第12話 輝くは青の瞳
ヴェスペが中央に行ってしまった、その日の内に、国立研究所バルツ地方支部が何者かに襲撃された。緊急の命令を受け、ベンノの率いる部隊が駆けつける。いつもは戦車に乗っているベンノは、今日は装甲車の中にいた。頭を出して、双眼鏡で数十メートル先で警戒している敵を観察する。
「くそう……いい装備持ってるじゃねえか……」
目視で確認する限り、入口付近の敵が持っている銃は東の軍で正規に使われているものではない。おそらく、北の隣国で生産されているものだ。射撃精度と故障しにくさを両立した扱いやすい小銃。ただ、やや重いのが難点といえば難点……。おっと、話がそれた。まあつまるところ、軍の装備ではないということは、内部のクーデターである可能性は低いだろう。
ベンノがあれこれ考えを巡らせていると、研究所を守る敵の中から、一台の装甲車が進み出てきた。やはり軍で使っているものとは違う。一応味方に銃を構える合図をしながら見ていると、上部のハッチから一人の青年が姿を現した。かなり近くまで来たので、双眼鏡なしでも顔が見える。なんというか、イケメンだ。癖のある茶髪に深い青の瞳。目尻は僅かに垂れていて、さぞモテることだろうとベンノはひねくれ気味に考えた。ただ優男というわけでもなく、迷彩服が妙に似合っている。その男は、拡声器を口元に当てた。
「隊長は誰ですか? 話があります、出てきてください」
仕方がないので、装甲車の運転手に言って前に出る。
「あー、俺が隊長のベンノだ。手短に頼む」
「初めまして、私はテオドール・クラウスナーといいます。そして後ろにいるのは、私の呼びかけに応じて集まった革命軍です」
革命軍? 大層な名前だ。ベンノの怪訝な顔が見えたのか、テオドールはふ、と笑った。
「私たちがここを占拠したのは、要求を通すためです。決して血を流すためではない。政府が私たちの要求を受け入れてくれるなら、すぐにでも手を引きましょう」
そんなこと、俺に言われてもなあ。ベンノはいつもの癖で後頭部を掻こうとしたが、相手は真面目な話をしているようなので、我慢した。
「で? 要求ってのは何だ」
テオドールはよく言ってくれたというように目を輝かせ、拡声器を持ち直した。
「私たちの願いは一つ、この不毛な戦争をやめてほしいだけです。このままの状況がいつまでも続くとお思いですか? この今の安定は危うい均衡の上に成り立っているのです。今すぐにでも西の国と和平を結ばなくてはならない。私たちはこの国の為を思ってこの軍を作りました」
そこで彼は一旦言葉を切ると、息を大きく吸い込んだ。
「今は亡き、ジルヴェスター・ヘルツの遺志を継ぎ、この国に真の安定をもたらすために」
ベンノは、テオドールが口にしたその名に聞き覚えがあった。しかし、随分久しぶりに聞いた気がする。
「ヘルツって、もう六年も前に暗殺された政治家じゃねえか」
そうです、と青年は目を伏せた。
「本当に残念なことです。ですが、彼の死によって目を覚ました者も、我が軍には数多くいます。私たちは、彼の行動と死が無意味なことではなかったと証明するために戦っていると言ってもいいでしょう。あれから六年、私たちは革命の機会を待ち続けてきたのです。そして……」
そこでベンノは、もういいと言って彼の話を打ち切った。手短にと言ったのに、話が長い。止めなければいつまででも話していそうだ。が、まあ、言いたいことは分かった。要は、今こいつが言ったことをそのまま上司に伝えればいいわけだ。
「なんにせよ、俺がここにいたってどうしようもないもんなあ」
ここは人通りのあまり多くない場所だが、一応街中なので派手な戦闘はできないし、上からは研究所を極力壊さないようにと言われている。それに、彼らは自国民だ。戦いはなるべく避けたい。
「その通りです。貴方は頭がいい。そんなところにいないで、私たちと戦いませんか?」
「あ? 馬鹿言ってんじゃねえよ、若造が」
テオドールは冗談です、と微笑むと、研究所の中に戻っていった。ベンノも、味方に命令して帰ることにする。これ以上この場にいても、何もいいことはない。
***
「テオ。また来てくれたの?」
二階の端にあるその病室を訪ねると、ベッドの上の少年は眼鏡の奥の青い目を見開いた。そんなに驚くことかなあ、と、テオは頭を掻いた。
あの日、友達から怪しい噂を聞いて忍び込んだ部屋にいたのは、幽霊以上に幽霊らしい、そんな少年だった。テオは、一言謝ってすぐさま出ていこうとしたが、彼はそれを引き止めた。
「ちょうど暇だったんだ。よかったら話し相手になって」
何の用かと聞かれて口ごもるテオに、少年はそう言って微笑んだ。思い出補正がかかっているのかもしれないが、すごく綺麗な笑い方だと思った覚えがある。
レオと名乗ったその少年は、幼い頃から体が弱く、気軽に外出することもままならないらしい。テオは、世の中にはそんな境遇の子供がいることを知識としては知っていたが、新鮮な驚きとともにレオを見た。彼は外のことを教えてほしいと言う。レオは学校に行く代わりに家庭教師を呼び、友達と遊ぶ代わりに本を読むそうだ。
自分にとってはなんの変哲もない日常でも、話してやるとレオはとても喜んだので、帰り際にまた来ると約束した。それから、ほぼ一週間ごとにテオはこの病室を訪ねている。例の友達からはそこに何がいたのかと散々聞かれたが、答えなかった。レオのいる病室は、静かに保っておかなくてはいけない気がしたから。
自転車に乗って病院に来て、暖かい日差しの差し込む部屋で二人してベッドに腰掛けて、日がな一日他愛もないことを話した。テオからは学校のこと、友達のこと、家族のこと。レオは大体、最近読んだ本について話してくれた。彼の小難しい話に相槌を打ちながら、その光を透かす白い頬と、自分のものより淡い青色の瞳を眺めるのが好きだった。趣味も見た目も生活も、何もかも違う二人だったが、その青は、唯一のお揃いだった。
レオは自分の境遇についてあまり話したがらなかった。聞けば教えてくれたが、それについて自虐的なことや悲観的なことを言ったり、自ら面白がってみせたりはしなかった。ただ、事実として淡々と語った。
しかし一度だけ、自分自身のことについて、感情をあらわにしたことがあった。
「もし僕に、自由に動かせる手足があったら、一人だけでいいから、本当に困っている人を助けてみたいな」
普段より一段低いトーンで、ゆっくりとレオは言った。それを聞いた幼いテオは、どうせなら、世界中の人を救ってみせるとでも言えばいいのに、と枕を抱えながら思った。実際に口に出したかどうかは、忘れた。
***
バルツ基地を出発して中央に着くまでの約二時間、小刻みに揺れるトレーラーの中は、重苦しい空気に満ちていた。ヴェスペは発車から一言も喋らず、ずっと幌の隙間から外を眺めている。シュティーアはその反対側で、眠っているのか考え事をしているのか、腕組みをして俯いたまま動かない。リーゼはひたすら居心地が悪かった。
トレーラーが停ると、ヴェスペは逃げるように飛び降りた。リーゼもすぐに後を追う。軍本部の玄関の前には、白衣姿の男が立っていた。ヴェスペの叔父、トーマスだ。
「叔父さん。わざわざ来てくれたの?」
こちらに気づくと、トーマスは嬉しそうに笑った。ただ、目の下の隈はこの前と変わらない。
「うん。研究所からはそう遠くないし、せっかくだから挨拶ぐらいしとこうかと思って」
リーゼにも久しぶり、と声をかけ、動作不良はないか聞いてきた。体を横に振って答えたが、それでも少し心配そうだった。
「ちょっとでも異常があったら、すぐに知らせるんだよ」
もちろん、の意を込めて頷く。すると、よしよしと撫でられた。こちらの年齢は知らないはずなのに、どうして子供扱いしてくるのだろう。そんな様子を微笑ましく眺めていたヴェスペは、ふと後ろを振り返って、げ、と小さく声を上げた。トレーラーの運転手と何やら話をしていたシュティーアが、やりとりを終えて追いついてきたらしい。
「ヴェスペ。そこにいるのは誰だ?」
問いかけに答えず、口を尖らせるヴェスペ。あまり話しかけないでくれと言われたことを根に持っているらしい。代わりにトーマスが前に進み出た。
「初めまして。国立研究所に所属する技師のトーマス・エルスターといいます。ヴェスペさんは姪でして、いつもお世話になっております」
「これは失礼した。私は改造人間第五部隊隊長、シュティーアだ」
二人が握手をするのを、ヴェスペはそこらに唾を吐きそうな顔で見ていた。シュティーアはヴェスペに向き直ると、数枚の書類を手渡した。
「寮の利用についての書類だ。目を通しておくように」
「……」
意地でも喋らないつもりらしい。目を合わせすらしない。ただ、書類はきちんと受け取った。リーゼにも大体同じものを渡すと、シュティーアは軍本部の建物に入っていった。途端、ヴェスペが大げさに息をつく。
「あーあ。ごめんね叔父さん。せっかくリーゼと話してたのに、あんなのが割って入って」
「君ね……。上司だろう? あんなの呼ばわりはどうなのさ」
「あんなやつ、敬意を払う価値なんてないよ」
トーマスは苦笑しながら肩をすくめた。当然、ヴェスペは面白くない。
「何があったか知らないけど、食わず嫌いは良くないよ」
「なんの話?」
「人間関係の話さ」
ヴェスペは近くの柱に寄りかかってますます不機嫌な様子だ。
「だってさ、叔父さん。話しかけるなって言ってきたのは、あっちの方なんだよ」
「じゃあ、向こうも食わず嫌いなんだね。ますますもって良くない」
神妙な顔をして、リーゼを振り返った。
「ねえ、君もそう思うだろ?」
どう答えろというのか。
驚いたことに、今度はリーゼにも部屋が与えられていた。これでヴェスペの部屋を間借りしなくてもよくなったが、彼女はなんだか残念そうだった。遊びに来てもいい? と聞いてきたので、頷く。
さて、ヴェスペは荷解きをするために自分の部屋に行ったが、これからどうしよう。本当に身一つで来たので、やることがない。とりあえず、部屋を見回してみる。シングルのベッドが一つ置いてあるが、はっきり言っていらない。横になったら最後、絶対に自力で起き上がれない。それともう一つ、小さなキッチンが部屋の入り口近くに備え付けられていた。バルツ基地の寮にはなかったはずだ。流しと、一つきりのコンロと、棚の上におけるサイズの冷蔵庫がある。
レバー式の蛇口を開けてみる。キッチンを見ていると、孤児院にいた頃を思い出すな、とリーゼは少し微笑ましい気分になった。孤児院では、アイリと二人で子供たちの食事を作ったものだ。食材はあまりバリエーションが豊かとは言えなかったが、それでも飽きないように、いろいろなレシピを考えて、みんなを喜ばせようと努力した。もちろん不評の時もあったが。
このアームでも、料理はできるだろうか。もしできたら、ヴェスペにご馳走したい。そしていつかは、またアイリと一緒に作りたい。
「リーゼー? 来たよー」
狙ったように、ヴェスペの声がした。もう荷解きを終えたのか。いくらなんでも早すぎる。慌てて扉を開ける。
「自分の部屋にいても暇だし、話でもしようよ」
彼女はそう言って、リーゼのベッドに腰掛けた。このベッドは、主に彼女の特等席として使われることになりそうだ。
「ところでさ、中央のエインヘリヤルって、どういう任務が回ってくるものなんだろうね」
言われて気がついたが、国境近くのバルツ基地とは違うのだ。以前、任務の大部分を占めていた防衛任務はここにはない。では代わりに何があるのかといえば、リーゼにもよく分からなかった。首をひねるような動作をする。
「楽しい任務だといいんだけど」
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