第三十八話 神勅
夜の牢は昼間よりも一層陰気な場所だった。
気候は昨日とそれほど変わらないはずなのに、空気の淀みが感じられる。潔癖の康政は、こんな所によく十日もいながら、正気を保っていられるものだと思った。その上報告によると十兵衛は三日に一度は食事をとらないらしい。過去のひもじさ、民の飢えを忘れたくないからという理由ということだったが、なんとも禁欲的な男である。
康政の来訪を感じ取り、十兵衛は閉じていた目を開く。十兵衛の眼差しは一向に拉がれる様子はなかった。まるで修行僧のように、目的を持って辛苦を受けているようにも感じられた。
「十兵衛殿、昨日はいらぬ問答になってしまったが、時間が無い。そなたは綾姫救出のために我らに手を貸してはもらえぬだろうか」
「綾姫・・・あの者を岡豊城から助けると。一体一条になんの得があって」
「まあ、我らが当主のたっての願いだ。私も出来れば助けたい」
「ですがこの時期に長宗我部の家中の事に干渉するのは、いくら一条といえども得策ではありますまい。一条が我らと手を組まぬと言うのなら、長宗我部と一条はこれからり四国統一において敵対する事になりまする。しかも今、あの城にはあの女がいるのですよ。侵入する事さえ至難の業でしょう」
「だからこそそなたの力を借りたいのだ。そなたであれば、岡豊城に正面から入る事も可能だろう」
十兵衛は再び目を閉じた。
「出来ませぬ。それは私の主に対しての裏切りになります。長宗我部の家中の問題に関わる事自体も禁忌だというのに、、あの女と対立するような事は主から何より禁じられていることです。まして、あの貞親殿は予言の若子ではないかという見方もあるのですよ。後で問題になるようなことは避けたい」
やはり結局は、近衛の計画と妲己とを離間させなければ、だめなのかと康政は思った。すると当然、まずは十兵衛の説得になり結局は昨日の問答の繰り返しになる。
「そなたはあの者がいうことに納得出来るのか。なるほど、この数百年人の世は争いがあり、混沌だった。悪が溢れていた。だが、それと人の本性がどうであるかは別ではないか。人が悪だというあの者を本当に信じる事が出来るのか。あの者はこの国を滅ぼすことが出来ないと言っていたが、それは本当なのか」
すると十兵衛はにやりと笑った。
「確かに、彼女は国に悪が蔓延った時に、その国を滅ぼすと言われています。しかしこの国においては、それは出来ません。決して出来ないのです。この国は帝の一族の統治によってのみ、成り立つ。そして誰もこの国の帝に手を出す事は絶対に出来ない。あなたも歴史をご存知でしょう。皇の一族に仇成そうとした者は、ことごとく破滅している。これにはちゃんと理由があります」
「それは」
「康政殿は天壌無窮の神勅をご存知ですか」
康政は激しくなる鼓動を必死に抑えながら、その言葉を思い出した。天壌無窮の神勅とは、六国史第一の日本書紀に記述がある言葉である。
すなわちこの地は、天孫である皇の一族の統治によって栄えるという神の言葉である。しかしすぐそれはただの伝説ではないかと康政は思った。そもそも日本書紀という書物の内容は荒唐無稽な箇所が多すぎる。あれを真に正しい歴史書とするのには無理があると言わざるを得ない。
「これは伝説ではありません。詳しい経緯は私にも分かりませんが、太古のこの国で、神との契約があったのは事実です。この国の土台はそこにあります。だからこそ、平家も源氏も北条も、足利も、武力では朝廷を圧倒していたにもかかわらず決して帝に取って代わろうとした者、代われた者はいなかった。大陸では簒奪など幾度となく繰り返されているというのに。これは今を生きる私たちから見ても、異様なことだとは思いませんか。それは今もその契約という呪が、この国で存在しているからなのです」
「いやしかし・・・・そんな事があり得るのか」
額に汗を光らせ、戸惑う康政を前に十兵衛は大きく笑った。
「あなたも術の心得があるというのに、何を仰るのか。きっとあなただって、呪詛や式神を扱えるのではありませんか。あるいは、自分が使えなくても扱える者を配下に置いているはずだ。この世にはそういった神秘が確かにある。そもそもこの国において、まじないや霊的なものは実体を持って、政とも密接な関係があったではないですか。京の都のからくりは言うに及ばず、かつては呪や怨霊という理由で都が行く度も変わった時代もありました。その性格は、太古に向かうほど強くなります。ならばその太古に、今よりも遙かなる規模の、根本の呪があっても何らおかしい話ではないでしょう」
しばらく考えて、康政は納得した。この中村の四神の仕掛け、そして太古の時代を生きた御方を知っている以上、十兵衛の言い分は筋が通ると思ったのだ。この世には大きな理があると御方は言った。
ならばその理の元に契約や呪が交わされていても不思議な事ではない。
ましてここは鬼国、都よりも荒々しい天地の神秘の感覚は色濃く残っているのだ。
「その呪があるから、あの者は我が国を滅ぼすことが出来ないというのか」
「彼女は善意から、それを残念がっていましたからね」
「しかしそこまで分かっているのなら、あの女はその呪を破る事を画策するのではないか」
その言葉に十兵衛は自信たっぷりに答えた。
「それは絶対に出来ませんよ。神との契約は絶対不可侵です。どのような神も鬼神も手を出す事が出来ない。歴代の権力者たちが試みなかったわけがないではありませんか。・・・いえ、実は一つだけ方法があったのです。それはその呪の完成が、三つの神器によって成されるとところにあります。すなわち、三種の神器の一つ、草薙の剣はその呪を破る事が出来たのです。そもそも三種の神器は帝の即位に絶対に必要なものでした。神器は先ほどから言っている呪の発動に必要なものであると同時に、呪つまり契約を破ることも出来るものだからです。
しかし、良くも悪くも破棄はもうできません。ご存知のように、三種の神器である草薙の剣は壇ノ浦で失われましたからね。
今あるとされているのは、後に製作された代用品なのはあなたもご存知でしょう。思えばそれがきっかけで、あの後帝と朝廷の権威は薄れ武家の世になり次第に戦乱の世になってしまったのかもしれません・・・。
ただとにかく、神器は失われてもこの国の呪はまだ発動しています。そして、その呪が発動している限りこの国は帝の元に永久に斃れることなく、、剣の失われた今、その呪を破ることは絶対に出来ないのです」
十兵衛はさも愉快に続けた。
「そう考えると面白いでしょう。何しろそのことは、あの者にもよく分かっているのです。国を、王朝を斃そうとあちこち駆け回っているのに、目に見えぬ力が妨害する。そして彼女はようやくこの国に張り巡らされた壮大な仕掛けに気がついたのです。
だからあの女はこの数百年、必死に失われた剣を探していたそうですよ。彼女にしてみれば、その剣こそ見つければ現在の朝廷を守る呪を破って、国を根本から滅ぼすことが出来るのですからね」
「・・・・」
「けれど、結局見つからなかったようです。そこで彼女は目的を変えたというわけですよ。ですから、彼女は国を滅ぼす、滅びによって人を救済すると言うことはできません。少しはあなたの考えも変わりましたか・・・・おや、どうしました顔色が悪いですよ」
十兵衛は急に顔色の悪くなった康政を、純粋に心配した。それも無理もない。
康政は不自然に首を左右に振って、会話を続ける。
「は、話を整理しよう。つまり、この国には契約による呪があり、その呪によって何人も帝からその地位を奪うことは出来ないというのだな。となれば、星読の若子は結局帝に取って代わるということは出来ないわけだ。政権のみを担う、つまりは若子によって新たに幕府が開かれる可能性が高い。そうか、ではそなたたちは革命を考えてはいないのか」
「これは私個人の考えですが、本当ならば腐った朝廷を一掃するためにも出来るものならそうしたいと気持ちはあります。以前、敵対していると言った勢力というのも、結局は武家台頭以前の帝と朝廷の権威や利権を取り戻したいという下らない欲望からなのですからね。しかし例の呪があるかぎり、簒奪に当たる事は決して出来ません」
「それでは第一の若子、破壊の若子は納得するだろうか。これは以前にも聞いた事だ。そなたたちの思惑と、若子と意見を異にしたら、どうする」
「その時は私が若子の命を奪います」
康政はこの雅な香りのする男が、これほど冷酷な目をすると思わなかった。まるで真冬の氷のように冷たく、仁王のように激しい眼差しである。
「それが、私の覚悟です。あの時はそこまであなたに語って良いか判断に迷いましたが、妲己が姿を現し、この国と神器の秘密を語った後でならはっきり言えます。もし破壊の若子が、いや若子たちが誤った道を進みそうになった時には、この私が殺します」
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