三十六話 嫉妬の少女 弐


 そして無事に家まで辿り着いた少女。しかし彼の罠はそこで終わるはずもない。少女が家の扉を開けるのは数人の女。少女にとって見覚えのある顔はない。しかし彼女たちは名乗った。『貴女の叔母』であると。意地悪な表情をした叔母たち。彼女たちは、様々な理由を付けて土地を奪った。その土地に何の付加価値があったわけでも、高く売れるわけでもない。ただ『意地悪』したくなったから。下卑た笑みを少女に伸ばす、叔母たち。一族の中で最も貧乏であったが、最も幸せに満ち溢れていた彼女たちへの嫉妬。


「……胸糞悪りぃ」


 いくら聡明な少女であろうと、まだ子ども。十も満たない子どもである。そんな彼女が大人に勝てるわけもなかった。

 しかし彼女は、それで終わったわけではない。両親は隠し財産を遺してくれていた。一人の男によってそれは、託される。男は隻眼に鎧を纏い、剣を下げていた。如何にも屈強な戦士であることを漂わせる。その見た目に彼女は警戒したが、その雰囲気にほだされた。


「人が良いにもほどがあるだろ……マキシム」


 莫大な財産を手に入れた少女は、幼きながらも復讐を誓う。聡明で、恵まれた美貌を持つ少女。別の生き方もあったが、彼女は自らその道を選んだ。そして名を『ヘラ』と偽り、十数年。叔母たちに様々な方法で復讐を遂げる。斬殺、毒殺、爆殺、焼殺……。殺さなかった者もいた。だが実質死んだも同然。しかし叔母たちも抵抗しなかったわけではない。最後の一人になった叔母。彼女には、幸運にも事の発端である大天使が手を差し出した。


 霧が立ち込める深い森の中。走る一人の女。傷だらけになって息も絶え絶え。その姿はウルのよく知っている姿に程近い。叔母の策略は見事、的中した。ありとあらゆる策略は、ヘラをレジーナへと引き戻す。

 少女は、いや。もう立派な女性になっていた彼女は戦った。魔法の素質も持ち合わせていた彼女は戦ったが、鍛えていたわけではない。邪気を纏った強力な魔物は、彼女を追い詰めた。


「私はここで潰えてしまうのだろう」


 ……そして彼女は嫉妬する。この世界の在り方に。なぜ私ばかりこんな不幸にならねばならない。父と母がいればそれで良かったのに。街を歩く家族を呪ったこともあった。その嫉妬はもう限界だった。


 そして魔物の一撃が、レジーナを襲う時。彼女を中心に黒い何かが渦巻いた。


「……闇の力、だと」


◼️


 その黒い渦は、迫り来る魔物を弾き返す。闇の力。魔王の力の元、だと言ってもいい。弾け飛んだ魔物は、黒い炎に焼かれて消えていく。


「闇の力は魔に類する者しか使えないんじゃないのかッ!?」


誰かが・・・そう言ったの・・・・・・ですか?・・・・


 相変わらず天の声は、俺の耳に届く。その正体は、この世界の創造主であることに間違いない。

 しかし少しその物言いに苛立ちを覚えたのは、秘密だ。


「貴方は、彼女を鎮めないとなりません」


「なぜ俺が……なんて悠長に言ってる場合でもなさそうだ」


 燃え盛る黒い炎は、彼女を包む。ぼろぼろの衣服は、姿を変えた。つばは広く、天辺のとがった三角帽子。裾に流線状の切り目が広がるドレス。それはまるで龍の翼のよう。その手には黒一色の細長い杖。苦しみに満ちていた顔に黒い何かが伝っていき、目や鼻は消える。顔面を構成していた部品は口だけが残った。まるで魔女のような出で立ち。少し前に対峙した毒の魔女とその姿は、よく似ている。


「この世界に存在する人物の破壊行動は、現実までに及びます」


 闇の力に飲み込まれた、それはそんな変化だ。そしてそれは、その力を解き放つ。黒い渦は、波打つように周囲を穿った。この森の木は、そのほとんどが巨木と言っていいほど巨大。しかしあっさりとその力、吹き飛ばしていった。


「それが過去であろうと未来であろうと」


「ただの脅しじゃねえか……」


 何が目的か本当に分からんが、どうしてもこいつと俺を戦わせたいらしい。この天の声の目的は一体なんなんだ。今回ばかりは俺もそこまで行き着けない。


「────!!」


「くっ、やるしかねえッ!!」


 叫び。もはや、人の声ではない。女の金切りからも遠く、怪鳥の鳴き声でもない。空気を切り裂くような叫び声。それが暴走状態であるのは間違いない。闇の力の強力さ故に操るどころか、逆に操られている。


 そしていくつもの彼女が生み出される。闇の力による分身。陽炎のようにゆらゆら揺れる。分身たちは俺を取り囲み、口角を上に。その姿は不気味。深い霧の中で見えるそれは、恐怖を抱かせる。それは処刑の合図だったのかもしれない。ぼそっと聞こえないほどの声で彼女は、何かを呟いた。そしてその全てが俺に向かって炎を放つ。


「──ッ!? 使えねえッ!?」


「それは貴方自身が目覚めないといけません」


 魔王の力、闇の力自体が使えなくなっている。魔王の力ならば一発で吸い込めたと思ったが、どうもやらせたくないらしい。

 使えないなら他の手段で切り抜けるしかない。もう既に手の届く距離にある炎を前に、瞼を落とす。右手は柄に、左手は鞘に。


「……二の太刀、円」


 射程は、遥か彼方。円範囲を不可視の斬撃が走る。それは魔女。いや森ごと、斬るため・・。目の前で炎が散った。そして少し遅れて遠く離れた木が倒れていく。陽炎のように揺れていた魔女たちは消えていく。一人残らず・・・・・消えていく・・・・・


「──ッ!!」


 そいつは・・・・背後に立っ・・・・・ていた・・・。音もなく、気配もない。気の力で察知出来ないほどに。もはやそこに出現したと言っても過言ではない。俺は、振り向き様に刃を突き立てる。しかしそれも外れ。陽炎のように消えていった。

 全くの気配が消え失せる。静寂に満ちる霧の深い森。天の声もいつのまにか消えていた。どこからあの魔女が襲い掛かってくるか分からない。どうしようもない窮地。しかし俺はある奇妙な感覚に襲われる。


 腹が減った・・・・・


 あの闇の力を食い千切りたいという感情に満ち溢れていく。空腹、空腹空腹。腹の虫が収まらない。自分自身でも理解出来ない感情が俺の心を侵食していく。


 闇の力を喰らいたいだなんて馬鹿げてるのは、分かっている。しかし俺はあれが食べたくて食べたくて仕方がないのだ。恐怖なんて感情はなく、あるのは空腹のみ。


 そして黒い魔女は、姿を現わす。蔦のように伸びた闇の力は、俺の身体に巻き付いた。これは躱せなか・・・・ったんじゃ・・・・・ない。躱さ・・・・・なかったのだ・・・・・・

 俺はもう我慢出来なかった。その巻き付く黒々とした蔦に齧り付き、噛み切った。思った通りそれは俺の心を満たしてくれる。だがまだ足りない。──もっと、もっともっと。それを寄越せと俺の腹は叫んでいる。


 一度噛んでしまったからには後戻りが効かない。溢れる食欲に勝てるわけがない。気が付けば、その蔦から巻き込むようにして魔女の衣さえも喰っていた。


 レジーナは黒い杖を掲げ、黒い炎を創りだす。それは最後の抵抗だろう。だがもう無駄だ。それは・・・もう斬れると・・・・・・理解したからだ・・・・・・・。技を使うまでもない。俺は駆け出して最後の一撃を振り上げる。


「……まさか」


◼️


 放たれた一撃は命中する。しかしそれは、レジーナにではない。黒い長髪を靡かせ、間に入った一人の男。凛とした眼差しは、レジーナに向けられていた。


「……ドレイク。ドレイク・リンドブルム」


 ウルが立っていた場所に、今立っているのはウルではない。大きな爪を持つ魔物。その一撃が男の背中を斬り裂いていた。男は、レジーナに向かって囁く。もう、大丈夫だ、と。その表情は、嫉妬の渦の中で見せられてきた人間の表情と正反対。遠い昔に観ていた両親の表情と同じもの。

 

 男は刃を一振り。魔物を斬り裂いた。そして二人は深い霧の中に消えていく。


「これを見せて俺に何をして欲しいんだよ」


 ウルの側に木製の扉が現れる。その扉は、開いて欲しそうにウルを待ち侘びていた。


「……はいはい、次に進めってことね」

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