三十三話 始まりの勇者
◼️
「残るは貴様のみ」
揺れる地面。
王の姿は、ぼやけて消える。そしてそれは、現れる。人のようで人ではない。とは言え、身体的特徴は限りなく人に近い。それを人からかけ離すのは、纏う邪気。その邪気は二人が遭遇してきた何よりも膨大。そして圧巻。神々しさと禍々しさが混じり合い、その存在を善でもなく悪でもない高次な存在へと昇華する。
「慈悲を与えよう」
言うなれば、神。
神に限りなく近い……いや、ほぼ対等であろうか。幾つもの翼を広げて宙に浮かぶ。この世に存在しない物質で織られた布がその身体を覆い隠す。それは、この世界の誰しもが知っている存在。最初の魔王にして、大天使。
「我が名はルシフェル」
その翼は羽ばたかれる。
地面、城の揺れはより一層強くなった。それは当然、ただ揺れているだけではない。城が地面を離れるための振動。この巨大な城がこの世界に別れを告げようとしているのだ。それは、新しい主人のため。主人の命が下ったのだ。
「復讐を果たしたければ、我が元まで来るがよい」
大天使は、消えていく。
哀れな存在に一瞥もくれず。
「う、ウル……?」
その存在は、不確定と成り下がった。魔王でなければ勇者でもない。ルシフ。ただのルシフ。兜と鎧。全身を覆う外套は、その正体を更にその奥深くに隠す。肉体は戻った。二本の足で立つことも出来る。だがルシフは、立とうとしない。ルシフを前に向かせていた深き絆は途切れてしまった。
「そんな、馬鹿な……」
兜の下は、誰にも分からない。悲しんでいるのか、それとも。まるで装飾用の鎧人形のように、ルシフの時は凍る。少し前まであったその手の温もりも、光の粒と一緒に消え去った。
「ちッ!! 遅かったかいッ!!」
「あ、貴女は……」
その声は、大きく響く。
同時に、潮の風が立ち込めた。赤髪に、装飾の施されたサーベル。それは今は亡き父親から譲られたもの。
当然、ルシフも知っている。彼女の名前は、テティス。女ながらに船長を務める豪快な女性。その美貌は衰えてはいない。むしろ以前より美しくなったとも言えるだろう。
「とにかくここから出るよッ!!」
彼女はルシフの腕を掴む。
「肉体が復活したんだろッ!?」
その復活した肉体が二度死ぬことは許されない。ルシフが存在の重要さを彼女は知っていた。知らされていた。だからこそ、この場に駆け付けた。
「あ、ああ、すまない……」
ルシフはその手を借りて立ち上がる。
抱くのは、絶望のみ。失ったものは、それほど大きいものであった。しかし走る通路の向こうには、光が待ち構えている。それは、間違いなく救いとなる光。ウルとルシフが手を差し伸べた数だけの大きな光。まだ諦める時ではない。まだ絶望に浸る時ではない。
◼️
太陽は沈み、月が顔を出していた。星々が寄り添うようにいくつも並ぶ。雲一つない満点の星空。それだけであれば、それは絶景と呼んでいい。しかし中心に大きな建造物がぽっかりと浮かぶ。それは、城。巨大な蔦が絡みつき、生えていなかったはずの巨樹がいくつも見える。光でも闇でもない強大な力を纏った城。それはどんな城よりも難攻不落。
そしてそれよりずっと下。真下ではないが、ほど近い。そこには地上に続く光の束。
いくつもの掲げられた松明。張られた天幕も、一つの街を成すほどに存在する。行き交う人々とは多い。だがその種族は、ばらばらだ。人もいれば、エルフもいる。エルフの背の丈は人と変わらない。しかしその顔立ちはまるで人形のよう。
そしてもう一つ、別の種族が紛れ込む。いやその中で一番、数が多い。人よりも身長が高く、華奢なエルフの二倍ある体格。彼、彼女たちは、『ヴァイキング』。北の大地に渡った『人』が厳しい環境で生き残るために変異した種族。
皆、共通しているのは武装しているということ。それは、男女問わず関係ない。おそらく皆が戦士なのだろう。
「……さて、問題はこれからじゃ」
その中でも一際大きな天幕の中。
それを埋め尽くすほどの円卓の席に、幾人かが腰掛ける。そしてその声の主は、老人。小柄な老人だ。白髪。甚平と呼ばれる東方の衣服を羽織り、神妙な面持ちを使い熟す。彼の名は、ジンパチ。王都の街を凌駕するこの一団を作り上げたのは彼だ。
「『あれ』をどうやって倒すか、だな」
「『勇者』……いや、『魔王』なき今」
白髪混じりの金髪の男と、黒い長髪の男が言葉を交わす。
「光の力しか頼れるものはない」
齢はおよそ五十と言ったところ。しかしその肉体は、全くの衰えを見せない。外を歩く『ヴァイキング』の青年戦士と変わらないほど。むしろ勝っているところもあるだろう。二人の傍には装飾の施された剣。同じく鍛治師によって打たれた兄弟剣。ティグルとリンドブルムの剣を示す。
「しかし『あれ』は、両方の力を持つ者……」
義手の男は、両眼を開く。
「しかも『邪気』の根源ときたか……」
玄人冒険者は、その存在を僅かにだか知っていた。彼が、見つけた宝にそれは記されていたのだ。しかしそれは、その直後。右腕と同時に失ってしまう。『その存在』を秘匿するために放された魔物であることは、小柄な老人の手によって明かされていた。
『あれ』、『その存在』は、神話や童話の中に存在するもの。というものが一般的な認識である。もし存在していたとしても、それは創世記まで遡った。研究者の間でもそれは、既に滅んだものとして扱われるのが常である。
「二つの力が揃ってようやく対抗出来るはずだったが、もはや今は……」
遥か昔に神々と戦い、地に落とされた
見かねた神は、『光の力』を人に与えた。それが『始まりの勇者』となった。
「現勢力で対抗する手段を考えるしかない」
老人はそう締めくくる。彼がその存在を知ったのは、ウルを弟子にする前。むしろその真実を知ったからこそ彼を弟子にした。
「……であらば、封印か」
黒い長髪の男は、腕を組む。
封印とは、強大な魔物に施される処置。消滅させても生き返る魔物や、そもそも消滅させるまで届かない魔物に施される。
ありとあらゆる魔力を掻き集め、その場所に新たな世界を創り出す。対象を追放するその世界は小さなものでもいい。しかし世界を創り出すというのは、神にも至る行為。その負荷は計り知れない。ここにいる実力者たちでさえ、それを行った者はいない。
「ああ、我々の力だけで消滅は不可能」
『始まりの勇者』がその存在に勝てたのは、奇跡だと言う。最も強い光の力を持っていたとされる『始まりの勇者』。そんな彼でさえも、その命を引き換えに倒したと言うのだ。
「……その、すまない」
禍々しい兜と鎧を纏ったその存在は、縮こまる。自分の存在を見失ったルシフにとってそこは、場違い。そう感じることしか出来ない。しかし、魔王と呼ばれていたからこそ。今この場にいる者たちが相対している者と同列にいたからこそ。
「我は、こんな場所にいて良いのか?」
その想いは強くなる。
目の前で相棒を失ったルシフだからこそ、己の存在を問う。
「……まだ何も説明していないんだ」
赤髪の女は、頭を下げる。
テティスは、ずっと押し黙っていた。口を開いたのは、それが最初だった。
「すまない、一先ず今日はここで御開きとしてくれないか」
皆、ルシフの様子を察したのか反対する者はいなかった。
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