三十五話 嫉妬の少女 壱
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黒。いや、何もない。ここは、無の世界か。……いやだがそうだとしたら、俺の意識が覚醒したのは何故だ。
俺は、聖なる剣に貫かれた。そしてそれは絶命するに至った。であれば『魔王』である俺は、完全消滅するはずだ。……ここは本当に『無』なのか? なぜ俺の意識が残っている? そして、この頭の温もりは一体。
「……ちょっと、いつまで私の膝の上で寝ているつもり?」
その声に俺は、聞き覚えがあった。まだその別れからそれほど経っていない。だが、俺が行った場所を考えれば彼女が居ることも頷ける。
「……ああ、すまない」
「思った通り慌てないのね」
レジーナ・リンドブルム。彼女は、妖艶な微笑みを頭上で浮かべている。栗色の長い髪。その服装は大きな胸を強調しており、生前から趣味は変わっていない。そして赤い瞳が俺を視ていた。
「ここはどこだ?」
俺は立ち上がり、周囲を見渡す。黒い岩肌が周囲を包んでいた。なぜそれが見えるのか。それは岩肌の所々が青白く発光しているからだ。それは時折、ゆっくりと点滅する。呼吸してるかのようにも思える。まるで生きているようだ。
「さあ?」
「ここは、『無』じゃないのか?」
「……でも私たちは存在しているわよ」
「……ふむ」
『無』という概念が存在している。『存在』しているそれをそれは果たして本当に『無』と呼べるのだろうか。『無』の空間とは、なんだ? 『有』るのか。『無』いのか。まるでいたちごっこのような思考状態。繰り返し、繰り返し、繰り返す。
「でもそんなことはどうでもいいのよ。……『魔王様』」
「やはり、知っていたのか」
魔王である以上、俺は
俺は腑に落ちていた。むしろ納得していた。闇の力を自由自在に操れることも、この強靭な身体も。魔族だからだ。人間を超えた種族であるからこそ俺はここまで強い。だが魔族だからと言って、俺であることに変わりはない。
「……ええ、『あの方』に敵わないことも、ね」
「……大天使ルシフェル」
俺の腹に勇者の剣をぶっ刺して、消滅させた野郎。伝説上、童話上の存在だと俺も昔から信じていた。しかしそれは疑惑に変わり、最終的に確信へとなった。
「あら、流石ね。正体に気が付いていたなんて」
「ぎりぎりだったけどな」
その疑惑はこの旅で得たもの。アマゾネスの街で封印されていたフェンリル。夢の怪物に、この目の前にいる女。そしてイーシュの死際。全てイーシュがやったにしては時系列が合わない。そして王の姿をした何かが勇者の剣を創り出した時。俺は確信する。そんな芸当出来るのは、大天使と呼ばれたアイツのみ。
「……それで、あの扉を調べてくれるかしら」
レジーナは指を差す。その先には扉が立っていた。
「場違いだな」
この空間に到底似合わない木製の扉。なぜそんなものがこの場所にあるのか。そんな疑問を抱くのが普通だろう。しかし今この状況で何が起こっても不思議じゃない。……説明出来ないことだらけだ。
「ええ、私もそう思うわ」
「アンタじゃ触れないのか?」
「……ええ、近寄らせてもくれないの」
その表情は、本当に困っているようだった。しかし何かを隠してもいる。この扉の先に何があるのかを知っているかのようにも思える。だが、彼女を問い詰めたところで意味はない。
「分かった……こんな不可解な場所で他に出来そうなこともないからな」
俺は、木の扉に手を掛けた。ゆっくりと開く。軋む音を立てて、扉は奥に進んでいった。それと共に漏れ出す光が、俺の目を潰す。光の渦は徐々に大きくなり、そして俺を。この空間を包んでしまった。
◼️
「……また場面が変わるのかよ」
眩しさから解き放たれた彼は、瞼を開く。そして彼は、そう言った。
「……なんだ? この声は」
彼は鋭い目付きで天を仰ぐ。しかしそこに誰もいない。声の方向には何もない。よく晴れた雲一つない青空が広がっているだけであった。彼はこう思う。誰だ? 俺の心を読んでるやつは、と。それは、私である。私はそう応えよう。
「この声、聞き覚えがあるな」
それもそのはず。彼は私と会ったことがあるのだから。少し前に。しかし私は答を明かすことはない。そもそも大体の見当はもう彼の中で付いているのだから。
「……あの時のアンタか」
この先に貴方が必要とするものが待っています。私はそう言った。
「この先……ね」
彼はその場所を見渡した。そこはよく知っている場所だった。彼はこう思う。確かにこの場所はよく知っている。だが、おそらく、ここは
「ティグルとリンドブルムの街だろう、ここは」
街の様子は彼らが訪れた頃から少し変わっている。
「……過去の再現、と言ったところか」
鋭い彼は、的確に言い当てる。古びた街並み……いや、建物自体は建てられたばかりのように綺麗だが、どことなく古さを感じる。建築の知識がない彼にとってそれが様式の違いであることを知る由も無い。
「何が目的か知らんが、付き合うしかないようだな」
それもその通りだった。彼に逃げ場はない。その身体は、消滅している。肉体を持たない彼にここから逃げ出す術はない。そんな彼の身体を
「なるほど、何かを見せようって寸法だな」
女の腹は大きく膨らみ、中に子供が出来ていた。隣を歩く男との間の子供である。二人とも美男美女でお似合いの夫婦であった。栗色の髪がよく似合う女と、赤い瞳が特徴的な男。彼らはこの街に住まう、貴族。リンドブルム派の貴族であった。
「……追いかけろってことか」
二人の影をウルは追い掛ける。街の中を進み、辿り着く。そこは裕福な者が暮らす場所とは言えない。家々が建ち並ぶ。どれも大きな屋敷だ。しかし手入れなされていないものが多く、どれもお化け屋敷と言っても遜色はない。そしてそのうちの一つに二人は入っていく。中の様子を伺うウル。
「そらだって、流石に覗くのは気が引けるだろうが」
彼がそうしてるうちに場面の月日は、巡る。次に夫婦が出てきた時には、一人の少女を連れていた。とても可愛らしい少女。栗色の長い髪に、赤い瞳。二人の特徴をしっかりと受け継いだ少女。三人は笑い合い、とても幸せそうだった。
「……大体の展開は読めたし、あまり気分の良いもんじゃないな」
人の過去を盗み視る。確かにあまり趣味の良いことではない。だがそれは彼にとって……いや。この世界にとって重要なこと。
「この世界にとって……?」
三人は、また家に戻っていた。そしてまた月日は巡る。そして次に出てきた時には、少女は更に成長していた。もう物事の分別が付く年頃。そして更に美しく、聡明に彼女は育っていた。
「……ふん」
三人は荷物をいくばくか持っていた。それは遠出するほどの荷物でもなく、近隣に出掛けるであろうことは想像が付く。
「場面転換、か」
場面は紙芝居のように変化する。建ち並ぶ家々は消え失せ、森の中へと移り変わった。楽しそうに歩く三人。会話を楽しみ、毛布のように敷き詰められた落ち葉で遊ぶ少女。
「……魔物」
彼らを囲む魔物の群れ。幸せな家族を襲う不幸。それは偶然か。それとも必然か。魔物が人間を襲うことは、当然良くあること。しかしそのような魔物たちに襲われるのは、滅多にないだろう。……邪気を纏った魔物たち。そもそもこの森は、魔物が生息するような場所ではない。人の領域だったはずなのに。
父親である男は、後悔する。剣の修練をもっと積んでおくべきだったと。いや、積んでいようがいまいが関係なかったかもしれない。その数に勝るのは至難の技。
「それでその少女はどうなったんだよ」
父親と母親の犠牲の元、少女は逃げ切った。しかしそう思っていたのは彼女だけである。つまりそれは、
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