第11話 金の腕、白い指先
二日後。シュティーアから事務連絡があるので集合するようにとのメールがあったが、無視した。横から覗きみたリーゼはなんだか不満そうだったので、行きたければ一人で行けば、と言っておいた。
一昨日の一件は向こうが悪いに決まっているのだが、あれから妙に胸にものがつかえたような感じがする。端的に言うと、モヤモヤする。その上リーゼもそばにいない。ヴェスペは誰かと話をしたくてたまらなかった。
一般兵の食堂に行けばベンノがいるかと思い、廊下を歩いていると、『赤いバラ』の一人、フロイラインとすれ違った。これ幸いと声をかける。
「こんにちは! 久しぶりだね、覚えてる? 前に一緒に戦ったんだけど」
彼女は行儀よく挨拶を返したあと、はい、と頷いた。
「第五部隊、ヴェスペ様ですね。存じております」
変な喋り方をする子だなあ、と思った。やや芝居がかっているようにも見える。日焼けしていない白い左手と、真鍮色に輝く機械の右手は、軍服の上できれいに重ねられていた。
「なんか堅苦しいなあ。同じエインヘリヤルなんだしさ、もっと砕けた話し方でいいよ。様なんて付けなくていいし」
「いえ、提案は受け入れられません」
即答だった。思考が一瞬止まる。
「だからね、もっと仲良くしようよって……」
「必要ありません」
彼女は、意識して平坦にしたような声で言った。何かこちらの言葉を勘違いしているのかとも思ったが、そんなことはないようだ。
「なんで? 理由を教えてほしいな」
「私たちは兵士です。個人的な交流は必要ありません」
その考え方って、かなり寂しくない? ヴェスペは思ったが、それを口に出す前に、フロイラインは会話を打ち切るように頭を下げた。
「用事がありますので、私はこれで」
引き止める間もなく、背を向けて歩いていってしまう。ヴェスペが中途半端に持ち上げた右手をどうするべきか迷っていると、後ろから声をかけられた。
「あの子、ずっとあんな調子なのよね。何言っても無駄よ」
ドラッヘだった。フロイラインの細い背中を見送りながら、隣に立つ。
「ずっと?」
「ええ。非番の日に遊びに行こうって誘っても、興味ありません、とか、用事がありますって言うばっかりで。ああいうのがかっこいいとでも思ってるのかしらね」
「うん、それよりも……」
なんとなく呟いてから、その考えをまだ言葉でまとめていないことに気づく。ドラッヘは、それよりも? とヴェスペの顔を覗き込んで聞き返した。ひとしきり唸って、一応の答えを出す。
「えっと……。なんか、ごっこ遊びをしてるっていうか……、ほかの人もそれに巻き込もうとしてるっていうか……」
「ふーん……。兵士ごっこ?」
ヴェスペは無言で頷いた。
「それは流石にあの子を幼く見過ぎな気もするけど……ふーん。面白いこと考えるわね、あなた」
あごに手を当てて、感心した風情のドラッヘ。対照的に、ヴェスペの胸の内はもやもやしたままだった。
だって、おかしいではないか。フロイラインは少なくとも十四歳位に見える。いよいよ現実が楽しくなってきた時期ではないか、とヴェスペは思う。そんな歳の少女が空想にのめり込むなんて、何かきっかけになる出来事があったに違いない。なおも難しい顔を続けるヴェスペを見かねたのか、ドラッヘが話を振ってきた。
「あ、ねえ、そういえば、あいつの本性は見抜けた?」
「あいつ?」
「ほら、あなたのところの上司よ。シュティーアっていったかしら」
ヴェスペはさらに不機嫌になった。今一番考えたくないことだったのに。それにヴェスペの考えでは、本性も何も、
「シュティーアは、最初っからあんな感じだと思うけどな」
直後、軽く後悔する。なぜ自分は、あのいけ好かない男を擁護するようなことを言っているのだろう。ドラッヘが彼について誤解していても、こちらは何も困らない。むしろ、面白おかしく脚色して、あることないこと話してしまえばよかったのだ。その方が楽しそうだし。ドラッヘは大げさにそうかしらあ? と肩を上げてみせた。
「あ、わかった。あなた、あいつが好きなんだ。だから庇うのね」
面白がるような笑みを含んだ声に、ヴェスペの視界が赤く染まった。誰が、誰を、好きだって?
「ふ、ふざけないでよ! あんなやつなんて大嫌いだし、あいつなんかより、リーゼの方が百倍好きだし――!」
マスコット的な意味で。
シュティーアにヴェスペは来ないのかと尋ねられたので、頷いて答えると、いつも通りそうか、と言った。なんとなく寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
「リーゼ、ヴェスペに会ったら、仕事以外の用件ではあまり俺に話しかけないでくれ、と伝えてほしい」
やっぱり、気のせいだ。シュティーアのヴェスペのことが嫌いらしい。自分は一体どうしたらいいのだろう、とリーゼは途方に暮れた。
そんなことを考えながら歩いていたからだろう。周囲への注意が疎かになっていたらしく、脚の一部が人とぶつかってしまった。咄嗟に頭を下げる。実際には胴体を前に傾けただけなのだが。
「いえ、お気になさらず」
見れば、一ヶ月と少し前に一緒に戦った二人組の片割れだった。確か、フロイラインといったか。彼女はこちらに軽くお辞儀をして、歩いて行ってしまった。リーゼは軽く胴体を傾ける。固く引き結ばれた口元に、既視感を覚えた。何と同じだったのかは、わからなかったが。
さらにしばらく進むと、ヴェスペの怒鳴り声が聞こえた。そうだ。自分は彼女を探して歩いていたのだった。しかしどうしたのだろう。
「リーゼの方が百倍好きだし!」
どういう状況? 廊下の角を曲がると、ヴェスペの後ろ姿が見えた。彼女を向かい合う赤髪の女性が、こちらを見つける。すると、なんだか怖いような目つきで睨まれた。ああ、面倒くさいことになっている、とリーゼは一瞬で理解した。
「あ、リーゼ」
ドラッヘの視線を追って、ヴェスペが振り返った。観念して二人の前に出ていく。
「で? あなた、これのことが好きだって?」
なんとなく呆然としたような声でドラッヘは言った。ヴェスペは当たり前と言いたげな顔で頷く。
「これ、なんて言わないでよ。可愛いでしょ」
ぺしぺしと装甲を叩かれる。いやいや、何言ってるのさ。そもそもこの二人、なんだか会話が噛み合っていないような感じがする。
「絶対おかしいわ。あの一応細身でスタイル良くて何より長身なシュティーアと比べて、それ? そのドラム缶?」
「見た目は関係ないでしょ。あたしはリーゼの方が好きなんだから、とやかく言われる筋合いないって」
多分、ドラッヘの言っている『好き』と、ヴェスペの言っている『好き』は全く違うことを表しているのだ。説明の足りないヴェスペの言葉に、ドラッヘがツッコんだ。もう我慢できないというようにまくし立てる。
「いやいやいや、納得できないわ。それとも、そのドラム缶の中身は超絶美少年だったりするのかしら!?」
詰め寄ってくるドラッヘ。何か危ういオーラがにじみだしている。このままだとリーゼの装甲を無理やりこじ開けかねない剣幕だ。どうにかしてよ、ヴェスペ。
「あのさ、リーゼはシャイだから、なるべく中身を見せたくないんだって。勘弁してやってくれない?」
そういう問題じゃない。力ずくでもいいからこの人を引き剥がしてくださいよ。もうこっちの体に手を掛けそうだよ。
と、そのとき携帯の着信音が鳴り響いた。どうやらドラッヘのポケットの中からだ。
「あら、失礼」
ドラッヘはこちらに背を向けると、携帯を取り出して短く会話した。一段高い声のトーンからして、おそらく仕事関係だ。程なくして携帯を閉じると、悔しそうな顔で振り返った。
「……この決着は、いつか必ずつけるわ!」
ビシッと人差し指を突きつけてとう言うと、廊下を歩いて行ってしまった。
「決着って、なんだろうね?」
僕に聞かないでよ。
ヴェスペはまあいっか、と伸びをすると、リーゼに向き直った。
「で? なんの用?」
ああ、そうだ。忘れるところだった。シュティーアからヴェスペに、書類を渡しておいてくれと言われていたんだった。ボディの中にしまいこんでいた書類を引っ張り出す。ドラム缶の中身は案外余裕があるので、こういうことも出来るわけだ。書類の右下に書かれた上司のサインを見て、ヴェスペは一瞬嫌そうな顔をしたが、案外あっさり受け取ってくれた。
「えっと……何々……。『異動要請』?」
三日後。ヴェスペは自室にて、トランクに物を詰めていた。大概止めたあと二度寝してしまうのであまり意味がない目覚まし時計や、眠れない時に読む用のなぜかいつまでも読み終わらない分厚い本など様々だが、大体は衣服だ。入れ忘れたものはないか確認して、蓋に体重をかけて押さえつける。なんとか閉まりそうなので安心した。
一般兵は、基地に配属されればそうそう異動することはないが、エインヘリヤルは大体三ヶ月くらいの周期で各地をローテーションしている。エインヘリヤルそれぞれで活躍に偏りが出ないように、とのことだ。ヴェスペは軍に入ってから日が浅く、一回しか異動した経験がないので、そのことをすっかり忘れていた。書類には、次の異動先は中央と書かれている。問題は、アイリに会うために国境までの距離が障害となるかどうかなのだが、リーゼと相談した結果、気にしても仕方がない、という結論に達した。東の国は国土が小さい上、軍の中央本部は西側に寄っているので、その気になればバルツ基地と日帰りで往復できる。何より、どっちにしろ留まるための申請は異動要請の前に出さなければいけないので、もう手遅れだ。
「片付け終わったけど、ねえ、リーゼ……、ってあれ?」
部屋の片隅で足を折りたたんでうずくまっているリーゼは、声をかけても動かなかった。眠ってしまったらしい。
三日前、書類とともにリーゼから伝えられたシュティーアの言葉を思い出す。『あまり話しかけないでくれ』。それくらい、口頭で言えばいいのに。そんなに話したくないか。こっちもそれは同じだ。内容は別にいいのだが、リーゼに伝言を頼むなんて、かわいそうだ。紙に伝言を書いてみせるまで、随分悩んでいた。多分、ヴェスペとシュティーアの仲の悪さがさらに悪化するのを気にしていたのだろう。別に気に病むことじゃない、とは言っておいたが、それでも申し訳なさそうに体を俯けたままだった。
そっちがそう言うなら、いいよ。もうドーナツなんて買ってやらないし、話しかけもしない。ヴェスペは誰も見ていないのにしかめっ面を作った。
……。いつまでもこの顔でいるわけにもいかない。さて、と気を取り直して時計を確認すると、もうそろそろ十二時だった。途端に空腹を自覚する。リーゼには悪いが、一人で昼食を食べに行こう。
そうだ、一般兵の食堂に行けば、あの人に会えるかもしれない。中央に行ったら会えなくなるのだから、今のうちにさよならを言っておこう。
案の定、ベンノは食堂にいた。もう食事は終えたらしく、コーヒーを飲んでいる。
「おっさん、久しぶり」
「ん、ヴェスペか。久しぶりってほどでもないだろ。たかが一週間で」
彼は微かに唇の端を歪めて笑った。ヴェスペはトレーを持って隣の椅子に座る。
「今日はあいつは一緒じゃねえのか?」
「ああ、リーゼ? 寝てたみたいだから置いてきた」
ミネストローネからマカロニを掬う。大量の湯気が立っていてすごく熱そうだったので、よく吹いてから口に入れる。……冷ましすぎた。
「ところでさ、あと三日で中央に異動することになったんだ」
「ほー、そりゃ……」
寂しくなるな、とでも言ってくれるのかと思いきや。
「騒がしいやつらがいなくなって、穏やかに食事が取れるようになるな」
一つ間を置いて、そんなことを言った。
「あ、ひどい」
ベンノはくつくつと喉の奥で笑う。明らかに面白がられている。
「冗談だ、冗談。向こうに行っても元気でな。運がよければまた会えるだろ」
「うん、おっさんもね」
そこで一旦会話は途切れ、ヴェスペがパンを一口大にちぎりつつ食べていると、何か思いついたようにベンノが声を上げた。
「そういやよ、お前の上司はどうしてる?」
その言葉にあの白いゴーグルを思い出すと同時に、ヴェスペは不機嫌になった。何故どいつもこいつもあいつを気にするのか。行儀悪くパンにかじりつく。
「なんかちょっと心配なんだけどよ……」
「知らない!」
ヴェスペは急いでパンを食べ終え、ミネストローネを飲み干すと、大きな音を出して立ち上がった。
「じゃあね! 今日は話せてよかったよ!」
食器が触れ合って甲高い音を立てるのも構わず、トレイを乱暴に持ち上げる。
「なんだよ、喧嘩でもしてんのか?」
「別にそんなことないよ!」
呆れた風情のベンノに背を向けて歩き出す。トレイを返しに行く途中、テーブルの足に爪先をぶつけて悶絶した。それもこれも全部あいつのせいだ。
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