四十話 憤怒の騎士 壱


◼️


 光の渦から木製の扉が現れる。煤竹色の扉。平たく言えば、落ち着いた茶色の扉だ。扉が開くと、一人の青年が足を踏み出す。黒髪に黒一色の服を纏った青年。と言っても顔は整っており、女性層には一定の人気はあるだろう。


「……それ、言う必要あるか?」


 私は、肯定する。一種の清涼剤は、必要であると。


「ふん……で、次はなんなんだ?」


 二人の少年が、木剣で打ち合っている。稽古。と言うには、拙い。じゃれあってる、遊んでいる、そんな言葉が似合うだろう。


「俺と……イーシュね」


 ウル・イーガ。その姿は過去の姿。およそ、十数年前と言ったところ。この頃の彼はまだ何も知らない。父親も母親も、もう既にこの世にはいなことも。自らが魔族でありながら、次期魔王であることも。勇者と言う役を担わされることが決まったのもこの頃だった。……実際は、もう彼がルシフェルに入れ替えられた時点でその運命は決まっていたのだが。


「弱いよ、イーシュ」


 片方の少年が木剣が地面に転がった。少年はそれを見て、そう言い放つ。そして剣を軽く振り回した。その剣の才は、まさに天賦。剣の才だけで言えば、かの英雄さえも遥かに超える。


「……ッ!!」


 遊びとは言えど決して手を抜かない彼の一撃は、大人の一撃にも匹敵する。遊んでいるよう・・・・・・・と形容したが、もう一人の少年が遊ばれているだけだった。


 とは言えど、彼の一撃も悪くはない。まだ十にも満たない少年にしては、鋭い一撃。ものの見事に撃ち返されてしまった一撃だが、少年にとっては本気の一撃。ただ相手が悪すぎただけ。その証拠に彼の手は、豆が潰れて血だらけになっていた。同じ年頃の子どもにこれ程の努力した者は、そうそういないだろう。


「これで百勝目、くらいか」


 残酷な眼差しが少年を穿つ。同じ歳の少年とは思えないほど、大人びた眼差し。それが彼だった。


「零勝、百敗……」


「まあ、そんな落ち込むなって。そこそこ良くなってるよ」


 少年は、項垂れる少年の肩を叩く。


「うん、ありがとう!!」


 彼の瞳は、潤んでいたがその袖がすぐさま覆い隠した。そして少年は笑顔を作る。


「おう、またやろうぜ!!」


 側から見れば仲のいい友達。しかしそれはどこか歪。片側の少年は、決してそのように思っていたが、もう片側はそうではない。どうして僕はこの子に勝てないんだ。そんな憤りが彼の心の中に溜まっていたのは間違いない。


「……なんとなくは分かっていたが」


 夕陽の中、とぼとぼと歩いていく少年たち。今のウルはそれを見つめていることしか出来なかった。


 また場面は変わる。それは、王の前で一人の少年が膝を立てる場面。あれから更に成長したウルは、背が伸びていた。体格も良くなり、まさに大人へと一歩踏み進めた時。そしてそれは、彼が勇者に任命され、これから勇者としての訓練が本格的に始まる時でもあった。


 そんな様子を一人の少年が覗いている。女性のように美しく成長したイーシュ。しかし今その顔に刻まれているのは悔しさ、いや、怒り。彼の表情は、憤怒に満ち溢れている。勇者に選ばれなかった憤怒。とは言え、それが既に勝敗の決まっている勝負であることを彼が知る由も無い。


 まだ一度も彼は、ウルに勝ったことがなかった。もう数え切れないほどの勝負を重ねている。試合のような斬り合い以外にも勉学や、はたまた料理の上手さ。全てが勝負へと繋がっていた。その全てが憤怒へと積み重なる。


 そしてその頃から彼らの道は完全に別れていく。表面上には仲の良い友人。いや、それ以上。親友同士と呼べるほど仲が良いように見える。しかしその美しい顔の下にある憤怒が消えることはない。互いに試合を持ちかける事はなくなった。勇者としての彼は忙殺され、一方、イーシュは鍛錬に明け暮れる。もちろん親友には、気が付かれないように。


 その鍛錬、初めはそれほど厳しいものではなかった。と言っても既に一般人のそれは超えていたが。次第に厳しさは、増していく。剣の素振りや走り込みのような基礎鍛錬は当たり前。常人の十倍の量はこなしている。時には魔物退治を一人で引き受け、壊滅させることもあった。他には強い剣士と試合を果たすこともある。だが最早、彼に勝てるものがこの近辺ではいなくなっていた。かと言って、ウルにはまだ敵わない。少なくとも彼の目にはそう見えていた。その強さは、異常。それもそのはず。人間ではないのだから。この事実も、当然イーシュの耳に入る事はない。


 そして、そんなある日。とうとう勇者として彼は完成する。ジンパチの修行が終わったのだ。それを機に、王はその強さを披露する機会を設ける。民にその強さを示し、魔王の脅威を和らげようとしていた。


 それは剣術大会。


 大陸全土から剣士を集い、勝ち抜き戦を開く。もちろんイーシュも参戦した。大陸全土から集まったと言えど、イーシュ、ウル。両者の強さは遥か高み。人外の強さと言っても良い。当然のように決勝戦に残ったのはイーシュとウルだった。


「真剣でやりあうのは久し振りだな?」


「……ああ」


 大勢の歓声が上がる。これほどまでに盛り上がる組み合わせが他にあったであろうか。古くからの親友。そして好敵手同士が対峙する。中には大きな賭けをする者もあった。


「手加減はしない」


「もちろんだ」


 そして静かに決勝戦は幕を開ける。先手を打ったのは、意外にもウル。長剣を構え、斬り掛かった。


「……手加減はしないと言ったはずだ」


 彼らにして・・・・・は遅い剣撃・・・・・

 幾千の鍛錬を積んだイーシュにとって、軽々と打ち返せる一撃。


「ばれちまったか」


「……本気で来い」


 静かな剣気。だがそれは、会場を静まり返らせるほどの威圧。イーシュは、気というものについて習った事はない。だがその無茶苦茶とも言える鍛錬は、自然にそれを身に付けさせた。


「分かった、じゃあ本気だ」


 それは、それを遥かに超える威圧。本当に気の鍛錬を積んだ者が行き着く境地。もっと、静かに。それは、無差別に・・・・威圧したり・・・・・はしない・・・・。イーシュのみが感じる重圧。地面に叩きつけられそうになる物理的な重圧に必死に立ち向かう。


「……行くぞ」


 ウルは消える。そう、その速さは誰の目にも止まらない。少なくともここでその動きを追えるのは、特等席にいる英雄、そして相対しているイーシュ程度だろう。


 その一撃を振るう瞬間に姿は、観客たちにも見える。と言ってもその手元までは見えない。イーシュは重い腕を振り上げなんとかそれを防いでいた。何度も戦った彼の剣筋を予測して。しかし怒涛の連撃が止む事はない。一手、また一手。イーシュを追い詰めて行った。


 ウルはもうその時点でジンパチが教えた技をいくつも使える。しかし使わなかった。それは手加減をしていたから、ではない。あくまで剣と剣の勝負。技を使えば公平さに欠けるとウルは思っていた。


 そしてその剣は、とうとう弾き飛ばされる。


 彼らの実力差を考えれば、よく持ち堪えたほうだろう。そして歓声は、上がる。観客たちもイーシュの実力を認めていた。勇者の実力は、化け物すぎる。それも観客たちは、よく分かっていた。しかしそれは、逆にイーシュを追い詰める。憐れみの目で見られているような感覚。仕方がない。この化け物に勝てはしない。よく頑張った。


 いや、違う。私が弱いから負けたのだ。まだ足りない。力が足りない。イーシュの中に、そんな言葉が渦巻いていく。なぜ私はこんなにも弱いのだ。憤怒の感情も更に、膨れ上がっていく。

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