第17話 テオドール、テオ
ヴェスペは武器庫にアームを置いたあと、医務室にいるはずのシュティーアの様子を見に行った。心配なのは間違いないが、ついさっきまであれほど嫌っていた彼だ。なんとなく気恥ずかしくて、泥棒のような足取りになってしまう。
「な、何してるんですか……?」
まだ若い看護師の女性に見咎められた。不審と戸惑いの混ざった視線が痛い。
「いや、あの……、シュティーアって、ここにいますよね?」
その一言で、大分警戒は解けたようだ。
「ああ、同僚の方ですね。シュティーアさんなら、今しがた弾丸の摘出手術が終わったので、まだ麻酔で眠っていると思いますよ」
こちらです、と、女性は親切にも案内してくれるらしい。だが、ヴェスペは今もなお不自然な忍び足だった。
「通常、エインヘリヤルで負傷された方は研究所に運ばれるのですが、状況が状況なので、こちらで処置したんです。今回切開したところは、あまり一般の方と違わなかったので安心しました」
気さくな人のようで、歩きながらあれこれ話をしてくれる。
「でも、流石はエインヘリヤルですね。弾丸の種類の割に、傷が極端に浅かったんですよ。やっぱり丈夫にできてるんですね」
はあ、とかふうん、とか気のない返事をしているうちに、着いてしまった。
「では、あまり騒がしくしないようにお願いしますね」
看護師の女性は去っていった。その病室には四つのベッドが置かれていたが、そのうち三つは空だった。残る一つに、シュティーアが寝ているのだろう。
近寄ってみると、やはりそこにいたのはシュティーアだった。両腕をきちんと毛布の下に入れて、仰向けに寝ている。その胸が毛布越しに上下するのを見て、ヴェスペは安堵の溜息をついた。ただ、彼の様子でいつもと違っていたのは、いつでも外さなかったトレードマークといってもいいあの白いゴーグルが、枕元の机に置いてあったことだ。しかし、ベッドで眠る彼の目元には、代わりのようにタオル地の布が被せられていた。どうしてなのか気になったが、外してみようとは思わなかった。
十分待っても起きなかったので、ヴェスペはそのまま病室を出た。
リーゼは自室にて、隣の部屋から物音を聞いて床から胴体を持ち上げた。廊下に出ると、ちょうど隣の扉からヴェスペが出てくるところだった。リーゼが黙っていると、ヴェスペは曖昧に笑った。何かあったのだろうか。
「ああ、ただいま、リーゼ。大丈夫、あたしは怪我とかしてないよ。多分、そんな大虐殺みたいなことにはならなかったし」
彼女らしからぬ歯切れの悪い言い方だ。一歩ヴェスペに近づくと、目を逸らされた。詰め寄ったつもりはなかったのだが。
「……シュティーアが怪我したけど」
!? なんだって!? 今までどんな戦いでも余裕ありげだった彼が負傷するなんて、どんな状況だったんだ。
「でも、大したことなかったみたいだし、ちょっと油断しただけでしょ。どうせまたすぐ元気に……」
ヴェスペのポケットからピアノの軽快なメロディが流れだした。それはすぐに止まる。メールの通知、だろうか。画面を確かめたヴェスペは、一瞬ほっとしたように息をつき、直後、わざとらしくしかめっ面を作った。端末を裏返して、画面をリーゼにも見せてきた。案の定それはシュティーアからのメールで、内容は、「目が覚めたので今日の任務の報告に来い」というものだった。
数分後、ヴェスペとリーゼは医務室にいた。目の前ではシュティーアがベッドの上に身を起こしている。既にゴーグルを付け、軍服の上着を着込んでいて、怪我人らしさはどこにもなかった。
「まずは、負傷した上気絶し、任務の遂行を妨害したことを謝っておく」
心配かけて、とかじゃないんだ、とヴェスペは少し気になった。
「弾薬の消費などは自分で書類にまとめてもらうとして、今は成果について話してほしい」
ヴェスペは特に意味もなく軍服の裾を下に引っ張った。リーゼが足を動かす音がしたので振り返って首を傾げてみたが、やっぱり彼は何も反応しなかった。シュティーアの白いゴーグルに視線を戻す。
「あー、まあ、別に、誰も攻撃したりはしてない。テオドール・クラウスナーを捕まえて、それから倒れてるあんたを抱えて、そんで帰ってきただけ」
「クラウスナーを捕縛したのか」
「うん。この建物の地下にある牢屋に入れといた」
「分かった。様子を見に行こう」
「なんで?」
「それが本当にテオドール・クラウスナーなのかという確認を取るとき、個人の発言は信憑性に欠ける。複数人で確認するのが望ましい」
お前のことは信用してない、と言われたようで、ヴェスペは少しムッとした。しかし、直後にシュティーアが毛布をどけ、足をベッドから下ろすのを見ると、そんなことはどうでもよくなった。
「い、今!? もうちょっと寝てたほうがいいんじゃないの」
ヴェスペは慌てて引き止めようとした。ついさっき、大量の血を流して倒れているのを見たのだ。とてもじゃないが大丈夫とは思えない。
「戦闘には支障があるだろうが、歩行する分には何の問題もない」
いや、そういう問題じゃなくて、まだ痛いんじゃないの、と言いかけて、しかしヴェスペは言葉を飲み込んだ。どうせ伝わらない。
「あっそ。じゃあ案内する」
背を向けて歩き出すと、服の裾を引っ張られる感覚があった。振り返ってみれば、リーゼが細い機械の腕でヴェスペの軍服の裾を小さくつまんでいる。何やらもの言いたげだ。大体、言いたいことは分かるが。
「本人が問題ないって言ってるんだから、問題ないんでしょ」
テオは、凄まじい後悔に苛まれていた。
「私って、馬鹿ですねえ……」
片足を伸ばし、もう片足を立てた中途半端な座り方で、暗い独房の隅で自嘲気味に笑った。ああ、本当に、仲間たちに合わす顔がない。あそこで無駄に暴れたりしなければ、ここに連れてこられるまでに逃げ出す機会があったかもしれないのに。
逃げ出していれば、シュティーアというエインヘリヤルに会うこともできたかもしれないのに。
もう一度小さく乾いた笑い声を上げ、テオは体育座りに移行した。自分の膝に顎を乗せる。あのデータベースで、確認したじゃないか。彼はレオではないんだ。レオとはもう二度と会えない。そう、確定してしまったんだ。いらぬことを考えて鬱々とした気分になるほど不毛なことはない。こんなことを延々考えるくらいなら、さっさとここから抜け出す方法でも考えればいいものを。
鉄格子の外から物音が聞こえた気がして、テオは顔を上げた。やがて現れたのは、二人の男女と、ロボットが一体。そのうち一人、女の方には見覚えがあった。つい先程自分を捕まえて、おそらくはここまで運んできたエインヘリヤルの少女だ。そして、彼女の斜め後ろに立つ男は……、
「お前が、テオドール・クラウスナーか」
「……っ」
テオは息を呑み、立ち上がった。間近で顔を見、声を聞いてしまった今、予感は確信に変わった。声は記憶にあるものより幾分低くなっているし、声色も違う。背も伸びた。顔も半分は隠れている。それでも、データベースで検索して得た情報など、テオの頭から吹き飛んでしまっていた。それほどに、目の前の男はテオの知るレオポルトそのものだった。
「レオ……」
自分の声が震えていることを情けなく思う。ああ、言いたかったことがたくさんあるんです、レオ。
「肯定か否定のどちらかで答えろ。それ以外の返答は受け付けない」
三、四、五と歩いて鉄格子を掴む。彼の声はあまりに冷たくて、心配になってしまったけれど、間違いない。この男は成長したレオポルトだ。
「なんでそんなことを言うんです? 忘れてしまった訳はないでしょう。私です。あなたの病室に、しょっちゅう遊びに行っていた……」
テオは、彼の薄い唇がわずかに開くのを見た。だが、そこからはどんな言葉も吐き出されない。
「なぜ、何も言わないんですか? その悪趣味なゴーグルを取ってください。貴方の目を、もう一度見たい、」
彼は斜め下へ視線をそらすように首をひねった。口を開く。
「テオ! やめろ!」
突然の大音声に、隣の少女はただ面食らった顔をしていた。テオもおそらくは、同じような顔をしていただろう。
「ヴェスペ」
「な、何」
「顔写真と比べて確認した。この男はテオドール・クラウスナーで間違いない。上層部に指示を仰ぐので、明確な方針が決まるまではこのまま牢に入れておけ」
彼は早口でそう言うと、背を向けて去っていった。少女もロボットの方を一瞬見たあと、その後を追う。テオは、硬質な足音が遠のいて完全に聞こえなくなるまで、鉄格子を離さなかった。勘違いだったはずはない。今の会話に全く意味がなかった訳はない。
だって、彼は自分のことを昔のままの愛称で呼んでくれたのだ。
ヴェスペたちが一階に上がった時、シュティーアの姿はもう見当たらなかった。よほど速く歩いたらしい。
「シュティーア、どうしたんだろうね?」
リーゼはガックンと頷いた。
「テオドールの口ぶりだと、前からの知り合いみたいだけど……、それでなくても最近シュティーアは様子がおかしいし……」
ヴェスペはガシガシと年頃の少女らしからぬ動作で頭を掻いた。
「ああもうよく分かんない!」
そう叫んで立ち止まり、踵を返した。リーゼは面食らっているようだ。円筒のボディが首を振るみたいに動いている。
「リーゼは、先に部屋に戻ってていいよ。あたし、あのテオドールって人にもう少し話を聞いてくるから」
あとはもう、振り返らずにエレベーターに乗り込んだ。リーゼは追いかけてこないみたいだ。律儀だなあと思う。
シュティーアは自室に戻ると、いつも書類仕事をする椅子に腰を下ろした。だが、ちっとも落ち着いた気がしない。頭の中はぐちゃぐちゃだ。ヴェスペに胸倉を掴みあげられた時よりも、さらに。
テオは、自分とまるで旧知の仲であるかのように話した。だが、こちらには今までにテオと話した記憶など一かけらもない。――本当に? そもそも、なぜ自分はさっきからテオドール・クラウスナーのことを「テオ」などと馴れ馴れしく呼んでいるのだろう。なんだか分からないがこちらの方がしっくりくる。「なんだか分からないが」では駄目だ。きちんと考えなければ。となると、自分とテオは昔馴染みの関係にあるということになり、では、今度はなぜ、俺の頭の中には彼にまつわる思い出が一つもないのだろう。忘れているだけか? いや、忘れさせられている……。
あれこれと考えながら、シュティーアは無意識的にゴーグルを外していた。目尻の近くに埋め込まれた小さな金属のジョイントからゴーグルの神経接続ケーブルが抜けると、目の前が真っ暗になった。ゴーグルをつけている間中閉じていたまぶたを押し上げる。それでも何も見えない。いきなり指を突っ込んでしまわないよう注意しながら、眼窩を探る。右手の中指が、下まぶたを探り当てた。その少し上に、指を持っていく。眼球のぬるりとした感触があるはずだ。普通なら。
――ない。両目とも同じだった。眼球がない。
シュティーアはショックを受けているわけではない。自分は視覚を特化させるため、性能に限界のある眼球という器官を捨て、いくらでもバージョンアップできる機械に変えた。自分は、そういうエインヘリヤルだった。寝るときは毎日ゴーグルを外していたし、眼球がない違和感を覚えたことも一度や二度ではない。
ただ、なぜか、改めて確かめることで義理立てしておきたかったのだ。おそらく、テオに。
「……ごめん」
その謝罪は何に対するものだったのか。何か、今は忘れてしまった昔の思い出に対象があるような気がしたが、忘れてしまったものは思い出せない。それとも、封じられているだけか?
とりあえず、先程テオが「目を見たい」と言ったから、と結論づけておく。
ヴェスペはテオドールから、シュティーアとどういう関係にあるのか、そもそもシュティーアのことをどれだけ知っているのか、などなどを聞き出そうとしたが、上手くいかなかった。
「貴方に話す義理はありませんね」
最終的にはこれだ。過去に自分の言った台詞が返ってくると、何とも言えない気分になる。結局、得られた情報はテオドールとエインヘリヤルになる前のシュティーアは友達だった、ということと、テオドールが高校に上がってしばらくしたら会えなくなった、ということだけだった。なぜ会えなくなったのかは、教えてくれなかった。
ともあれ、このまま鉄格子を挟んで延々見つめ合っていてもどうしようもない。ヴェスペは交換条件を思いついた。
「逃がしてあげるから、教えてくれない?」
リーゼは猛烈に嫌な予感がしていた。なんだか、隊長さんを中心として、第五部隊がどんどん妙な具合になっていくなあ、とか考えていたら、俄かにテオのもとへ行ったヴェスペのことが気になってきたのだ。彼女の身が心配、というのではなくて、彼女が大変なことをしでかしそうで心配。
そんなわけでUターンして地下に行こうとしたが、牢屋に入るとき、検閲に引っかかった。番をしている人がいて、捕まってしまったのだ。
「なんでロボットが入ろうとしてくるんだ? 誰かのイタズラか?」
とそんな調子で、リーゼがいくら必死にジェスチャーで事情を伝えようとしても無駄だった。二人と一緒のときは何も言わなかったのに。
しかし何もしないでいるというのも気持ちが悪いので、シュティーアの部屋に向かった。
「誰だ。……リーゼ?」
彼が扉を開けて出てきたとき、リーゼは少し驚いた。どこがとは明確に言えないが、雰囲気が変わった、ような気がする。本当に僅か、気のせいだと言われてしまえばそれまでの差異だが、リーゼには、今まで完全なモノクロームでできていた彼に、仄かに色が付いたように感じられた。
「どうしたんだ」
その言葉で我に返った。そうだ。彼の様子を見に来たわけではないのだ。ほら、伝わりませんか? 大変なんですよ。何がって言われると難しいんですけど、とにかく僕のアームによるジェスチャーでは表現しきれないくらいのピンチなんですよ。
「……」
ということをジェスチャーで伝えようとしてみたが、シュティーアは無言のままだった。あえなく玉砕。どうしよう。このまま自分の考えが杞憂であることを祈るしかないのか。
「お前、ヴェスペはどうした? 今日は別行動なのか」
さすが隊長さん気が利く。とりあえずすごい勢いで首を縦に振っておいた。それからシュティーアの服の袖をアームで掴んで引っ張る。地下室まで案内すればどうにかなるだろう。もし何事もなく、徒らにシュティーアを不審がらせるだけの結果になってしまったとしても、その時はその時だ。
少女は言う。
「あたしだって、国家の危機と自分の好奇心だったら、国家に危機を優先するよ。でもさ、あんたを放しても、別に国家の危機にはならないと思う。あんたの演説、筋が通ってたし、研究所占拠するときも、死んだ人はいなかったみたいだし」
ヴェスペと名乗った彼女は、どこからか持ってきた鍵を鉄格子の一部の扉についた南京錠に差し込みながら言った。褒めてくれているのだろう。ありがとう、と言うと、なぜか嫌そうな顔をされた。
ちなみに、テオドールは彼女との約束を、情報は外に出たら教える、という風に設定した。ヴェスペは最初むくれていたが、諦めてくれたようだった。
鍵が開いたので、極力音を出さないように外に出る。ヴェスペは入口とは逆の方向に歩き出した。
「あっちに、非常口があるの。そっちなら見張りはいないし、人もあんまり通らないよ」
しかしこの牢屋には驚く程人が少ない。よほどのことがない限り使われない場所なのだろう。しばらく歩いて、緑色の非常口のランプが見えてきた。
「ヴェスペ、待て」
すると、後ろから声が聞こえた。ヴェスペを見ると、心底鬱陶しそうな顔をしていた。振り返ると、こちらに歩いてくるレオと、さっきも見たロボットがいた。見つかってしまったか。
「シュティーア、これは……」
「話は後で聞く。とりあえず、リーゼと部屋に戻れ」
レオは、平坦な声でヴェスペの言葉を遮った。ヴェスペが唇を噛み締めて動かないので、テオは彼女の背中を押してやった。驚いた顔でこちらを見てきたので、ありがとう、と言っておく。渋々といった体でヴェスペはレオとすれ違い、ロボットとともに廊下を歩いていった。
「テオ、牢に戻れ」
「はい、見つかってしまったからには仕方ありません。ですが、少し話をしてもいいですか?」
「駄目だ」
予想のついていたこととはいえ、テオは少し落胆した。レオの顔を見てみるが、あの妙なゴーグルのせいで、表情がよく見えない。
「なぜです? 私のことを昔のようにテオと呼んでくれているのですから……」
「黙れ。いいから早くしろ。お前と話すことはない」
「……分かりました」
この六年間で、彼に何があったのだろう? 聞きたかったが、おそらく答えてはくれないだろう。相変わらず声は信じられないくらい平坦だった。
それから、無言でテオは牢屋に戻り、レオが扉を閉めるのを見ていた。
「テオ」
「? なんでしょう」
扉が閉まる直前でレオは手を止め、声をかけてきた。
「俺は、自分がエインヘリヤルになる以前のことを全くと言っていいほど覚えていない。記憶が失われているんだ。だから、お前がかつての知り合いだったということは分かっても、どういう経緯でであったのかなどは分からない。この先思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれない」
「それは、なぜ……」
「話すことは、これだけだ」
そう言うと、レオは扉を閉めて行ってしまった。テオは、彼の足音が聞こえなくなるまで鉄格子を掴んで立ち尽くしていた。
ただ、背を向ける直前に見えた、歯ぎしりをするような口の動きがひどく気にかかった。
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