彼女だけが唯一だ。
半社会人
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その席は奥行きがあった。
一段高い位置に据えられた椅子に、長机。
既に、生ハムとチーズが添えられたサラダに、トマトを煮込んだスープが並べられている。
それを囲む八人の顔はみな幸福そうだった。
黒縁の眼鏡をかけ、緑のTシャツを着た佐藤。
すらっとした長身に、薄めのシャツ、その下から軽く白い肌着を見せている近藤。
ジーンズにパーカーで決め、毛先を茶色に染めた髪をしきりにいじっている二神。
ほんのり化粧をして、地味な色彩で統一している落合。
その他諸々、個性を持ち、容貌も多彩で、実に豊かな人種がそこに揃っている。
よくある集まりのひとつ。
大学近くのイタリア料理店。
既に乾杯の音頭は済ませ、各々口を開いては食べ物を放り込むか言葉を交わすことに終始していた。
運ばれてきた小ぶりなピザに、銘銘が歓声をあげる。
賑やかな色のカクテルがテーブルを華やかせた。
落ち着いた音色のBGMと、穏やかな夜の灯り。
大学生男女の集いとしては、上品な類と言えた。
ツナキミは、そんな彼らの中心にあって、しかし言葉を発するでもなく、黙々とアルコールを喉に流し込んでいる。
時折会話にうなずいては、満足そうな表情を見せるが、といってそこから興隆に乗るわけでもない。
目を細めた彼は、その場を囲う一人一人の顔を見渡した。
全員が、同じに見えた。
全員が、類型に見えた。
ツナキミにとって、彼らの名前などどうでもよかった。
どうせ、すぐに「変える」のだから。
食事の時は過ぎ、歓談に移る。
バイトの話、単位の話、恋愛の話。
政治や宗教の話にまで及ぶこともあった。
皆それらしい意見を口にしはするが、といって何か意義があることを漏らすわけではない。
コミュニケーションだ。
内容のないコミュニケーション。
ツナキミは薄く笑った。
潮時だと考えたのだ。
残っていたグラスのオレンジをぐいと呑み込む。
味わうように噛み締めると、ツナキミはまた笑った。
それから、何の気もない動作で片手を振った。
意思さえもなさそうだった。
だがその途端、周囲の風景がぐらついた。
服も顔も人間そのものも。
全てが一つにとけ、混じり、色をなくしていく。
うごめく景色の中でツナキミは一人平然としている。
やがて。
周囲が再び明かりと色を取り戻し、輪郭が形となり始めた。
ゆっくりと浮かんでいく姿。
ツナキミはそれを、ぼーっと眺めていた。
テーブルを囲む八人を見やる。
さっきのメンバーとは、全く異なる顔ぶれがそこにあった。
それでいて、似たような印象しか抱かせることのない男女八人。
ツナキミはその新たな訪問者に笑みをよこすと、グラスをわざとらしい動作で掲げた。
「乾杯」
八人は顔を見合わせる。
どっとした笑いが漏れた。
「何いまさらやってんだよ」
「一時間前に済ませたじゃない」
朗らかな空気。
何も変わった様子などない。
違う人間達の間で、同じように、会話が進行していく。
バイトに単位、恋愛に宗教。
ツナキミにとって、全てが同じだった。
※※※※※
2
人間は、「すべからく誰もが」、ある型に分類される。
性格の分類、クラス分けは心理学が長年の内に築いてきたものであり、個々の事例を果たして包括しうるのかという疑問はしばしば呈されていきた。
もちろん個人はどこまでいっても個人であり、その固有名、固有さは、クリプキの論を待たずとも自明なことだ。
人はその人でしかない。その人の代わりなど誰もいはしない。
だがそれでいていて、人間は、やはり誰かの代わりである。
ツナキミは少なくともそう感じていた。
個々人の、容姿であったり基本的な性格であったり。
そうした、人間の<核>とでも言うべきもの。
それらは、すべからく誰もが、どこかの位相に属している。
すべからく誰もが、何かの型に分類される。
そして、どの型とどの型が組み合うかは、あらかじめ、相性という形で決まっている。
この世界は、本来組み合うはずのタイプ達が、有限な時間と環境という制限によって、他人として過ごさねばならないところなのだ。
事故で大量死した学生達。
その中には、自分の周りの友人と似たタイプの人間は、「必ず」居たはずだ。
駅前を行き交う人々。
自分が付き合えるタイプの人間は、「必ず」居たはずだ。
まだ生まれえぬ未来の命達。
長じた彼らの中に、自分と波長が合うタイプの人間は、「必ず」居たはずだ。
時間と環境という有限のそれらによって、しかし、彼らは他人であり続ける。
それらの制限を、あるいは「運命」とでも呼ぼうか。
「運命」によって、人は相性の良いタイプの中から、限られられた者と組み合っている。
「運命の人」なんていう言葉が出てくる。
だが、それは、ツナキミにとっては、ただの臭いせりふにすぎなかった。
人間は、すべからく誰もが、データベースのいずれかに還元される。
本来噛み合うはずのタイプの人間は、だから確率的に多数存在することになる。
そんな、「ありえた」組み合わせ、「ありうる」組み合わせ。
それらを無視して、目の前の相手を「運命」などとのたまう。
ツナキミにとって、それは欺瞞に思えた。
あるいは妥協。
「運命」という制限を口実に、あるタイプの中から現れた「偶々」を、受け入れている。
受け入れることにしている。
「運命」という妥協だ。
ツナキミはそんな妥協はしなかった。
そして彼には、その妥協を許さない力があった。
<出会いの運命>。
あるタイプとあるタイプが出会う制限。
その<運命>を、ツナキミは片手を振るうことで変更できた。
行使できた。
いつから身についた力なのかは覚えていない。
幼少期、転校を余儀なくされた彼は、親友と思っていた人間と別れたくなかった。
そうしてもがいて振るった手が、そのきっかけだったのかもしれない。
片手を振るえば、目の前で話している友人と、まったく同じタイプの友人が現れる。
<そういう出会い>をした運命に組み変わる。
そしてそれで何の問題もないのだ。
幼少期の親友は、それで事足りた。
ツナキミにとって、すべからく誰もが、誰かの代わりだった。
量産型大学生などと揶揄する向きがある。
だがツナキミにとって、すべからく誰もが、量産型だった。
そして本来、誰にとってもそうあるはずなのだ。
日本だけで一億三千万人。
その巨大なデータベースを前に、「唯一の人」など片腹痛い。
家族、友人、恋人、職場の同僚まで。
全て<偶々そうなっただけ>の関係。
<出会いの運命>をいじりさえすれば、全て<代わり>がとって変わる。
それで何の問題もなかった。
※※※※※※※※※
3
それでも、ツナキミは片手を振り続けた。
どこかで、求めていたのかもしれない。
そんな日々のさなか。
<ワカリ>が現われたのだった。
※※※※※※※※※※※※
ツナキミは大学生活を基本的には謳歌していた。
適度に勉強し適度にバイトに励む。
そして過分に遊ぶ。
その遊びのさなか、彼はよく片手を振るった。
周囲がゆがみ、輪郭は溶け、色が無くなっていく。
そして現われ出でる形は、それまでと寸分たがわない、違う「誰か」だ。
ツナキミにとって、一諸にいて居心地の良い人間は決まっている。
そのタイプが、世界にはごまんといる。
唯一などない。
カラオケの最中に手を振る。
茶髪のちゃらちゃらした親友は別のちゃらちゃらした奴がとって代わる。
地味ながらやさしい性格の親友と食事に行く。
手を振るえば、同じく地味ながらやさしい性格の親友がそこに座っている。
容姿が優れた明るい彼女とデートに行く。
映画で泣き、食事で笑い、行為に及ぶ。
そこで手を振るえば、同じくらいの容姿レベルで同じくらいの明るさの彼女がそこにいる。
ツナキミにとって、そんな日常が普通だった。
何かあれば、気晴らしに手を振るう。
そこで現われる、まったく同じ誰か。
消えた人間は、記憶からも消えていく。
山ほどある代替品の中から、なぜたった一つに思い入れを持つ?
その日は都内のバーでさんざん飲んだ帰りだった。
店長の気のなさで作られたオリジナルカクテルを胃にしみわたるまでのみ込む。
友人達数人に抱えられ、やっと帰り着いた下宿だった。
既に時計は二時を回っている。
無理やり着替えを放り込み、適当にラインに返信を打っていたところで、見慣れぬ名前を見つけた。
正確に言えば、ツナキミにとっては全員が見知らぬ名前だ。
だがここ一週間は、何の気まぐれか、手は振るっていないはずだった。
ワカリとカタカナで記された名前。
花があしらわれた無難そのもののアイコン。
何の記憶も沸いてこない。
首をかしげながら寝にいったツナキミは、同じくラインの通知音で目が覚めた。
どんよりとした曇り空の下、諦めたような日の光が、おざなりに部屋に差し込んでいる。
通知を開いたツナキミは再び眉をひそめた。
遊びの催促。
アイコンの主はワカリ。
本来なら無視するところだが、覚えがないだけに逆に興味が沸き、指定された大学近くのショッピングセンターに出かけていった。
いつもと同じ気安い服装。
ワカリが誰であれ、自分が好むタイプの人間であることは明らかだった。
そしてツナキミの友人はわざわざ彼の服装を見咎めたりはしないものだ。
時間が来た。
それから十分は過ぎた。
予想は外れた。
「ダサい服着てるね」
そういう声の主は、グレーの系統で服を統一している。
行き交う人の群れの中でも、長身のその色合いは目立った。
ワカリはにっこりと笑って言う。
「まあ、あたしも遅れちゃったから、おあいこね」
まぶしい笑顔を放つ少女が、ワカリだった。
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