第十八話 夜

 夜が更け、昼間あれほど賑やかだった城が静まりかえっていた。

勝隆は床でまだ寝付けずにいた。湯浴みの時、弥吉がいった言葉が心に響いていたのである。

 

 彼は『自分の真ん中は貞親』だと言った。だからそれを中心にして物事を考えると。

なるほどというよりも、感銘を受けた。つまり弥吉は、自分の大切なものが何であるかをちゃんと分かっていて、それが大事なのだと知っている。白が言ったように、状況というものはその場その場で大きく変わってしまう。けれどどれほど状況が変わろうと、自分にとって何が大切なのか、何が真ん中なのかが分かっていれば、自分を見失うことはないのだ。


(俺の真ん中は何なんだ)


 そこまで考えて、勝隆は『その場所』には今まで『平家再興』があったのだと気が付いた。三郎がどうしてあれほどまでに狼狽えていたかが分かったような気がする。自分の真ん中を失った時、取り上げられた時、人は冷静でいられまい。弥吉とて貞親がこの世からいなくなれば、同じような取り乱し方をするかも知れない。三郎は自分より、敏感だっただけなのだ。


 けれども、と勝隆は思った。考えてみれば、平家再興という『真ん中』はそもそも自分で見つけたものではない。それが一番大切なのだと、生まれた時から教え込まれていただけだ。

 

 自分はまだ、己の真ん中を自ら選び取っていないのだということに、勝隆はようやく気が付いた。 


 そうなのだ。白が言ったように、真の真ん中は、自分でなければ見つけることも決めることも出来ない。 


 (俺が決める。俺が、見つける)


 胸のつかえがおりたところで、自然と瞼が上がった

突然尿意を感じたのだ。仕方がないので勝隆は床から抜け出すと、立ち上がって教えられた厠まで歩いて行った。 

  辺りは全くの暗闇だった。昼間立派だと思った庭も、今ではただの闇である。空を見上げて、ああ、月が無いのだと勝隆は気づいた。


今夜は新月だった。


勝隆はもう既に目が慣れていたので不自由はしなかったが、それでも昼間との落差に戸惑いを覚えた。城の一日とは、どうもこういうものであるらしい。あれほど喧騒が聞こえていた城内はすっかり大人しくなっており、勝隆も自然と音を立てないように歩いてしまっていた。厠で用を済ましてまた音を立てずに廊下歩いていると、灯りの漏れる部屋からふと話し声が聞こえてきた。


(誰だろう)


勝隆は感心されることではないと思いつつ、そろりを近づいて耳をそば立てた。どうも呂律が怪しい話し声だった。しばらくすると、濃い酒の匂いが勝隆の場所まで匂ってきた。

「全く、都の官人というのはああも固いものなのか・・・ヒック。せっかく地酒を用意したというのに。これでは肩すかしだ」


「いやいやそうではあるまい、親政殿。十兵衛殿は、役人ではありません。公家に仕える家人ですよ・・・ヒック」


何人いるか分からないが、一人だけ聞いたような声があった。どうやら、昼間あった久武親信という男も混ざっているようである。


「ヒック・・・そうそう、官位は持っていないはず」


「それにしては随分と、尊大な態度のようだが」


どうやら一部の家臣が自分たちで勝手に酒盛りをしているようだった。十兵衛に宴を断られたものだから、どうにも不満な様子なのが声だけでも十分に伝わってくる。

親信が長宗我部家中の中でも、重臣と言って良い地位であることを考えると、他の者も同等の者たちだろう。


「それはあなた、仕方ありませんよ。なんと言っても、あの名門の、懐刀とおっしゃられる御方ですから」


「納得行かぬ。一体どういう了見で殿に会いに来たのか」


「確かに、我々にも内密というのはいささか腑に落ちませんな・・・。何かあることだけは確かなのに。ヒック、良い酒ですな、これは」

「そもそも我が城は、客人にうろうろされては困る家中の事情があろう。なに、いつもと同じ酒じゃぞ」

「うろうろ・・・ああ、あの若武者と美しい女人のことですな。貞親様は気に入っておられたようですが」


その言葉に、酔いの回っていない風な、親政という男が自嘲気味に尋ねた。


「ふん、貞親・・・様か」

「そう、貞親様ですぞ。あの方とて殿の子、まして長子でござりまするぞ」

「では何か。久武殿、お主は貞親派か。あの者がこの長宗我部を継ぐに相応しいと思うてか」


「い、いや、儂も跡目は元親殿こそ相応しいと思っている。皆と同じ儂は元親派だ」


 そうだろうと親政は頷いた。


「しかし、貞親様のご器量も認めなくてはいけますまい。この孤立した家中にあって、身分の上下を問わず若者を登用し、直属の兵を育てていると聞きます。えーと、なんでしたかな・・・そう、酢漿草衆という。なかなかの精鋭に育っているとか。あれはいずれお家の役に立ちまする。儂は元親派なれど、貞親様のその才能は認めて、お家のために役立てるべきと存ずる」


「だまらっしゃい。お主も儂も、一度は共にこの城追われ、辛酸をなめてきた同輩ではないか。あの屈辱を忘れたか。なに、我らの若君も凛々しく、学問に優れ、最近ますます聡明でいらっしゃる。まことに将来の楽しみな若子じゃ。あの方が跡目を継いで我らがもり立てれば、長宗我部は安泰なのだ。貞親など、本山に送ればよいのだ」


親政が豪快に笑ったが、その後しばらくは誰も口を開かなかった。


「しかしな、元親様はあれでよいのだろうかな」


その静寂の中、ぽつんと呟いたのは、今までずっと黙っていた男だった。しわ枯れた声の様子から、地位はともかく一番の年かさの人物だと思われる。


彼の言葉でその場が張り詰めたようになったのが、勝隆の所まで伝わってくる。今まで気にもならなかった、風で揺れる木々の葉音が強く聞こえるようになってくる。

勝隆はついに我慢できず、壁側の戸の隙間から中を覗き始めた。中ではやはり久武親信と、親政と呼ばれた眉の濃い男、そして最後に口を開いた老けた男たち三人がいた。古い畳の上で、小さな宴会を催している。


すでに空になった器がいくつもあり、酔いは回っているようである。しかし彼らの小さな宴は、先ほど年かさの男が口を開いてから、表情がいじけたように暗くなり、急速に勢いを失っていた。


「仕方ありますまい・・・今は乱世、武家の習いのようなもの。理じゃ。そうでなければこの城はどうなる」


「武家の理よりも、もっと大きな理というのがあろう。儂は、あの方がお労しい。あの方は優しい気性であらっしゃる。もしあの方が姫子であれば・・・」


その時、廊下の向こうから誰かが足早に近づいてくるのが分かった。

勝隆は咄嗟に縁の下に隠れる。


「各々方。一大事でござる」


新たに入室してきた男の一言で、一同の声は小さくなった。


「何!この夜中に至急とな」


「その通り、なんでも・・・」


一同は少しの間ざわついたが、すぐに酔いを追い払い、いつもの平静を取り戻して立ち上がった。そして男が来た時よりもさらに足早に、いそいそ部屋を出ていった。

男達が全員立ち去ったのを確認して、勝隆は廊下に上がった。皮膚に無数の砂の感覚がある。もはや土と蜘蛛の巣で汚れてしまい、せっかくの湯浴みが台無しだった。


(城に何か起こったのだろうか)


そういえば、先ほどよりも城の中がざわざわしてきた。勝隆は得体の知れない不安を感じて、自分の部屋に急いだ。眠るのではなく、自分の服に着替えておきたいと思ったからである。何かが始まるような予感がするのだ。


 勝隆が部屋のある角を曲がろうとしたその時、自分の部屋から、何者かが出てくるのを発見した。勝隆はさっと角に身を隠して、その人物を確認した。

(弥吉!)

 それは間違いなく弥吉だった。似合わないおどおどとした表情で、周囲に人がいないか確認している。

そして腕には包みがあった。

(剣を!)


 勝隆は声が出そうになるのを必死に堪え、弥吉の動向を見つめ続けた。体は震えているものの、目つきだけは気丈なもので、睨むように注意深く周りを見ている。そして誰もいないと信じた弥吉は、廊を通らず庭におりて、そのまま走り去ってしまった。

 勝隆は慌てるなと自分に言い聞かせた。弥吉の向かった方向に気が付いたのである。彼の方向にあるのは、親貞の館だった。

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