四十七話 全ての人の狂想曲

◼️


 あれからしばらく歩いた。もうユースティアの戦闘音も耳には届かない。響くのは、俺とルシフが石を踏み付ける音だけ。


 宙に浮かぶ石を登っていけば、いつの間にか俺たちは降っていた。何を言っているか分からないと思うが俺にも分からない。更に降っていけば、地に辿り着いた。相変わらず黒一色の地面だが、立つことの出来る床がそこにはあった。


 膨大に広がる空間。霧が掛かったように先は見えない。だがどこまでも無限に続くようにも思わされる。

 だがこの先には、明らかにヤツが待ち構えている気配がしていた。ここにいるぞと俺たちに誇示しているかのように。


 障害らしきものは、あれ以来ない。

 誘っている。奥まで来いと誘われている。『始まりの勇者』が魔王の城に攻め込んだ時と同じだ。


 そして火が灯る。


 ここが道であると示すように、対をなすように、火が点いた。その火は、黒い。闇の力であるようだが明らかに違う。見た目は、黒く放電した火。だがそれは、邪気が火を模倣しているだけだ。


「ここを真っ直ぐ進め、ということか」


「……みたいだな」


 一歩踏み出せば、また火が灯る。両脇の地面から燃え上がる。それが地面と呼べるのかは分からないが。


「……当たるわけねえだろ」


 それは、不意打ち。

 宙に現れた聖剣を刃で弾く。それはちょうど俺が腹を貫かれた辺り。


「行くぞ、ルシフ」


「応ッ!!」


 俺たちは駆け出す。宙に現れるいくつもの聖剣を撃ち落とし、先に進む。最早、闇の力の前でそれは無意味。その剣が空間に突然現れたのは、間違いない。しかしそれは、何処かにあったものがそこに瞬間移動したわけではない。その場で創り上げられたのだ。邪気の性質を応用した力、ということ。


【天カラ堕チルソノ翼】


「これはヤツの声かッ!?」


 剣を撃ち落としながらルシフが叫ぶ。


「詠唱、か」


 美しく紡がれる唄。……だがこれは途中だ。詠唱の途中。本来、魔法を使用する為には詠唱が必要だ。だがそれは、人間に限っての話。


【循環スル時】


 そう、邪神となったルシフェルがそれを歌う必要がない。であらば、これは一体なんだ?


「見えたッ!!」


 幾重にも魔法陣を地面に展開する堕天使がそこに立つ。その表情はどこか恍惚としている。


【打チ捨テラレタ真実】


 宙に浮かぶ膨大で強大な魔力の塊。光の力と邪気が加わった恐ろしい力。もしそれが放たれれば地上の九割は呑み込まれるだろう。ルシフェルの狙い通りに。俺は、ようやくその詠唱の意味を理解する。この唄は、あの膨大な魔力を制御するための賛美歌だ。自らを讃えるための唄を自ら歌っている。


【破レタ夢ノ果テ】


「止めるぞッ!! ルシフッ!!」


 全速力。持てる全てを身体中に分配する。

 それだけは、絶対に止めなければならない。この身が破壊されようとも。しかし俺はすぐに急停止を掛ける。目の前に現れたのは何体ものルシフェル。光の力と邪気が混じって出来た模倣体が十体。


【クルクル廻ルクルクル廻ル】


「しゃがめッ!! ルシフッ!!」


 二の太刀を撃つ放つ。しかし斬ったのはその内の三体。コイツらの性能には少しばかりのばらつきがあるようだ。


「……駄目だッ!! 避けろウルッ!!」


 違う。かわすんじゃない。先手を打つんだ。


「還れッ!!」


 この剣技の特徴は、気に斬撃の性質を乗せて飛ばしているということ。つまりそれは理論上、斬撃を自由に操れる。


 だから俺は、放った斬撃を舞い戻した。

 それは、模倣体のコイツらでは回避不可能。気の力を使えない者に躱すことは出来ない。


「これもだッ!!」


 不可視の斬撃は、黒く染まった。もはや見えたとしても問題はない。そしてそれは全ての模倣体を真っ二つに斬り裂いた。光の羽根が舞う。闇の力による致命傷。それが完全に邪気を断ち切ったからだ。


【光輝ノ喪失、悲劇ノ堕天】


「ッ!?」


 空が揺れる。

 黒一色の空に大きな亀裂が走った。巨大な魔力の塊が空に触れると一層、揺れは大きくなった。そして本物の空が亀裂から覗く。城の屋根はもう破壊されているのだろう。


「……完成が近いぞッ!! ウルよッ!!」


【クルクル堕チルクルクル墜チル】


 見えない床、黒一色の地面を蹴り抜く。もう止まるわけにはいかないのだが、それは俺たちを更に足止めする。見えるは、無限の聖剣。宙を埋め尽くす聖剣。刃のみで全てを対処するのは不可能。だがもう余力を残す必要もない。行くぞ──


「解放するッ!!」


 溜め込んでいた闇の力を解き放つ。黒龍の形を模した巨大な闇。それは大口を開けて全ての聖剣を喰らい尽くす。そしてルシフェルに殺到した。


「これでも駄目かッ!!」


 濁流のように殺到した闇の力。しかしその勢いは徐々に殺されていき、龍の姿は小さくなってしまった。


「我の力も合わせようッ!!」


 ぎりぎりと障壁にかじり付く黒龍。そこに光が灯る。落ちた勢いは、蘇った。質量が増したわけじゃないが密度が増した。それは、ばらばらになりかけた闇の力を繋げた光の力の仕業。


【全ナル典型】


 少しの亀裂が産まれる。おおよそ立ち位置の前面。そこに巨大な見えない壁があるように。

 だが進む詠唱は、止まることがない。もう少し、もう一押しでそれは破ることが出来るはずなのだが。


【黎明ニシテ明ケノ明星】


 黒龍はその光によって掻き消されてしまった。

 足元に特大の魔法陣が描かれる。展開された魔法陣が全て組み合わさり、一つの魔法陣が生まれた。そしてそれは終わりの合図と等しい。魔力の塊は、姿を変えていく。その姿は女神に瓜二つ。さながら巨大な女神像。だがそこには、神々しさも禍々しさも存在しない。姿形だけが同じだけの虚像。


 そしてそれは屋根を破り、外界へと侵入しようとしている。あれが解き放たれれば、この世界が蹂躙されるのは間違いない。……本当に、これで終わってしまうのか?


【我ガ名ヲ叫ベ】


「──いや、まだだッ!!」


 俺の前に立つのは鎧姿。


「力を貸してくれッ!! 魔王よッ!!」


「……言われるまでもない」


 放つのは一つ。


「【暁の勇者】よッ!!」


「【大天使長ルシファー】ッ!!」


 ルシフェルの叫びと同時。巨大な闇の骸が光の鎧を纏う。その手に持ったのは闇の刃。飛び立とうとしたその力を斬り落とした。


「────!!??」


 絶叫。悲痛に満ちたその声は、痛みによる叫びだということがよく分かる。女神の顔が歪み、血の涙を流す。

 それは、その矛先をこちらに向けたのだ。白く歪んだ巨大な手が俺たちに肉薄する。だが【暁の勇者】の一撃がその手すら斬り落とす。その女神の虚像に戦闘能力はないようだ。


 だが、それで終わるわけがなかった。世界を滅ぼすために産み出された魔法の塊が、その程度のはずがない。

 魔力がその内部から膨れ上がっていくことが分かる。それは、誰だってこの場にいれば分かる。例え、魔法の素養が無くてもそれは肌を穿っただろう。


 その女神は笑った。

 目を細め、口角を上げていた。


「──ッ!!」


 やろうとしていることは、その刹那であっても分かった。これはわざと伝えたのだろう。……自爆すると。


「すまない、ウルよ」


「……なにを言ってやがる」


「我はここで終わりらしい」


「今度は逆だ、って言いたいのか?」


「ああ、たまには我にも活躍させてくれ」


 そんな会話を出来る時間があるわけがない。だが、俺たちはそう言葉を交わした。確かに交わした。

 一面が白く染まる。光の渦が女神を中心に巻き起こったからだ。だがそれを斬り裂くように突き進むのは、【暁の勇者】。そしてその背後を追従するのはルシフ。


 ……俺の身体は、もう動かなかった。力を使い果たしたらしい。


 遥か遠くの光。その中で、闇の剣閃が走る。

 ルシフが剣を振ったのだろう。そして白の世界は少しずつ終わりを迎えていく。見覚えのある城の姿が徐々に現れていった。


「……なぜだ」


 ……そして目の前に残ったのはルシフェル。


「……ふは」


 その表情は未だかつて見たことのないほどの残忍さが浮かび上がる。


「ふははははははははッ!!!!」


「……小悪党かよ」


「なんと言われようが最後に立ったものが勝者なのだッ!!」


 ルシフェルの身体にも大爆発によって付いたかなりの傷が見える。しかしそれは徐々に癒えていく。……城の外から飛び込む魔物の影によって。


「これで終わりだなあ、魔王ウルよッ!!」


 コイツはこの時のために力を分けていたんだ。魔物の影に人を襲わせたのは偽装。本当の目的はこれだった。緊急事態への備え。……いや、それ以上か。膨らむ魔力が今まで以上であることがそれを指し示す。


「やるしかねえか」


 怒りが腹の中で煮え滾った。そして目の前が黒く染まっていく。闇の力を使うその感覚とほぼ同じ。しかし、俺はもうこの力を操らない・・・・。つまり力の暴走を意図的に引き起こす。


「……待って」


「……どうしてここにいる」


 久方振りに見たその姿。魔王討伐の旅を共にした俺のもう一人の幼馴染。残った視界の中に映る美しい金髪。


「その力を使ってしまえばルシフさんが完全に死んでしまうわ」


 黒くなった視界が崩れ落ちていく。


「どういうことだ?」


 俺は、残りの人物の存在にも、ようやく気が付いた。視界が澄み切ったからだ。


「……だめね、あまり持たせられないわ」


 その声を上げたのは、時の指輪を身に付けた姫。酒に溺れていた頃のふにゃふにゃとした表情はそこにない。苦しみを耐えているようだった。


「説明してる時間がないわ……」


 俺は周囲を見渡した。

 見えたのは、時の停止。時の指輪から放たれる力によってここにいる五人以外の時間が止まっている。


「ルシフさんは生き返らせることが出来る。……だから今は、話を聞いてほしい」


「……分かった」


「これを見てください」


 深い青色のドレスがよく似合う少女は、鏡を持っていた。そして白い肌の手を動かして鏡をこちらに向ける。


「……どうしたってんだよ……皆して」


 そこに写っていたのは地上。少し前まで見ていた景色。だが違ったのは、皆がもう戦っていなかったこと。魔物の影が吸収されて戦う必要がなくなったのだろう。しかし最も違うのは、彼らが取っている行動。立ち止まって剣を地面に刺し、両手を組んだり、ただ空を仰いだりしている者もいる。それは人それぞれ違うが、一心に何かを念じているのは伝わって来た。


「貴方たちの勝利を祈ってるのよ」


「だが、それが何になる」


 祈ったところで──


「……この杖を伝って貴方に力を分け与えられる」


 この中でその外見は一番幼いだろう。しかしその表情は一番大人びていて、夢見る少女からは程遠い。そんな印象を抱かせる少女が見せたのは一つの杖。先端に宿った光は、俺に向かい始めていた。


「そしてこれを」


 碧眼が俺を見る。

 差し出されたのは一本の剣。俺が握っている刀を見ればもうぼろぼろだった。


「これは……」


「女神様が造られた本物の聖剣。そして……」


 その造形はルシフェルが使う聖剣と確かに違う。より洗練され、そして綺麗だ。


「ルシフさんの力が籠った剣」


「……なぜアイツはこれを受け取らなかったんだ?」


「ウルの方が勇者に相応しいって、頑なに」


「……はん、アイツらしいぜ」


 ──轟音。まるで爆撃を喰らったような音が鳴り響く。


「──ッ!? 考えているより強力だったわッ!!」


 時の姫が掲げていた指輪に少しの亀裂が走っているのが見えた。おそらくルシフェルが抵抗しているのだろう。


「そろそろ切れますッ!!」


 鏡の姫が叫ぶ。これは彼女たちの像を投影しているに過ぎない。その真実の鏡を使って。


「ウル……少しだけ耐えて……必ず力を届けるから」


 それを最後に四人の姿は、消えていった。


「小癪な……堕天の一族めが何かしたな」


「堕天?」


 消えたと同時。その声は以前のように美しい響きはなかった。……天使の声からは程遠い、邪神の言葉。


「……知らなかったのか?」


「……勿体ぶらずに教えろよ」


 そこにあるのは、にやにやと嘲笑う響き。


「あの姫と呼ばれているものたちは、遥か昔に天から地に落ちた一族の末裔」


 つまり元天使ってことか。


「お前より……遥かに良いだろうけどな」


「……馬鹿な奴め」


 太陽が如く、炎が燃え上がる。そして痛みが全身を貫いた。

 だがまだ俺の身体は、動かない。しかし仄かに何かが湧き上がってくるのは感じる。そして視界に現れたのは魔物の群れだった。美味い料理を作る一つ目の魔物オーガを中心にした群れ。……幻覚。いや、これが力か。


「痛くもッ……痒くもッ……ねえなあ……ッ!!」


 次に浮かび上がるのは白い肌に黒髪。戦士と呼ぶに相応しい体躯を持っているが、同時に男を魅了する美貌も兼ね備えている。巨大な狼の背に乗り、一心に祈っているのはアルテミス。


「これで終わりなはずなかろう」


 その言葉の最後に吐き出されるのは白い息。

 炎は消え失せ、全てが凍り付く。俺の身体も例外ではない。絶対零度の世界となったその場所。しかしそこに浮かび上がるのは、水龍の額に手を置く赤髪の女船長。並び立つのは、黒翼の少女。彼女は、ただ空を見上げていた。


「続けていくぞ」


 光が刹那、世界が白く染め上がる。そして、轟音。全身を覆うほどの雷が俺に向かって降り落ちる。だがもう痛みは感じなかった。視界に映るのは、金髪の少年。それに寄り添うは黒髪の少女。その少し背後で二人の男が立っていた。大剣と長剣は収め、静かに目を閉じていた。


「痛ぶっていても仕方があるまい」


 光の塊が宙に浮かぶ。まるでそれは空の中にもう一つの天が出来たように。

 視界に映るのは、片腕を無くした男。どうやら戦闘の中で、付けていたはずの腕を失ったらしい。そしてその近くには、赤焦げ茶色髪の少年。エルフの少女と手を繋いでいる。


「これで終わりにしようぞ」


 雲が渦巻き、光が零れ落ちる。それは、夜が明けるように。そして大爆発。全ての理を超えた、ルシフェルの産声が城を包み込む。しかしその刹那、ここにはいない三人の姿が見えたような気がした。……まあ将軍はともかくあの二人もなんだなんだその後が気になったんだろうな。本当に素直じゃねえ。


「まだ死なないのか」


 全ての光が失われ、現れ立つのは邪神のみ。


「……ああ、俺は少しばかり頑丈でな」


「──では、これで終焉だ」


 紛い物の刃が煌めく。しかしそれが俺に届くことはない。


「な、なんだと……」


「これが魔王の力、だ」


 骸骨の牙が、邪神に噛み付く。これは俺が勇者と手を組んで一番最初に使った魔王の力。


「な、なぜだ……同じ神によって造られたのに……」


 その全てを奪い取る、魔王の一噛。

 全ての人の魂を賭けた、その一噛。


「なぜ……人の方が優れているのだッ!?」


「知るかよ」


「馬鹿にしやがってッ!! 糞があああッ!!」


 大上段に構えた偽物の聖剣。


「……じゃあな」


 すれ違いざまに煌めくのは、真なる聖剣。振り抜いたその一撃は白と黒の光を纏う。

 俺は振り返らなかった。しかしその気配は、完全に消滅する。

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