十二話 明々刻々

◼️


 波が静かに音を立てる。


「あたしも少女のように泣き喚ければいいんだけどねえ……柄じゃないわ」


 霧は晴れ、夕陽が船を茜色に染める。

 どうやら、あの船の中で丸一日経っていたらしい。帰ってくると、水龍のリーフィが餌をくれと大騒ぎだった。


「今日ぐらい泣いてもいいんじゃないか?」


 船首に立つ彼女は、帽子を脱いで夕陽を眺める。上から羽織っていた海賊のようなマントは脱いでいる。彼女なりのくつろぎ方、なのだろう。


「ふふ、肩を貸してくれれば泣くよ?」


「……いいぜ」


 海の雫がきらきらと輝き、宝石のように美しい。その光景を背後に彼女は微笑んだ。まるでどこかのお姫様のようだった。

 そしてその微笑みは、母親がハーケンに見せたものと瓜二つ。

 俺は少しだけ身体を傾け、その柔らかい重さを受け止めるのだった。


◼️


 しばらく経った。

 いつのまにか茜色は黒色に変わり、海に煌めく宝石は空に登る。

 綺麗な円を描いた、月が夜空を照らす。


「あ、あんたたちいつまでいちゃついてんのよっ!!」


 耐性のない魔族の娘は、その静寂に耐えきれなくなったのだろう。


「ああ、すまん。お前も混ざるか?」


「なんで私まで混ざる必要があるのよっ!!」


 少しからかってみるが、その反応は予想通りだ。

 彼女は何度が呼吸し、落ち着きを取り戻す。テティスに向き直し、その瞳を見つめた。


「……テティス、気持ちは分かるわ。私も父親を」


「ユースティアよ、お主、父親のことを何も聞いていないのか?」


 じっと見ていたルシフがとうとう口を開く。


「……? なんのことですか?」


「……そそっかしさは本当に父親譲りだな」


「だ、だれがそそっかしいよっ!!」


 本当に落ち着きがないな。父親そっくりだ。


「お、落ち着け。ウルもからかうでない」


「へいへい」


「……お主の父は生きておる。今もお主の家で母上の看病を受けているはずじゃ」


「……え?」


「ああ、俺は殺してなんていないぞ。しばらく動けないくらいにはしたが」


 速さはないが、力があった。そしてその技も磨き上げられ、かなりの剣士だったことは間違いない。だが、圧倒的にドジだった。俺はほとんど何もしていないと言っていいほどの自滅。


 挙げ句の果てには、罠から助けてやった始末。相当嫌がられたが。


「……は?」


 しばしの沈黙。


「ええええええええええええっ!?」


 ユースティアの絶叫が水平線に響き渡る。


「……本当に喧しいやつだな」


「な、な、なんで早く言ってくれないのよっ!?」


「なんでって全く聞き耳持たなかったじゃないか」


「くっ……」


「自覚あるのかよ」


「わ、私は行くわっ!! ……世話になったわね」


 翼がはためき、風が舞う。


「あ、あと、テティス。いつでも頼っていいからね」


 そう言って、彼女は飛び立っていった。

 逃げるように。恐ろしい速さで消え去った。


「……実力はあるんだが、な」


 魔王ルシフなかなか苦労してきたのだろう。正直、四天王のほとんどが似たり寄ったりな気がする。


 そして、俺は腰に下げていた剣を取り外し、手に持ち替える。


「……この剣はお前のものだ」


「アンタに上げたいところだけど、趣味に合わなかったかい?」


「……ああ、まあな」


 豪奢な剣は、目立つ。目立つことは面倒を呼ぶ。俺は勇者の剣でさえもあまり目立たないように工夫していた。


「それじゃあ代わりの物を用意してあげるよ」


 そう言って、彼女は船倉に入っていった。

 しばらく経ち、戻ってきた彼女の手に握られているのは白い布に包まれた細長い何か。

 丁寧に包まれているところを見ると、高価なものであることは分かる。


「飄々とした小柄な老人が駄賃の代わりにって置いていったものでね」


 飄々として小柄……。

 まさか、あの爺さんじゃなかろうな。


 俺の頭の中に過るのは一人の老人。

 あまり思い出したくはない記憶の一つだが、悪いものでもない。


「……見たこともない剣だな」


 あの老人の出身を考えたらあり得るかもしれない。その特徴は一致している。……今にもあのむかつく顔が現れそうで嫌だが。


「アタシは見たことないんだが、その爺さんが一振りで海を割ったらしい」


「……なんの冗談だ」


 なんて言ったが、あの爺さんならやりかねない。


「まあ、あの父親の言うことだから脚色も混じっては、いるだろうな」


「これの名前はあるのか?」


「正式には刀と言うらしい」


 俺は受け取った刀を鞘から抜き放つ。


「かたな、か。」


「そして、個別に名前もあるんだと」


「へえ、こいつの名前はなんて言うんだ?」


「……無銘」


「名無し、ってことか」


「ああ、そうらしい。曰く付きのものらしくてな。人を渡っていくうちに名前が失われたらしい」


「……妖剣ならぬ妖刀ってところだな」


 月の光に照らされ、怪しくその紋様は輝いていた。


「アンタなら扱いこなせるだろ?」


 俺は、刃を一度収める。


「……ああ。じゃあまずは名付けるところから、だな」


 潮風が吹いた。

 月が海の中に浮かび、揺れている。

 あの爺さん。俺のクソ師匠に出来るなら。

 ──俺にだってできるさ。

 もう一度、潮風が吹いたその刹那。

 刃を抜き放つ。


 水飛沫が上がった。俺のその一撃は、見えることはないだろう。だが、それは。

 月を真っ二つに割る。

 水面に浮かぶ、満月が半分に割れる。


「……決めた。こいつの名前は、『月切』だ。」


「なにか、したのかい?」


「ああ、よく見ろ」


 その一直線上。そこにぽつぽつと浮かび上がる。真っ二つに斬り裂かれた魚の死体。


「……ここまでやるとは思ってなかったよ」


◼️


 翌日。

 船を降りる支度を終えた、俺たちは丸机を囲む。俺、ルシフ、テティス。そして、リーフィもその巨大な顔を船首から覗かせている。


「お前たちに話しておかなきゃならんかったな」


「ああ、彼女も聞いておくべきだ」


「そんなに重要な話、なのか?」


「テティス殿の母君が亡くなった原因、と言えばいいか。……あの船の中に現れることができたことも関係している」


「もしかして、母のあの不思議な力のこと、か」


「……知っていたのか」


 邪気に対抗できる力はおそらく光の力のみ。


「ああ。母は、ただの病気で死んだんじゃあないと思っていた」


 テティスの母が光の力を有していたとなれば、テティスがルシフの姿を見えるのも納得がいく。血縁による光の力の覚醒。もちろん正しきものであることが大前提だが。


「……そうだ、その力で魔物ではない何かと戦っていた。その結果の病というところ、だな」


 光の力を有するものはなぜか、邪気を感じること。強力になれば『視る』ことが出来る。

 彼女の母は、おそらく『視る』段階まで強かったが負けてしまったのだろう。


 だが、その力は死んでから認められてしまった。……あの姿は、あの気配は、天使だ。


「そして、おそらくあの船。いやあの男、カリオテもその魔物ではない何かに支配されていた」


「……つまり二人の仇ってことだね」


 テティスの母親が亡くなった時期とあの裏切り者では時期が異なる。つまり、その邪気は、以前より何かしらに働きかけていたってことだろう。


「ああ、そうなる」


「まあ、アンタたちならなんとかやるだろうさ。アタシも付いていきたいところだが」


 水龍は、楽しげに歌う。

 ファンファーレのような歌を。


「アタシは、この子と共にいる」


 ──もし、海に用があったらアタシを呼びな。どんな海にだって駆けつけてやるよ。



◼️


 その船からさほど遠くはないどこか。


 美しい蝶が空を舞う。


 空には雲ひとつなく、青く澄み切っている。


 その蝶は数多の勇者と魔王の物語を見守っていた。


 一方が消え、一方は生き残る。


 それの繰り返し。


 彼女は、連鎖を断ち切る者を待っていた。


 そして、それはとうとう現れる。


 奇妙な友情。


 勇者と魔王。


 相反する二人が、旅を続けている。


 ──きっとこの二人ならば。


 この世界を救ってくれるだろう。


 彼女は目覚めた。

 

 何もない部屋。殺風景な部屋。薄暗い部屋。扉の向こうから漏れる光のみが唯一の灯だ。

 そして生活に必要なものといえば、彼女が眠っていたベッド程度しかない。箪笥や、洗面台や、調理場。椅子や机もない。

 

 彼女は、この部屋から脱出しようと考えた。

 足にはあまり力が入らない。

 しかし、彼女は一つしかない扉に向かっていた。


 彼女は少し、微笑んだ。

 悪夢からようやく解放されたのだ。

 しかし、起きた先もまた悪夢の中である。

 それは、彼女も分かっていた。

 だが彼女はやがて訪れるその勇者と魔王が待ちきれなかった。

 彼らならば、この街を。いや、私をきっと救ってくれるはず。


 光。

 眩い光。白く白く、外の世界へ。

 悪夢とは無縁の世界へ早く。

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