十六話 目覚めの時

「その怪物は、あなたが負の感情を抱いているものならなんだって変身できる……その力も同等に」


 一歩踏み出す。

 地面は既に崩壊しきっている。下を見れば、どこまでも続く暗闇。だが確かにそこには足場があった。現実に続く地面と変わらない何かが。


「まあ、二度殺せると考えりゃ悪くねえ……!!」


 刃を抜き、身体の正面に構える。

 相対するのは、龍の鱗で作られた漆黒の鎧を纏い、黒い剣を持つ美形の男。


「お前如きが俺に勝てると思ってるのかよッ!!」


 俺の一撃は、空を斬る。

 不可視の一撃。直線範囲を断つ。

 例え、人間の中で一番強い、騎士団長だとしても。この一撃は容易に受け切れないだろう。


 ──しかし、俺の予想は外れる。


 まるでなにもなかったかのように、半歩ずれる。そう、それはちょうど一撃を放った直線上から外れるように。


 馬鹿な、『視えて』いるとでもいうのか。


「待ってッ!! そいつは怪物、じゃないッ!!」


 繰り出されるのは、俺の技。

 俺の予備動作と同じ。刃を収め、柄を握る。

 そして次の動作は見えないほどの速さで、刃を振り抜く。……なのだが。


 俺の技だから俺には、視える。

 数十の斬撃が。俺を断ち切るために今も進んでいる。

 逃げ場はない。


「……だから、我を忘れてもらっては困るといっておろう」


 迫り来る無数の斬撃をそれもまた、見えない斬撃が防いでいく。力と力のぶつかり合い。

 俺の周りで火花が散る。

 

「すまない、助かった」


「……あれは一体なんなのだ」


 騎士団長の姿をした何かは、ぶれる。

 文字通りにその姿がぶれる。

 何者でもない何者か。

 そして、その動きはルシフの動きを真似る。


「……夢の怪物の身体を介して何者かが干渉している」


「わかるのか、メア」


「……ええ、この世界にとって不味いものがこちらを覗いているわ」


 彼女の小さな身体は震えている。怯えている、とでも言うのだろうか。


「そりゃあ、邪気とも違うのか」


「違う……いえ、一緒。ともかく、こいつは倒さなければならないわ。でなければこのままではこの世界が滅ぼされる」


 今まで彼女と話した中で最も本気のように俺は感じる。……正直なところ直感でしかない。

 しかしここまで来て、信じる以外の選択肢を俺には見出せなかった。


「お、おう」


「まだ、眠っている……。うん、今ならあなたたちの力でも追い返せる」


「……どうすればいい」


「それをあなたの意識から外す、の」


「意識から、外す」


「ええ。目を瞑って、視えるもの。それに気が付いていない振りをすればいいの」


 化物に居留守を決め込めって言うのか。


「……そんなに簡単でいいのか」


「ええ、その不味いものは白痴。ただ偶然的にあなたに興味を持っただけ」


「……よし」


 俺は目を瞑る。


 暗闇に次ぐ暗闇。

 その中に、そいつはいた。


 人の肉体でもなく、魔物でもない。いや、その両方を合わせたような物体。それを黒い何かが覆い隠した生き物。呼吸するように膨張と縮小を繰り返している。黒い何かはまるで外套のように見える。そして、その奥には一筋の切れ目が存在していた。


 ああ、分かる。……いや、頭の中に流れ込んでくる。無理矢理流し込まれている。その化物の正体が、その化物に関する知識が。


 これは、別次元の化物……いや。

 神、もしくは邪神に近しい何か。もしくは、それそのものか。


 しかしその知性は、生まれて数年の子どもに限りなく近い。立って歩けるようになった子どもに、神にも等しい力を与えたのも同様。それもどちらかと言えば邪な。

 それは。この馬鹿げた夢の騒ぎに、好奇心のみで近付いてきたのだろう。


 恐怖。こいつはきっと人なんかの手には負えない。出会っただけでも……良くて発狂。生きていることに感謝することも忘れる程の何か。


 偶然にも俺の恐怖の回路は焼き切れている。もし、そうでなければ俺でもどうなっていたか分からない。


 こいつは、おそらく。俺の物語には二度と登場しないだろう。

 たまたま、恐るべき確率でこの世界と波長が合っただけ。


 ただ、どんちゃん騒ぎに参加したい頭の悪い人間と同じとも言える。


 一歩、また一歩と化物の方へと歩いていく。


 俺は、難解に考えるのを止める。


 雑踏が聞こえる街中。すれ違う他人。その他人に興味を持つことは少ない。

 もし興味が湧いてしまっても過ぎ去ってしまえばすぐに忘れるだろう。

 これは、それと同様に。

 俺が、俺から興味を外す。


 ……今日の晩飯は、何にしようか。


 ゆっくりと前進する。


 それは、間違いなく呼吸していた。生きている何か。決して視てはいけない。邪気、それ以上の悍ましい何かがそこには存在している。

 いくら、恐怖がないとは言え、世界の命運がかかっているとなると緊張は、する。この俺でもする。


 だが、そんなものは、いつだって切り抜けてきた。俺の力で。

 

「今日の晩飯は、肉だな」


「……我も肉体があれば食べたいんだがな」


 隣に立っていたのは鎧だった。


「ああ、まだ先になりそうだがな」


「……上手く行ったようね」


 すれ違った……のだろう。後ろから走ってきたのは間違いなく、メアだった。


 そして揺れと共に、世界に亀裂が走る。……目が悪くなったわけじゃない。文字通り、空間に亀裂が生まれているんだ。


「なにが起こっているんだ?」


「あなたが目覚めようとしている……みたいね」


 あの『地震を起こして、客室を一つ一つ訪ねてもらって起きない俺を起こしてもらおう作戦』が成功したのだろう。……まあ無理矢理だったが上手くいったのならば問題はない。


「ようやく起きられるのか。……だが、あの夢の怪物とやらはまだ倒してないぞ?」

 

「……それは、もう大丈夫」


 あれを見て。と彼女は指を差す。


「なるほど。なにが起こったかは分からんが」


 夢の怪物は、子どもほどの大きさに縮んでいた。それは|最弱の魔物(スライム)のように。それからは魔力を微かに感じられた。

 今まで全く感じることのできなかった魔力が感じられたわけだ。……少しばかり邪気の残り香のようなものもある。

 ほとんど完全に全てが去った。と言ってもいいのだろう。


「詳しくは、起きてから説明するわ」


 おそらく、あの夢の夢の化物が全て奪い去ったかって辺りだろうな、きっと。そうに違いない。


 そして揺れは、一層激しくなる。

 それに呼応するように空の亀裂はより大きくなった。


「……おう、そんじゃまたな」


 最後の轟音と共に視界は白く染まった。


◼️


 がたごと、と揺れる。

 石かなにかを踏んだのだろう。より一層大きな揺れで俺は目を覚ましたのだ。

 荷台の中を照らすのは一つの洋燈。

 ぼんやりした灯りだが、無いより良い。


 空を見上げると、月が一番高いところに上がり、無数の星が周囲を囲んでいる。


「……ようやくお目覚めか」


 馬の足音が絶え間なく耳に飛び込んでいた。

 ……そうだ、港の街を出てすぐに馬車に乗ったんだったな。


「……ああ。目的地はそろそろか?」


「ええ。そうよ」


 返事したのは女の声だった。


「……誰だ?」


「眠りの姫……よ。覚えてないの?」


「あ……ううん……? ……ああ、道端で拾った女だ」


 道端で拾った女。……決して変な意味ではない。文字通り、道の端で倒れているところを拾ったわけだ。


「魔王の力の封印を解いて欲しいんでしょ? ……勇者に真逆のことを頼まれるなんて思ってもみなかったわ」


 身長は俺の半分ほど、まだ子どもと言ってもいいほどの容姿だ。


「あ、ああ。そうだな」


 黒縁眼鏡のレンズがきらりと光る。

 頭の中に霞みがかった何かが残った。

 なんだか俺は、恐ろしい冒険をしていたような……。なにか、忘れてはいけないことをしていたような。


 まあ、いっか。

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