とばかり匂う その花盛り


「で、一日中そのカイロを握ってるわけだ」


 昼休みの教室。奏子そうこと二人で昼ご飯を食べる、いつもと変わらない時間。少し違うのは、窓の外が真っ白に染まっていることと、私の手元にカイロがあること。


 寒さに強い私が防寒具を使うのは、我ながら珍しいことだと思う。そして、高校三年間のほぼ毎日を私と一緒に過ごした奏子が、私がカイロを持っているという違和感に気づかないわけもなく。


「何があったの?」と聞かれた私は今朝の出来事を素直に白状したのだった。


「結衣がカイロ持ってるだなんて、珍しいも珍しいなって思ったんだ。でもまぁ好きな人にもらったものなら大事にするよねー」

「ちょ、声大きいって!」

「大丈夫、誰も聞いてないよ」


 メロンパンの袋を破りながら、奏子はからからと笑った。甘い香りが辺りに漂う。周りを見渡せば、確かにみんな自分たちの会話に夢中で、私は小さく息を吐いた。


 私がホッとしているのが伝わったのか、奏子がいちごみるくの紙パックにストローを突き刺しながら肩をすくめる。私は卵焼きを口に放り込んだ。砂糖と塩を間違えたのかと思うほど、今日の卵焼きは甘い。顔をしかめていると、奏子はまた笑ってから切り出した。


「結衣ってほんとにあいつのこと好きだよね。告らないの?」

「......告らないよ」

「なんで? お似合いだと思うんだけどなぁ。ていうか、年明けたら告るチャンスなんてほとんどなくなるよ? いいの、それで?」

「わかってるよ」


 奏子の言うことも頭ではわかっているのだ。でも私たちは受験生であり、色恋沙汰にうつつを抜かしている場合ではない。そう、自分を納得させている。いつもは鬱陶しい “受験生” という立場も、この時ばかりはありがたいみのになってくれるのだ。


 私は、国見に告白するつもりはない。この胸にある感情は墓場まで持っていくつもりだ。

 ......いや、そもそも。


「ねぇ。結衣が今何考えてるか、当ててあげようか」

「え?」


 悶々と考え込もうとしていた私は、いたずらっ子のような声色に顔を上げた。案の定、奏子はニヤニヤしながら私を見ている。なんだか嫌な予感がする。当てなくていい、と言おうとしたのに、彼女は口元に笑みを浮かべたまま口を開いた。


「私なんかに告られても迷惑だろうな。私なんかじゃあいつには釣り合わないよな。あとは、そうだな」


 奏子が意味ありげに言葉を切る。次の瞬間、互いの息が掛かるほどの近さまで彼女の顔が近づいてきた。私が仰け反る間も無く、薄い唇から音が紡がれる。




「この気持ちに “好き” って名前をつけて良かったの?」




 何もかもを見透かされている気分だ。


 いつものおちゃらけた雰囲気からは想像もつかないような、鋭い視線が私を射抜く。潜められた声が私の鼓膜を震わせる。寄せられた眉と、微かに歪む唇。至近距離にあるそれは、私が初めて見る表情だった。


 息を詰まらせた私を見て、奏子はパッと表情を戻した。彼女はそのまま姿勢も戻して、何事もなかったかのようにメロンパンを頬張った。私は呆然とそれを見つめるだけ。


「結衣ってば、一度ネガティブ思考になったらとことん思い詰めちゃうんだから。ね、今の当たってた?」

「ま、まぁ......」

「やっぱり。私、結衣のことについては大体わかってるつもりなんだ」


 もぐもぐとメロンパンを頬張りながら、奏子は得意げな顔をした。


「あのね、“好き” の形に正解なんてないんだよ。結衣がその気持ちに “好き” って名前をつけたなら、それが結衣の “好き” なんだ。うん、うまく言えないけど」

「大丈夫、なんとなく伝わってる」

「よかった。だからね、“好き” かどうかより、あいつと何をしたいか、どうなりたいかを考えなよ。きっとその方が早いって。だって、これが最後のチャンスだよ」


 何をしたいか、どうなりたいか。


 脳裏に国見の顔が浮かぶ。もっと話したい、自分しか知らない表情が見たい、手を繋ぎたい、二人でお出かけしたい、自分だけを見ていてほしい。

 欲望と呼ぶべきであろう物事ばかりがが胸に渦巻いて、私は息を呑んだ。こんなこと、ちゃんと考えたこともなかったけど、心の奥深くでは思っていたらしい。


 なるほどこれが、と感心していたら、目の前でひらひらと舞うものがあった。一瞬、脳裏に浮かぶあいつの顔が鮮明になるも、耳に飛び込んできたのは彼の声ではなく。


「結衣ー? 大丈夫? 早く食べないと時間なくなっちゃうよ」

「あ、うん」


 言われて、私は慌てて箸を持ち直した。ほとんど食べ終わってる奏子とは対照的に、私のお弁当箱の中身はあまり減っていない。このままだと次の授業に間に合わなくなってしまう。


 早く食べなくては、と思ってはいても、奏子に言われたことについて考えてしまって、なかなか箸が進まない。

 彼女がいう通り、私は自分の気持ちに自信がない。これが世間一般でいう “好き” なのかどうか、わからない。でも、国見としたいことは頭に浮かぶし、それは他の人には当てはまらないものばかりで。


 私の特別を、彼にあげたい。

 私自身も、彼の特別になりたい。


 ふと考えたことを反芻して、思わず笑いが漏れた。


 これじゃあまるで恋愛漫画の主人公だ。昔読んだ漫画に、今の私と同じことを考えた主人公が “好き” を自覚する描写があったことを思い出す。順番こそ違えど、たどり着いた答えは同じなのかもしれない。

 陳腐でありきたりで平凡な表現しか思い浮かばないけど、きっとこれが、私の求めていた答えなんだ。


「好き」


 小さな声で、隣の奏子にも聞こえないような声で、呟いてみる。

 ストンと、胸のつっかえが落ちる音がした。


 私よりも一足先に食べ終わった奏子が、カバンの中を探り始める。「手を出して」と言われて素直に従うと、コンビニでよく見る赤い包みのチョコ菓子が乗せられた。


「これあげる」

「ありがとう」

「あ、結衣が食べる分じゃないからね。今日、あいつと同じ塾に行く日でしょ? 今朝のお礼って言って渡したらいいよ」

「え」

「じゃ、先に移動教室行っとくね」


 空になった袋と紙パックを持って、奏子はさっさと行ってしまった。取り残された私は、手元に残されたチョコ菓子を見下ろす。


 国見と一緒に帰りたい。お礼が言いたい。このチョコを渡したい。


 思考が彼のことで埋め尽くされる。顔に熱が集まるのがわかった。にやけそうになる頬を精一杯引き締め、食べ終わったお弁当を片付ける。


 ようやく、何ヶ月もかかって、私は自分の答えに納得できたらしい。

 表現し難い幸福感。彼のことを考えるときだけ感じられるこの幸せを、私は “好き” と名付けよう。


 私は次の授業で使う教材を手早くまとめ、教室を飛び出した。奏子にお礼を言わなければ。きっと今の私の顔を見たら、彼女も気づくだろう。いや、もうとっくに分かっているかもしれない。なんたって、彼女は、私の一番の理解者なのだ。




 いつのまにか、窓の外の雪はんでいた。




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