フィイルサッド
__業が深い。深過ぎる。
2PV
副題 狂いの狂った者はマトモと言えるのか。
趣味で書きました。いつも以上にマトモじゃあないです。が、個人的に面白い物ができたと思います。
@@@@@@
扉に手をかけ、息を吸う。
「変わった人だから、気をつけてね」と、担当の人に言われたのは昨日の夜。寝ようと思った時にかかってきた電話に出て、もしもし、と言う前に言われた。
「え、あ、え」
「ああ、ごめんね……言わないと、言わないと、って思ってたから」
電話口に聞こえた笑い声は、これから俺が会う人と全然違う世界に生きていそうな人の物だった。
「先生、変わった人だから。えっと、昔の、文豪って言われるような人って、結構問題があるみたいだけど、先生もそんな感じなんだ」
「つ、つまり、芥川のように煙草を一日百本吸うとか、太宰のように四メートルの手紙を送るとか……?」
「あー……どちらかと言えば、横光利一は世事に疎かった、とかの方が近いかも。あ、でも今は違うか…………うん。前言撤回。君の認識であってるよ」
先方は咳払いをして「兎に角」と、語気を強めた。
「変わった人だから、気をつけてね。何かあったら電話して」
それから十二時間。ボロボロのアパートの階段を登り、一番奥の部屋に手をかける。もう一度息を吸って、俺はドアノブをひねった。そして、閉じた。
扉に背を向け、バクバクと鳴る心臓を抑え、通話履歴から昨日の番号にかける。三度のコール音の後、例の声で「もしもし」と聞こえた。
「あ、君? 先生と話せた?」
「え、あ、あの、じょ、じょせ」
「え!? 先生が女性を連れ込んでる!?……なんてこったい! 先生がマトモな人間に一歩近づいてる!」
予想と違う反応に若干戸惑っていると、背後のドアが開いた。恐る恐る振り返ると、機械のように冷たい顔をした「先生」がいた。「先生」と言われてはいるが、歳は俺より五つくらい上だった筈だから、かなり若い。
「あ、こ、こんにちは……」
挨拶は無視され、代わりに携帯を取られてしまう。「先生」はかなり大きなため息を吐くと、舌打ちを鳴らした。
「私です。人形を愛してはいけないのですか……りある? ええまァそうですが。人の形をしている物に人らしさを求めてはいけないのでしょうか………………紛らわしい? 勝手に間違えたくせに何文句言ってるんですか。分かりました。新作を貴方の家で燃やします。安心なさい。貴方がいる時にするので上手くいけば死んで責任を取らずに済みますよ。」
物騒な。しかし、あれは人間じゃあなかったのか。紛らわしい。
「先生」はその後数度話した後、まだ何かを言っている電話を切り、俺に突き返した。
「貴方。名前は。」
「あ、え!? な、名前……
「そうですか。なら貴方。先程の事は他言無用でお願いします。」
そう言って「先生」は、俺を手招きして部屋に入って行った。
「先生」。あの出版社で、しかもこの年齢で呼ばれるのは一人しかいない。かつて、処女作「言葉の檻」で数々の賞を取り、その後も文学の世界にその名を轟かせ、一年前、ある事件により姿を消した男。
そんな神様だか仙人だかのような人が、今、ちゃぶ台を隔てて俺目の前にいる。緊張のせいか、喉が異常な速度で乾いていく。が、ちゃぶ台の上の麦茶には、なぜか手が伸びなかった。
「私の事を調べるのでしょう。貴方。」
「は、はい。先生の」
「その呼び名はやめていただけますか。私はそう言われて良い立場ではありません。」
「え、あ、はい……じゃあ、歯衣さん、と呼んでも?」
彼は頷いて、奥に置かれた人形を見た。本当にリアルだ。なんて言えば良いのだろうか……生きているようだ、では陳腐過ぎる。本物みたい、は何か違う。惚れてしまいそう__それが、一番近いのかもしれない。
「あれは全然似ていません。彼はあれなんかよりも素晴らしく美しい人でした。」
彼。そう言われて、ある記事を思い出す。確か「先生」__歯衣さんは、一年前の事件で友人を亡くされている。
「貴方。貴方はあれを美しいと思いますか。」
「……よく分かりません」
「そうですか。」
「……ですが。素晴らしい、とは思いますよ」
歯衣さんは表情一つ変えずに俺に視線を向けた。冷たい、冷たい、黒曜石のような瞳は、あの人形とは逆に死んでいるようで、偽物のようで、人から関心を向けさせないようであった。
片身替りの和服は黒が多く、残りは白。左目の隠れた髪の毛は、烏の濡れ羽色。肌は陶器のような雪色で、歯衣さんはモノクロ映画のようだった。
「珍しいですか。この和服。皆口を揃えて奇妙とおっしゃります。」
「珍しいとは思いますけど、歯衣さんらしいと思います」
「そうですか。……皆私を狂ったとおっしゃりますが貴方はどう思われますか。」
「……そんな事、ないと思いますよ」
言葉を飲み込む。変わってしまった彼の作風は、あまりに気狂い過ぎている。「暗い日曜日」が「自殺の名曲」なら、歯衣さんの作品は「鬱にさせる名作」だ。そのくらい重かった。心臓を直に触ってくるような__そんな恐ろしさがあり、思い出すだけで身震いがする。
「貴方。私を調べなくてよろしいのですか。」
「あ、えっと」
「慌てず落ち着きなさい。私は暇です。時間なら有り余る程あります。」
深く息を吸い、歯衣さんを見据える。彼は優雅な仕草でガラスのコップを持ち、麦茶を飲んでいた。
「……では、良いでしょうか」
「ええ。お願いします。____どうぞ私を調べてください。」
「私はある資産家の一人息子として生まれました。
父は厳しい人でした。
そして今の時代には珍しい古い考えの人でした。
私はそれに耐えられず彼に頼りました。
彼は良い人でした。
彼は引っ込み思案な私の代わりに文句も言わずに頑張ってくれました。
本当に良い人でした。
しかし彼は少しズレていました。
彼はある男に恋をしました。
しかし男は彼の好意を友情として捉えました。
当たり前でしょう。
私だって同性から向けられるそれは友愛だと思います。
彼はそれを知った上で男を愛していました。
心の底から愛していました。」
歯衣さんは俺の麦茶のコップを見つめ、淡々と抑揚のない声で話す。
「それから数年。
去年の秋頃の例の事件。
彼は男と共にあの屋敷へ行きました。
理由は確か呼ばないと殺されるからだった筈です。
彼はそこにいた方々と親しくなりました。
陸の孤島でしたし妥当でしょう。
詩人に作家に堅気と探偵。
あとは女給と執事と文士と少女でしたか。
老婆はすぐにお亡くなりになられたので話す機会はなかったようです。
執事にはまず生きては会っていませんでした。
殺された順番は世間でも言われている通りです。
一日目の昼に執事。
夜に老婆。
二日目の未明に詩人。
昼に男。
夜に堅気と女給と少女。
三日目の昼前に探偵と文士。
彼の目の前で探偵は死にました。
文士は彼自身の手で死にました。
彼は死んだも同然で生きていました。
何も食べようとせず生きる事もやめていました。希望を失っていました。
絶望すらもありませんでした。
だから私がここにいます。
死んだ彼の代わりに私がここにいるのです。」
歯衣さんが言葉を止める。
メモを取り終え相手を見ると、歯衣さんは空になった自分のコップに視線を動かしていた。
「彼は私でしたが私は彼ではありません。」
「……多重人格、ですか?」
「ええ。病院に行った事はないので詳しくは分かりませんが。おそらくそうでしょう。」
俺は礼を述べて、持って来ていた羊羹を渡して部屋を出た。憎い程青い晴天が俺を見下ろしていた。
数度のコール音の後、あの編集者の声で「もしもし」と声がする。
「志摩です。歯衣さんの話、終わりました」
「あ、そう? お疲れ様。どうだった?」
「大丈夫そうです。判断材料は殆ど揃いました」
「じゃあ、受けてくれるかい?」
「はい。掃除屋として、仕事は必ず終わらせます」
心配そうな吐息が漏れ、快活な声が返って来る。
「ありがとう。僕はあまりそっちの事情には詳しくないけど……頑張ってね」
「はい。では」
電話を切り、ポケットにしまう。その途中で重く黒く深いため息が口から飛び出した。
まさか、自分そっくりな人形__いや、正確には人間か__を愛でる人がいるなんて。消えた人格を愛していたあの人の方が、「先生」の同性愛よりも業が深い。深過ぎる。
戸惑いは空気に溶け、空の青色に昇華されていった。
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