三十一話 n日目朝と昼
◼️
「……なあ、知ってるか?」
「なにがだ?」
それは、遠い過去。指輪が見せた幻影かもしれないし、夢であるかもしれない。眠る元勇者が視ているもの。しかし元勇者の記憶ではない。
では一体誰の記憶なのだろうか。
彼がよく訪れた数多の客は、有象無象。記憶に残るほどの人間たちではない。だが酒場で会話する二人の男。彼らは、間違いなくその世界に実在する。
「……将軍だよ。将軍の隠し子」
「そんな話は初めて聞いたな」
薄い鎧を纏った二人の男。胸元には、青い剣の紋章。彼らは兵士であった。酒を片手に談笑にふけっているが隙は無い。よく鍛えられた兵士だ。
「最近、噂になってるぜ」
「どんな噂なんだ?」
その酒場は、冒険者が集まる酒場だった。
義手の男が主人を務め、よく繁盛している。それは彼の人柄によるものだろうか。それとも必然?
ある時、主人は一人の少年を雇った。親の顔も知らない少年。しかし彼の赤焦げ茶色の髪は、会話の中に登場した将軍と同じもの。
「……貴重な指輪と一緒に隠し子をこの街に捨てたんだってよ」
「指輪?」
少年は、聞き耳をたてる。それはその指輪が気になったからだ。その少年も指輪を身につけていた。それは、
怪しく光る、銀の指輪。
母を亡くし、家を失った少年は飢えていた。当然少年は、売ることを考える。銀製の装飾品だ。そこそこの値段は付くだろう。だが、しかし少年が売ることはなかった。不思議な誘惑が少年の心をくすぐった。一度だけ、一度だけ指にはめてみたい。それは、間違いなく魔法によるものだ。身に付けて離さないようにと父が掛けた魔法だ。しかしそんなことを少年が知るはずがない。そしてそれから、それが外れることはなかった。
「ああ、なんでも願いが叶う指輪らしい」
「……そんなものを捨てたのか?」
願いの指輪。
膨大な魔力は、元勇者や魔王ですら凌駕する。正しく使えばそれは、世界を救う。間違って使えば世界を壊す。
「将軍は、子どもを守りたかったんじゃないか?」
「……なるほど。それを護身にしたわけか」
将軍マクシムの親心。きっとそれは断腸の思いだったに違いない。もう既に邪気に侵されていた彼は、息子を護りきる自信がなかった。
「へえ、可哀想だが、仕方ないかもなあ」
「ああ、今の王都は様子が変だ」
王都を覆う影。住民達は平和に暮らしていたが、それは確かに迫っていた。彼らのように勘の鋭いものは、気が付いていただろう。まごうことなき、軍神マクシムの部下。将軍が直々に雇った兵士たち。彼らを雇った彼の目は、正しかった。
しかしその気が付きは、少し違う。敵は最も狡猾。この世の全てを超越し、神すらも凌駕する。彼は、もう既に入り込んでいた。深く深く、奥深く。光も闇も、誰も届かない。その深淵に。
「将軍のことだ、その子を守りたかったのかもしれないな」
「……ああ、きっとそうだ」
身に付けたその指輪が何よりも証拠。
『指輪は、願いを叶えてくれる』
少年は、一度だけ願ったことがあった。
その願いは強くなること。それは、この世界の戦士であれば誰でも一度は思うこと。英雄になりたいなんて高尚な願いではなかった。少しばかりの好奇心。しかしそれは、青い魔神が叶えてしまった。
誰よりも強く、誰よりも優しいと言われた英雄マクシム。その想いは確かに届く。その少年に。
俺は、英雄になる。
それは馬鹿げた願いだった。幼き心が産んだ願い。護られれないほどに強くなれば、きっと父親は会ってくれる。少年は嬉しかった。ずっと天涯孤独だと思っていた。しかしそれは違った。自分のことをそれ程までに、想っている父親がいたのだ。
──待っててね、父さん。
少年は、冒険者になることを決意する。
◼️
激しく扉を叩く音。それが部屋の中に鳴り響く。その音に起こされた俺は、目を擦った。……頭痛が酷い。昨日の祝杯のせいだろう。魔物たちに勝利した祝杯だ。あんなに楽しかったのは久方ぶりだ。
しかし今は、頭痛と苛立ちが募るばかり。あのうるさい音を早く止めなくては。
いや、待てよ。今日の清掃はやめて欲しいと申し出たはずだ。俺は渋々、身体を起こす。そして周囲を見渡した。ぐしゃっとなった俺の服。そして窓から差し込む明かりは、まだ暗い。俺がベッドに入ってからまださほど経っていないだろう。清掃があったとしてもそれは、昼からだ。
……じゃあ、誰だ。
「……誰だ」
「おはようございます、リイムですう」
『時の姫』リイム。
返ってきたのは彼女の声。呑んだくれで、だらしがない『時の姫』だ。
「入ってもよろしいでしょうかあ?」
「……ああ」
ふわふわした喋り方は変わっていない。しかしそこにあるのは、いつもと違う気の流れ。彼女であるが、彼女ではない。あの『繰り返し』が起きた時の彼女に近い。
「こんな早い時間にどうなされたのだ?」
「力の解放が必要かと思いましてえ」
ルシフの問いにそう応えるリイム。
三度目の力の解放。これが終われば、次で最後だ。
「……こんな朝早くに来る必要はあったのか?」
「本当に全て終わったのでしょうか?」
その言葉は、突き刺さる。
それは、なんでもない言葉のはず。指輪の邪気は吸い取ったし、天使の野郎もぶっ倒した。……なのに、なぜこの言葉が引っかかる。
「終わった、はずだろ?」
「……ええ、その通りですねえ」
それは、なんとか捻り出した言葉だった。
言い知れない何かが心を摘む。
「……? 二人とも何を言っているのだ?」
首を傾げるルシフが割り込んだ。ルシフは『繰り返し』を知っていない。しかしだからこそそれは、俺を安心させる。……そうだ。きっと気のせいだろう。
「いや、なんでもない。……始めてくれ」
力の解放と言っても、仰々しい儀式のようなものではない。ただ姫が特有の道具を使って、封印を解き放つだけ。この街には、封印の場所がない。今まで見てきた封印の場所は、祠だったり少しは目立っていたのだがここは違う。
「……これで終わりましたわあ」
輝く光が落ち着いていく。
そして薄暗い朝を照らす光は、完全に消え落ちた。
「じゃあまた会うことがあればよろしくお願いしますねえ」
足早に部屋を出て行った彼女を見送る。部屋に戻った俺を眠気が襲った。
しかし俺は、折り畳まれていない自分の服が気になった。寝直す前に畳んでおこう。欠伸をしながらも綺麗に折りたたみ、端に置く。そして俺は、もう一度高級ベッドに潜り込んだ。
◼️
「そろそろ俺は行く」
「ああ、気を付けてな」
喧騒が包まれる酒場。俺の前にいるのは、義手の男。そう、ガンドに別れを告げに酒場を訪れたのだ。相変わらず冒険者たちが真昼間から酒を飲んでは騒いでいる。そこにアレスの姿もあった。少女と次に倒す魔物を選んでいるらしい。
しかしそれは、突然飛び込んだ。
これは、きっと最後の始まり。
「……どうした?」
ガンドがその男に言葉を掛ける。
その男は、血相変えて酒場の扉を開いて入った。開くと言うより、もはや、ぶつかるに近い。纏った鎧は、傷だらけ。背負った武器も折れている。よほど急いでここまで走ったのだろうか。
「ガ、ガンドさん、王都の様子がおかしいんだッ!!」
彼もこの街の冒険者なのだろう。
ガンドを頼るのが、何よりの証拠だ。
「……そうか」
元冒険者である彼の態度は、変わらない。慌てないこと、冷静で居続けること。それは、戦士の鉄則。
「ウル、頼んでいいか?」
「……ああ、誰も近寄らせるな」
俺は立て掛けた刀を持って、扉を跨いだ。
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