第13話 護衛任務

「あっ、ねえねえ、おっさんがテレビに出てるよ」

 五日後、ヴェスペは食堂の大きなテレビを指差してそう言った。ニュース番組だ。一人の男が報道陣に囲まれて煩わしそうに歩いていく姿が映し出されている。顔を見れば、確かにベンノだった。画面の隅の窓には、「『革命軍』各地研究所支部を占拠」と書かれている。何の話かと思って聞いていると、どうも国内で武装集団が発生して、一部の国立研究所を占拠したらしい。彼らは西の国との戦争をやめることを要求していて、政府はまだ対応を決めていない、という話だった。それで、ベンノはたまたまその武装集団の幹部と会って話をしたので、何か知っているのではないかと思われているらしい。

「ふーん、おっさん自身が何かしたわけじゃないんだ。つまんないの」

 朝食のコーンクリームを吹いて冷ましながら、ヴェスペは面白くなさそうな顔だ。リーゼも、バゲットをひとかけちぎって口に入れる。ニュースによると、彼らは「武力はあくまで交渉の材料だ」と言っており、積極的にこちらを攻撃しようという気はないらしいが、なんにせよ物騒な話だ。早く収束すればいいが。

「あ、メール」

 ヴェスペはスプーンを一旦置き、ポケットから携帯を取り出した。直後、眉をぴくりと動かした。画面をこちらに向けるので見てみると、シュティーアからの連絡だった。要件は、任務についての説明があるので今日の十時に集まるようにとのこと。

「悪いけどさ、リーゼ。また一人で行ってくれる?」

 またか。特に不都合はないが、流石にこれ以上この状態を続けるのはどうかと思う。それに、リーゼとしても居心地が悪い。だから、仲良くなれとは言わないまでも、せめて日常会話くらいは普通にこなして欲しい。そんな思いを込めてヴェスペを見つめていると、どうやら通じたらしく、彼女はバツの悪そうな顔で俯いた。

「でもさあ……」

 まあ、言い訳ぐらいは聞こう。彼女の上目遣いの瞳を見返していると、結局何も思いつかなかったらしく、悔しそうに唇を噛んだ。

「わかったよ、行けばいいんでしょ? 行けば!」


 ところ変わって第三会議室。ちなみに、ここに来るまでに二回ほど道に迷った。その度にヴェスペがほらついてない、やっぱり帰ろう、と言うのをなだめるのに苦労した。結果、かなり時間ギリギリになってしまったが、なんとか間に合った。ヴェスペが席に着くのを見ると、シュティーアは早速話を始める。

「バルツ地方などで起こった研究所占拠の話は聞いているか?」

 答えないヴェスペの代わりにリーゼが頷く。

「そうか。なら話が早い。連中の話では、この運動はまだ続く。そのこともあり、中央の市街地もあまり安全とは言えないので、国王が東カルゼン地方の国有地に移られることとなった。今回の任務は、その護衛だ。出発は今から二十四時間後、明日の十時だ。十五分前には、準備を整えて軍本部正門前に集合すること。ただし武装はしなくていい。以上だ」

 話が終わったので、シュティーアはすぐに部屋を出ていった。やはり彼も、ヴェスペのことが嫌いなのだろうか。二人しかいない部下の一人、しかもリーゼより付き合いは長いはずなのに、それでいいのだろうか。彼は表情に乏しすぎて、そういったことを察することはできそうもない。自分の無力を痛感するリーゼだった。


 翌日。流石にヴェスペも、任務をボイコットする気は起きなかったらしく、九時四十分にはいつも通りのミニスカート姿で正門前にいた。昨日言われたように黒い羽は装備していない。どうやって戦うつもりなんだろう。そこにはトラックにカモフラージュしたトレーラーが停めてあった。シュティーアの話によると、まずこれに乗って現在の王の住居まで行き、そこで王の乗った車と合流して地方に行くらしい。今回の避難は、一部高官を除いて誰にも知らされていないそうで、なるべく目立たないようにする必要がある。

「テレビとかでも全然見ないけど、王様ってどんな人だろうね、リーゼ」

 頷く。この国の王様はほとんど民衆の前に姿を現さない、らしい。ヴェスペもこれまでこの国で暮らしてきて、テレビでも王様を見たことはないと言っていた。巷では様々な噂が飛び交っている。とんでもなく病気がちだとか、老いと病の果てに脳みそだけになってもなお、王位に留まり続けているのだとか、そもそも人間ではなく巨大なコンピュータなのだとか。どれが本当なのかは定かではない。

「あたしたちにも姿は見せないつもりなのかな」

 そんなような気もする。

 ヴェスペと話をしていると、ちょうど四十五分になったあたりでシュティーアが来た。トラックの荷台の幌を持ち上げて中に入る。幌には外側から見えにくいように、たくさんの覗き穴が空けられている。ヴェスペはその内の一つに吸い寄せられるように近づくと、外を眺めだした。

「こう、さ……。相手からは見られてないけどこっちは見えてるって、優越感あるよね」

 そうなのかもしれないが、覗き穴の位置は低すぎて、リーゼには見ることができない。シュティーアは例によって離れたところに座っている。じきに車は動き出した。

 三十分ほど走ったところで停車すると、シュティーアはリーゼとヴェスペにここで待つように言い残して外へ出ていった。おそらく王城に着いたのだろうが、様子が窺えないのはやはり不安だ。アームでヴェスペの肩を叩くと、彼女は外に目を向けたまま答えた。

「シュティーアなら、執事っぽい人と話してるよ。それより、流石王城ってだけあってでっかいね。なんか玄関に石像みたいのあるし。あと花壇にめっちゃ花咲いてる」

 まあ、物事が大体順調そうだってことはわかった。

「あ、戻ってきた」

 シュティーアはトレーラーの中に戻ってくると、隅の方に積まれた箱の中から銃を二つ取り出した。片方をヴェスペに手渡す。

「リーゼは内蔵したものがあるから必要ないな?」

 そうですね、と頷く。ところで、ヴェスペはなんだかおっかなびっくり銃に触っているように見える。もしかして使い方が分からないんじゃないだろうか。いやそんなことはないだろう、と無理やり自分を納得させる。

「後方を走る黒い車に陛下が乗っている。よく周囲を警戒し、何かあればすぐに行動できるよう備えておけ」

 そう言うなり、彼は二人に背を向けて銃を抱え込み、後方に集中し始めた。すぐにトレーラーが揺れる。出発したようだ。


 三時間は経っただろうか。もうだいぶ前に市街地を抜け、延々と畑が続くなかを走ってきた。ヴェスペがいい加減あくびを噛み殺すのにも飽きてきた頃、再びトレーラーが止まった。到着したのだろうか。物音に目を向けると、シュティーアが立ち上がり、外に出ようとしていた。地図で見た限り、東カルゼンは直線距離で行けば中央からそう時間はかからない場所のようだったし、やはりここが目的地のようだ。しかし、隊長の横顔は、この薄暗い中でもわかるほど、青白い、というかもはや土気色で、とんでもなく具合が悪そうだった。大丈夫? と声をかけようとして、ヴェスペは思いとどまった。そうだ。こんな男、心配するほどの価値もないのだ。

 ところで、もうそろそろ外に出たい。ヴェスペは車に酔う質ではないが、長く車に乗っていると関節などが固まってくる。青空の下で思いっきり伸びをしたい。でも、勝手に出たら怒られるかな、と思いつつも堪えきれず、そろそろとシュティーアのあとに続いてトレーラーを降りる。やはり気づかれないというわけにはいかず、白いゴーグルがこちらを振り返った。が、彼はそのまま前に視線を戻した。あれ? と拍子抜けする。続いてリーゼも降りてきた。

 目の前に止まった黒い車のドアが開くのに合わせて、シュティーアが前に出る。

「護衛して下さり、ありがとうございました」

 降りてきた執事らしき初老の男と隊長が当たり障りのない会話をしている斜め後ろで、ヴェスペはぼんやりと高級そうな黒塗りの車を眺めていた。すると、後部座席の窓ガラスにベッタリと両手のひらを押し付けて外を見ている少年と目があった。王の家族も一緒に来ているのだろうか。とりあえず笑顔で手を振ると、少年はすぐに背を向けてしまった。嫌われてしまっただろうか。それから車からSPらしきゴツい男の人が出てきて、執事に何かを伝えると、今度は執事が車の扉を開けて中にいる人と二、三やり取りをした。相手はあの少年だろうか。執事は扉を閉めると、神妙な顔でヴェスペたちを手招いた。

「陛下が、あなたがたにご挨拶をなさりたいそうです。くれぐれも粗相のないようにお願いします」

「あ、はい」

 執事が後部座席の扉を開くと、先ほどの少年が、身軽な動作でぴょんと飛び降りてきた。ガラス越しにはよく分からなかったが、とても鮮やかな金髪だ。子供らしい大きなひとみも同じ色。歳は十二やそこらだろうか。と、いうか、王が挨拶って、それって、つまり、

「あなたが、王様……?」

「そうだ。私がこの国の王、ラルフ・オストヴァルトだ」

 嘘、小さっ! などと口に出すほどヴェスペは馬鹿ではなかった。疑ってしまった時点で手遅れな気もするが、幸い少年王は機嫌を損ねることなく、威厳ありげに胸を張っている。

「隊長はお前か? 護ってくれてありがとう」

「いえ、これも職務の一部ですので」

 なんの面白みもない返事をするシュティーアを、ヴェスペは苦々しい気持ちで見つめた。子供相手なんだからさ、もっと答えようもあるでしょ。

「お前たち、名はなんという?」

「はい、私はシュティーア、こちらは部下のヴェスペとリーゼです」

 王は、お前もなのか、と目を丸くしてリーゼを見ている。まあ無理もないことだろう。

「エインヘリヤルとは面白い者たちなのだな。もっと、近寄りがたい雰囲気を持っているものと思い込んでいた」

 あたしも、王様がこんなに小さいなんてびっくりしましたよ、とは、言わない。流石に不敬に当たる。

「そなたたちとまだ話したいが……。中央に戻ってしまうのだったな」

 シュンと肩を落とす王。そんなのはヴェスペも同じだ。どんな暮らしをしているのかなど、興味は尽きない。どうにかならないものかと考えて、ポケットの中を探ると、白いハンカチが一枚出てきた。しかしこれだけあっても仕方ない。不本意だが、本当に不本意だが、隣の男に声をかける。

「ねえ、シュティーア」

「なんだ、急を要する用事か」

「うん。……ペンか何か、持ってない?」

 王は二人が何やら小声で話しているのを、きょとんとした顔で見つめている。

「ああ、持っている」

 そう言って彼はコートのポケットからボールペンを取り出した。あれ、案外すんなりいった、と驚く。貸してもらえるとは思わなかった。

「ペンだけではどうしようもないだろう。メモ用紙程度なら持っているが、どうする」

 しかも妙に親切だ。本当にこいつはシュティーアだろうか。少し不安になってきた。ただまあ、もらえるものはもらっておこう。手帳からちぎりとった紙切れを受け取る。ヴェスペはそれに自分の携帯の電話番号を書くと、王に差し出した。

「……これは?」

「あたしの携帯電話の番号ですよ、陛下」

 王は紙切れを受け取ると、唇を尖らせてまじまじと見つめた。もしかすると、今まで自分で電話を使ったことがないのかもしれない。だとしても、使い方くらいは分かるだろう。

「あたしと話したくなったら、これに電話してください。戦っている最中でなければ、出られるはずですよ」

 こちらを見上げる顔は血色が良く、頬は桃色をしていた。やっぱり子供なのだなあ、と、ヴェスペは微笑ましい気分になった。王は紙切れを丁寧に折りたたんでしまい込むと、もう一度顔を上げ、三人をぐるりと見回した。

「ありがとう。必ず電話する。それでなくとも、また会いたいものだな」

「これはもったいないお言葉。私どもの方こそ、お礼を言わなければなりませんな」

 シュティーア、もう少しでいいから、声に温かみを持たせる努力をしようよ。

「いや、いいんだ。では、元気でな」

 執事に連れられ、屋敷の中に消えていく王。扉を閉める直前、手を振ってきたので、ヴェスペも振り返した。ちゃんと見えていればいいのだが。


 任務も無事終了したので、特に何もしていないリーゼも肩の荷が降りた気分で、揺れる帰りのトレーラーの中で脚を伸ばしていた。荷台は狭くなるが、三人しか乗っていないのだから特に問題はないだろう。

「ねえ、リーゼ」

 そんな中、ヴェスペがエンジン音にかき消されそうな小声で話しかけてきた。シュティーアに聞かれたくないのか、チラチラと彼に視線をやっている。なんだか妙な顔だ。真面目なような、それでいて無理に笑おうとしているような、そんな顔。これは……、秘密を打ち明けようとしているときの表情ではないだろうか。いや、リーゼにもよく分かってはいないのだが。

「実は、あたしさ……。銃の使い方、分かんないんだ」

 ほらやっぱり。そんなことだろうと思ったよ。じゃあ敵襲があったときは、どうするつもりだったのさ。

「いや、危険な状況になったりしたら、撃つ前に出て行って銃でぶん殴ればいいんじゃないかな、と思ってた。結構重いし、これ」

 そんなことでいいのか、仮にも職業軍人が。

「まあ、結局何もなかったんだし、よかったじゃん。結果オーライってやつだよ」

 リーゼは呆れたが、同時に安心もした。あの小さな王に会ったからなのか、彼女の表情が心持ち明るくなったようだったから。

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