十四話 追憶

◼️


 木が倒れる。

 それは、普通か。と言えばそうでないかもしれない。街道を歩いていて、近くの木が倒れればそれを倒した何かがいるに違いない。いや、もしく地震や、とんでもない強風である可能性は否定しきれないが。


 しかし今は地面は揺れてもないし、風も吹いていない。


 現状において、それは間違いなく異常。

 なにもいないこの街で、勝手に木が倒れるなんてありえないのだ。


「……馬鹿な」


 倒れた木の陰から現れたのは、幽霊だった。

 古典的な、と言えばいいだろうか。白い布を被り、宙を漂う幽霊。絵本の中に出てきそうな可愛らしさがある。


「……どこかで……いや」


 昔、その昔。まだ俺の身長が、あの幽霊くらいだった頃。その時に見たような。


「に、逃げるぞッ!!」


 白い布の両腕は、木々を理不尽に斬り倒す。それが刃に変形するわけでもない。ただ、腕を振ると、木が切れるのだ。


「いや、幽霊ならもっと静かに出てこいよッ!!」


 あの時も同じことを言った気がする。


「……ああ、思い出した」


 走りながら俺は思わず呟いてしまった。

 とても。とてもとても懐かしいその記憶。昔々、まだ城にいた頃。俺はよく一緒に遊んでいた子がいた。その子は俺より年上だったらしくとても面倒見のいいやつだった。

 そんなある日、俺は怖い夢を見て寝れなくなった。……まあ子供の頃なら誰もあることだろ。

 そして、俺は駄々をこねる。するとその子はどこからともなく絵本を出してきて読み聴かせてくれたんだ。


 その絵本に出てくるお化け、だ。


 ……まあその趣味の悪い絵本のお陰で俺は更なる悪夢に苛まれるのだが。


「絵本……いや、夢の中に出てきたお化けと言うことになるのか?」


「ああ、そうなる」


 猛烈な勢いで追いかけていた幽霊は、いつのまにか消え去っていた。走りに走った先は何処かの路地裏だった。


「……変だ」


「今度はなんだ」


 音。その音は、会話や足踏みをする音。

 すなわち喧騒。向こうの通りが賑やかしている。


「人が戻ってきた……いや、あるいは」


 なにかを呟くルシフよりその喧騒が俺は気になった。どこかで聴いたことがあるような。なぜだか懐かしい気持ちになってしまった。


「お、おい、待て、ウルよ、どこにいくっ!!」


 まるで子供の頃に戻ってしまったかのように、俺は駆け出す。


 よく見た風景が目の前に現れた。

 大きな家が建ち並ぶ。家、というより屋敷という表現の方があっているだろう。家のことは詳しくは分からないが、一目で金持ちしか住めないと分かるような屋敷だ。

 きっちり区画は整備されていて、屋敷と屋敷の間にも通路がある。


 ……ここは、王都だ。

 王都の貴族街。子供の頃の最も嫌いな場所の一つでもあった。


「ウルよ、急に走り出してどうしたのだっ!?」


「どうやら俺たち……いや俺は夢の中に迷い込んだらしい」


「……夢だと?」


「あの子供を見てみろ」


 小さな男の子が走り回っている。屋敷の周りをぐるぐると。


「急に人が現れたのが、まず気になるが……遊んでいるだけではないのか?」


「じゃあ通りを行き交う人をよく見てみろ」


 この閑静な通りに似合う、服装の男女が歩いている。皆これからパーティに赴くような格好だ。


「……ふむ、なるほど」


 男女が向こうから現れ、向こうの角を曲がり消えていく。顔も服装も全く同じ男女が何度も何度も。


「同じ場面を繰り返している」


 その通りの人通りが多いわけではない。

 ただ同じ場面を繰り返しているだけ。たまたま人の多くなった瞬間を映し出しているだけだ。


「やはり魔力は感じぬ、な」


 相変わらず、何も感じなかった。これほど人が行き交っているというに、気配はない。何の気配もない。


「……少し思い出したことがある」


 この場面に、俺はいた。


「……? どうしたのだ?」


 貴族の屋敷なだけあって、庭も豪華である。専用の庭師を雇い、木々や草花の世話をさせている。どれも高級なもの、なのだろう。幼い俺は、幼いながらそう思っていた。


 しかし、その中に気になるものがあった。

 小さな植木鉢だ。

 ここの木々や花々に比べるとどう考えても見劣りするもの。

 なぜ、こんなものを置いているのだろう。

 俺は手を伸ばした。

 持とうとしたが、思いのほか重かった俺は体勢を崩す。そしてそのまま転んでしまう。


 服は土だらけになってしまった。

 しかし、それは地面の土ではない。

 植木鉢に入れられていた土。


 土を払い、立ち上がる。


「……?」


 喧騒が消える。静寂が辺りを包む。

 突然の無音。俺は目だけで辺りを見渡した。


 視線。いくつもの視線が俺に刺さる。

 周囲の人々が立ち止まり、俺を見ていた。

 いや、周囲ではなく。その通りを歩いていた全ての人が、だ。その顔は、確かに先程までは人間であった。

 だが、今は不気味な人形の頭に挿げ替わっている。どこまでも人に近いが人ではない。人形の頭だと分かるが、人の顔にもしっかり見える。

 無意識に俺の脳が恐怖を作り出しているのが分かる。この顔、いや、視線を浴びてはいられない。


 俺は耐えられなくなり、一歩踏み出す。

 いや、俺はこのまま走り出す。

 この場から逃げなくては。


 あの時と同じで俺は、無我夢中で走った。

 城を目指して、追いかけてくる人形を振り払い誰よりも速く。


「お……お……ろ」


 よく知っている道だ。なんてことはない。追いつかれる心配もないはずだ。しかし、それはあの時とは違う。


「おい……お……ろ」


 すぐ背後にその人形たちは迫っていた。

 確かにその身体は人である。だが、頭は揺れもせず、俺の方をずっと向いている。視線は真っ直ぐ俺だけを指している。


「おい……おき……」


 だが、もう少しだ。

 あの門を潜れば城に辿り着く。


 光が溢れる門を潜ろうとするその瞬間。俺の脚が動かなくなる。いや、強烈な力が俺を止めているのだ。


 その無機質な手は、俺の腕を掴んでいた。


「起きろッ!! 馬鹿者ッ!!」


「はッ!!」


 ここは、一体。俺はどうなった。


「急に倒れたかと思えば寝始めるから何事かと思ったぞ」


「……俺は寝ていたのか」


「ああ、あの幽霊擬きから逃げ切ってこの裏路地ですぐな」


 そこは確かに逃げ込んだ路地裏だった。


◼️


「もしかすると、やはりここは夢の中、なのかもしれぬな」


 夢の中の夢とは気持ちが悪い。


「……じゃあなんだ。何者かが意図的に俺たちを眠らせて夢の中に引き込んでるっていうのか」


「ああ。だが、眠りの姫であれば何か分かるかもしれぬ。……彼女達には秘密が多い」


 眠りの一族の眠りの姫。

 と言っても年がら年中眠っているのは姫だけ、だそうだ。そしてその眠りはなんのためか。知っているのは姫として選ばれた女だけ。


「……確かめてみるしかねえな」


 そのあと、宿屋を目指すが何も起きはしなかった。静寂に包まれた街に響くのは俺たちの足音だけ。

 宿屋の扉に付けられた鈴の音を聞きながら、二階に上がる。


「よし、入るぞ」


 何も言わず、頷いたルシフを尻目に自室の扉を開ける。


「……あら、生きてたのね?」


「お前は、誰だ」


 ベッドに脚を組んで座っていたのは背負っていた女じゃあない。……あの受付にいた女だ。


「名乗るなら自分から名乗るべき、じゃないかしら」


「……ウル。こっちはルシフだ」


「まあ、知っているのだけどね」


「お、落ち着け」


 思わず柄に手が伸びたのをルシフは見逃さなかった。


「貴殿は紛れもなく『眠りの姫』か」


「ええ、そうよ。あまりその呼び名は好きでないの。……メアって呼んでくれたら嬉しいわ」


「……で、メア。この事態はお前の仕業か」


「……いいえ。私ではない」


 信用、できるのか。

 この状況で。


「では、一体何がこの事態を引き起こしているのですか」


「夢の、怪物」


「夢の怪物?」


 何者かかがこの街に遣わせた魔物。


「あなたたちが考えている通り。邪気によって突然変異を迎えた、魔物。いや人の成れの果てかもしれないわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る