第14話 兵士ごっこはもうおしまい

 テオドール率いる革命軍の国立研究所占拠は、今や全国にある十の研究所のうち、四つにまで及んでいる。第五部隊とほぼ時期を同じくして異動となった、ドラッヘとフロイラインの二人が今いるドルガ支部の近くの研究所も、占拠されたうちの一つだった。

「まあ、いいけど。こんな辺鄙な場所にいても退屈なだけだし、少しくらい騒動があった方が、張り合いがあるってものよね」

 ここ、ドルガ地方は、東の国の北部に位置し、大きくも小さくもない街が点在する、戦争とも縁が薄い穏やかな土地だった。この『穏やか』は、ドラッヘに言わせれば『退屈』なだけだそうだが。

「この任務を楽しむことで、何か有利な点はありますか?」

 揺れるトレーラーの中、フロイラインはドラッヘと向かい合って座っている。ドラッヘがすでに飛行機のような翼で武装しているのに対し、彼女の右腕は普段着けている戦闘力のないもののままだった。彼女の武器である機械仕掛けの巨大なハンマー、パイルバンカーは、大きすぎてトレーラーに収まらないのだ。今は、後ろを走るトラックの荷台に積んでいる。

「あなた、またそれなの? 口を開けば任務、任務って」

「私たちは兵士なのですから、当然です」

 ドラッヘは立てた膝に頬杖をつきながら、先日のヴェスペの言葉を思い出した。

「いい加減やめたら? その兵士ごっこ。あなただって楽しくないでしょ」

 フロイラインは僅かに首を傾げて、どういうことですか、と聞いた。本来可愛らしく見えるはずのその動作は、不自然に見開かれた両目のせいか、むしろ不気味だった。

「私がいつごっこ遊びなどしたというのです。理解不能です」

 あまりになめらかなその台詞は、やはり芝居がかった印象をドラッヘに与えた。

「決めつける前に、もう少しきちんと考えたほうがいいわ」

 彼女の大きすぎる瞳から視線をそらし、やや投げやりにドラッヘは言った。見計らったように、トレーラーが停車する。

「さ、行くわよ」

「はい」


 研究所ドルガ支部で見張りをしていた革命軍は、正規軍のエンブレムが付いたトレーラーが走ってくるのを見ると、より一層警備を固めて待ち構えた。

 ピリピリと緊張が走る中、フロイラインは右腕をパイルバンカーに替えて彼らの前に立った。左手には拡声器を持っている。今日の目的はただ戦うだけではない。まずは、政府の意志を伝えなければならないのだ。

「政府は、あなたがたの要求を受け入れません」

 澄んだソプラノが、幾重にも響いた。敵は静まり返っている。

「今そちらが武装を解除するなら、罪には問いません。しかし、これ以上研究所の占拠を続けるようなら、武力をもって解決します。いかがですか」

 ガシャ、と拡声器を下ろす音を最後に、沈黙が落ちた。そして、フロイラインが口を開き、何かを言おうとした瞬間、その足元に弾丸が撃ち込まれた。巨大な右腕に似合わない身軽さで後ろに跳び退り、警戒するが、二発目は飛んでこない。単なる意思表示だったようだ。

「交渉決裂。戦闘を開始します」

 拡声器をその場に投げ捨て、フロイラインはグ、と体勢を低くした。革命軍側も一斉に銃を構え、張り詰めた空気がその場を包んだ時、

「待て、待ってくれ!」

 銃を構えた列の後ろから、まだ十七にもならないであろう少年が駆け出してきた。

「止まりなさい」

 少年はフロイラインの冷ややかな声にびくりと体をすくませたが、すぐに顔を上げ、フロイラインをまっすぐに見つめた。

「なあ、お前、クラウディアだろ? なんでそんなところにいるんだよ」

「何を言っているのですか? 私はエインヘリヤルのフロイラインです。あなたとは敵同士のはずです」

 彼の背後の仲間たちは、息を呑んで二人の様子を見守っていた。不意打ちなど思いつきもしない。この状況は、彼らにとっても完全に予想外なのだ。少年は説得しようとするように一歩前に出た。

「わからないのか? 俺だよ、オス……」

 言い終わる前に、フロイラインは右腕を振りかぶった。装甲を貫く威力であるはずのそれは、手加減したためにその五体をバラバラにするには至らなかった。それでも大きく弾き飛ばされる少年。フロイラインは彼が地面に倒れ伏したのを見てから歩を進めた。

「任務を続行します」

 今度こそ戦いは避けられないかと、革命軍がそれぞれ武器を構えた。

「……?」

 そのとき、フロイラインの顔に影が落ちかかった。つい先ほど叩きのめしたはずの少年が、血塗れの姿で彼女の前に立ち塞がったのだ。

「あなた……」

 少年は濡れた指でフロイラインの頬を撫でる。赤い色が彼女の白い肌に付いた。彼はにっこり笑ったようだった。

「やっぱり、クラウディアだ。見間違うはずない。覚えてるだろ? お前の兄ちゃんだよ。探してたんだ。一緒に、家、に、かえ……」

 またも最後まで言うことができないまま、少年は力尽きたようにくずおれた。指が軍服の襟に引っかかり、引きずられてフロイラインも冷たい地面に座り込む。目を限界まで見開いてその少年を見つめる。

「お兄ちゃん……?」

 その顔は赤茶の前髪に隠れてよく見えない。それを退けようと右手を動かしかけて、彼女は自分の肩の先につながっているものが、白くて細い少女の腕ではなく、歪な金属塊であることに気付いた。

「……っ」

 ひくっ、と、少女は喉を震わせた。

「……いや、いやああああああっ!!!」

 我を失った改造人間が、すべてを叩き潰そうと右腕を持ち上げる。それまでただ呆然と見ていた革命軍の人々は、咄嗟に銃を向けた。が、そのたくさんの銃口が火を吹く前に、どこからかもう一人のエインヘリヤルが飛び降りてきて、躊躇なく仲間の首筋に手刀を叩き込んだ。フロイラインが意識を失うと、凶悪な右腕は接続を断ち切られ、ひとりでに彼女の肩から外れてゴトンと地に落ちた。

 エインヘリヤル、ドラッヘは、混乱する革命軍の面々を冷ややかに一瞥すると、フロイラインを抱えて飛び去った。


「オスカーが、エインヘリヤルの中に自分の妹がいた、と言っているらしいですね」

 革命軍のリーダー、テオドールは、隣を歩くロベルトにそう話しかけた。

「ああ、そうらしいな。見間違いじゃなかったってことだ」

 テオはそうですか、とだけ答えて、歩き続けた。そういえば彼も、前にオスカーと似たようなことを言っていた。エインヘリヤルの一人が、知り合いに似ていると。

「テオ」

 振り返った青い目は、柔らかな光をたたえてはいるが、その奥に何か違うものを隠している気がして、ロベルトは不安になった。

「お前は大丈夫なのかよ?」

「何がですか」

「だから、お前もエインヘリヤルに知り合いがいたとかなんとか言ってただろ? もしそいつと戦うことになったりした場合、ちゃんと戦えるのかって話だよ」

 ああ、そのことですか、とテオはごく軽く受け流した。口元に笑みさえ浮かべて。

「この前も言った通り、それはありえないことですよ。私の知っている彼は、精神的にも、身体的にも戦うことなどできない人でしたから」

 ロベルトは唇を噛んだ。『ありえない』の一言では少しも安心できないことは、この男なら分かっているだろうに。

「もしもってこともあるだろう!? さっきからお前らしくないぞ」

「そうかもしれませんね。……貴方の用があるのは倉庫の方でしょう。では、またあとで」

 左右への曲がり角で、テオは軽い挨拶とともに左に曲がっていこうとする。ロベルトが行こうとしているのは右の方だ。

「おい、一応聞いとくが、そのお前の知り合いは、なんて名前だった?」

 知っておけば何かの役には立つかもしれない。杞憂ならばそれでいい。

「レオポルト、ですよ。私はレオと呼んでいました」

 彼は首を傾げながらも教えてくれた。テオのリーダーシップには目を瞠るものがある。この革命軍になくてはならない人材だが、彼自身の性格はとても不安定なものだとロベルトは予想している。何かあれば、彼はすべてを投げ出して駆けていってしまうだろう。だがせめて、政府との交渉が済むまでは、こちら側にいてもらわなければ困るのだ。

「まさかとは思うが……。しっかりしてくれよ、リーダー」

「何度目ですか、それ」

 テオは苦笑した。その表情が、憎らしいほど様になっている。


 エインヘリヤルの中でもトップレベルの実力と民衆の人気を持つフロイラインが、革命軍によって傷を負わされたという噂は、瞬く間に広まった。まして、中央は文字通り国の中心部。そこにいるヴェスペたちの耳に入るのもすぐだった。

「心配だねえ」

 例によって、ヴェスペとリーゼは食堂で昼食を食べながらニュースを見ていた。リーゼはガクンと頷く。フロイラインと会ったのは二回だが、その奇抜な見た目で強く印象に残っている。ヴェスペは携帯を取り出して、日付を確認した。左手で操作しつつ右手でサラダを食べる。

「ねえ、リーゼ。明日非番の日なんだけどさ、お見舞いに行かない?」

 それはいいかもしれない。基地にいてもあまりやることはないし、たまには遠出してみるのもいいだろう。ところで、フロイラインがいるのってどこなのさ。

「ニュースではドルガ基地ってとこにいるって言ってたけど……」

 ドルガ地方がどこなのかは分からないってパターンですか。

「ま、まあ。調べれば行き方くらい分かるでしょ」


「ドルガ基地前、ドルガ基地前でーす」

 鉄道とバスをいくつか乗り継いで、リーゼとヴェスペはなんとかドルガ基地にたどり着くことができた。三時間と少しかかった。リーゼは自分が列車やバスに乗るとき、断られるのではないかと戦々恐々としていたが、意外にも一度もそういったことはなかった。平日の昼間で、他の客が少なかったからだろう。

 基地の建物にも、ヴェスペが身分証を見せるとあっさり入れた。しかし地図がない。

「うーん。フロイラインは多分医務室にいると思うんだけど……」

 どうするのさ、とリーゼが途方に暮れていると、ヴェスペはさっさと歩き出し、そこらの事務員らしき人に場所と行き方を聞いていた。こういう時心強いなあと思う。もし普通に声が出たとしても、リーゼならためらっているところだ。

「そこの角を曲がったところから二階に上がって、廊下を西にまっすぐ進んだところにあるって」

 ほら行くよ、と進行方向を指差して歩き出すヴェスペ。なんとなく薄暗い階段を上り、廊下を進む。果たして、『医務室』の札のかかった扉を見つけることができた。部屋の中からは何の物音もしなくて、開けていいものかと少し悩む。ヴェスペも同じ気持ちだったらしく、ドアノブに手をかけたまま数秒程度動きを止めた。

「……失礼します」

 扉を開けて中に入ると、部屋を半分に区切る衝立の向こうから、誰? と女性の声が聞こえた。これは、フロイラインの同僚、ドラッヘの声だ。

「先生ったら、鍵をかけるのを忘れてたのね」

 先生、とは、この基地に所属する医師のことだろう。もしかして、面会謝絶だったりするのだろうか。ヴェスペは決まり悪そうにそろそろと衝立の端に近づいた。

「ヴェスペ……だよ。お見舞いに、来たんだけど」

「あら、ヴェスペ?」

 椅子から立ち上がる音がして、衝立の陰からドラッヘが出てきた。最初、彼女らしくないぼんやりした表情だったが、すぐに口元に力を入れていつもの自信にあふれた顔になった。

「こんなところまでご苦労さま。でも残念だったわね。フロイライン、一昨日からずっと目を覚まさないのよ」

「ずっと?」

「ええ、ずっと」

 ドラッヘはヴェスペとリーゼを手招いた。それに従ってベッドの脇に立つ。真っ白いシーツにくるまったフロイラインは、子供のような表情で規則正しい寝息を立てていた。リーゼは、以前会った時との印象の差に驚いた。

「そういえば、ヴェスペ。あなた、この子が兵士ごっこをしてるみたいと言っていたじゃない?」

 もう一度パイプ椅子に座り、ドラッヘはフロイラインの前髪を手で梳いた。

「うん。言ったけど」

「もう、やめちゃったみたいよ」

 ヴェスペはフロイラインの頬を人差し指でつついた。

「なんでやめたの?」

「さあ? あたしもよくは知らないわ」

 その白い肌は柔らかく、戦いなどとは無縁の穏やかな表情をしていた。

「革命軍に、何か見たくないものを見せられたみたい」

 生返事をして、ヴェスペはフロイラインの広い額を撫で回した。形がいい。

「それで、ドラッヘはこれからどうするのさ」

 ドラッヘはいじりすぎよ、とヴェスペを軽くたしなめた。渋々といった体で手を退ける。

「できる限り、この子を支えてあげようと思うわ。このままでいいはずないもの」

 ヴェスペはドラッヘの横顔に目を向けた。リーゼも同様に彼女の赤い後ろ頭を凝視する。

「何よ。びっくりしたみたいな顔して」

「いや、あなたはもっと仲間に冷たい人だと思ってた」

 リーゼも頷く。徹底的に冷淡で傲慢な人なんだと思い込んでいた。

「相当失礼ね、あなたたち」

 言葉とは裏腹に、彼女は笑みを浮かべていた。いつものあくどい笑みとは違う、穏やかなものだったので、リーゼは普段からそれでいればいいのに、と思った。

「これでも一年と少しの付き合いがあるのよ。簡単に切り捨てられるものじゃないわ」

 それに、と言いさしてドラッヘは椅子から立ち上がった。ヴェスペの額を人差し指でつつく。

「あたし、馬鹿な男は嫌いだけど、賢くて可愛い女の子は大好きなの」

 最後にニ、と見慣れた笑顔を作ってみせると、じゃあね、と言って去っていった。ヴェスペはつつかれた額を右手で押さえ、しばらく黙っていたが、じきに立ち上がった。

「じゃあ、あたしたちも行こうか。いつまでもここにいても仕方ないし」

 そうして部屋を出る直前、リーゼはふとフロイラインの寝顔を振り返った。前に、彼女の兵士ごっこの様子は誰かを思い起こさせたが、

 おそらく、あの真っ白い青年の、何かがこぼれださないよう引き結ばれた唇に、似ているのだ。

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