甦る魔王と不思議の姫編

三十二話 終わりの魔王

◼️


「……人がいない」


 ルシフがぽつりと呟いた。

 王都の門を潜り、目に飛び込んできたのは大きな広場。旅人や、冒険者たたちに向けて露店が沢山出ているはずの広場。であるはずなのにその露店が出ていなければ、人もいない。何もいない。


「いや、違うな」


「違う?」


 しかし、それは視覚のみの偏った情報に過ぎない。俺は、目を瞑る。……気配を探るのだ。気の流れは、一定の場所に点在している。おそらくそれは家の中。だが、どの気も小さいもので今にも消え行きそうな程。本来の生きている人間の気は、その周囲に広がっている。少なくとも家の一室程度ならば埋め尽くしていてもいい。


「……石化か」


「家の中で石化している、ということか」


 しかし、それを満たしもしない気の流れがごまんとある。生きてもないし、死んでもいない。なんなら動く気配もない。石化は、気の流れごと全てを封じ込めてしまう。


「……そしてあれも」


 ルシフが見ている方向は、城壁の上。

 そこにいるのは、兵士。槍を身体の横に構え、立っている。しかしそれは、人の色ではない。灰色。灰色の石だ。肌だけではなく、その鎧ごと、石になっている。おそらく早朝の見張り当番に立っていた兵士だろう。……しかし、隣にある燭台の火も消えている。いつからこうなったんだ。


「ああ、あれだな」


「……これは、一体どういうことなのだ」


「俺が聞きたいくらいだ」


 ルシフがこれは、と指したのは石化のことだけではない。この王都全体を指しているのだろう。城壁に伝うのは巨大な蔦。その太さは、俺の胴体よりも太いだろう。そして家々にも蔦が這う。中には屋根を突き破り、大樹が生える家もある。家だけならば良い。石畳の道が隆起し、草花が生い茂っている。


 まるで森だ。王都が森になっている。


 ほとんどの道が、巨大な植物で行き止まりになっている。斬ってしまってもいいが、倒れた植物が家を押し倒すかもしれない。かと言って細切れにするほど、力を使うわけにもいかない。この先に待っている者のために温存しなければならないだろう。


「……どうやら道はこれしかないらしい」


 ルシフが先導する。その道は、一直線ではない。曲がりくねった道を進むが、明らかに王城へと向かっている。巨大な蔦がない場所を搔い潜って進んでいるだけだが、そこに導かれているようだ。


「王城、か」


「まだ訪れたくは、なかったか?」


 何年振りに戻るのだろう。

 俺が寝食を過ごした場所。悪い思い出ばかりだが、決して良い思い出がないわけではない。


「いや、どのみちここには来ることになっていた」


 遅かれ早かれだろう。


 歩けば歩くほど王城の姿は巨大になっていく。その居城は、城壁に囲まれている。そして複雑に入り組んだ造りの王城。巨大な居館は、従える臣下の多さを。数々の塔や跳ね橋。入り組んだ城への道。それらは、外敵への過度な敵意を象徴する。王は、あれほどの『英雄』を抱えていても決して安心しなかった。……それは、臆病であったからなのだろうか。


「……開ける必要はないようだな」


 城門に辿り着いたが、開きっぱなしである。巨大な城門は、巨人でも通すのかと思うくらいだ。


「静かだ」


 靴が地面を蹴る音だけがその広間に響き渡る。入ってすぐに俺たちを出迎えたのは巨大な階段がある広間。以前見た貴族の屋敷より更に豪華である。

 階段を登った先には、また門がある。その先には、また広間。そしてその先には、玉座の間。


 しかし途中の広間には、俺の目的が立っていた。


「久しぶりだな」


「ここから先は通さん」


 イーシュ。

 漆黒の鎧に身に纏い、黒い剣を携えている。

 相変わらず美形である。旧友、親友……呼び名はなんだっていい。この王城で、彼とは随分と遊んだものだ。


「言い訳はしないのか?」


「……なんの言い訳だ?」


「なぜ、俺を裏切ったのか、とかな」


「……俺はお前を憎んでいる」


 剣の柄に手を掛ける。柄まで黒い珍しい剣。だがそれは、恐るべき斬れ味を秘めている。その珍しさに敵うほどの。


「悪いが語ることはない」


 黒き刃が松明の灯に照らされる。

 そこに秘めるものは、なんなのか。

 確かめてやろうじゃないか。


「いざ、勝負」


「ッ!?」


 刃を刃で、受け返す。渾身の力を込めた一撃はイーシュを弾き返した。

 その一太刀は、速い。今まで戦ったなによりも。もしかすると俺に匹敵するほどか。だが、それは俺の記憶と大きく食い違う。確かにイーシュは強い。だがそれは、人間としてだ。


「まさか、お前もなのか……?」


 だが、これは人外の領域。

 俺のような勇者の力を持った者や、『英雄』の素質を持った者。魔王や、強力な魔物が辿り着ける領域だ。


「ああ、そうだ」


 決して、人の身である彼が辿り着くことはない領域。


「もう少し、斬り合えると思っていたが時間がないらしい」


「な、なにを言っていやがる……」


 膝を付いたイーシュに俺は、駆け寄った。


「だが……お前を憎んでいたのは事実だ」


 それは、俺も知っていたこと。

 だが、ここまでこいつが駆り立てられたのは。


「ずっと……ずっとお前が邪魔だった……」


「……アリスか」


 アリス・アレクサンドラ。

 俺たちの幼馴染であり、この国の姫。


「ああ……」


 その息は、絶え絶え。

 もう既に膝ではなく、背中が地面に付いている。纏った鎧をイーシュは外す。その下には、黒い力が渦巻いていた。それは、俺たちがよく知っている力。全ての元凶と言ってもいい。……邪気。


「想いは遂げられたのか?」

 

「いや……アリス様の中にはお前が……」


 目は虚。俺を見ているようで、見ていない。


「……おい、まだ行くな」


「これは夢……」


「お、おい……」


「悪い夢……いや、いい夢だった……」


 その身体は、塵となって消えていく。

 少しずつ、少しずつ。そしてそこに残ったのは黒い刃と、黒い鎧のみ。


「……クソがッ!!」


「ウルよ。先に進もう」


 毅然たるその声。それは、紛れもなくルシフの声。……そうだ。イーシュをここまで堕とした黒幕。そいつだけは、俺が絶対に斬らなければならない。


「……ああ、黒幕の顔を拝みにな」


◼️


「よく戻った勇者よ」


「ああ、戻ったさ」


 それは、その扉の先。

 玉座の間で佇むのは、当然この国の王。

 アレクサンドラ王。

 アリスの父親でもあり、俺を引き取った男でもある。


「……ふむ? 様子がおかしいな。どうかしたのか?」


 豊かな白髪と白髭がよく目立つ。頭には王冠。厚手の外套は赤色だ。そして、白髭を手で触る仕草は紛れもなくアレクサンドラ王。


「いつまで惚けてやがる。……お前が黒幕なんだろ?」


「はっはっはっ、ばれていたか」


 それは突然だった。

 視える、視えないの話ではない。それがそこに置かれていたかのように。それがそこに元々あったかのように。現れたのだ。


「……まさか、気が付いていなかったのか?」


「なっ……馬鹿、な……」


 痛みは、ない。

 俺の腹を刃が刺し貫く。

 それは、俺がよく見た剣。


「ウルよッ!?」


「……何を俺は、見落としていた」


 アレクサンドラ王は、手を挙げる。すると腹に刺さった刃は、その手に戻った。


「闇の力を使いこなせるその素質」


 それは、独白。


「力の解放は誰の為にある?」


 魔王の為に。


「強力になったのは誰の力だ?」


 闇の力を放っていたのは俺だ。


「そしてその人間離れしたその体躯も」


 幾度斬られようが、回復するこの身体。


「邪神をも払いのけ、真実の鏡に映らぬその体躯」


 闇に属するものは、映らない。


「なあ、『魔王ウル』よ」


「……俺が魔王だと」


 ここまで俺は、確かに『勇者』だった。

 しかし確かに、その疑問は生まれていた。光の力を使い果たしたとしてもそれは、時間と共に戻るもの。……だが、今の俺に『光の力』は

戻っていない。


「これは、聖なる剣」


 掲げる剣は、聖なる剣。


「それで斬られた魔王がどうなるか」


 俺が持っていた勇者の剣と形状は、全く同様。魔王との戦いで砕け散った勇者の剣がそこにある。


「お前が一番知っているだろう?」


「そんな……まさか」


 魔王は、勇者の剣で斬られることで消滅する。それは、死ではない。


「まさか……ウル……」


 転生のない完全消滅。つまりそれは、無に帰す。ということ。俺がルシフと契約した時に考えていたことが脳裏に蘇る。


「ふむ、ルシフと言ったか。ここまで来れたその労に報いてやろう」


 この玉座に座る男は、手を突き出した。そこから生まれるのは光の力。俺はその力をよく知っている。だが、俺には使えなかった力の一つ。


「わ、我の身体が……」


 俺の背にいたルシフが二本足で地面に降り立つ。それは、『復活の力』。神の力に等しい力。


「ウル……待て、行くな……」


 俺は、思い出す。


「聞け、ルシフ」


 それは、勇者の旅路に着いていた頃。


「俺は、この旅が楽しかった」


 その旅は、ただ辛いものだった。


「終わらせたくないと思ったほどだ」


 だが、魔王を倒せば終わると思っていた。

 ……しかしそれは全ての始まりだった。


「お前とならどこまでも行けると思っていた」


 この旅のことを考えると、身体の中が暖かくなるのはなぜだろう。


「……だが、それもここで終わりのようだ」


 それはきっと、お前が本当に心の通じ合った仲間だったからだ。


「後は頼んだぞ」

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