第六話 旅立ち

 次の日の朝早く、まだ鶏も鳴かぬ頃に勝隆は密かに村を出ようとしていた。

 そこまで早くに出る必要は無かったのだが、昨日は全く眠れなかったのだ。何しろ、自分の懐には、平家三百年の神を抱えている。乳飲み子のようにすやすやと眠れるはずがなかった。それでもなおは、もう旅の用意をしっかりとしてくれていた。慎ましい柄の麻の衣と新しい草履、先祖伝来の刀、そして特製の握り飯が勝隆の部屋にはあった。


 祖父ははっきりと口にしなかったが、これはれっきとした密命である。昨夜の決断を下した今、もはやこの剣はこの村にはあってはならないものであり、存在すれば、自分たちの心を惑わし、外からは数多の最悪を招きかねない呪いの剣。

 その処分を自分は正式に託されたのだということを、勝隆はちゃんと理解していた。

 しかしどうして自分なのだろうと思った。剣の処分というのが最終的な目的ならば、もっと手練れの大人たちの方が確実であるのに。あるいは、自分に伴のものをつけたほうが良いのではないか。

 そんなことを思いつつ勝隆が歩いていると、道の先に二つの人影があった。まだ完全に日が出ていないので、顔がよく見えない。しかし片方の子どもの背格好ですぐに見当はついた。


 「はなか」


 「勝隆さま。旅に出られるのですね」


 「そうだ。しかしはな、こんなに朝早く危ないじゃないか」


 「でも一人ではないの。勝隆さまが旅立たれると言ったら、三郎さまが連れてきたくれたのです」


 勝隆ははなの横に立つ乳兄弟の顔を見た。昨日の祖父から命じられた話は、三郎にもしていないかった。恐らく、いつのように聞き耳を立てていたのだろう。自分を見送りに来てくれたのだろうが、勝隆は三郎の思い詰めた顔が気になった。

 

「すまない。はなをここまで連れてきてくれて。俺を見送りたいと相当駄々をこねたんだろう」


「いや・・・気にするな。俺もお前と話がしたかった。」


「どうした?」

「お前が懐に抱えている包み。それは一体何だ?」


勝隆は咄嗟に身構えた。三郎の目の光は尋常ではなかったのである。普段は鈍いと言われている勝隆だが、こういう戦闘に関する事を察知する力は、村でも群を抜いていた。

 それでも勝隆は刀を持っている。その事が三郎に対する警戒を抑えてもいた。


「もしやそれは・・・」

「それは俺の口からは言えない。けれど、お前はもう分かっているはずだ」

 自分の予想を確信すると、三郎はさっと前に出た。勝隆も咄嗟に後に下がったが、三郎の目的が勝隆ではないことをすぐに悟った。


「勝隆さま!」


 迂闊だった。三郎ははなを羽交い締めにすると、首元に小さな刃物を近づけた。


「動くな。動けばこの娘が死ぬぞ」


「三郎!お前ともあろうものが、どうして」


 幼い頃から共に育ち、村の中でも特別仲の良い三郎の狂気じみた行動が、勝隆には信じられなかった。


「俺は・・・認めない。平家再興の志を捨てるなんて、そんなおかしな話があるか。俺たちは栄華を極めた平家の末裔だ。それを支えにして、今までご先祖たちも貧しい暮らしに耐えてきたんじゃないか。それをいまさら、何故あんな事言い出すんだ」


「仕方ないだろう。一族の長が決めたことなんだ。けど、お前の気持ちも分かる。俺だって生まれた時からお家の再興を教えられてきたんだからな。しかし決定は既に下されてしまった。生き方を変えなければ。どうだ、一緒に村を出よう。途中でお前は何処かの武将の家来にしてもらうといい。お前は背も高いし、がっしりとしていて剣も上手い。きっと出世する。この村での平家再興は諦めたけど、別にお前一人が平家に拘るのなら、一人で頑張っても別に悪いことではないんじゃないか」


 「違う。俺が言いたいのはそんなことじゃない。どうして今になって、あんな事を言い出すのかってことだ。だってそうだろ?何も今になって言うべきことじゃない。平家再興の断念は、お前の先祖が三百年前に決断していても良かったし、これからもずっと決断しなくても良かった。けどなんでよりにもよって今、突然俺たちの代で諦めるんだ」


 三郎の顔がさらに険しくなった。


「もう機は巡ってこないんだ。たぶん、源氏が滅びた時が機だったのかも知れないし、都で大乱が起きた時がその時だったのかも知れない。けどそれらはもう過去のことで、これから先は・・・」


「なんでお前はそんな簡単に言える?俺が言いたいのはな、じゃあ今までの三百年は何だったんだって事なんだ。だってそうだろう?平家再興を志していたからこそ、俺たちはこの村で隠れ生きていたんだ。惨めだったんだ」


「でもこれからは違うだろう?」


「いいか、俺の父上は病気で死んだ。別に難しい病気だったわけじゃない。ちゃんと栄養をとって寝てれば、たぶん治っていた。薬があれば確実に治っていた。それが出来なかったのは何でだと思う?それは村の外に出てはいけなかったからだ。だから父上は衰弱して死んでいった。何も出来なかった。惨めだったよ。けど俺は納得して我慢した。全ては平家を再興するため、機が熟すまで待つんだって。そのための我慢だった。こんな我慢は俺だけじゃない。この三百年、村の誰もが経験してきた我慢なんだ。その我慢はどうなる?勝盛様は、それを踏み躙ったんだ」


「それは違うぞ。爺上はそこから村を解放したんだ。」


「そう吹き込まれたんだろう?それは詭弁だ。どうせなら起ち挙がって、戦って死ねといって欲しかった。それが武士ってもんだろう」

 幼なじみということもあるのだろう。例えどのように行動が狂気であっても、勝隆には三郎は心の奥底では冷静なのだと信じ切っていた。その為、彼のおよそ正気のかけらも見えない語気に、気づくのが遅れてしまっていた。


 「俺たちは、もう殿上人じゃない。俺は平家の末裔であることを自覚する一方で、ずっと引っ掛かっていた。俺たちはもう半分百姓だ。三郎誤解しないでくれ、俺は別に俺たちは武士じゃないといってるんじゃないんだ。かつて俺たちの先祖が送っていた栄華に拘らなければ、そんな決まりはない。俺たちは武士としても、百姓としても暮らしていける。どっちでも出来るんだ。町に出て商いを覚えれば、商人にだってなれる。勝手なんだ。今はそういう時世らしい。だから俺なりに考えてお前に、余り武士に拘り過ぎるなと言っている。お前は一人で、武士として生きればいい。爺上が与えてくれたのは、そういう生き方なんだ。

 俺はこの村を出て土佐に行く。土佐のある豪族を調べに行くんだ。そして役目が終われば、ここで一生を終えるかも知れないし、村を出てどこかの大名に仕えるかも知れない。それは俺が決めて良いことだ」


「裏切るのか」

 三郎の目顔が変わった。

「俺たちをおいて、逃げるのか」


「違う、俺はただ・・・」


「吹き込まれた事しか言わない人形め、ふざけるんじゃない。その包みを渡せ。その剣があれば、俺たちはまた一つになってやっていける」


 三郎はもう一度小さく「やっていける」と呟くと、はなの首元の刃をさらに近づけた。もはや狂気であった。人はその信仰が失われ、状況が変化した時こうなってしまうのか。


「やめろ、三郎落ち着くんだ」


「さあ、その剣を」

 勝隆は咄嗟に考えた。ここで剣が三郎の手に渡ってしまえば、剣はまた平家再興の神となり、村は再び「呪われた村」となってしまう。本来なら自由に飛び立てるこの世界で、小さな籠の中に閉じ込められてしまう。それは自分たちの先祖が三百年も悩みもがき苦しんだことだ。

 しかし剣を渡さなければ、はなは殺される。普段の彼からは想像も出来ないが、それでも彼はやるだろうという確信が勝隆には分かっていた。


「勝隆、早くしろ!」


 勝隆が進退窮まったとき、急に雲が日を遮り、まるで朝から夜に戻ったのかと思うと、不意に女の声がした。


「哀れなものだ」


 声ははなの口から聞こえてきた。しかし、その冷たい声は大人の女の声色であり、普段のはなのものではなかった。

 突然のことに、二人の少年は身が固くなった。だが以前同じような事があった勝隆はましだった。三郎は明らかに事態を把握しきれないでいる。


 「滑稽だ。お前らのかつての先祖たちは、地下の民でありながら殿上人となり、この世で栄華を極めたというのに。お前たちが神仏のように崇めている清盛入道は、もっと大きな視点と広い視野を持ち、一族を繁栄させていたぞ。いや一族だけではない。爛熟しきり腐臭を放っていた公卿どもに代わり、自ら外つ国との貿易で国全体を富ませようとした。皇とはまた違う、あれぞ王者の器だった。ところがその子孫と来たらどうだ。具体的な計画もなく、こんな山奥で隠れて生まれては死んでいく。そしてその歪みの中で育った少年は幼い少女を相手にこのような非道を行う。お前は、その剣がどれほど尊いか、どれほど天下を動かすのかも知らないと見える。全く揃って情けない」


「は、はなお前」

 勝隆よりも、彼女を抑えている三郎の方が狼狽していた。何か恐ろしいものがはなに乗り移ってしまったと直感し、その手を震わせている。


「この痴れ者が!」


少女が大声を張り上げると、三郎はびくっとなった。その瞬間、はなはさっと三郎の腕を抜け出し、三郎とも勝隆とも距離をとった。


「その剣は、やはり私がもらっておこう」


 はなは勝隆の持つ包みを見やると、静かに近づいて来た。


勝隆は構えたまま警戒したが、どうしようもなかった。三郎ですらも、固まっている。この少女には、人智を越えた何か強大なものが乗り移っているのだ。


「これは、渡せない!三郎にも、はなにも!これは目的のある者に渡してはいけないんだ」

 勝隆の言葉を聞くと、はなはにやりと笑った。


「なるほど、これは。多少は見所がある男の子(おのこ)かもしれない」


 

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