第19話 タイムリミットと砂の音
夕食の後、部屋を訪ねてみてもシュティーアはいなかった。ヴェスペは徐々に落ち着かなくなってきた。別に、叱られたいわけではないのだけれど。
そんなわけで、自室に戻ったヴェスペは携帯端末のボタンの上で指をさ迷わせている。画面に映るのは、メールの作成画面。文面は、どうしたの? ということと、ついでに革命軍の殲滅予定のことも書いた。
ヴェスペは、送信ボタンではなく戻るボタンに指を添えながら、目の前のリーゼに声をかけた。
「ねえ、リーゼ。やっぱり必要ないんじゃない? だってあいつだよ? あたしたちより年上だし、上司だし、いつでも冷静だし……」
だが、リーゼは微動だにしない。一つきりのカメラアイでヴェスペをじっと見つめている。なんだか、睨まれているようだ。
いいから送れ。
「ああ、うん。分かった……」
いつもは穏やかなリーゼが、今日に限ってどうしたというのだろう。そんなにシュティーアが心配なのか。確かに、ヴェスペもシュティーアのことが全く気にかからないわけではない。そもそも、気になったからメールを打っているのだ。思い返してみれば、あいつは妙に不安定なところがあるし。でも、だからといって自分やリーゼがあれこれと世話をしてやる義理はないと思うのだ。
「……」
結局、リーゼの無言の圧力に耐えかねてヴェスペは端末の送信ボタンを押し込んだ。
***
終わりの時は近い。
レオポルトは真っ白い病室の天井を見つめながら考える。自分がここに移ってきてから三年と半年経つ。父が死んでから、三年と半年。そろそろだろうな。レオは考える。戦争を始めた軍のお偉方にとっては、自分の存在は邪魔でしかないだろう。あのジルヴェスター・ヘルツの息子として、自分が人々に与える影響を彼らは恐れている。だが、父でさえも殺されたのだ。僕の命など、塵芥にも劣る。
それなのになぜ今まで生かされてきたかといえば、それもやはり父のせいだ。民衆から一定の支持を得ていた父は、死んだときも大騒ぎになった。その直後に実の息子も死んだとあれば、いろいろと面倒な連中もわいてくる、ということだろう。
だが、父の死も世間ではもう過去の出来事になりつつある。今更、自分が死んだところで大した騒ぎにはならないだろう。だから、そろそろ何者かが自分を殺しに来るのではないか、とレオは考えている。
亡き父の存在によって生きながらえ、またその父のせいで殺される。別に、恨んでいるわけじゃない。ただ少し、悲しいだけで。特に不満があるわけでもない。この弱い身体では、どの道できることなど限られている。ただ時折、恐ろしく虚しい気分になるだけだ。
こうしてぼんやりしていると、砂時計のイメージが浮かんでくる。いつからかは分からない。ざらざらと、急かすような砂の音。一体、何をしろというのか。この体で。この白い部屋で。
不意に咳き込む。二ヶ月前に高熱を出してからはこれといって病気にかからずに済んでいたのだが、そろそろ次か。それとも、咳が慢性的なものになりつつあるのかもしれない。
ノックの音がした。時計を見ると、ちょうど定時の検診の時間だった。手をついて上半身を起こすと、主治医が入ってくる。威厳を出すためなのか知らないが、黒縁の眼鏡はまだ若い彼にあまり似合っていなかった。
「気分はどうですか?」
「大分いい方です」
それからいくつか、いつも通りの簡単な検査を終えた。大体のとき、若い主治医はすぐに出て行くのだが、今日はなぜか椅子に座ったまま黙っていた。眼鏡の向こうの瞳が、物言いたげに泳ぐ。
「どうしたんです?」
「いや、……君宛に、国立研究所から手紙が届いたんです」
国立研究所。確か、一年と少し前に設立された新しい国家機関。兵器の開発や機械工学の発展を目的とした機関とのことだが、方向性が変わっていて、……人体実験などをやっているという噂もある。事実、やたらと高い謝礼の治験の広告などを見たという噂が後を絶たない。他にも、スタッフの守秘義務が厳しかったり、社会への貢献が目的という割にあまり研究結果を発表しないなど、要するにとんでもなく怪しい機関だ。
なるほど。そういうことか。あの研究所の門をくぐってしまえば、二度と出てこなくとも誰にも咎められないで済む、ということだ。
「読んでもらえば詳しいことは分かると思いますが、要は、君に研究に協力してほしいということみたいです」
「しかし、僕のように病弱な者が、そうそう役に立てるとも思えませんが」
主治医は不自然な汗をかき始めた。あまり、詮索しないでおこう。かわいそうだ。
「どっちにしろ、この病院では君の体質までは直せないんです。でも、研究所なら、あるいは……。あ、もちろん、断ってもいいんですよ。研究所に行くかどうかは君自身が決めることですから。なんにせよ、手紙に目を通してみてください」
主治医は出て行った。ベッドの脇のテーブルに、封筒を一つ残して。主治医は断ってもいいと言ったが、断っても結局のところ同じことだろう。まったく、放っておいても近いうちに死ぬであろう一人の少年に、よくもまあこんな面倒なことをする気になったものだ。
「……っ」
そっけない真っ白な封筒をぼんやり見ていると、不意に激しい焦燥感を覚えた。それは胸の中の不快感と共に襲ってきて、レオは何か病気の症状が出たのかと勘違いしかけた。まだ、やらなければいけないことがある気がする。少なくともこのままでは駄目だ。このまま死んでは駄目だ。なのに、どうすればいいのかさっぱり分からない。
もう、砂は、落ちきってしまったのか?
***
シュティーアは鋭い呼吸とともに目を覚ました。随分と息が乱れている。夢を見た。だが、内容は忘れてしまった。ただ、何かをしなければ、という使命感と焦燥感だけが残っている。天井を見つめたまま深呼吸をした。
ざらざら。
息が整うにつれて、頭の中に砂の音が響きだした。いや、聞こえていなかっただけで、ずっと鳴り続けていたのかもしれない。だが、以前は煩わしいばかりだったその音に、今はむしろ親しみを感じた。もちろん、焦燥感はつきまとうが、それでも、この音が鳴り続けているあいだは、まだ手遅れではない、まだ何か出来ることがある、そう思えるのだ。シュティーアは上体を起こした。
……だけど、何をできるというのか? 砂の音は、教えてくれない。
壁にかかっている時計は既に動いていなかったので、携帯端末で現在の時刻を確かめる。もう、夕食の時間を過ぎたあたりだ。気づけば窓の外も暗くなっている。軍の本部に戻らなければ、と真っ先に考えた。しかし同時に、帰ってどうするのか、という疑問も生じた。今までの自分の行動原理が全て価値を持たなくなったというのに、軍に忠実であることになんの必要性があるだろう。
だが、軍の任務をこなし続けること以外に自分のなすべきことが見つかるかといえば、そういうわけでもない。空っぽだ。軍に対して誠実であること、良い軍人であること、全てが白々しい。
歯ぎしりをしながら携帯端末の時計画面を睨みつけていると、突然端末が震えだし、危うく取り落とすところだった。メールの着信だ。こんな時に、誰だろう。シュティーアが非番でもないのに外に出たことを知った上司の誰かからだろうか。いや、でも、こんな重要性の低い人材に、わざわざメールを送ったりするか? 手早く操作して届いたメールを確かめる。
『差出人:ヴェスペ
タイトル:どうしたの?
本文:あとで話をするとか言ってたのに、部屋にもいないで。別に急な用事があるわけじゃないよ。少し気になっただけ。
ところで、もう知ってるかもしれないけど、ドラッヘと一般兵の部隊が四日後に中央研究所の革命軍の残党を殲滅するって。あんたは何もしないの? テオドールとは友達だったって聞いたけど』
テオドール。ああ、確かに自分と彼は友人であった。彼と一緒にいた記憶はさっぱり思い出せないが、その情報は常識のように頭の中にある。何より、彼の名前には懐かしさを覚える。
だが、それよりもシュティーアの目を引いたのは、殲滅、という文字だった。殲滅……、殺すのか。今までのように、相手を降伏させることを目的とした攻撃ではなく。そして、革命軍の活動の中心であった中央研究所の一団が敗れれば、地方に散らばっている残りも簡単に討伐されてしまうだろう。革命軍の正確な人数は分かっていないが、あれだけの騒ぎを引き起こしたのだ、かなりのものだろう。
大勢の人が死ぬ。そして軍による殺人は正当化される。国のためという大義名分のもとに。……それは、嫌だ。
じゃあ、止めにいくか。なんでもいい、行動する目的が欲しいのだ。
後悔することはないだろう、漠然とそう思えた。まったくもって、自分らしくない。なんの根拠も裏付けもないただの感情で行動を起こすなんて。覚えている限りでは、今までに単なる思いつきで突っ走ったことなどはない。これが、初めてになるだろう。まあ、悪い気分ではないな。シュティーアは枕元に置いておいた帽子を手に取りながら考える。
立ち上がり、扉を開ける。部屋を出る前に、夕べ夢の中で少年が立っていたあたりを振り返った。その少年のイメージとともに、記憶の奥底から蘇った言葉がある。
『一度だけでいいから、本当に困っている人を助けてみたいな』
そうだな。俺もそう思うよ。
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