垣見屋事件
__二〇××年、S市にて起きた連続殺人事件について
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副題 垣見屋事件
こうして、二〇××年、S市にて起きた連続殺人事件は、物語的な終わりを迎えたのだった。
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盃 透と愉快な協力者による、呆気ない物語です。言わば御都合主義。
一つ願うならば、祟られませんように。
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夜の街をアカイロが走る。
屋根を蹴り、塀を走り、月を背景にそれは踊っていた。
こうして、二〇××年、S市にて起きた連続殺人事件は、物語的な終わりを迎えたのだった。これはその連続殺人事件__『垣見屋事件』と名付けられた事件と、それを追った盃 透と、その協力者の物語である。
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盃 透という名は本名ではない。蔦葛という姓、家を嫌った彼女は、十六の時に全寮制の高校に入り、それ以来、家には帰っていなかった。
だが、どれだけ出生を否定しても、彼女の生き方は生家のそれに縛られていた。それ故、彼女が夜闇に紛れて路地を歩き、犯行を目撃してしまうには必然的だった。
ゴミ箱の影に身を潜め、やり過ごす。鋭い悲鳴が続いた後、被害者を適当に放った音、続いて、こちらへやって来、過ぎていった足音。
顔を出し、死体を見ると、無残な死に方がされていた。簡単に傷跡を調べ、相手が殺しに慣れていない、と盃は判断を下す。
なら、警察へ言うべきか。そう思ってスマートフォンを出そうとし、手を止める。もし、ここで何をしていたのか、と問われた時、自分はどう答えれば良い。残念ながら、夜の散歩というには自宅からの距離が遠過ぎる。それに、散歩だとしてもこんな路地は通らないだろう。
そう考えた結果、彼女はその場を立ち去、ろうとした。
背後から感じた殺気。咄嗟に振り返り、護身用のナイフを突きつける。
「物騒な。折角食事にありつけたと思ったんやけどなぁ」
少々おかしい関西風の訛りによる、流暢な日本語。それに似合わない火のような赤毛と緋眼。
黒いロングコートを着た長身の男が、死体の前に立っていた。
「どこの人ですか?」
「どこって……変な聞き方やね。オーサカってとこで言葉は習ったけど」
「そういう意味じゃないです」
盃はため息を吐き、
「どこの派閥の奴か、って聞いてるんですよ。外国って事は、フェリチタファミリーとか……あるでしょ?」
「あー、んー、どう言えばええんやろ。ま、いっか」
男は薄く笑うと、口元を隠していたマフラーを解いた。すると、口の端から鋭く長い牙が現れる。
「信じられへんやろうけど、吸血鬼なんよ。だから、どこの派閥ってのもあらへんわ。良い具合に死体があるし、血ぃ吸うたろかなぁ、思って」
「……吸血鬼、ですか」
「そ。信じてくれるん?」
ナイフを下ろし、盃は首を横に振る。
「信じられません。けど、敵じゃないんでしょ? なら、良い」
「おおきになぁ。で、あんさん、なにしてはるの?」
「探偵紛いの仕事です」
「ふぅん。じゃ、さっきの兄ちゃん追っとるんやねぇ」
ピクリ、と盃の身がこわばる。
「……顔、見たんですか?」
絞り出した声は震えていた。
男は大きく頷くと、目を閉じる。
「身長は百七十後半、年齢は二十代の後半から三十代の頭らへん。髪は黒いけど、染めとる入りやね。元は茶色か白か。前髪長うて目は見えへんかったけど、肌はあんさんよりは白かったなぁ。もしかすると、僕より白いかもしれん。服装は黒いジャージ。靴は黒いスニーカー」
「……ほ、本当? 本当に、それが犯人!?」
「やと思うで。嘘ついたところで僕に特はないし、本当の事やよ」
男が語った情報をメモし、盃はアゴに手を当てる。続いて、パラパラとメモ帳をめくり、黙読。
しばらくしてから、盃は気難しい顔を上げ、男を見た。
「…………な、なんや?」
「協力してください」
「きょ、協力!? なんでや?」
「あなたは知りすぎた、ってやつですね。他の奴に殺されますよ、多分。吸血鬼だろうが不老不死だろうが、うちの阿呆共は殺しますし、他の阿呆共だって、そうですもん」
男の顔が曇る。
盃は右手を伸ばすと、無理矢理男の手を握った。
「あたしはサカズキ トオル。酒器の盃に透明人間の透、って、あなたに言っても分からないか」
「サカズキ、ねぇ……日本の名前は嫌いな奴思い出すわ。ああ、僕はグラニ。よろしゅう頼むわ」
「ええ。よろしくお願します」
こうして、探偵側の幕は開いた。
・
その翌日。
自宅から徒歩十分の喫茶店で、盃は依頼人と会っていた。
「それで、よく分からない男を捕まえた、と」
「はい」
「お前の兄さんが聞いたらさぞ悲しむだろうな。ま、あいつ嫌いだから別に良いけど」
メロンソーダを飲みながら、依頼人の少年はため息を吐く。
「で、成果は」
「……さっき渡したメモの通り」
「あれだけ? いわみんって、馬鹿なの?」
舌が鳴る。
顔をしかめ、少年はストローの端を噛み潰す。
「一週間。一週間で片付けて、って言ったのに。出会ったんなら、殺せば良いでしょーに。馬鹿なの?」
「殺しはしない事にしていますので。それに、期限はあと三日もある」
「三日しかないんだよ? 次に犯人がいつ犯行を起こすか分からない。どこが犯人の根城かも分からない。なのに、犯罪は行われた」
少年はジッと盃を睨むと、机に爪を立てる。
「なぜ追わなかった。きっと、あの人ならそう言うよ。その時、どう口答えするの?」
「…………」
「無言は意味がない。無意味は一番嫌いだ」
「……あと三日で終わらせる。それで、問題はないだろう」
「ハッ、出来損ないがよく吠えるね」
少年は立ち上がると、その人を殺すような三白眼で盃を見下ろす。
「まぁ、頑張って逃亡計画でもたてれば良いさ」
机の上には、空になったガラスのコップと、抉られたような傷痕だけが残されていた。
依頼人が去り、朝食を終え、十時頃にようやく盃は喫茶店を出た。
人気のない道を歩いていると、手品のようにグラニがその背後に姿を現す。
「むっちゃ言われとるけど、良えの?」
「はい。あいつはそういう人ですから。昔っから、そりが合わないんです」
「大変やねぇ。それで、サカズキ? どうするん?」
足を止めず、目を合わせず、盃は独り言のように言葉を吐く。
「梓弓に会いに行きます」
その名前に、グラニの目が軽く見開かれた。
それに気づいてか否か、盃は、
「梓弓が、おそらく犯人です。ですが、証拠があまりにも足りない、足りな過ぎる」
と吐き捨てた。
「証拠、って……昨日のアレはアカンの?」
「はい。梓弓は、催眠術師なんです。彼女の犯行は、催眠術にかけた赤の他人を利用して行われています。昨日の人も、そうです。梓弓本人は、百五十前後の小柄な女性なんです」
「本当に、その、アズサユミって人が?」
「はい。企業秘密なので言えませんが、彼女が犯人である、という事は分かっています。ただ、あまりにも証拠が足りない。依頼人に伝えるには、足りな過ぎる」
「……後は、何が分かれば良えの?」
「警察に見せても大丈夫なような、犯人である確実な証拠と、催眠術にかけられない対策。まぁ、自分で殺せれたらあまり気にしなくて良いのですが」
「なら、良えよ。僕が殺すわ」
そこでようやく足を止め、盃は視線をグラニに向けた。
「……本気で言っていますか?」
「嘘は言わへんよ。それに、僕の事口外されたら困るしな。今更あんさんを殺せる訳ないし、口止めの為なら何やってしてやるわ」
その目は本気だった。盃の背をなにかが走っていく。
盃は、その目を見た事が一度だけあった。それは、彼女の兄が、父を殺す前日に見せたものだった。
『石見は、私を裏切らないでくれるよね?』
頬に手を当て、額がくっつく程に顔を近づけて、彼女の兄が言った言葉。それは、未だに彼女の中に残り続ける、呪いの言葉だった。
「…………そう、ですか」
吐き気を抑えるように、深呼吸。
盃は顔を上げると、薄く微笑んだ。
「すいません。それは、最後の手段とします。できるだけ、殺しはなしで」
対しグラニは、
「そか、そか。そう言うんなら、やめとくわ。こんな別嬪さん、怒らせたくないわ」
と、盃の想像に反して素直に聞き入れた。
十分後、二人はあるアパートの前に立っていた。ここの201号室に、件の梓弓が住んでいるからだ。
「で、どうやって証拠見つけるん?」
「それなんですよね。今更ですけど、あたし、本業はハッカーなんですよ」
「……実地調査は苦手、と?」
「はい。本当、なぜあたしがこんな事をしているのか。もっと得意な人、いる筈なのに」
「今までどうやって集めたん?」
「機械をこう、ハッキングして。ですが、どうも梓弓はそういうものが苦手らしくて。現代人だってのに、携帯持ってないんですよ? 有り得ない」
思わずため息を漏らした時、鋭い悲鳴が二人の耳をついた。
盃は反射的に階段を駆け上がり、悲鳴の元、201号室へ急ぐ。
「大丈夫ですか!? すいません! すいません!!」
荒っぽいノックを何度も叩きつけるが、勿論返事はない。
ドアノブを回す、と、簡単に開いた。チェーンもついていない為、室内に足を容赦なく踏み入れる。
その部屋を見て、祭壇、という単語が盃の脳内に浮かんだ。壁は四面全て黒いカーテンで覆われ、窓から光は漏れていない。床には腐った肉塊やよく分からない本が転がっている。天井からは本物か偽物か定かではない人骨がぶら下がっている。そして、部屋の中央には棺桶程の大きさの黒い台があり、その上で絶命している人間がいた。背格好からして、梓弓だろう。目を見開き、気味の悪い顔で固まっている。胸には鋭い黒曜石のナイフが突き立っていた。
「まるで
声に驚き死体の向こうを見ると、倒れた本棚に腰を下ろす青年がいた。長い金髪が床に落ち、血に汚れている。が、何より目を引いたのが、青年の顔に描かれたフェイスペイントだった。黒と黄色という、蜂を連想させる縞模様は、不気味さよりも神聖さが優っていた。
「……あんさん、誰や」
神気に圧倒され声の出ない盃の代わりに、グラニが殺気のこもった声で問う。だが、実際のところは指先だって動かせなかった。
蛇に睨まれた蛙。そんな言葉が脳裏を掠めた。
「誰、か。誰、誰、誰……ククッ、我は誰なのだろうな。まぁ、強いて言うのであれば、この体の主の名、垣見屋 五十鈴、としておこう」
「カキミヤ、イスズ?」
相手の正体は分からない。が、盃には垣見屋という姓に聞き覚えがあった。
「垣見屋 五十鈴。完全平和主義者の夢三月の分家、垣見屋の、一人息子かっ!」
「そういえば、そんな事をほざいていたな。遂に完成された、だのとも言っていたが……我が憑いた時点で失敗だな。こいつも長くはあるまい。誠に残念だが、我の生贄となってしまった。その娘も、残念だ。間違って我を呼んでしまったせいで、無残に死んでしまった。誠に残念だ、残念だ」
だが、盃には、そして勿論グラニには、その『残念』という言葉に感情がこもっていないように思えた。
建前上の『残念』。心の底では、一切残念がっていない、『残念』。その意味が、ゾワリと二人の背をなぞるように這っていった。
「ふむ、そうだ。貴様ら、我を殺してみろ。そうすれば、少なくとも
「……期限は?」
「期限?」
「期限のない依頼は受けない主義なんです」
「ほう、それは面白い……なら、三日。貴様、この事件を終わらせたいのだろう? なら、その期限、三日以内に殺してみせよ」
「分かりました」
返事をした瞬間、青年の姿が消える。
驚く盃の傍ら、グラニは深く深く息を吐いた。
「……あんさん、アカンわ。あれ、地霊やん。神様やん」
「へぇ。じゃ、頑張って」
「はぁ!? なんで僕が……」
「だって、どう考えても最後の手段使うしかないじゃないですか。無理ですって、あたし」
そう言って部屋を出ていく盃の背を見て、グラニは今度はちゃんとため息を吐いた。
・
疲れ切った体は、休めたところで大して休まらなかった。
あれから二人は、街を周り、ハッキングをして、垣見屋 五十鈴の所在を調べたが、殆どと言って良い程成果はなかった。
パソコンの前に座り、盃は舌を鳴らす。そして、ツラツラと考えを吐き出した。
「このご時世で、なぜコンビニのカメラにも何にも写らないのか。逆に言えば、カメラのないところに垣見屋はいる事になる。ここで、垣見屋の十八番、つまり、降霊術に関係する場所をこの近辺で探っている。と、一つだけ。かつては栄えていたらしい廃病院がある。解体工事が諸事情によって進まず、五年程放置されているところだ。周囲に住民は少ない為、目撃情報がなくてもおかしくない。そして、近くに防犯カメラはない。さいっこうに良い場所を選んだね」
「……や、休んだ方が良えんちゃう?」
「休んだら死ぬ。ので、ついでに地霊だかなんだかの方も軽く調べてみた。情報が少ないけれど、アステカ、縞模様、生贄、それと降霊術の失敗等々エトセトラ。出てきた結果とその他の情報を擦り合わせ、最終的に結論として出たのは、アステカ神話のテスカトリポカ。おそらく、呼ぼうとしたのはその
「休もう!? サカズキ、休んだ方が良えと思うで!? 後は僕がしとくから!」
「言質とったぁあああ!! じゃ、よろしく頼みますね!」
椅子から転げ落ち、這うようにベッドに向かい、数分後には寝息を出す。
呆れたようにため息を吐いて、グラニはカレンダーを見た。
一昨日に戦線布告を受け、昨日は一日街を回って。期限は今日の二十三時五十九分。今は、夕方の五時。
「……まぁ、僕も伊達に長い事生きとりませんわ」
ニィと口角を吊り上げ、グラニは部屋を出た。
八時。
夜の街をアカイロが走る。
屋根を蹴り、塀を走り、月を背景にそれは踊っていた。
まだ夜はこれからだというのに、町外れは静けさを帯びている。そして、例の廃病院は、尚更静かだった。
フェンスを飛び越え、正面玄関から足を踏み入れる。途端、声が降ってきた。
「遅いな。遅すぎて、殺してしまうところだった」
「殺しとるやろ。事件、テレビでやっとったよ」
階段を登る時も声は降っていた。
「貴様は、我が何か分かったか?」
「テスカトリポカだかってサカズキは言っとるよ。でも、あんさんはその一部やろ? 完全な神様じゃあない。なら、殺せるわ」
「そこまで分かっているのか。愚かしい」
「好きに言い。僕は悪魔に好かれとるから、絶対に死なんわ」
「だが、我は欠片と言えどもその上だぞ?」
「それでもや。僕は死なん。絶対に、ここで死んでたまるもんか」
最後の一段を蹴り、グラニは緋眼を大きく開いた。
「好いとる奴に殺してもらう約束しとるし、あんさんはそいつちゃうもん」
右足が床に着いた瞬間、跳ねる。
コートの裾を翻して現れたのは、身長程もある大剣だった。包丁を思わせる無骨なそれは、月影に鈍く輝いていた。
振り下ろされ、床に亀裂が生まれる。ギリギリで回避した青年は、楽しげに笑みを浮かべた。
「良い、良い、良い! 物騒で、良い!」
横薙ぎを跳んで躱す。
「だが、大振りでは当たらんぞ」
「当たる」
踏み込んで、振る。
流派も、型もない、まるで鈍器の使い方。降って、叩いて、壊すのみ。
幾度目かの攻撃を避け、青年は笑顔で言う。
「単調だ」
「勝手に言い」
「つまらない」
「あんさんが本気やないからなぁ」
「なら、」
グラニの間合いに潜り込み、距離を詰め、青年は無表情で言葉を吐いた。
「死ね」
右手に握られていた黒曜石が、心臓を的確に刺す。
まさに絶体絶命。だが、グラニは笑っていた。
「刺すんなら杭にすべきやったね」
大剣が縦に振られる。
#####
朝の十時。喫茶店で少年は舌を鳴らした。
「フツーさ、マジでギリギリにしないよな?」
「知りませんって、てめぇの事情なんて」
「知れ。いや、つか、オレの事情云々じゃなくてさ、常識的にさ」
「どこの常識ですか、それ……あーもう、ほら、クリームソーダ奢りますから」
「ならオレの心労を代われ!」
机に伏せ、少年はため息を漏らす。
「……もしかして、中間管理職ってやつじゃねぇの、オレ」
「そう泣きなさんな、若いの。ほら、ここに砂糖が」
「あんたがいれなかったやつじゃねぇか。おい、待て、なにし、」
「いや、メロンソーダに砂糖を」
「馬鹿なのか、お前」
「せっかく自分を守ってくれる兄から逃げる程度には馬鹿ですよ」
自嘲の笑みをつくり、盃は珈琲に写った自分を見る。
しばらくの沈黙。
少年は昨夜、もとい今朝ファックスで送られた資料をカバンにしまうと、舌を鳴らした。
「とりあえず、完璧百点満点ってあの人は言ってたから、仕事の方は良しとして。蔦葛の兄貴から伝言」
「聞きたくないです」
「聞け…………暇になったら戻って来なさい。来る時は先に連絡してください。準備しますので。以上。じゃ、帰るわ」
席を立ち、少年は去っていく。
こうして、二〇××年、S市にて起きた連続殺人事件は、裏では物語的な終わりを迎えたのだった。
表では、少年とその主人の手により、ただの一風変わった自殺事件として終わらされたが、これはまた別の話。
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