第十九話 異変

 「これは一体どういう事だ!」


 庭の松の木に隠れていた弥吉は、福留親政の激しい叫びにびくりとした。一体何が起きたのか、彼には何も分からなかった。弥吉は懐の包みをぎゅっと抱きしめた。


自分はただ、貞親に従っただけである。何も聞かず、ただ勝隆のあの包みを取ってこいと言われたのだ。いけないことだとは分かっていたが、貞親から下された『密命』という、関係を近しくさせる響きの魅力には勝てなかった。


けれどここにきて、もしかして自分はとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと、弥吉は恐れた。


 館の門前では大勢の兵がものものしい様子で待ち構えている。あれは貞親直属の酢漿草衆で、弥吉のように代々家臣の家柄でない者も大勢いる。いわば先輩たちであり、彼らの多くの顔は弥吉も見知っているが、その顔つきは普段とはまるで違っていた。

誰もが真剣な目顔で、よく見るとその目つきには狂気のような激しささえ宿っているようだった。


「福留、久武、谷、大人しく投降しろ。父上は私に全てを任せると仰った」

数いる兵の先頭にいたのは、紛れもなく貞親だった。福留、久武、谷の三人の館への侵入を、貞親と酢漿草衆が阻止しようとしているのだ。


「お黙りめされい!白々しい茶番を見抜けぬ我らではないわ。殿を拘束し、名代としてこの城の実権を握るつもりであろう!そして、もう一人の若君である元親様を捕らえようと貴様は動いているのだ!」


福留親政は、怒鳴りつけた。他の二名も酒などすっかり抜けた様子であり、彼ら本来の激しい眼差しで貞親を睨みつけている。

しかし貞親はその鋭い眼光をまるで気にしないかのように流し、涼しい顔を崩さなかった。


「何とでも言え。すでに父上母上の身柄も抑えてある。お前たちのいう、貞親派は思ったよりも多くいたというわけだ。だが、私をここまで追い込んだのは、お前たちだと言うことを忘れるな」






「おい」


突然後ろから声をかけられて、弥吉は魂か、髪が全て抜け出るほどに驚いた。思わず声を上げそうになる。しかし回されてきた手が、口をしっかりと塞いできた。


「弥吉、ここで何が起きてるんだ?」


その手と声は、昼間城にやってきた客人の勝隆の手だった。

勝隆は声を潜めて尋ねてきた。状況が状況であったから、弥吉は振り向いて勝隆の顔を確認するとひとまずほっとする。


「勝隆様、なんでここに」


「お前が包みを持ち出すのを見て、ここまで追ってきたんだ。けど、どうやらただ事ではなさそうだな」


勝隆にも何がなにやら分からなかったが、ただ事でないのはどうやら間違いない。館の周りの、松明の明かりの数がそれを物語っている。普段の城の生活は知らないが、これはどう見ても異常の事態に違いなかった。


「勝隆様、ごめんなさい。おいら、この包みを貞親様に持ってくるように言われたんだ」

もしや、貞親がこの包みの中身を知っているのかと勝隆は一気に警戒した。

昼間の、あの爽やかな笑みの中にそのような思惑があったというのか。


 勝隆は弥吉から包みを受け取ると、また包みを背負い、前で結んだ。


「・・・・いや、そんなことより、何が起こったんだ?この兵たちは一体どこに行こうとしているんだ」


「分からない。おいらにも全然分からないんだ。けど、おいらの知っている酢漿草衆はもう少し多い。だから、残りは先にどこかにいってるんだと思う」

弥吉の言葉遣いは、もう既に立場に相応しくないものになっていたが、勝隆は気にしなかった。


二人はとりあえず、貞親と家臣たちの問答をしばらく聞くことにした。




「貞親様、殿はご無事なのでしょうな」


 猛ける福留親政を制止して、すっかり酔いの覚めた久武久武が進み出た。


「無論だ。先ほども言ったが、全てを私に一任すると私に直接仰った」


「では、元親様を捕らえてどうするおつもりか」


「自由を奪うだけだ。危害を加えるつもりはない」

貞親は神妙な面持ちだった。信用出来ると思ったのだろう。それを受けて、久武も納得したように黙り込んだが、激昂している福留が黙っていられるはずがない。


「馬鹿が、嘘に決まっておろう。謀反を起こすような奴なのだぞ。やはり本山の血だわ。我ら長宗我部にとっては仇となりおったわ」


貞親が動くより先に、久武と谷政則が止めた。


「やめぬか。殿を人質に取られているのだぞ」


 同輩の言葉で、福留も自分の主が貞親の手の内にあることを理解すると、急速に勢いを失った。


 三人は同時に思う。これは失策だった。酢漿草衆の動きを伝え聞いた時、自分たちも兵

 を連れてくるべきだったのである。国親を捕らえられているとはいえ、ここで貞親を捕らえることが出来れば立場は対等かそれ以上になるはずだった。

 

 だが長宗我部の主力は城外にあり、城内には重臣たちの館とその護衛兵があるばかりなので、先に自分たちが駆けつけたのだ。自分たちの後にも護衛が数人控えているが、彼らと自分たちだけでこの酢漿草衆と戦い貞親を討つことはまず無理である。


やはり三人で来てしまったのは、油断だった。まさか何の兆候も察知されることなく、まだ年若い貞親が反乱を起こすとは考えていなかったのである。


三人の重臣は、貞親の人望も甘く見ていた。例え相手が誰であっても、家中の者ならば自分たち重臣が揃っていれば、制止できると思っていたのである。しかし、貞親の後に控える酢漿草衆の目は、全く迷いも付け入る隙もない真っ直ぐとしたものだった。これは貞親の兵である。


「これが噂の酢漿草衆か・・・」

福留親政はこの時初めて、このような兵を育て上げることの出来る貞親の才能を認めることが出来た。




勝隆は急転していく事態を目の前に、必死で頭の中を整理した。


 この騒ぎは、どうやら長宗我部の長子貞親の反乱らしい。当主の国親を人質にして、この城と一族を牛耳ろうと言う話である。しかし、何故なのだろう。昼間の印象では、貞親は颯爽とした好青年で、聡明であることは疑いようがない。体つきや所作を見ても、武芸も相当な腕前のはずである。しかも長子であるのだから、よほどの事情がない限り、わざわざ反乱を起こす必要があるとは思えなかった。


 「おいら、なんとなくわかるよ」


 昼間溌剌としていた少年は、影を帯びた横顔でぽつりと言った。


「どういう事だ」


 「貞親様と元親様は、母君が違うんだ。貞親様の亡くなった母君は本山の姫で、この長宗我部の仇の血を引いている。その事で貞親様は、この城でずっと肩身の狭い思いをしていたんだ・・・。ここの人はみんなあからさまだから、おいら、いつも見ていてつらかった。けど、貞親様は言っていたよ。いつか、実力で長宗我部を継いでみせるって。その時、力を貸して欲しいって・・・それなのにどうしてこんな事」


 その時である。目の前の問答が治まり、一軍が勇んで駆けだした時、城内に凄まじい爆発音が鳴り響いた。


 勝隆が振り向くと、闇夜に揺れる炎と煙が後方に見えた。


 「城に火が!」

 

 さすがの酢漿草衆もにわかに騒ぎ始めた。


 「騒ぐな!何者かが私たちを攪乱するために城に火をつけたのだ。一番から三番は火の元に行って消火に当たらせろ。城内で寝ている者たちも叩き起こせ。このどさくさで元親を逃がしてならぬ。奴の元には私の隊が行く」


 「はっ」


 貞親は手早く的確な指示を出した。城内に炎が上がると言えば一大事であるはずなのに、それでも元親を捕らえる意志には少しの揺らぎも無い様子である。貞親たちは兵を引き連れ、砂埃を上げて駆けていった。それに勝隆たちも引き続く。貞親たちが元親いるらしい屋の前に着くと、その場所はすでに先に来ていた兵が取り囲んでいた。

 「中にいるのか」


「そのはずです。逃げ出すところは確認していません」


「生け捕りにしろ。あの者はあいつに引き渡さねばならない」


貞親のその言葉を聞くと、勝隆がハッとするより先に弥吉が飛び出して行った。勝隆もそれを追って駆け出す。


「なんで、なんでなんだよ。貞親様。こんなどうしてこんな事」

弥吉の出現に、貞親はいささか驚いた様子だった。


「そうか、来てしまったか。お前には見せたくなった。それ故に適当に仕事を頼んだのだが。弥吉、仕方ない。これも天命というやつなのかもしれない。ここは危険だから、私の館の方に非難していなさい」


 弥吉が涙ぐみ、己の心体を、本当に彼の元に預けて良いのか戸惑う中、次に対峙したのは勝隆だった。


 改めて貞親の顔を見る。状況を考えれば、殺気を放つ猛禽の顔でもしているのが相応しいというのに、彼の表情は真剣ではあるものの、熱気を纏ったものではなかった。


「貞親殿」


「勝隆殿。この騒ぎに驚いてここまで?」


「これは一体何事ですか」


 勝隆は元親の目を真っ直ぐ見て問いかけた。


「見ての通りだ。私は、父上から全ての権限を任された。その故、この城を治めるためになさねばならぬ仕事をしている」


「お父上から正当に跡目を任されたのならば、このようなことをする必要は」


「必要はある。長宗我部家家中の事情というものがあるのだ。その為に必要なことは、しなければならない。例えそれで、血が流れたとしても」

勝隆は貞親の中の、覚悟を決めた心情を悟った。それはまるで研ぎ澄まされた刀である。この冷静さこそ、吠え猛る荒々しさよりも恐ろしく迫力のあるものなのだと、勝隆は本能的に感じた。


「貞親君、どうか分かるように説明を」

「身内の恥を他人に話すのは屈辱だ。そこで、勝隆殿。我が長宗我部の家臣になる気はないだろうか。明智殿の話では、そなたはどこの家にも仕えてはおらず、この長宗我部に興味があるとか。ならば丁度良い。これから覇道に入る当家には、そなたのような若く優れた者が一人でも多く必要だと考えている。私は一目見て、そなたの並々ならぬ器量に気付いていたぞ。そなたは優秀だ」



こんな時ではあるが、この聡明な若君に自分が認められたと言う事が勝隆には思いの外激しく嬉しかった。村を出て以来、初めて自分の認める相手に、自分を認めてもらったという思いは、なんとも心地の良いものだった。


「いずれそれなりの地位を約束しよう。私の右腕としての訓練を受けて欲しい」

勝隆は迷った。この若君は優れた力と地位を持つ、天性の指導者だ。自分を認めてくれ、なおかつ自分の新しく生きる場所を与えてくれようとしている。それは今の勝隆にとってこの上なく甘美な囁きだった。


今、不明である事は確かにいくつもある。しかし、それも時の経過と共に全て解き明かされていくかも知れない。貞親との絆を感じられる時もいずれ来るかもしれない。ならば今、彼と共に行けない理由などあるだろうか。

そんな時、勝隆の脳裏には三郎の顔が浮かんだ。こんな時あの三郎ならばどうするだろう。


「どうか、刃を収めて下さい」


「では、我が家臣に?」


「出来ません!」

 次の瞬間、日輪の光のような輝きとともに、獣らしき呻り声が岡豊城に鳴り響いた。

 「次から次へと・・・何の声だ!」


 貞親は叫んだ。


 なんという獣かは分からない。ただ鳴き声の低さと迫力から、獰猛な肉食の獣だという事はその場にいた者全てが想像できた。その低い声は遙か頭上からだった。光がやや治まり、上空に浮かぶ声の主の姿を見て、勝隆のみならず、貞親を始め誰もが言葉を失った。


 時が止まった。


 恐らく遠くでこの光景を見ている誰もが、この瞬間全てを忘れて釘付けになっただろう。天空に突如出現した巨体は、誰もが知っているが決して見た事のない伝説。天地の理を自在に操る事の出来る、幻の王だった。


 「竜、だというのか」


 同じく天空を見上げた貞親が呟いた。


 誰もが目を疑った。あり得るはずがない。しかしどす黒い雲から現れた長い巨体は、紅く激しい眼光は、それと共に天空で鳴り響く稲妻は、まさしく。


 この岡豊山を取り囲んでも余る果てしない長い胴は、人に神仏に出会ったかのような気持ちにさせた。伝説に聞くその姿、全てを圧倒するこの迫力は、紛れもなく『あの』竜王だった。


 「乗って!」


 (この声は)

 

 勝隆は言われるまま、勢いよく降下してきた竜の頭に飛び乗った。

飛び去る瞬間、振り返って貞親に言った。


 「貞親殿、あなたには素晴らしい魅力がある。けれど俺はあなたに使えることは出来ません。俺は、平家の勝隆だから」


 勝隆が天空に上がると、竜は構え、四国全土に鳴り響くほど激しく咆哮した。

岡豊城が大きく震える。人々はとてつもない波動にその身を構えた。鱗虫の長の威厳。雲が鳴り天と地が震え、大気が震え、時が止まったまま天下がどよめいた。途方もない震動に、誰もが肌で竜の威光を思い知る。

 咆哮は長く続いた。まるでこの世の終わりが始まるような、とてつもない力を人々に見せつけた。

人々が言葉を口に出来るはずはなかった。本当に強大なものを見た時、人は言葉をなくすのだ。人々は言葉を無くして立ちすくんでいた。

 そして咆哮を終えると竜は、身体をくねらせ、地上に激しい風を巻き起こして雲の上へと登っていった。時の正確な経過はともかく、その場にいた人々には一瞬の出来事だっただろう。

 後には静かな雨が、岡豊城に降り注いでいた。まるで全てが夢の後である。

 雨がそれを一層強く感じさせた。誰もが呆然と天を仰いでいる。

 静かに火を消す雨を受けながら、貞親だけは自失することなく、竜が飛び去った天を睨んでいた。

 

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