちょっと……、記憶喪失だから、はっきり覚えてないです……』

 再び突き放すような口調で問われ、はぐらかす奥村。いろいろ気になる単語が出ているが、どう考えても怪しいのは自分だ。

 そして、先頭の女性は左右に控えるローブの人影に軽く手で合図する。

「この少年を確保するわ。二人とも十分に気を付けて!」

 やっぱりそうなったかと奥村が諦めるのと同時に、二人の人影から「了解!」と、男の声が重なって聞こえた。いつの間にか、3人の話す言葉が別の共通した言葉になっている。

 そう、ここは異世界なのである。正体の判らない相手を見た目で信じる訳にはいかない。現代日本とは違うのだ。

 すると、背の低い方の人影がこちらに杖を向け、《バインド!》と声を発した。それと同時に、奥村の身体は不自然に両腕、両足がへばり付き、もたれていた木から地面へと倒れこむ。

 顔面から倒れこんだ割に、余り痛さは感じられなかった。どうやら、丈夫な身体に作ってもらえたらしい。

 そして、背中に斧を担いだ人影が、それを両手に持ち替え、奥村へ油断無くゆっくりと近寄って来た。術による拘束を確認し、「大丈夫だ」と一言後ろの二人へ声をかけた後、奥村は担ぎ上げられ、あっさりと捕まった。

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