第2話 異世界転生(後編)

 朦朧とした意識の中、奥村は目を開いた。

 焦点が合わず、すべてが朧気にしか見えない。視界全体が明るく、眼球に直接強い光でも当てられているかのようだ。

 さっきまで全身を襲っていた、指一本動かすことの出来ない激痛や寒さが無くなっている。

(これが死後の世界ってヤツか?)

 意識を失う寸前のところまでは、何となく覚えている。

(トラックの荷台から、誰かこっちへ向かって来ていたが、木下か山崎どっちだったんだろう? まあ、こんな景色が見えてるくらいだ。助からんだろうな、俺)

 最後に残る記憶から、自分は生きてはいまいと推し量る。

 ここは彼岸か、それとも、その入り口なのだろうか? 絶望的なことばかり思考を埋めるが、不思議と精神は安定している。

「こんな事なら、一人くらい口説いてから死にたかったなぁ」

 我知らず言葉が漏れる。それと同時に、強烈な違和感が全身を駆け抜けた。

 口説いてお付き合いした事のある人数が「0」なのは、特に違和感では無い。ただの事実である。それよりも、自らの口から発せられた声は、全く聞きなれない声であった。

(俺の声おかしくないか? まるで別人みたいじゃないか……)

 理解不能の事態に、呆然とする。

 しばらくして、冷静さが戻ってきた。何故か別人の声になっているが、見る、聞く、喋れるようだ。

 ひょっとして、自分は生きているのだろうか? そんな希望が脳裏をよぎる。

 その時、太く威厳に満ちた声が響いた。

(目覚めたか。我が声は聞こえているか?)

 突然の問いかけにどきりとする。空間全体に声が響いているというよりは、頭の中に直接声が聞こえるようだ。

 返事をすべきか逡巡していると、再び声が響いた。

(ここはお前たちの言葉でいうところの神の世界、我は魔神といったところだ。世界を潰そうとか、悪魔を蔓延はびこらせようとかする邪悪の類ではない。安心するといい)

 魔神と名乗った声は、害意がないことと、この場所が何処かを奥村に告げた。

 てっきり、ここが死後の世界ではないかと思っていた奥村には、実は神の世界だと言われても、何故自分がそんな場所にいるのか? と言う疑問しか沸かない。

「何で俺が神の世界にいるのか分からないが、神様が死んだ俺をどうしようってんだ?」

 日本で育ち、信仰心の欠片も持ち合わせていない奥村には、神だ、魔神だと言われてもいまいちピンとこない。

 普段、奥村にとって神様というものは、他者の信仰や、創作の中にいるだけの架空の存在だ。

 大抵の場合、彼らは試練という都合のいい名前の付いた無理難題を吹っかけてくる、ロクでも無い連中だ。

 そして、はたと気がつく。

(考えちゃいけないこと、考えたよな俺……)

 奥村は自ら進んでフラグを立てたことを後悔しつつ、固唾を呑んで返事を待った。声が出せるとはいえ、今の自分に唾液が通過する咽喉があるかどうか不明ではあるが……

(自分が死んだことはある程度認識しているようだな。我を前にしてその不遜さも悪くない)

 値踏みでもするかのような言葉に、どう言葉を返そうかと奥村が考えあぐねていると、

(どうするつもりかと言ったな。用事は唯一つ。こちらの世界に転生させてやるから我を楽しませてくれ。魔王の一角となり世界を壊してもいいし、英雄や勇者となりそれらと戦乱を起こしてもいい。なんなら、我ら神に逆らってもいい。いい加減、休息の時代に飽きが来ていたところなのだ)

「……早速来たな、無理難題。しかも、さっき世界を潰すつもりは無いとか言ってた傍からソレかよ!」

(威勢はいいようだな。普段であれば、我に対してそのような言葉を吐く者は、存在そのものを消してやるのだが、今回はそれくらいがちょうどいい。今しがた入れ物の身体も出来上がった。あとは、向こうの世界から持ってきた、お前の魂を格納した心臓を入れたら完成だ。聞きたいことはないか? 最後に聞いてやろう)

 物騒な事ばかりを満足気な声で話す魔神。それとは対照的に、置いてきぼりの奥村。どうやら転生させてくれる気の様だが、このままでは何もわからず異世界に放り込まれてしまう。

「なにがどうなってるか、初めから説明してほしい……」

 そう言って何とか食らいついたのだった。



 仕方のない奴だと、ため息交じりに長々と説明しだした魔神の話を要約すると、この世界は3000年の時をかけて終末の日、ラグナロクへと至る過程の最中なのだそうだ。

 神々は1000年続く戦争を経た後、現在の1000年続く休息の時代に突入し、700年ほど経過したところだという。

 予定通りであれば、あと300年もすると神々は力を取り戻し、最後の1000年戦争へと向かう。そして、最後に神々の黄昏ラグナロクを迎える。

 しかし、いい加減ただ待つのも飽きた。待つのは好きではない。

 何か面白そうなことは無いかと思っていたら、他の神々は自らの信仰心を集めるための依代として、この世界の住人を勇者や魔王に仕立てている。

 どのような神であれ、信仰の強さが神の力の源となるのだそうだ。

 この700年、地上ではそういった者達によって神々の代理戦争が起きている。最初はそれを眺めているのも面白かったのだが、マンネリ化してきて見ていてもつまらなくなってきた。

 この異世界で、魔神は最強とされる3柱の中の1柱なのである。弱小の神々共が、休息の時代に小細工を弄して信仰心を集めるのを、あと300年のんびり待つ義理など何処にあるのだ。混沌としていなくては、楽しく無い。

 そこで、全部潰してやろうと思ったらしい。

 再びになるが、待つのは好きではない。

 もちろん奥村は、最初に世界を潰す気はないと言っただろうと、二度目の突っ込みを入れた。しかし、魔神の言い分はくだらない神々の企みを潰したいのであって、下界そのものを潰したい訳ではないのだという。それなら、魔神が直接地上へ行き一掃してしまえばいいのでは? と尋ねると、「そういうことは出来ないようになっている」と返された。

 地上への顕現は、依代を介してのみ出来るのだという。

 そう言う訳だから、自分も依代を作ってみたが上手くいかない。

 どれも魔神が与える加護の負荷に魂が耐えられないのだ。

 通常の魂なら容易く作れるが、規格外やイレギュラーとなると、好みのものは中々作れない。不思議と、自然発生した魂の方が、そういうものが出来易いらしい。

 そこへ、たまたま異世界を眺めていたら、瘴気の淀んだ場所に死期の近い者達が現れた。そこに溢れ返っていた呪物や依代のお蔭で、異世界といえど、少しくらいなら干渉できそうだった。あの家は強力な呪いの残滓によって、次元が揺らぎ小規模の特異点を形成していたのだ。

 余談になるが、あの家の家主は自らが発狂するほどの怒りと恨みを、ある男に抱いていた。それらは呪詛となり、負の力場を形成するほどだったという。もちろん、あの家にあったオブジェもそれぞれが曰くつきの逸品であり、一役買っていたそうだ。

 そして、屋内に満ちた負の力は、家主の求めに応じて1体の悪魔を顕現させた。家主は、自らの魂も肉体も差し出して、その男へ最も残酷な死を願った。

 普通、神や天使、悪魔と言ったものは概念だけの存在であるため、召喚することなど不可能に等しい。

 だが、その不可能を覆すほどの力を持った強力な呪詛だったのだろう。でなければ、その後、次元を揺らがせ特異点を形成することなどありえないのだ。

 魔神が直接地上に乗り込めないのは、異世界と言えど理屈は同じだからである。 

 ちなみに、その男と言うのは外でもなく、奥村達に遺品整理を依頼した男性なのだ。

 その男性も、家主が存命中にもかかわらず遺品整理を依頼した後、あの家に向かった。そして、そのまま悪魔の贄となったそうだ。

 こちらの世界には魔法と言うものがあり、あちらの世界には呪いがある。どちらの力も、現実を改竄し望む事象を引き起こさせる。非常に興味深い。そう言って、魔神はあの家について締めくくった。

 ――閑話休題。

 あの家に訪れた3人の中で、一番魂の力が強い奥村を見ると、求めていた魂にかなり近い。せっかくなので、物は試しに捕まえてみようと思ったのだそうだ。

 奥村としては、規格外、イレギュラーな魂と言われると、特別な感じがして満更でもない。しかし、物は試しと言う処に引っ掛かるものを感じる。だが、説明は続いていたので触れずに置いた。

 そして家の中心部、悪魔召喚が行われた特異点へ奥村を誘導し、スマートフォンを落とさせ、力を顕現する為の端末とした。

 その後、予定通り死んでくれたので端末を介して魂を回収し、まさに今その魂を器にねじ込むところだという。


(魔神のくせになんてせこい真似を……てか、あの家そんなにヤバかったのか)

 善悪はともかく、神様がスマートフォンを落とさせるという絵面えづらに、多少は感じていた畏怖の念はどこかへ行ってしまった。そして、あの家の真実はとても衝撃的だった。

 長々と魔神が説明してくれたおかげで、意味不明な状況に整理がついた。

 どうやら、本気でこの魔神は自分を異世界に転生させてくれるらしい。

「じゃあ、異世界の魔神様が俺を生き返らせてくれるってことなのか?」

(そうだ。上手くいけばの話だがな。そして、転生先はこちらの世界だ。他にもいくつかの神が同じような事をしているようだから、それらを従えるもよし、力を取り込むのもよし、お前の好きにするといい)

「他にもって…… 転生した人間ってのは他にもいるってことか」

 正直なところ、相当面倒なことになった。これが奥村の偽らざる本音である。魔神には悪いが、のんびり気ままに暮らしたい。せっかく命があるというのに、なぜわざわざ自分から魔王や勇者等と言ったヤバい奴らにケンカを売って、再び命を落とすような真似をする必要があるのだろうか。あまつさえ、神様に逆らってもいいなどと、ふざけたことを言ったものだ。さすが、混沌が好きと言っただけはある。

 しかし、本来であれば事故で命を落としてそれで終わりだったのだ。

(せっかく転生させてくれると言うのなら、とりあえず魔神の思惑に乗った振りをしておくか。神である自分を楽しませろと言うくらいだ、言うこと聞かなかったら遠隔操作でお終いってことは無いだろうけど……言葉が通じるのか念を押しとたほうがいいな。あと、魔法もだ!)

 元々、奥村には信仰心の欠片もない。しかし、魔法には興味津々である。少年の頃からゲーム、漫画、アニメにラノベと一通り嗜んできたのだ。テンションが上がらない訳が無い。 

「聞きたいんだけど、逆らってもいいってことは、神様が念じたら即死ってことは無いと思っていいのか? あと、この世界には魔法があるって言ってたけど、俺も使えるのか? それと、言葉が通じるようにしてほしい」

(安心するといい。転生者がこの空間を離れた時点で、そういったことは出来ないようになっている。ちなみに言葉だが、お前の身体はこの世界の素材で作ったから、問題なく意思疎通出来るであろう。天使、悪魔、竜族、人族、妖精族、巨人族の選りすぐりの生命核を使ったからな。そして、この素材で魔法が使えない訳などあるまい)

 魔法が使える。なんという僥倖だろうか。しかし、魔神が語る身体に使った素材に、不安しか浮かばない。

 奥村の頭の中では、頭に山羊のような角が生えた、全身に鱗があり翼の生えた5メートルほどの巨人が、天使の羽を羽ばたかせている姿しか想像できなかった。

「――見た目は普通の人間でお願いします……」

(まあ、いいだろう。見た目は大して重要ではない。しっかりと強くなって、楽しませてくれ。その体に魂が定着し、動けるようになるまでしばらく時間が掛かるだろうが、猛獣に襲われたくらいでは死にはせん。それと、成長が遅い時は、手助けにギリギリ死ぬか死なないかの、お前より多少強めの相手を送ってやろう。命を狙われた方が緊張感が有って良いだろう。我の望み通り世界を混沌へと導くのだ。では、転生だ)

「ギリギリ死ぬか死なないかの相手送るとか、余計なお世話だ!」

 奥村の叫びは、魔神の楽しみでしょうがないといった笑い声に掻き消され、彼の意識は昏く深い闇へと落ちて行った。


 実のところ、異世界の住人だからと言って、神の作った体に魂が定着できる確率は限りなく低いものであった。しかし、奥村は超低確率の壁を超え異世界に転生を果たすこととなった。

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