2
4
ワカリは初めて出会うタイプの女だった。
だからといって彼女が唯一無二であるはずがない。
データベースには彼女と同じタイプの人間が山のように収容されていることだろう。
それでも、ワカリと過ごすのは新鮮な体験だった。
「キミはもう少し体重をつけるべきだな。行為のときあまりに貧相では困るだろう。」
変わった口調で話す彼女は、ツナキミの意表をしばしばついた。
「ではあたしはこの肉をもらおうか」
食事の際もツナキミに負けず劣らず口にした。
読書の傾向も偏っていて、文豪の名前などかけらも知らないくせに、世に出回っている全てのホラー小説を読破しているかのように思えた。
一度聞いてみたことがある。
「キングについてはどう思うんだ?」
「モダンホラーかい。それはあたしの領分じゃないが……」
それでも並みのマニアよりはよほど詳しくキングの<アメリカ性>について論じて見せた。
カラオケにも例の特異な衣装でやってきては、聞いたことの無い言語の曲を歌う。
ハングルならまだいいほうで、よく機種が困らないなと思うほどのレパートリー。
「どこでそんなの覚えてくるんだ?」
「曲がよければ何でもいいのさ。キミだってそうじゃないか?」
確かにそれらの曲は歌詞を度外視しても中々にキャッチーだった。
周りへの溶け込み方も異様だった。
ツナキミが普段触れている人種とは、彼女はまったく異なるタイプだ。
そのくせして、その中に面白いほど簡単に交じり、会話している。
TRPGに興じている時、彼女はいつもゲームマスターの役回りを務めた。
そもそもTRPGなどに打ち込む文化がなかったツナキミ達は、ひょっとしたら平均的であったかもしれない彼女のシナリオに文字通り目を剥いた。
前回のプレイでは全裸であることを相手に如何にさとられないかという制限がついていた。
それでいて楽しめる作品になっていることが不思議だった。
彼女が現われて以来、ツナキミにしては本当にまれなことに、一ヶ月、意志を持って片手を振るということをしなかった。
彼女の笑顔に、その口調に、容貌に、惹かれていたといってよいだろう。
だがそれも、終わりだ。
ある日、いつものように集まった友人達。
鍋パーティを催し、台無しにならないよう念入りに練った具材を用意する。
会話も弾み、興が乗ってきたところで、ツナキミはいつもより口数が多い自分に気がついた。
いつの間にか、目線はワカリの方にばかりいっている。
彼は首を振った。
そんなバカなことはない。
全ての人間には代わりがいるのだ。
ここらで代える必要があると感じた。
友人の中の一人が突然立ち上がり、熱唱し始める。
このタイミングだとツナキミは感じた。
いつもと同じように、それでもしばらくぶりに片手を振る。
途端、周囲がゆがんだ。
足元が崩れ、色が溶け合い、なくなっていく。
形という形が失せた。
霧のようにもやもやとした視界だけが残る。
いつもの感覚に安心さえ覚えるツナキミ。
やがて。
晴れた視界に、形を取り戻していく世界。
明らかになっていく顔ぶれは、やはり知らない誰かのものだ。
代わりがそこを陣取っていく。
だが。
ツナキミは目を疑った。
思わずまばたきをする。
丁度向かいに腰掛ける女が一人。
特異な衣装に、目を引く容姿。
皮肉な口調。
ワカリだった。
代わりだらけの世界で、ワカリだけがそこに変わらず腰かけていた。
驚愕に目を見開くツナキミ。
その視線に気がついたのか、ワカリはにっこりと笑った。
「どうかしたのかい、キミ」
ツナキミにとっては、どうかしたことだった。
※※※※※※※※※※※※
5
ワカリは消えなかった。
あれから幾度も試してみた。
片手を振る。
かすむ景色。
現われ出でる同じような人間達。
もちろん本当の意味での個々は違う。
医学部だらけだったこともあれば、知らない近所の大学の学生だったこと。
同年代の勤め人もいた。
過去に大きな病気を抱えた人間もいれば、健康そのものの人間。
親の仕送りでのらくらと過ごしている人間もいれば、奨学金返済に今から憂鬱な思いを抱いている人間もいた。
あらゆる環境を背景にした異なる個人たち。
だが、そのすべからく誰もが、どれかの型にはまるのだ。
例外などない。
この女を除いて。
幾度も片手を振った。
その度に、溶けていく景色に、揺れる足元。
ノイズが視界に走り、圧力が全身にかかる。
それでも泰然として前を見据える。
そして親しげに微笑む見知らぬ友人達。
皆似たような、変わり映えのしない見知らぬ面子だった。
ただ一人、影貌そのままに、微笑んでいる女。
ワタリは目をむくツナキミをよそに、突然現われた旧知の友人達と自然に談笑している。
何の動揺も見せない、そのゆったりとした動作に、ツナキミは体が震え上がった。
こんなことは今までに一回もなかった。
ツナキミの片手は、いつもそれを行使すれば、データベースの中からお決まりの型を見繕って、世界に供給してきたのだ。
この女だけは特別だとでもいうのか?
この女だけは、「唯一」だとでも?
目線があってにっこりと笑むワカリ。
わきあがる恐怖が。
自己矛盾への恐怖がそこにあった。
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どうにかにしてこの女を消そう。
ツナキミは心ひそかに誓った。
だが、ツナキミにとって頼りになるのは片手の能力しかない。
そしてその能力が、この女にはまるで効かないのである。
それでも諦めずにツナキミは片手を振るった。
皆で鍋を囲んでいるとき。
バイトにいそしんでいるふとした時間。
あるいは都内のバーを飲み歩いている時。
講義の最中に試してみた時もあった。
ありとあらゆるタイミングで、ありとあらゆる時間に試したといってよいだろう。
元々覚えていなかった周りの代替品達には、その移り変わるスピードから、何の注意も払わなくなった。
ワカリにはますます惹かれていった。
反比例する行為と感情。
消そうと片手を振るたびに、融解していく世界の中で彼女の姿を必死で探している。
形もなにもないぼんやりとした視界の内、あのニヒリズムめいた笑みを浮かべる彼女の姿だけを求めている。
いなくなることを望んだはずなのに、ワカリがまだ存在していることを知った瞬間、何物にも替えがたい喜びを感じるのだった。
ツナキミは彼女に好意をよせている自分の姿に気が付いた。
それは今まで特殊な力を振るってきた彼の行為に矛盾するものだ。
人間は全て誰かの代替品だ。
そうであるはずなのに、唯一を見出し、あまつさえ感情を寄せるとは。
愚かな存在としか思えなかった。
その意識を抱えたまま、しかしツナキミは彼女との時を過ごした。
「どうしたい。そんな顔して」
ん?と額を近づけてくる彼女にドギマギする。
夏祭りに浴衣を着てくる彼女を自然と目で追う。
その特異なファッションで必要以上に肌をさらす彼女に心配になる。
憂い、喜び、驚愕、慈悲。
場面場面で違う表情を見せてくれる彼女にわくわくする。
肩が触れ合い、手を重ね。
同じときを過ごすワカリに愛おしさを感じた。
ツナキミは、ワカリに恋をしていた。
「ちょっといいかな?」
そして。
終にその日は来た。
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