六話 純潔の乙女

◼️


「ウル様との子が欲しい」


 頬を紅潮させる彼女の後ろには、すやすやと眠る仔犬の姿がある。


「いや、すまんがここに居つくつもりはない」


 そして、大勢のアマゾネスの姿も。


「くっ……」


 彼女たちは街を救った救世主の顔を見たいのだ。長く、災厄と勘違いしていたその勇者の顔を。


「……まあ全てが終わった後にまだ生きていたら顔を出してもいいぞ」


「本当かっ!? 私はいつまでも待っているぞっ!! ウル様だけだっ!! ウル様だけを愛すっ!!」


 純潔を誓うアマゾネス、か。

 いやその名前、アルテミスに相応しいのだろう。


「ああ……じゃあな」


 彼女は手を振りながら、少しでもこちらを見ようと締まり行く門の隙間から顔を覗かせる。

 新しいアマゾネスの長、アルテミス。


「結局、何も得られんかったのう」


「いや、そうでもないさ。アマゾネスの力をいつでも借りられるだろう」


「ああ、そうだな」


 きっと彼女ならば上手くやるであろう。

 その力は勇者と同一のもの。彼女ならば良い導き手となるのは間違いない。いつだって変革をもたらすものは余所者だ。


「だが、ウルよ。なぜ彼女は勇者の力を使えたのだ?」


「天使の野郎の嫌な臭いはなかった……これは分からんな」


 正しき者にその力は宿る。それは、魔王が知る伝承の一つ。彼女も世界にとって正しき者なのであろう。


「ふむ……わからんか。フェンリルの件もあるからのお……」


 先代魔王はなぜ、フェンリルをここに封印したのか。……いや、どうやって封印したのか。


 あれは、紛れもなく我が知るフェンリル。我と共に産まれ落ちたと聞いていた。

 そして我の記憶上にフェンリルが存在する限り、死んでいるはずの父上が封印することは出来ないはずなのだ。

 時系列的に成立しない。

 それとも、他の誰か……それも先代魔王と実力が拮抗する誰かが父上に化けて封印したと言うのだろうか。


「……考えていることは分かってるぜ。あのフェンリルを封印した野郎のことだろ?」


「ああ、どう考えても時系列があわぬ。……そしてフェンリルがいなくなった時の記憶が欠落しているのだ……」


「怪しいことだらけだな……だが、犯人の検討は付いている」


「ほう?」


「……これだ」


 ウルの掌には、黒い欠片が握られている。


「これは、もしや黒龍の鱗か……?」


「ああ、フェンリルの爪先に着いていた」


「これがなんだと言うのだ?」


「我らが王国騎士団長様の鎧は、黒龍の鱗を使用して造られている……ここまで言えば分かるか?」


「ッ!?」


 黒龍ほどの魔物は、そうそう姿を現さない。ましてやフェンリルと黒龍が敵対することも考えられぬ。狼のような姿をしているがフェンリルは龍の一種。言わば同族。


「今回の件も大きく・・・関わっているんだろうな」


「……何かが大きく蠢いているのは間違いない。いち早く力を取り戻さねば」


「ああ……そうだな」


 我らは、森を歩く。


「……なあ、ルシフ。なんでこの街は栄えたのだと思う?」


「フェンリルがあの場所で土地の邪気を吸い取ってくれていたのだろう」


 一晩眠るとその巨体は、見る影もなくなっていた。それでも普通の犬や獣に比べれば大きいが。


「……ってことはあいつの力を吸い取った時に、俺の身体に邪気が入り込んだってことか?」


「ああ、そうだろう。これは、推測だが、お前の中の光の力が自動的に浄化したのではないか?」


「闇の力と邪気は何が違うんだ?」


 闇の力は単なる力。そこに善きも悪もない。遣い手によって作用される……ただ強力すぎるが故に闇と命名されたに過ぎぬ。


「じゃあ邪気は?」


 そこに分別はなく、目の前にあるものをただ吸い尽くし、破壊しようとする気の流れ。


「まるで、意思があるようだな」


「……そうかもしれぬ。初代魔王がこの地表に持ち込み、自由自在に操ったと言われておる」


「つまり、初代魔王の意志がまだ残っているのか?」


「ううむ、残り滓のようなものかもしれぬ……」


 これについては我も詳しくは知ることはなかった。そもそも何千年以上前の話なんてものは魔物であろうと覚えてはいない。


「……まあそのうち、わかるか」


「ああ」


「じゃあ次こそ、気を取り直してお前の封印を解きにいくか……自分で言っていて変な気分になるなこれ」


「ウルが封じた我の一部、か」


「そうだ、ずっと聞こうと思っていたんだが、なんで魔王の力の源が人間の土地にあるんだ?」


「……それも我には分からない。いや知らされていないことなのだ」


「なっ、そうなのか」


「ああ、お前に聞かされて初めてそのようなものがあると知った」


「きな臭さすぎるぜ……」


 全てが偽り。とまではいかないが、我らの戦いは多くを失ったが、なんの解決もしていなかったのかもしれない。


「我らの戦いは何一つ終わっていない……まだまだ始まったばかりなのかもしれぬな」


 誰かに踊らされていたのは、間違いない。

 勇者を敵とみなすその歴史も終わりだ。


「ああ、そうなんだろう。だが俺たちならなんとかなるさ」


 我らが切り開く。

 この手で真の黒幕を暴き出してみせる。

 ……愛犬をあのようなところに……許さぬぞ……。


◼️


 遥か上空。そこにはウル一行を見下ろすものがいた。翼をはためかせ、ゆっくりと彼らを監視・・している。


「よくも、よくも……父上を殺したなッ!!」


 彼女は怒りを吐露する。周囲には鳥しかいない。

 魔王の纏う鎧に似た鎧を纏った彼女。

 ぶら下げた剣は、父親から譲ってもらったおさがりの剣。


「その上、魔王様までたぶらかすとは勇者め……ッ!!」


 魔王から取引を持ち掛けたなぞ、彼女に知るよしもなく、その憎悪は募るのみ。


「……なになに? 次は海を渡るぞ? ふむ、先手を打つか」


 盗聴用の魔法である。彼女が開発したわけではない。しかし彼らが旅に出た時から常用している。今現在、彼女にとって最も使用頻度が高い魔法であった。


海の魔物クラーケンを配置する、と」


 魔王軍の上官程の魔物になれば、一方的に指揮命令を下す権限が与えられている。であるからして最高司令官である魔王は、その権限を与える者を選ぶのは、慎重にならなければならなかった。


「これで、勇者は海を渡れまい……!!」


 魔王もろとも沈めることになる発想に至らない。その猪突猛進さは彼女の長所でもあり短所でもあった。


「……さて、一足先に私も海に向かうか」


 大空を黒き翼が舞う。

 その翼は、四天王が一人デミウスのものと瓜二つ。

 彼女は、空を飛ぶのが好きだった。

 愛しき父上と一緒に飛ぶのが好きだった。

 自慢の父上。魔王の側近であり、四天王である父上。だが、その父上はもういない。少なくとも彼女の中ではもういない。


 勇者との戦いで敗れ、死んだと脳内補完されている。だが実際のところ、緑地を呑気な顔で歩いている勇者は、彼を殺してなどいなかった。


 相当、痛めつけられたのは間違いないが、絶賛療養中である。


 彼女は一粒の涙を流す。

 父上を想い、大空を舞いながら。


 だがその父上は、美しい妻に看病され締まりのない顔で毎日を過ごしているなど彼女は、露程も知らないのであった。

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