二十八話 三日目昼と四日目昼
一人の冒険者を背後から爪が貫いた。
胸に風穴を開け、正面に倒れる。それがこの戦いにおける初めての死傷者だった。
「た、倒したはず……なのに……」
その冒険者は、そう呟いて絶命する。
駆け付けた俺は、魔物を斬り捨てた。そして辺りを見渡す。起こっていることは単純明快だった。
魔物たちが蘇っている。
いや、正確には魔物たちの時間が戻っていると言った方がいいか。傷が軌跡を辿って戻る。斬り裂かれたのであれば綺麗に、縫う様に。貫かれたのであらば、穴が塞がる様に。魔物たちは、再生している。
気の流れの異変。
それは背後であろうと関係ない。俺は感じることが出来る。背後の気の流れが、少し前と同じ。気の流れが完全に一致する事は、まずない。俺たちが、流れを合わすことは可能だ。そう、それはつまり。時間の逆流。
俺は、振り返り様にいくつもの斬撃を放った。
網目状に獣人型の魔物に線が走る。
それは、『三の太刀』
見えない斬撃の乱打。
音を立てて、魔物は崩れ落ちる。あまり見ていて良い気分のしない斬り方。だが、どうあってもその魔物たちは復活する。
──このままでは勝ち目がない。
この数の邪気を一気に『喰らう』のは、如何に俺たちであろうと不可能に近い。
その間に疲弊する冒険者たちが殺されてしまっては意味がない。
「────!!」
それは、慟哭。
つまりこの危険極まりない戦場で泣き叫んでいる馬鹿がいるというわけだ。
ああ、くそ。最悪の事態だ。
その少年は、横たわるミラを抱えて叫んでいる。
「……おい、まさか」
黒い輝きが、少年を中心に広がっていく。
不純物の入り混じった膨大な魔力の奔流。
……だめだ。これは俺でも避けられない。
◼️
激しく扉を叩く音が部屋にこだました。
窓掛けが緩やかな風で、気持ち良さそうに揺れている。暖かな陽射しが漏れ込み、昼であることを指し示している。
綺麗に畳まれた服や、柔らかな高級ベッド。
……頭が痛くなりそうだ。
これで何度目だ……? 五度目、か?
どのみちあのまま進んでも全滅だったかもしれない。そう考えると、この『繰り返し』に俺は助けられたのかもしれない。
そして最後に見たあの光。
あれは、まさしく邪気が放つ光。
「……くそ、あの指輪をどうにかしなければだめか」
◼️
それは、路地裏でミラを救った直後。
今、最も重要なのはその指輪をどうにかすること。
「アレス、俺を覚えているか?」
俺は、姿を隠すアレスの前まで歩く。そして前髪を搔き上げた。
なぜだか、勇者はその髪型にしなければならないらしい。特別なこだわりがなかった俺は、特に気にすることもなく従っていた。
……今考えると不思議な話だ。
なぜ勇者に決まった髪型があるんだよ。
「……え、あ……ウルさん……?」
俺の顔を恐る恐る見たアレスは、閃いたらしい。以前の特徴的な髪型が印象的過ぎたのだろう。
……まあそれ以前に俺は、人の記憶に残らないように旅をした。気の力とは、便利なもので意図的に認識から外れることが出来る。
と言っても、ある程度の実力者に効果はないが。
だからこの少年が秘めている力ってのは、それ程のものなのだろう。
「そうだ。聞きたいことがある」
この『繰り返し』を終わらせるため、その指輪をどうにかしなければならない。
「その指輪は、誰に貰ったんだ?」
「……これは、確かお爺さんにもらったんですよ」
「お爺さん……?」
「はい、眼帯をしていて背が高かったと思います」
眼帯をして、背が高い老人。
一人だけ俺には、心当たりがあった。
別人である可能性も捨てきれない。
「知っているやつか?」
いくつかの可能性を組み合わせ、真実を導き出す。
落ち着いた、赤焦げ茶色の髪。
まだ少年でありながら、その体格の良さ。
少し荒々しいが、不器用な優しさの現れ。
……思い出したぞ。
この街で一番最初に目に留まったのは、指輪のせいではない。正確に言えば、気がついたきっかけに過ぎない。
その顔立ち、体格、性格。それは、彼に似ているんだ。
俺の貴族嫌いは、彼から移ったと言っても過言ではない。そして王都で二番目に、世話になったと言ってもいい人。
いや、今はアイツを抜けば一番か。
「いえ、俺もまだ小さかったんで……」
少年は、必死で思い出している様で言葉の端々が切れ落ちる。
「確か……ワイズマンって名乗ってたかな……」
彼は武芸にも優れ、戦略家としても一流。そして魔法でさえも巧みに操る。人格者としても有名だった彼は、俺の憧れだったと言ってもいい。
そんな彼がもし正体を隠すならば、正直お粗末すぎるが……。もしかするとそれほど切迫した状況だったのかもしれない。
「……お前は確か孤児だったよな?」
「え、はい、そうですよ」
なんらかの理由でこいつをここに捨てた。いや、捨てざるおえなかった。その位に着けば自ずと
とは言え、彼を探すのは後だ。
きっと彼ならばこの状況を見て、大人しくはしていられないはず。……生粋の『英雄』気質の彼であれば。
「その指輪は、外せるか?」
「いえ、それが……」
差し出された手の指に、はまった指輪が怪しく光る。
邪気が指輪の力を曲げ、呪いと化した。それが外せなくしていると考えるが自然だろう。
「……すまん、少し試したいことがある」
その瞬間。アレスは固まった。
そう、それはもう見慣れた現象。
時の固着。
「させるわけなかろうて」
撃ち放とうとしたのは、【魔王の一噛】。
この指輪の邪気を奪い取ることが出来れば、一連の騒動を解決することが出来るだろう。
だが、それは阻止される。
俺の身体を衝撃が抜けていった。
赤き魔人の一撃。ただの掌底。だが、丹念に魔力の込められた掌底。むしろ魔力そのものなのだろう。
俺に躱すことは出来なかった。
動いたのは意識のみだから、だ。
時の固着は、俺の意識だけを残していたのだ。その言葉を聞かせるためだけに。
突然、身体が動いた俺は、膝から崩れ落ちる。
今まで感じたことのない痛み。……この指輪
は、それほどまでに強力らしい。だが他の魔法道具と秘められた魔力は、大して変わらないはずだ。
「ここにいたかウルッ!!」
駆け込む義手の男に俺は、結末を予想する。
暗雲が立ち込め、水粒が降り落ちた。
「……くっ、やはり間に合わないか」
指輪は、俺でも外すことが出来ない。
であれば、彼女を何としてでも守らなければならない。いや、この街をだ。この騒動は、おそらく俺のために狙って引き起こされている。これ以上、巻き込むことを許してはならない。
◼️
「……今度は斬らせてもらうッ!!」
彼女を狙う、黒い獣人の爪を斬り飛ばす。
と言ってもそれは、当然、時間稼ぎでしかない。斬り飛ばした爪は、戻っていく。駆け付けた俺は、刃を構え警戒する。しかしどう見ても劣勢だ。
「大丈夫か」
「は、はい」
この魔物たちは、この辺りに生息していなかった。……少なくとも俺がここにいた頃は。
その強さは、彼女のような
街の危機に、黙ってはいられなかったのだろう。……まあ、あの少年とお似合いだな。
指輪の呪いで転ぶ少年が向こうにいる。
だが魔物たちの攻撃が、彼を貫くことはない。『呪い』と『英雄』の資質が拮抗しているお陰だろう。それでも彼は、戦いに赴く。自分の攻撃が当たらないと分かっていようと。命を賭して戦っている。
よく見れば、『時の姫』の姿もある。杖を持って、魔法を撃っている。あの酒以外に興味の無さそうな、女がよく出てきたもんだ。
雨が降っていた。徐々に雨足は強くなっている。それは人間たちの体力を容易に奪った。
しかし冒険者たちは息も絶え絶えに、奮闘している。天使の様な彫像が空から降り注ぐが、なんとか彼らは凌いでいた。泥と化したこの戦場で。
深い傷を負っている者もいる。しかしまだ奇跡的に死傷者は、見えない。だがもう、有効打はほとんどない。
まさに、死闘。
魔王城での戦い以来だ。
ならば。
……俺がやるしかない。
「やるか、ルシフ」
「まさか、この数に向けてやるのか?」
睨むのは、空と大地を埋め尽くす邪気の群れ。
「ああ、無茶は承知──」
右腕を突き出す。
弾き飛ばされない様に、左手で抑え込んだ。
「──だが、俺を舐めるんじゃねえ」
黒煙が天を衝く。それは徐々に形を造り、人の様な何かを形成していった。
現れたのは、骸骨の顔だけではない。
全身が現れ立った。
手、腕、胴体、足。全ての骨格が闇の力で出来ている。
街にある全ての建築物を超える大きさ。下手をすれば王城さえも飲み込む巨大さ。二本足で立ち、魔物たちを押し潰す。
身体に流れる全ての魔力を闇の力に変化させたんだ。それぐらいのものが現れてくれないと、なかなか辛いものがある。
「……本当に勇者なのかお前は」
ルシフの驚きが俺に伝わってくる。
気持ちは分かる。元勇者が魔王の力を使うだけでも違和感がある。……まあ今更だが。そして俺は、ここまで使いこなしている。それは、滑稽にもほどがあるだろう。
「変か?」
「いや、我でもこれほどのものを出したことがないだけだ」
「じゃあこいつは俺が命名してやろう」
こいつの名前は【魔王の僕】だ。
その力を完全に我が物とした。その証。
これぞ魔王の力。
「……さあ、行け」
闇の骸骨が前進する。その一歩は、更に魔物たちを踏み潰した。踏み潰された魔物たちが再生されることは、ない。【魔王の一噛】が相手の力を借りる力であれば、これは完全に奪い取る力。
更に、踏み潰し、薙ぎ払い、握り潰す。
自ら意志を持つ様に戦場を蹂躙する。
魔王をより魔王へと昇華する力。
「────!!!!」
骸骨が雄叫びを上げる。まるで産声。
その姿は、大型の魔物をも凌駕する。
絶対的な魔物の力。
魔物が魔物を一方的に略奪する。
「……終わったか」
辺りを喰らい尽くすと骸骨は、煙の様に消えていった。
魔物の力を奪い取った分と邪気を吸い取った分が相殺し合ったのだろう。俺の中に残ったものは、ほとんどない。つまり、魔力と体力の枯渇。
肩が揺れる。
ここまで力を使い果たしたのは、魔王との戦い以来だろう。
「流石は勇者様ですねえ」
「……お前か」
視界が揺れるが、確かに俺は其奴を睨む。
それは、天使。
俺が貴族以上に毛嫌いしている大天使。名は、バアル。
美しい女の顔をしているが、性別というものはない。その肉体的特徴も一見、女。しかしその気になれば、造り変えることも造作ではない。ほとんど人の外見と変わらないが、人間とは程遠い完璧主義者。
「よくお分かりで」
自らたちの理想を全てとし、それを勇者に託したまさに全ての元凶。
いけ好かない野郎だと思っていたが、まさかその通りになるとは思ってもいなかった。
「狙いは、俺か?」
二つの白い翼が羽ばたいた。
現れたのは、いくつもの光の剣。
神々しくもあるが、今となっては禍々しい。
「それ以外、何かあるとお思いで?」
「ウルさんッ!! 危ないッ!!」
動けない俺は、それを見ているしかなかった。俺の前に躍り出た少年。そして彼が剣に貫かれる姿を。
違う、それは俺だったはずだ。
「お……おい」
呻きながらも少年に手を伸ばす。
それは、英雄として正しい行動なのだろう。
父親の資質を受け継いだということなのだろう。
だが、愚かだ。俺は許さない。
「……馬鹿な」
お前が死んで、どうするんだよ。
「愚かですね、人間というものは」
天使の言葉は、俺の憤怒を呼び戻す。
幾分前から目立って感情がざわめく事はなかった。しかし、今俺は。怒りに震えている。
「そ、そんな……」
ふらふらと力なく少女が呟きながら歩くのが見える。逃げろ。俺はそう言いたかったが、もはや意識は消え落ちかけていた。
ぼやける視界の中、彼女は少年に近付いていく。そして少女が少年の手を握ったその瞬間。
灰色の光が辺りを包んでいった。
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