九話 綴りし過去に

◼️


 静寂。

 その船が何かを直接、仕掛けてくることはない。問題なのは辺りの霧。行けども行けども、この巨大なボロ船の隣に帰ってくる。そして諦めて船に乗り込むと、船そのものに喰い殺される。


 ……という伝説だ。


「……なあ、ウルよ。お主、幽霊船と戦ったと言っていたよな?」


「あ、ああ、戦ったぞ? それがどうかしたか?」


 木の甲板が軋む。あちらこちらに骸が放置されていた。どれも損傷が酷い。穴が開き、切断されているものもある。中には、踏み潰されているものも。


「……我は、幽霊船なぞ放っておらぬ。我が配下にもそのような魔物はおらぬ」


 その伝説の結末はどれも悲惨なもので、霧から抜け出せず餓死するか、殺し合いの果て、全滅。乗り込んだところで、何かに取り憑かれ殺される。結局、全て全滅で終わる。

 

 だが、俺は抜け出すことが出来た。船に乗り込み、元凶らしき魔物を叩きのめしたから、だろう。だが、ルシフは知らないと言った。であればあれはなんだったんだ?


「じゃあ俺が叩き潰した船はなんだったんだ」


 とは言え、他に考えられることが、ない。ただ自分たちの船で大人しくしていてもこの状況から抜け出すことは出来ない。つまりどの道、この船には乗り込まなければならない。


 それがどれほどの罠であろうが。


「……なんて言ってる暇もなさそうだが」


 からからと音がする。この魔物も知っている。一見、人骨が立ち上がったように見えるようだがそうじゃあない。


「囲まれたが……俺の敵じゃねえッ!!」


 骨で出来た魔物、骸骨戦士スケルトン

 俺は手っ取り早く最前列の魔物を掴む。所詮骨と変わりはしない。軽々と持ち上がった其奴を残りのやつに思い切り投げ込む。


 一、二、三……数えていたらきりがねえ。


 何体もの魔物が倒れた。

 骨がばらばらになり、砕けたスケルトンもいる。……だが、何か変だ。手応えが、まるでない。


「甦るのは、こやつらの特徴ではあるが……? まるで効いていないような甦り方だぞ……?」


 スケルトンは、いわゆるをする魔物。一つ一つの骨は魔力で操っているだけものに過ぎず、壊せばしばらくはそのまま。時が経てば復活はするが、戦闘では有利になる。本体は一番隠れるのに適している頭蓋骨。

 その中に、実体を持つことが出来ない低級悪魔が入っているのだ。


「……ああ、様子が変だ」


 壊したはずの骨すら復活してやがる。


 からからと、けたけたと、まるで嘲笑うかのように更にスケルトンの数は増えていく。


「これでは、まるで本当に幽霊ではないか……」


「だめだ……テティス!! ユースティア!! 中に入るぞ!!」


「なっ!? 私まで行くのっ!?」


 その声とどたばたに勘付いたのか魔物たちは一斉に動き始める。

 銃声が二発、テティスの牽制だ。


「ちょ、ちょっと待ってよっ!!」


 翼が一度はためかされると、彼女は瞬間で移動する。

 俺は、全員が入ったところで木の扉で蓋をするように奴等を閉め出す。だが、向こうからの音は止まない。殺到しているのだろう。無数の剣が貫き、顔を覗かせた。


◼️


「なんで私まで……」


「一人で戻ってもいいんだぞ」


「くっ……覚えていろ……」


 先が見えない暗闇の廊下を行く。

 灯りは手に持った松明のみ。


「……全く魔物が出なくなったな」


 先程までの喧騒は鳴りを潜める。剣を刺したことで諦めたかなんだか知らんが、骸骨の集団はただ立ち尽くすのみの集団になっていた。

 ……それはそれで気味が悪かったが。


「なあ、ウルよ」


「まだなにかあるのか?」


「この扉の向こうから何者かが呼んでおる」


 翼を小さく畳んだ小娘が小さな悲鳴を上げる。

 肝が据わっていそうなテティスでさえも少し怯えている。そう考えればこの小娘が身体を震わす程に怯えているのも、仕方がないのかもしれない。


「見たところ、船員の部屋のようだな」


 木の扉は難なく開く。

 中を覗くと、いくつものベッドが無造作に並べれている。他には机や椅子。……うん? あれはなんだ?


 壁に貼り付けるように並べられた机の上に、青白く光る本が置いてあった。


「これか? ルシフ」


「あ、ああ……なにか声が、語りかけてくる」


 魂同士で共鳴でもしているのだろうか。


「さ、触るのかそれを……」


 声が震えている彼女が本を覗く。


「大事な手がかりだ。読むしかねえだろ」


 俺は中をぱらぱらと紙をめくる。

 どうやら船員の日誌らしい。内容はこうだった。


 最近、船長の様子がおかしい。あの一行を乗せてからどうも変だ。食事や酒にも手を付けなくなった。俺たちは毎晩しっかり食べている。

 腹を満たし、しっかりと仕事をしている。


「……待ってくれ、船長の名前はなんという」


「ハーケン、と書いてあるぞテティス」


「……ふむ」


「……? 続けるぞ」


 それから部屋に籠ることも多くなった。

 俺は船長のことが気になり、部屋を覗いてしまった。思えばそれがいけなかったのかもしれない。

 船長は、船員の名前が刻まれた木の板を眺めていた。

 そして、行方不明になっていた船員一人一人にばつ印を付けていたのだ。笑みを浮かべながら、狂気としか思えない程に何度も何度も短剣で。まるでその名前の奴を短剣で斬り刻むかのように。


「……その船長の名前は本当にハーケン、と言うのか」


「ああ、間違いないぞ」


「そうか……」


 俺は急いで逃げ帰った。

 なによりも恐ろしかったのは、ばつ印を付けていた名前は、この俺、『カリオテ』であったこと。

 今日書くこの日誌で最期になるかもしれない。これを読んだ船員は今すぐにでもこの船から逃げ出す準備をしてくれ。あの船長は狂っている。


「元凶は船長であったか……だが、気になるのは乗せた一行のことだ」


「それについてはなにも書かれてねえが……日付からして大体の予測は付く」


「……あの騎士団長か」


「ああ、お前と戦った日に乗せたと書いてある」


「な、なあ、二人共……テティスとやらの様子が変だぞ?」


 ユースティアの声に、俺は彼女の表情に気がつく。


「……ハーケンが私の父だ」


 消え行きそうな声で彼女は呟いた。


「そうか、だがまだ……」


「……いや、いいんだ。父がそのようなものに負ける人間だとは思ってはいなかったが、けじめは私が付ける」


「……まあ、どのみち、そのハーケン船長とやらには話をつけなきゃならんようだしな」


◼️


 幽霊船フライング・ダッチマンは巨大な船だ。だがそれほど難しい構造にはなってはいない。むしろ分かりやすい造りをしている。

 俺たちは難なく船長室の前に辿り着いていた。それは、まるでここまで誘い込まれるようだった。

 船そのものに喰い殺される。伝説を信じた訳ではないが、そのような魔物である可能性は十分にあった。……魔王であるルシフでさえ知らない魔物か。


「……開けるぞ」


 一番最初に目に飛び込んできたのは、あの日誌にあった木の板……ではなかった。その木の板に大きく書かれた『呪われている」という黒く霞んだ文字、だった。


「血文字……だな」


 彫られた船員の名前は全て荒々しく、ばつ印が付けられている。


「皆殺し、か」


 椅子に座る白骨死体。床には拳銃が落ちていた。


「そして、自殺したというところか、父上に一体なにが……」


「ッ!! 危ねえッ!!」


 剣は机を斬りつけた。丁度それは、テティスの位置。突き飛ばさなければ机のように真っ二つになっていたことだろう。


「なにをオオオしにきたアアア……テティスウウウウ……」


「……まさか、ハーケンかこいつ」

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