十一話 魔王の黒炎
◼️
「急ぐぞ……ッ!!」
その日記に書かれていたことは、既存の事実を覆す真実。
狂っていたのは船長ではない。
狂っていたのは彼以外だった。
それが真実。
船長ハーケンの日誌に寄ると、船員たちがおかしくなったのは王国の騎士たちを乗せた次の日からだったと言う。
「やはり、あのイーシュとやらが関わっているのか……」
「ああ、あいつがなにか良くないもの……おそらく邪気を振り撒いている」
「しかし、なぜ人間がそのようなことをするのだ……?」
「俺にも分からん。こっちが聞きたいくらいだ」
おかしくなったとは、その行動。
活気溢れていた船内は静まり返り、ただ響くのは仕事音のみ。いつしか、船員たちは食事を摂ることもなくなっていった。
そして、彼らに待ち受けていたのは死。
操り人形の糸が切られたように、ぷつりとある日を境に動かなくなってしまった。
「あやつ、とんだ食わせ物じゃな」
だが、ある朝。
ハーケンが陸地に戻ろうと舵を取っていた時のこと。
全ての船員が蘇ったのである。深い深い霧が船を包み、彼から陸への航路を奪うと共に。
「ああ、イーシュと気が合うだろうな」
船内は以前の活気を取り戻す。皆で食事を摂り、仕事をこなし、騒ぎながら酒を飲む。
しかしそれは、仮初に過ぎなかった。
彼らは、完全に蘇ったわけではない。それは決して生きているとは、言えなかった。
その肉体は徐々に腐り落ちていく。異臭を放ち、動き回っているが、思考しているとは言えない。まるで以前の動きをなぞっているだけの存在。ハーケンは、溶け込むことに必死だった。もし、彼らに自分だけが通常の人間であることに気が付かれたら、どうなるのかと。
あるとき、彼は監視されていることに気が付いた。動き回る死者たちのうちの一人に。しかし、それが誰だか分からない。そいつはずる賢く立ち回り、正体を見せなかった。
「もう少しだ……!!」
だから彼は、決断する。
一人一人、葬ることを。
なによりも、かつての仲間がそのような姿で動き回っているのを黙って見ていることを彼には出来なかった。
生きていた頃のように動き回る彼らを見ていると、自分こそが変になっているのではないかと気が狂いそうだった。
彼はその剣を手に取った。正気を必死に保ちながら。私だけは腐り落ちていない。まだ生きている、と。
そして必ず、裏切り者を斬り刻むために。
しかし、しかししかし。
その元凶は、しぶとく生き残っていた。
嘘の日誌を書くほどの思考能力が残っていた、その男が。
俺は、扉を蹴り開く。
「待たせたなあッ!!」
見たところ絶体絶命、だろう。
魔族の翼は、不可思議な力によって動きはしない。一方、人間である彼女にも打つ手はない。
「ハーケンッ!! やるぞッ!!」
彼は、現れる。
空間移動ではなく、空間転移。
フライング・ダッチマン号はその化物に支配されていた。
しかし、彼が正気を取り戻したことによって、全てではないがフライング・ダッチマン号もその記憶が蘇る。
船は正しき者に力を貸す。
彼がこの船の船長としての証。
マントを翻し、地面に降り立った。
「俺の身体を貸してやるッ!! 思う存分やっつけてやれッ!!」
長い舌が一刀の元に斬り裂かれる。
サーベルが、その舌を斬り落としたのだ。
声にならない声で化物は呻く。
「そ、そんなまさか……?」
船乗りの彼女が最も憧れた背中。
逞しく、頼もしく、そして勇敢。
まごうことなく骨ではない。俺の身体を借りていても、それがはっきりと彼だと分かったはずだ。
「と、父さん……?」
俺、いや、彼は振り向かずに頷いた。
そして、その絶技は解き放たれる。
身体が、勝手に動く。
抜かれた剣は鞘に収まることはなく、幾重にも斬撃を放った。荒削りだが、決して外すことはない。船乗りの男、特有の剣技。銃撃を織り交ぜて放たれる連撃は、確実に化物を追い込んでいく。
「おおおおおおおおおおおッ!!」
王国の剣技とは全く違う。
自己流、いや、俺でもこんな剣技は知らない。ただの船長じゃあない……一体こいつは何者だ……?
「な、なんなのだ、こいつは……こんな技を持つものが勇者の一味以外にまだいたのか……?」
武芸に最も親しみのあるユースティアも気がついたのだろう。魔物が持つ技でもない、強力な剣技を。
「……まぎれもなく私の父だ」
化物は粉微塵に吹き飛ばされる。
「くたばれッ!! 外道がッ!!」
しかしそれは、再構成される。
化物のような姿ではなく、人の姿へ。
「……よう、ようやくお出ましかい、カリオテさんよ」
俺が光の力を込めた連撃は、邪気を打ち砕く。
「なッなぜだッ!? なぜ、この力を消し去ることが出来るッ!?」
船乗りにしては、身体付きは細い。
その視線は、きょどきょどしていた。周りのものたちを見回すように。隙を見て、逃げ出そうとでも考えているのだろう。
「てめえに答える義理なんざねえ……」
「な、なにッ!?」
黒炎が、渦巻いていく。
それは消えることも、消し去ることもできない地獄の業火。
「三下にはちと勿体ない力だが……てめえの悪行を考えると十分かもなあ?」
「その通りだ、ウルよ。思う存分振るえッ!!」
「お、おい……や、やめろッ!!」
それを受けた者は、生きることも死ぬこと許されない。永遠の痛みと共に燃え続ける。
こいつのような裏切り者を俺は、絶対に許しはしない。
「てめえは、俺が裁くッ!!」
地獄の門が開く。
それを開く権利は魔王のみに付随される。魔王以外がもしその権利を得たとしても、その膨大な魔力量は決して補うことは出来ないだろう
まさに魔王が魔王たるもう一つの力。
【
黒き炎は、その身体を幾度となく燃やし尽くす。そして地獄の門から伸び出た手は、カリオテを引きずり込んでいった。
「ば、馬鹿なアアアアアアアアアアッ!!」
扉は閉じる。断末魔をぶった切るように。
全てを終えた彼は、俺の身体から抜けていく。そして静かになった船室の中、彼が口を開いた。
「すまない、ウル、くんと言ったかな」
「ああ、ハーケンとやら」
「娘が世話になった」
「いや、こちらこそだ」
「私も……おそらくこの扉の向こうに行くのだろう」
彼は、残ったままの地獄への扉を指差した。
数多の仲間を葬り、一人耐え切れず自死した船長。通常であれば、地獄行きかもしれん。
「はっ……そりゃあどうだろうな?」
『馬鹿ね……貴方はこっちよ』
その扉は、作り変わる。
黒い炎は消え去り、眩い白い光が船室を埋め尽くす。
「まさか……君は……」
なるほど、こいつあ美人だ。
テティスが美人になる理由はよくわかる。
『ごめんね、テティス。迷惑かけたわね』
「お、母さん……」
扉が開き、現れたのはテティスに瓜二つな女性。亡くなった時点の姿でなのであろう。
『でも、その様子を見ると一人でやっていけそうね。ね、父さん?』
「あ、ああ……テティスもすまなかったな」
「ううん、いいの。もう大丈夫。二人で幸せになって」
三人は抱きしめ合った。家族の感動の再会とやらだ。それも、随分前に死んだ母親も出てくるとは思わなかったぜ。
「ウルくん。 君に伝えておきたいことがある。おそらく……これは君にとって必要な情報だろう」
光の玉が掌に飛び移った。
「ウルよ、それは生前の記憶が込められている魔力の塊であろう。吸収すれば、良い」
「ああ、じゃあ、【魔王の一噛】だ」
「い、いや、待て。様子が変だぞ」
ユースティアが震え声で言った。
いや、船が震えている。
「……船長が去ったからだ」
フライング・ダッチマン号は、その役目を終えたのだろう。
「テティスっ!! 出るぞっ!!」
「あ、ああ」
俺たちは、崩れ行く船から脱出する。
呆けている彼女を抱え、彼女の船に戻った。
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