幽霊船と海渡り編
七話 船員は二人いる
■
「……船が一隻も出ていない?」
波打つ水の上に浮かぶ何十台もの船。豪華なものもあれば小汚いものもある。
「ああ、正しくは一隻も、『出せない』だがな」
波音は穏やかで、空には雲一つない。太陽が我が物顔で輝いている。
「なんで出せないんだ?」
目の前の男は渋い顔をする。
「……旅の人間、特に若い兄ちゃんは皆笑うけどよ……出るんだよ」
低い声を一層低く、普段の大声は鳴りを潜め、身体に似合わない小声で言葉を紡いでいる。
「出る?」
「……幽霊船が」
かもめの鳴き声が頭上を掠め、潮風が頬を叩き付けた。
「なら諦めるか、とはいかねえからなあ……」
幽霊船が出る海域であることは知っていた。しかし、その問題は俺がこちらに渡るときに解決した問題だ。
「なあおやっさん、誰か出してくれそうな奴はいないかい?」
「ふむう……ここからもう少し行った外れに行ってみろ」
「外れ?」
「ああ、ちょっとばかし変わりもんでな。ここいらの奴らが泊めることを許さないんだ」
「そうか……まあ行ってみるよ。ありがとな」
「ああ、気を付けてな」
船乗りの男が指さす方向に俺は歩き始める。
海の様子を見ていると幽霊船なぞ全く出る様子もない。
しかし確かに現れるのだろう。あの男の表情は間違いなく見たことのある様子だ。
「……変わり者とは、なんであろうな」
「女、みたいだ」
少し歩いた先。小さな洞窟を潜り抜け、街の外れにある朽ち果てた桟橋。その女は、小型でぼろぼろの船の側に立っていた。
「ほう、あの者か」
女が船に乗ることは船乗りが忌諱すること。
その体格はあのアマゾネスたちに負けず劣らず。背はそれほどないが、鍛えられた肉体と小麦色に焼けた肌がまさに船乗りであることを思わせる。
「……何か用か」
「ここに来れば船に乗せてもらえると聞いた」
「行先はどこだ」
街の女たちのような愛想はない。
腰横には湾曲した刃持つ剣。カトラスという剣。後ろには火薬式拳銃。火薬式だと呼ばれているのは、魔力を弾丸にする拳銃もあるから、らしい。
「リーベの港へ」
ここからほぼ一直線だと言っても良い。そもそも人間たちがここに攻め入るために作った港。近ければ近いほど良い。船でおよそ一日。朝に出発すれば夜にはたどり着ける。
「……無理だね、幽霊船に沈められるよ」
「……そうか、ありがとさん」
さて、次はどうするか。
金はない。金目になるものも持っていない。だとすれば自分で船を組み立てるか。多少ぼろくても、直線で海を渡るくらいなら……。
そんな無謀な考えが頭の中で膨らんだが、振り払うように一歩踏み出した時だった。
「……ちょっと待ちな。見たところ腕が立つようだね?」
「ああ、勇者並には強いぜ」
俺は、魔王を倒す旅でほとんど一般人に関わってはいない。その顔も知られていない。
しかし、勇者になったものは様々な特権が与えられるらしい。人様の家にずけずけとはいりこみ、箪笥を漁ったり、壺に入っているものを頂戴したり、店の売り物は格安で手に入る。……俺は、一つもやらなかったが。
この国には、冒険者と呼ばれている職業がある。俺はそいつらと同じことをして金を稼いでいた。
「あと、その背後で漂ってる鎧の其奴」
「なっ!? こいつが視えるのか!?」
魂だけの限りなく近いが、その身体は便利なもので人間には見えないように出来るらしい。
それを見破ったこいつは何者だ?
「……奇妙な輩だねえ。なにもんだい……? いや、どうでもいいか」
勇者……元勇者だと言わなくて済むのは骨頂だ。まあ、勇者だ。なんて愚直に言いやしないが、どこに騎士団の手の者がいるかわかりやしねえ。
「乗せてやってもいい……ただし条件がある」
「……いいだろう」
俺もこいつに興味が湧いた。
「幽霊船を沈めてくれ」
「……は?」
◼️
「正確には、元凶を潰す。そうすれば船は沈むはず」
「それは、どこで得た情報だ?」
「家に置いてあった……誰かの手記だ」
それは確かに正しいやり方であった。
幽霊船、だなんて言っているが、実際は幽霊に見える魔物が操っている。
「ふうん、まあいい。……それより気になることがある」
「……なぜ幽霊船を沈めたいか、だろ?」
「ああ、その通りだ。単純にこの辺りを救いたいだけのようには見えねえ」
「簡単なことさ。父親の敵討ち……だ」
父親、か。
俺は父親の顔を知らない。物心ついた頃には一人だった。父親代わりの人間は王様だが、ほとんど会話をしたことがない。世話係と毎朝顔を合わせ、昼は稽古やお勉強。夜は一人で食事を済ませ、あとは寝るだけ。幼い頃はよく姫と遊んでいたが、身体が大きくなるにつれてそれもなくなった。
「なるほど、よくある話だな」
「アンタも復讐は駄目だ、って止める口かい?」
勇者は聖職者じゃあない。一介の人間に過ぎない。神から力を与えられているのは確かだが、奴を信じてるわけでもない。
もし、例え、道を踏み外した奴がどんなに偉い奴でも俺は斬る。
「……いや、俺は推奨派だ。がんがん復讐していこう。皆殺しだ」
多少の怠惰や暴食程度なら許してやる。
だが、度を超えた悪は許さねえ。
「……勇者とは思えない発言だねえ、ますます気に入ったよ」
「……まさか、俺を知っているのか?」
「ああ、知っているよ。この街を通ったことあるだろう? 」
「あ、ああ、本当に通っただけだが……」
文字通り、通っただけなのだ。自分の船を持っていた俺は、この街には物資補給でしか寄っていない。もちろん宿に泊まることもしていない。
「ちらっと船着き場で見ない顔が見えてね」
「……して、我はもう喋って良いのか?」
「……まさか、お前、俺が街では喋るなって言ったからずっと黙っていたのか?」
「ああ、そうだが」
鎧で表情は見えない。言葉ははきはきとしているが、肩を落とし、項垂れているように見えた。
「すまん……なんか、すまん」
「いや、良いのだ」
「なんだい、アンタ喋れんのかい」
「ああ、すまない。自己紹介が遅れた、ルシフと言う」
「ふうん……変わった名前だねえ」
初代魔王に関する名前を付ける人間なんていねえだろうからな。もはや御伽噺にもなっており、幼い子どもでも知っている名前だろう。
「テティス殿、我からも質問して良いか?」
「ん? なんだい?」
「この船……どうやって動いておるのだ」
巨大。一人で動かすにしては巨大すぎる。
あの後俺たちは、側に泊めてあった小型の船に乗り込んだ。連れていかれたの沖に泊めてあった巨大な船。到底一人では動かせないだろう。そして奇妙なことに帆さえも畳んでいるのだ。
俺たち勇者御一行が乗っていた船は、風に頼らなくても動く船だった。魔力を動力に変換し、動かす船。最新鋭の船だったことは間違いない。この辺りの海域で、魔物たちによって沈没させられてしまったが。
この船をじっくり観察してみたが、それらしい仕掛けも見当たることはなかった。
「ああ、それならこの子が引いてくれてるのさ」
船が揺れる。
横に、まるで荒波の中走っている船のように。
「海上で地震かッ!?」
「……ルシフ、海を見てみろ」
揺れが収まり、俺は船首から顔を覗かせる。
そこにいたのは龍だった。
巨大な水色の龍が水を掻き分けている。気持ちよさそうな顔で。
「龍が人間の言う通りになっているだと……?」
テティスがどこからか出してきた樽を投げ入れる。
葉のような鰭で器用に叩き割り、出てきた中身を一口。咀嚼する。中身は大量の魚だった。
「言いなりになんかしてないさ、私たちは仲間同士。生まれた時から一緒なのさ」
「あの気高き龍が……そんなこともあるものなのだな」
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