三十八話 強欲の英雄

◼️


 一人の青年が立つ。黒い髪が爽やかな風で揺れる。

 彼が瞼を開くと、戦場が飛び込んだ。と言っても泥臭い、死人が溢れるような戦場ではない。空は快晴。綺麗な草原が広がり、人が駆ける。そして行われていた戦いはもう既に終わりを迎えようとしていた。


「ここは王都の近く、だな」


 ウルは、一人の人物が目に付いた。隻眼の男。その体躯は、ウルより巨大。大剣を背中に背負い、馬に騎乗している。豪快、明朗快活。そんな言葉が似合いそうな彼だが、その表情はどこか悲しげだ。


「……マキシム」


 ウルは、ぽつりと呟いた。

 そう、彼こそが軍神マキシム。この戦いを終わらせた人物。それも快勝と言っていいほどに、爽快な勝利をもたらした。その戦略。そして彼自身の力は強大なもので、魔王を除けば勝てるものはいないと噂されていた。


 そして彼は、王都に帰還する。いつも通りの凱旋。迎える民の声は暖かい。そんな中、一人の少年が彼に近付いた。黒髪に、尖った目付き。しかし、まだどこかに幼さを残している。


「はん……俺かよ」


 彼が子どものように可愛がっていた少年。もう兵士として志願できる歳だが、彼には勇者という大役が待っていた。そうでなければ彼は、彼を自分の後釜に据えただろう。可愛がっていたのも確かだが、それ以上に彼は優秀だった。指南役であるジンパチに師匠役を譲ったのは、彼に厳しく接することが出来ないと思ったから。


 それほどまでに少年を可愛がっていた軍神だが、彼もとうとう子どもを授かる。


「……アレスか」


 いや既に・・・・授かって・・・・いた。・・・という方が・・・・・正しい・・・


 場面は変わる。街並みも変わっている。近くには酒場があり、大きく賑わっていた。そんな街の片隅に、赤焦げ茶色の髪の子どもを連れた女が一人。子どもの齢は五、六と言ったところだろう。マキシムの面影が色濃くある子ども。彼は笑顔で話しかけるが、女の背後で隠れる。その臆病さが瞳に深く刻まれていた。ウルのような勇敢さは、そこにない。


 そんな子どもを見たマキシムは恐れてしまった。自分にこの子どもを育てられるだろうか。これほどまでに臆病さを兼ね備えた子ども。自分の子ども時代からも大きくかけ離れている。おそらくこの女に似てしまったのだろう。マキシムは、確かにこの女を愛していた。しかし彼女たちから離れてしまう。


 そしてまた月日は過ぎた。


 暖かかな暖炉の灯りがその部屋を照らす。しかしベッドに横たわった女は、明るい表情をしているとは言えなかった。看病する男は紛れもなくマキシム。病に罹ってしまった女を看病していた。しかしそれは不治の病。かの英雄と言われたマキシムでさえも治すことの出来ない病と診断された。何故ならばそれは、邪気による病。彼女を蝕んでいたのは邪気であった。そしてとうとうマキシムの看病虚しく、彼女は亡くなってしまう。


 残されたマキシムと彼の息子。


 失意の中、二人は遊びに出かけた。深い森の中、彼は子どもから目を離してしまう。彼は、彼ほどの力を持ちながら、その子どもを見失ってしまう。それは、紛れもなく邪気が彼の知覚を邪魔したのであることは間違いない。探し回るマキシム。次々と過ぎ去る樹林の中。彼は、不穏な気配を感じる。紛れもなく魔物の気配。それも今まで感じたことのない邪悪な魔物の気配。彼をその魔物が囲んでいた。しかし、彼を囲んでいただけではない。


 そこから、少し離れた場所に更に誰かを囲んでいる。彼は、それが間違いなく息子であると分かった。傷を負いながらでも無理矢理魔物の群れを蹴散らし、前に進むマキシム。


 息も絶え絶え、傷だらけ。英雄から程遠い姿がそこにあった。


「……どこまでも人間らしい、な」


 息子の前に辿り着いた時には既に、力はもうほとんど残っていなかった。横たわる息子の前で手をついて涙を流すマキシム。傷は負っていたが生きていた息子。彼は、必ず息子を守ると決意する。妻になるはずだった女を守れなかったマキシム。彼の中には、強欲にも全てを守る心が生まれ落ちる。


『もう、誰も死なせない』


 黒い光が彼から光り輝く時。群れる魔物が一斉に飛び掛かった。


「──ッ!!」


◼️


 飛び掛った・・・・・・魔物が弾き・・・・・飛ばされる・・・・・


「はっ……そういうことかよ」


「さて、彼も暴走してしまいました」


 黒い光が一度輝くと、周囲の魔物が消し飛んだ。邪気に侵された魔物を一瞬にして消し飛ばすとは、流石に闇の力を侮っていたとしか言いようがない。


 そして黒い液体が、マキシムの身体を包み込む。両手は地面に付いたまま。両手両足で立ち上がる。顔すらも黒い液体が覆い尽くしていく。口のあった部分辺りは、大きな口へと作り変わった。黒い牙がいくつも見える。四つん這いで立つ姿は、まさに獣。


「ああ、分かってるよ」


 マキシムだった・・・・・・・獣は一声・・・・鳴いた・・・

 黒い顔に切れ目が二つ入ると赤い瞳を覗かせる。間違いなくそれは、俺を敵と見定めていた。


「──やればいいんだろ」


 一目散に俺に肉薄するマキシム。恐ろしく速いが見えない速さでは──。


「ッ!?」


 その姿が消える。そうだ。コイツらは瞬間移動が出来るんだ。


「くそがッ!!」


 走る火花。抜いた刃に喰い込む牙。間一髪、背後からの噛み付きを俺は刀で受けていた。そこから繰り出されるのは、縦横無尽の連撃。消えたと思えば右に。現れたと思えば左に。前後左右、全方位からと牙による噛み付き。


 俺は、反射のみで何とか打ち払っている。しかしこれも時間の問題だろう。その獣は更に速さを上げている。牙が服を割き、薄皮一枚削っていく。


「ちぃ……不味いな」


 闇の力、俺が言うのもなんだが厄介過ぎる。あの時のように喰えばなんとかなるのか?

 そしてそれは、俺の油断。牙による攻撃しかないと思っていた。獣の身体が一瞬光る。そして地面に描き出される幾何学模様。黒い塊がいくつも宙に浮かぶ。


「しまっ──」


 黒い塊が俺に殺到する。地面をえぐり取る闇の力。全てが俺に当たる前に、跳んでいた。あれは喰らうと不味い。牙攻撃の数倍不味い。実際、・・・俺の足が・・・・抉れている・・・・・。辛うじて繋がっているが地面に降りても立つのがやっとだろう。


「アンタがマキシムだってこと忘れていたぜ……!!」


 魔法も使える獣なんて考えてもいなかった。だがその正体は、マキシム。使えて当然だ。どうやらこの暴走した姿になっていても使えるのは、人間であった頃の技に基づくようだ。レジーナも戦うことがあればあんな技を使っていたに違いない。


「今度はこっちからいくッ!!」


 落ちながら刀を幾度も振るう。


「三の太刀ッ!!」


 地面を不可視の斬撃がいくつも穿つ。砂煙が舞い上がり、その姿を消し去った。激痛に堪えながら地面に降り立つ。もし次、あの怒涛の連撃を撃ち込まれれば耐え切る自信はない。……じゃあどうする。恐らく、足を使う『二の太刀』も『一の太刀』も使えない。喰らえばどうにかなるかもしれないが、捕まえることも今の俺には出来ないかもしれない。


 その足音は、距離を縮める。俺に喰らい付かんと一歩一歩、音を立てて近付いてくる。これはわざとだろう。……趣味が悪いぜ。

 そして獣が姿を現し、当たり前のように俺に飛び掛かる。だがその時、周囲が静まり返った。妙な静けさが支配する。聞こえるのは心臓の鼓動のみ。ゆっくりと、ゆっくりとその牙が俺に向かっているのが見える。


 なんだこれ……?


 周囲の流れが緩慢になったのか、それとも俺の目が全てを見切ってしまったのか。だがこれは好機。なんであれ、ここで噛み付くのはこの俺だ。

 手を首元に伸ばし、その腹に俺は噛み付いた。そして黒い皮を剥ぐようにかぶり付く。


 ──相変わらずこいつは美味だぜ。


◼️


 ウルが喰らったことにより、その暴走を鎮まらせる。そして仲良く豪快に寝そべる二人の親子の姿がそこにあった。森の中、またいつ魔物が襲い来るとも分からないのだが。


「結局、似た者同士じゃねえか」


 ウルの側に湧き立つ木製の扉。


「さあ、次だな」

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