第20話 それぞれの思い
バルツ基地にて、ベンノはトレーニングルームで珍しいものを見た。
「五十一、五十二、五十三……」
三ヶ月前には新兵で、この上なく生意気でありながら臆病だったあのハンスが、鬼気迫る表情で腕立て伏せをしている。こいつもやっと体を鍛えることの必要性と筋トレのもたらす効果に気づいてくれたか、とベンノは思わず目頭を押さえた。それからトレーニングルームの入口まで戻ると、自動販売機からコーヒーを二つ買った。
戻ってみると、ハンスはちょうど休憩に入ったところであるようだ。仰向けに倒れて、荒い息を吐いている。
「おい、ハンス」
「……、あ、ベンノ隊長じゃないですか」
やや反応が遅れた。まあ、無理もないだろう。
「意欲を持って訓練に臨むようになったのはいいことだが、腕立て伏せ五十回程度で音を上げているようじゃ、まだまだだな」
「五十回じゃないです、七十回ですー」
反論するほどのことかね。若いもんの考えてることは分からん。あとそのムカつく顔をやめろ。
「まあいい。俺は今機嫌がいいから、これをやろう」
「おお、ありがとうございます。たまには気が利きますね」
何様のつもりだ。
休憩所に移動して二人で缶を開ける。
「で? なんでまた急にやる気を出し始めたんだ」
ベンノはできる限りにこやかな顔を作って言った。じゃあやめますなんて言われたらたまったものではない。
ハンスは、コーヒーの缶から口を離すと、フーッとなんだかやたらと大人びた溜息をついた。
「……隊長、ニュース、見てます?」
「ん? ああ、例の革命軍の件か」
なるほど。新しい敵が現れたことで、自分も意識を変える必要があると思い直したわけか。成長したなあ。ベンノは感心することしきりだ。
「やつら、許せないですよね」
「おう、そうだとも」
国民の平和を脅かし、不安の種になっているんだからな。
「だって、フロイラインちゃんを傷つけたんですよ」
ん?
「隊長、もしかしてフロイラインちゃんを知らないんですか!?」
フロイラインとは、エインヘリヤルの一員であり、全体的に若い者が多い改造人間部隊においても若い部類に入る。というより幼い、そうだ。現在全てのエインヘリヤルの中でも一、二を争う人気を誇るにもかかわらず、テレビなどのインタビューに顔を出すことはほとんどなく、時たま追いすがる報道陣に対して一言残していく程度である。だがむしろそこがいい、あの静かな表情の裏を見てみたい、らしい。
そんなようなことを、ハンスは聞かれてもいないのにこれの実に三倍程度の言葉を消費して語った。ベンノは相槌すら打っていない。ただひたすら呆れた目で見ていただけだ。
「そんな皆のアイドルフロイラインちゃんを、傷つけたんですよ!? しかも、フロイラインちゃんはまだベッドから起き上がれないそうです。かわいそうに。もう、僕、この怒りをどうしたらいいものかと……」
ハンスはベンチから立ち上がり、わなわなと握りこぶしを震わせた。
「まあ、なんだ。座れ」
「……はい」
ベンノはハンスの肩に手を回して同情をこめてポンポンと叩いた。
「動機がなんであれ、そうやって鍛えるのはいいことだ。これまでお前はその……フロイラインに守られてたかもしれないが、これからは逆に彼女を守ってやれるようにな」
「あ、それはないです」
しれっとした顔で首を横に振りやがった。どういうことだ、おい。
「だって、僕、フロイラインちゃんはまたすぐに元気になって、戦線に復帰してくれるって信じてますから。ファンとして!」
今度はベンノが立ち上がる番だった。
「貴様ァ! それでも男か! 好いた女にカッコいいところを見せてやろうとかそういう気概はないのか!」
「それとこれとは別の話っすよ隊長! あとこの際だから言うけど考え方が古すぎてついていけないっす!」
両者はしばらく無言で睨みあった。ベンノはもはや部下なんだからとか年下なんだからとか言うつもりはなかった。こいつはこういうやつなのだ。だが今の発言は許しがたい。
「……とりあえず、ハンス」
「なんすか」
「コーヒー代、返せ」
奢ってくれたんじゃないんですかとか、横暴だとか喚くハンスから小銭をもぎ取り、ベンノはさっさと立ち去ろうとした。こっちだって暇じゃないんだ。
「あ、そういえば隊長」
「なんだ」
「フロイラインちゃんには相方でドラッヘってやつが大体一緒に戦ってたんですけど、そのドラッヘが革命軍に制裁を下すそうですよ」
ベンノは仕方なく振り返った。
「つったってよ、革命軍のリーダーはもう捕まってんじゃねえか」
「でも、残党がまだいるらしいんですよ」
それからハンスは、ドラッヘというエインヘリヤルについて一しきり説明した。フロイラインとは対照的にテレビによく映ること、高飛車できつい性格であること、ハンスは彼女をフロイラインの引き立て役としか思っていなかったということ。
「でも、相方の仇を討ちたいなんて、案外思いやりがあるんですよ。このことで僕の中のドラッヘへの好感度は急上昇しました」
「そうかい。じゃあ食堂のテレビででも応援するがいいさ」
「もちろんそうするつもりですよ。テレビ中継するって昨日テレビ局が言ってましたから。どれだけ長引こうと、全部通して観戦する覚悟です」
人生楽しそうでなによりだ。いい加減うんざりしてきたベンノは、今度こそその場を立ち去った。
「どうするんですか、ロベルトさん」
仲間の一人が、泣きそうな声で聞いてきた。
「ロベルトさんも、さっきのニュースで聞きましたよね。今度こそ、軍は本気を出して俺たちを潰しに来る」
そのニュースを聞いたから、今こうしてエントランスに最低限の見張り以外の仲間全員を集めているのだ。
「人質のことだってお構いなしなんだ。きっと、投降したって助けてくれない……」
「黙れ!」
じっとうつむいていたロベルトは、堪えかねたように怒鳴った。ざわついていた仲間たちが一気に静まる。
「そんなことは最初から分かってる。そうでなくとも、テオが捕まっちまった以上、俺たちが圧倒的に不利だってこともな」
エントランスは静まり返っている。皆、ロベルトの次の言葉を待っているのだ。ロベルトは、こんなときテオならどうするだろうと考えた。
……ほどなく、結論は出た。きっとこれは最善じゃない。だが、最悪でもないはずだ。
「皆、聞いてくれ」
準備は整った……とは言い難いが、とりあえずできることはやった。シュティーアは、床に散乱した工具や細々とした金属部品などを眺めながら、軽く息をついた。隠れて作業するのにちょうどいいということで、廃墟となった自宅のリビングを使っていた。大分散らかってしまったが、片付けるのは全て終わってからになりそうだ。
武器も防具も用意した。いくらかの攻撃には耐えられるはずだ。身体的特徴を隠すための対策も立てた。これで、できることは全てのはず。あとは行動を起こすだけ。だが、その行動の指針がいまいちはっきりしていない。とりあえず、戦闘が予定されているところまで出向いて、戦闘を回避する。だが、冷静に考えてみれば、これはほとんど無謀なことだ。シュティーアは現在、軍に十分に対抗出来るだけの力を持っていない。不意打ちで数人を戦闘不能に追い込み、最初の攻撃を受け流すのが精一杯だ。重要になってくるのは会話による交渉だと思うが、これが自分でも笑えてくるくらい不確実だ。ただ命令を受けて動いているだけの部隊を、どんな言葉で押しとどめられるというのか? 軍の弱みを握っているわけでもないというのに。シュティーアは両腕で自らの胴を抱くようにして、椅子の上で身をこごめた。何しろ、こういうのはまるっきり初めてなのだ。今までは、具体的な命令に基づいて、それでなくとも自分の中で綻びのない計画を立ててから行動していた。
それでも、何もしないよりはましだ。自分に言い聞かせる。そうだとも。せっかく見つけた目標なのだ。こんなところで手放すわけにはいかない。
そろそろ時間だ。シュティーアは、テーブルの上に置いた武器と防具を慎重に身につけていった。
シュティーアからの返信はない。帰っても来ない。食堂にて、ヴェスペは苛立たしげに携帯端末をポケットに仕舞いこんだ。パンの欠片を口に放り込む。今日が決行の日だというのに、彼は一体何をしているのか。いや、やはり、何もしないつもりなのだ。あいつはどうせそんなやつだ。
ヴェスペとリーゼも、この四日間何もしてこなかったわけではない。やっぱり、革命軍の人たちを殺してそれで一件落着、というのは間違っていると思うのだ。だから、どうにかして止められないものかとあれこれ考えてみた。何か役に立つものが見つからないかと一日中基地内を歩き回ったりした。……結論。何も考えつかないし、何も見つからない。
『さあ、テレビの前の皆さん、いよいよあと十五分ほどで、革命軍の残党と、『赤いバラ』の片割れ、ドラッヘの対決が始まります!』
大画面に映し出されたニュースキャスターの殊更に明るい顔を睨みつけて、ヴェスペは皿に残ったスープを大急ぎで平らげた。
たとえ何もできないのだとしても、それを理由に行動しないのは最低だ。
ヴェスペの私物の携帯に映し出されたニュースの中継番組は、革命軍殲滅の作戦開始時刻まであと十分ほどであると報道している。リーゼは、ヴェスペが衣装箱の中から次々に洋服を引っ張り出しては放り投げていくのを後ろから眺めていた。こちらに飛んできたものは一応まとめておくべきなのだろうか。
そのうち彼女は納得のいく服を見つけたらしく、うん、と大きな声と共に誰にともなく頷いた。
「リーゼ、悪いけどちょっと外出てて」
着替えるのだろう。リーゼは部屋の外に出て、扉をきちんと閉めた。
おそらく、ヴェスペは全く戦う手段がないような状況であっても戦いに首を突っ込むだろう。その危険を分かっていても。リーゼにそれを止める術はない。でも、そばについて回って、守ることくらいは出来るだろう。アイリを助けるためには、こんなことをしている暇はないのではないかとも思う。それでも、今は、この居場所を失いたくないのだ。
しばらくして出てきたのは、私服姿のヴェスペだった。軍服でいると目立つから、ということだろう。薄手のスカーフで口元を隠し、その上大きめのサングラスをかけるという念の入れようだ。
「さあ、行くよ!」
なんというか、任務のときよりよっぽど軍人らしい。
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