三十四話 真実の一片

◼️


 空はまだ暗く、城は静かに佇む。それは、まるで地上に這う人々を監視しているようでもあった。

 地上の天幕は、移り変わる。全ての大将格が集った天幕より程近い。その天幕もなかなかの大きさであった。その中には、簡易的な寝台が一つ。机と椅子も一つずつ。たった一人のために用意されたものだと分かる。


「……アンタは勇者になるために試練を受けなければならない」


 しかし、中にいるのは一人ではなかった。

 一人は赤髪の女。背は高く、街に暮らす女など及びもしないだろう。その体格も良い。とは言え、脂肪に溢れた体型というわけではない。まず骨格から違った。人間の女が横に立つだけでもそれは分かる。人としての特徴とされる一つ一つ。全てが一回り、大きいのだ。肩幅、胸、臀部、足。『ヴァイキング』の特徴と酷似している。それはまさに、引き締まった肉体。海で鍛えられた肉体ということだろう。彼女は椅子に腰掛けていた。


 一方、もう一人はその中身が分からない。人の趣味から外れた兜と鎧を身に纏った何か。目算であれば、その女と身長は変わらないだろう。その中身は、誰も知らない。今、この喋った本人でさえも見たことがないからだ。


「だけど、アンタは拒否も出来る」


 その名は、ルシフ。

 ルシフは勇者へとならなければならない。いや、そう産まれたはずだった。勇者の使命を背負って産まれた人間。その存在は、魔王ではなかった。


「私が話すことを聞いてから決めてくれないか」


「……うむ」


 寝台に腰掛けたルシフは小さく頷いた。


 全ての主要人物がここに集っていることについては、もう話し終えていた。来るべき『ルシフェル』との戦いに備えて、生きとし生けるもの力が必要となる。そう考えていたのは、ジンパチ。小柄な老人でありながら、その力は強大。ウルの師匠である。


「最初の話は、省こうか少し迷っていたところだけど……」


「迷う?」


「……少しばかり恥ずかしくてね」


 斜め下に視線を向けるテティス。恥ずかしがっているというより、戸惑っている。というほうが正しいだろう。それは、彼女自身も知らなかった事実。それはルシフが魔王ではなかったように。


「恥ずかしい、とは」


「私は、『王女』なんだ」


「……王女とは、王族のことか?」


 いかにも柄ではない。そう思ったのはルシフではなくテティス自身。船乗りは、荒々しい人間が多い。その中で生きてきた彼女にとって、王女は正反対の存在だった。


「……そうさ」


 テティスは頷いた。


「私は、『ヴァイキング族』の王女なのさ」


 しかしそれは、納得の行く答え。王女であるが、ヴァイキング族の王女。ヴァイキング族は元来からして荒々しい気質を兼ね備える。であれば、やぶさかではない。


「……もしかすると母君がそうであったのか」


「ええ、母も王女だった」


 少し前。あの幽霊船の中に現れた天使となったテティスの母。


「光の王女」


 北の国を支配していた彼女の先祖。


「そう、光の力を使う勇者の血族」


「……っ!?」


「勘違いするな。アンタと縁があるわけじゃない」


 ルシフは、間違いなく勇者の子孫であること。それは揺らぎない。それはルシフが現世に留まっているのが何よりの証拠。勇者の剣は、闇の力に満ちた肉体を消滅させた。しかし魂まではそうでなかった。


「……どういうことだ?」


「勇者は一人ではなかった。……『始まりの勇者』は一人だったが」


「つまり仲間、か?」


「ええ、その通り」


 『始まりの勇者』は一人で魔王に挑んだわけではない。光の王女、剣聖、時の力を持つ英雄……。様々な仲間の協力を得て、戦った。


「まさか……今ここに集まっているのは皆……」


「今考えていることは、当たっていると思う」


 彼らは戦いの後、別れ暮らしていた。そのことを知っているのはもう数少ない。幅広く知れ渡っている『始まりの勇者』の物語は、彼一人の物語。時代を越え、語り継がれる中で、それは様々な物語へと派生してしまった。残る文献や遺産を研究し尽くされたが、人間に真相を語れるものはいない。今や真に起こったことを語れるのは、神々もしくは、『ルシフェル』のみ。


「光の力を使えない者もいたが……」


「勇者の仲間が皆、光の力を使えたわけじゃないさ」


 例え、正しき者でも光の力が宿らないことはある。そもそもの魔力としての素質がないもの。誰も剣の腕で叶う者はいないとされた剣聖もその一人。だからこそ彼はその腕を磨いたのだが。


「……まさか、勇者の仲間の子孫がいたとは」


「……ルシフェルの洗脳、操作による隠匿だ」


 ルシフェルによる秘匿。いや、人々からしてみればそれは国王の命令。ウルやルシフに一切の情報を与えるなと言う命令。


「ルシフェルは、一体どうしてそんなことを」


「それは、追い追い話すよ……ここから先が一番重要だ」


「……ああ」


「この国の王も既に殺されている」


 アレクサンドラ王。この世界最大の王国を所有する男。それは紛れもなく『始まりの勇者』の直系。先代勇者にして、国王。


「……考えれば自ずと辿り着く答えだったが、もしや」


「そう、アンタの父親だよ」


 ルシフが『勇者』となるべき存在なのであれば、その血を引いていなければならない。……『始まりの勇者』の血を。


「やはり、そうか」


「……悲しいかい?」


 兜の下を見ることは出来ない。その感情は誰にも読み取ることが出来ない。


「いや、顔も姿も記憶にない……悲しむことも出来ない……」


 ウルが去ってからルシフの調子は同じだった。めくるめく展開はルシフを置き去りにする。最も大切だった相棒を失った傷さえ癒えていないのに。


「無理はしないほうがいい」


「……いや、続きを話してくれ」


 しかし、その覚悟はもう出来ていた。込み上げる感情は悲しみではない。最早それは、通り越えていた・・・・・・・


「……そうかい」


 テティスは、溜息を吐く。呆れという感情が入り混じった溜息。心が折れてしまってもおかしくない状況だ。だがルシフは、むしろ立ち向かう姿勢を取り戻そうとしていた。


「先代魔王であるウルの父親とアンタの父親は、こともあろうか仲良くなっちまった」


「……仲良く」


「まるでアンタとウルのように」


 先代魔王と先代勇者。ウルとルシフのように一度は、対峙する。だが、意気投合してしまった。この戦いだらけの世の中に嫌気をさしてしまっていた。


「しかし、それが一番不味かった」


 闇と光の和解。記録上に残った和解はそれが初め。


「ルシフェルは一度、人間・・に殺されかけた」


 語り継がれる『始まりの勇者』の物語のように。勇者といえど、彼も人間であることに変わりはない。


「表舞台から姿を消すために、ヤツは考えたのさ」


 深い傷を負ったルシフェルは、自身を死んだように見せかける。人間にまで殺されかけるのは想定外だった。二度とその屈辱を繰り返さないように、策を張り巡らせる。


「自分が消えるために、人間の『敵』を作ることを」


 勇者と魔王が対峙する構造を創り上げた。互いに互いを削り合い、疲弊させ続ける構造を。


「だが、アンタたちの父親は仲良くなっちまった」


 深い歴史の中で最も想定外の出来事。彼らは、その戦いの意味を考えた。


「そして『ルシフェル』に近付いてしまったのさ」


 そして背後にいたその存在を見つけてしまった。自身の存在を隠し続けていたルシフェル。しかしそれを先代たちは見破ってしまった。それは、ルシフェルに過去の脅威を思い起こさせる。『始まりの勇者』に敗れ去った記憶。


「……だから殺されたのか」


「ええ、その通り」


 その脅威を見逃すことはできない。彼らは、戦ったが強大な力に敵うことはなかった。そしてルシフェルは、王に成り代る。……先代魔王は行方不明へ追いやられた。それぞれの死を弔われることもなく。


「だが、我とウルを取り替える必要はなかったのでは?」


「……いや、あった」


 それは、綻び。


「もう一度、循環を作り上げようとしたのさ」


 一度、綻びの出来てしまった循環を放っておくわけにもいかない。だから彼は別の循環を創ろうと考えた。


「力の削がれた勇者は、魔王に負ける」


 次の物語は勇者の物語ではなく、魔王の物語へ。そうなるはずだった。


「しかし、我に勝ってしまった……」


「……ジンパチさんが鍛えたからさ」


「我に、勝つために」


「ジンパチさんは先代達が殺される瞬間を見ていたのさ」


 綻びは伝播する・・・・・・・

 いやそれは、初めから不完全な循環だった。その老人が王の正体を知っていたから。偽物の王。大天使ルシフェルが成りすました偽りの王。


「……なるほど、そういうことだったか」


 魔王としての力を持ち、人の技を使うウル。彼は、ジンパチが望んだ先へと進んでいく。鍛えられた本人にとっては重く、苦しい記憶でしかなかったが。


「結果、ルシフェルの描いた『物語』は大きく変わった」


「我とウルが手を組んだ……」


 それは、当然の帰結だったのかもしれない。父から子へ。その想いは託される。その因縁が途切れることは決してない。……最後の決着が付くまでは。


「まさか、また勇者と魔王が手を組むなんて奴も考えはしなかったんだろうよ」


 底知れない人の力は、その存在さえも超えていく。


「……だからもう、循環を創り上げるのは辞めたんだろう」


「だから姿を現したのか」


「ええ。そうだと私たちの中で結論は出た」


「しかし……現れてどうするのだ」


 王国騎士団、そして王の指南役としてジンパチは、脇に控えていた。彼は、その中で王の動向を伺う。気が付かれてることさえも、承知で。ルシフェフは、知っていてその目的を漏らしていたのだ。


「……地上における全ての生命を滅ぼす」


「……ッ!? そんなことをしてなんになるのだ!?」


 ルシフは立ち上がる。それはこの世界を旅した者だから分かること。例え、悪意を持って襲い掛かってきた者でさえ、生きる理由があった。その全てを断とうする理不尽な悪。それを決して許せるわけがなかった。


「落ち着いてくれ」


「……す、すまない」


 その声にルシフは、座り直す。


「ルシフェルの目的は、『最初の戦い』からなにも変わっていないのさ」


「目的……」


 『始まりの魔王』であったルシフェルの目的。幾重の循環を得て、それは形骸化していった。むしろそれがルシフェルの狙いだったのだが。


「神への憎悪は、その創造物・・・に移ったわけさ」


 神とルシフェルの戦いは憎悪を産んだ。はたまたその憎悪が原因だったかは当事者のみ知れ得ないこと。だがその憎悪は、確かにあった。作り手への憎悪はそのまま移ってしまった。


「自身が作ったものでも例外なく滅ぼす……と言うわけか」


「……おそらく『最初の戦い』から今日まで力を溜めていたのだろうさ」


「……傷を癒すことも兼ねて、か」


 今度こそは、必ず滅ぼすと。その想いを抱き、ずっと隠れていたのだろう。長い時間をかけて、この時を彼は待っていた。


「だけど、そうでもないかもしれない」


 ここからは、私の推測に過ぎない。テティスは、そう繋げる。


「アンタたちの存在に焦ったのかもしれない」


「……焦ることなどあるのだろうか」


 超常を超える存在。ウルでさえも見えなかった一撃は、ルシフの自信を揺るがした。


「感情を持つ以上、あり得るさ」


 大天使としての彼は、もういない。その計画に人間性が満ち溢れているからだ。


「だとしてもなぜ我らに焦りを」


「……先代たちをアンタたちはとうの昔に超えてしまったからね」


 黒幕の存在を暴いた先代以上に、彼らは縛られていた。しかし彼らはその正体へと辿り着いた。数多の障壁を乗り越え、ルシフェルに辿り着いた。それは、その脅威は。彼らが考えている以上に強大。少なくともルシフェルにとって大きな脅威となっているのは間違いない。


「手を組んだ先……か」


「そう。日に日に王都へと進むアンタたちに」


 その旅の記憶。それはルシフの記憶を呼び起こす。


「……だが、もうウルは」


 ウルが居た頃の記憶を。


「だからこそアンタは試練を受けないとだめだと私は思う」


 勇者になるための試練。


「……われが、勇者」


『始まりの勇者』・・・・・・・・の血を引くのは・・・・・・・もうアンタ・・・・・しかいないのさ・・・・・・・


「……良いだろう、受けて立つ」


 きっとその男が生きていれば同じことを言ってた。それは、それと重なるように。ルシフはその言葉を叩きつけるのであった。

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