第三十七話 牢の中

  康政は次の日も十兵衛の待つ牢へと足を運んだ。

  綾姫の救出計画は着々と進んでいる。正面からでは本当の戦になってしまうため、実際に人を選ぶとすれば少数精鋭の忍か雇った者が相応しいだろう。

 本当であれば、今長宗我部にちょっかいを出すのは得策ではないが、兼定が懇願するのだから答えないわけにはいかなかった。しかし、これは危険性の高い計画である。なにしろ今の長宗我部には近衛から人材が補強されているばかりか、あの妲己までいるのだ。あの者の力を考えれば、綾姫を救出するどころか城に侵入すること自体至難の業である。

 そうなれば当然助けが必要になってくる。

 そこで康政は十兵衛に目星をつけていた。彼ならば、妲己とはいわば盟友、岡豊城に正面から入る事も可能だろう。 昨日、康政は計画の根底にある想いの違和感を十兵衛に訴えたが、結局は十兵衛との話に決着はつかなかった。彼は今の世の乱れ様を訴え、その為には利害の一致する彼女とも手を組む事の必要性と正当性を訴えてきた。相手はもちろん、十兵衛という男も人は悪であると言うこと受け入れている。その上での計画である。つまりは毒をもって毒を制す、あるいは邪を禁ずるに邪を以てす、ということなのだ。

 その回答は簡単である。毒をもって制すならば、邪をもって禁ずるならば、用いる毒と邪は完全に制御出来るものではなければならない。そうでなければ、たとえ毒を制しても邪を禁じても残った毒と邪はいずれ用いた者の命と魂を浸食する。毒と邪で作られた饅頭は、いくら形を整えてもやはり喰らう者は命を失うのではないだろうか。

  すると近衛と妲己が計画したとされる計画は、いよいよ怪しくなってくる。天下太平と誰もが口にすることは容易いが、具体的に思い浮かべる様子はその人物の思考によって大きく変わってくるのだ。しかし彼から責めるように問われたあの問いを自分は返せない。自領の事だけではなく天下の事に目を向けた時、戦乱の世を終わらせる事は考えているのか、その代案があるのか。

 答えははっきりしている。

 自分は、この一条とこの地の繁栄だけを考えている。土佐六雄や伊予方面に対する対外政策も、外つ国との貿易も全てそのためであり、それこそが一条に生まれた自分の役目である。けれども近衛と十兵衛は、そこからさらに天下万民の事を考えている。ならば、彼らのする事は。

 初夏の夜風が苛立つ康政に吹きつける。前髪が乱れるのを抑えながら、康政は天を仰いだ。そこには南国の星空がある。

 微かに流れていく雲を見つめながら、康政は改めて十兵衛という男の事を考えた。

 美濃の生まれで、近衛に拾われたという事だから美濃から京に流れ着いたという事になる。彼が出自をはっきりと語った事はないし、田畑を耕していたような事を仄めかしていているが、整った眉目や立ち居振る舞い、醸し出される品からして、元々は間違いなく地位のあった武家の子息に違いない。今の時代、名門が没落するというのは良くある話である。

 恐らく家中で何かがあって追放されたのだろう。美濃から近衛に拾われるまでの間に、彼の中で揺るがない信念のようなものが構築されたのは間違いない。この戦乱の、荒涼とした大地を旅した果てに、男が辿り着いたものとは一体何なのだろう。

 それは時期で言えば自分が表舞台に立った頃だろうか、と康政はふと思った。それまでの自分は、一条の屋敷の奥に隠れるようにして存在して生きてきた。当主である異母兄の一条房基が、母の出自が怪しい自分を冷遇したためである。彼の突然の死によって、自分は一条の表舞台に出る事になった。死因は自殺という事になっている。

  房基は当主としても武士としても、極めて優秀な男だった。土佐七雄の均衡を破って謀反を起こした津野家を僅か四年で降伏させるのと平行して、土佐高岡郡を支配していた大平氏の本拠地である蓮池城も奪い取り、さらには伊予南部へも進出を図るなど、彼の代に一条の勢力は大きく拡大したのは間違いない。


 しかし房基は鬼のように気性の激しい男でもあった。眉目秀麗ながらも極めて粗野で、これが一条の当主にどうして生まれたのか周りも不思議がり恐れた。そういう意味では、長宗我部の国親が養育を受けた祖父一条房家よりも、この房基の方が武士らしく気が合ったかも知れない。

 それでも房基は度が過ぎていた。たとえ優秀な家臣や女であっても、彼の勘に障ればその場で斬り殺される事も珍しくなかった。

 いつも血の臭いの絶えない男だと家臣達からは疎まれ、心底恐れられていた。そもそもそれまで忠誠を誓っていた津野が謀反を起こしたのも、房基のやり方に不満を抱いたからでもあるのだ。

 ある時など、女が指先を熱した鍋に触れてしまって、すかさず手を引っ込めたところを房基は目撃した。この時房基は、熱さを堪える女の表情がなんとも色気があると興奮した。そこで今度は女に熱した鍋を素手で持てと言い出した。当然女は大やけどをするのだが、元房はその表情がたまらないと喜んだ。それが加熱していき、女は死んでしまった。

 その時房基は悪びれることなく、ただあくびをしただけだったという。

 そんな彼の評判を京の一条宗家が好ましく思うはず無い。ある時、宗家は一条の奥で静かに暮らす自分に目をつけ、接触してきた。


 (表舞台に立ち、房基の代わりに土佐一条の一切を差配する気はないか)


 当時、屋敷の奥で精神的にも追い詰められた生活をしていた自分は、その誘いに乗った。決心した時、一条の重臣たちは皆自分の味方だった。

  あの時の自分は、一線を越えてしまったのだと康政は今でも思っている。後悔はしていない。しかし結果的に兼定にあのような格好を強制してしまっているのは、男子のいなかった房基の急死が原因である。その罪悪感を晴らすように、自らは土佐一条の当主には就かず、一条に全身全霊で尽くしてきたのだ。そう、この一条のためだけに。

 康政は天から視線を元に戻すと、薄暗い牢の中に入っていった。

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