第9話 石膏像のような彼
あの瞳が、どうしても苦手だ。
引き金を引くと、全身から血が引いていくのがわかった。どうしてかは知らない。知る必要もない。ただ、これなら行動に異常をきたすほどではないだろう。そう判断して歩を進めると、目の前に小柄な少女が立ち塞がった。また、その目だ。お前は間違っていると決めつけるような、鋭い光を放っている。これ以上負荷をかけると、いつも通りに動けなくなりそうだ。彼女を排除して進まなくてはならない。それなのに、右手の銃を、構えることができなかった。動かない体の代わりに、出口のない頭の中に言葉が溢れていく。
これは任務だ。私情を交えることは許されない。間違ったことをしているのは彼女の方だ。なのに何故俺はこんなところで立ち止まっている? もしかして、彼女の言うとおり、敵を見逃したいと思っているのか? それこそ許されないことだ。間違った考えに追従するなど。それに。たとえ俺の中にわずかなりともそんな気持ちがあったとして、義務と欲、どちらを優先すべきかなんて分かりきっていることだろう。いい加減動け。その右腕を持ち上げて、前に銃口を向けて引き金を引けばそれで御終いだ。だが、しかし、でも。
俺は、今相対している、あの澄んだ瞳に認めてもらえるような何かをしたい。
耳を劈くような悲鳴が聞こえたのは、その時のことだ。
――先ほどのあれは、良くなかったな。まったくもって無駄な行動だった。それ以前に命令違反ではないか。このような行動が続いてはならない。消してしまえ。あの時の心情も行動の理由も、忘れてしまえ――。
石膏像のような人だ、と、その人を最初に見たときに思った。三年前まで通っていた小さな学校の美術室に三つだけ置かれていた、人の顔を模した真っ白な胸像。彼の持つ色彩もさることながら、なんというか、その表情が、人間らしくなかったものだから。
「げ、シュティーア」
そしてその印象は、自分がここに来て約二ヶ月が経った今でも変わってはいない。
いつも通りの任務のあと、こっそり姿をくらまして西の国に向かおうとしたヴェスペとリーゼは、あっさりと上司のシュティーアに見つかった。
「どこへ行くつもりだ?」
ああ、やっぱり作戦が大雑把過ぎるんだよ。隣のヴェスペはあからさまに不機嫌そうな顔で唇を尖らせたあと、踵を返した。リーゼもそれに続く。
「わかったわかった! 陣営に戻ればいいんでしょ!」
「何をしようとしていた」
「ちょっとそこらを探索しようとしてただけ。あんたが心配するようなことは何もないから安心して!」
この上なく投げやりなヴェスペの言葉にも、シュティーアはいつもと同じ無表情で、そうか、とだけ返した。
「あいつ、嫌い!」
夕食のソーセージにフォークを突き立てつつ、ヴェスペが腹立たしげに言った。あいつ、とはもちろん、今日の任務で二人の作戦を阻んだ、白いゴーグルの男だ。しかし、この時間帯は、非番の者以外はほぼ全員のエインヘリヤルがこの食堂に集まっている。なので、当のシュティーアが聞いているかもしれないのだが、いいのだろうか。
「あいつさえいなければ、どうにかなったかもしれないのに……」
それは、どうだろうなあ。リーゼはやや遠くに視線をやりつつ考えた。そもそも、計画が杜撰すぎるのだ。東の国の防衛線から西の国の防衛線まで、どれだけの距離があるかすら分からないのに、方角だけを頼りに歩いていけるものなのか。たどり着けたとして、どうやって国の内部に侵入するのか。
「リーゼ、今、大丈夫なのかなあって思ったでしょ」
この黒髪の少女は、時々驚くような精度でこちらの考えていることを読み取ってくる。
「まあ、あたしもわかっちゃいるけどね。どれだけ念じたってシュティーアはいなくならないし、別の作戦を考えなきゃ……」
考え事をしているのか、それとも食事に集中しているのか、ヴェスペはしばらく喋らなかった。すべての皿を平らげて、マグカップのコーヒーを飲み干すと、彼女はリーゼの方を向いて明るい表情を作った。
「ところでさ、あたし、明日非番だから一緒に街に出ない? 美味しいドーナツ屋さんがあるんだ。甘いもの、好きでしょ?」
あまり食べたことはないが、ドーナツは好きだ。頷いてみせると、ヴェスペはますます嬉しそうに笑った。
「アイリちゃんのことは急がないといけないけど、焦っても仕方ないからね」
そうだ。焦っても仕方ない。アイリがどこにいるのか、そもそも生きているかもわからない状況だが、目の前の少女の楽しげな表情を見ていると、全部うまく行く、そんな気がした。
薄暗い倉庫の中、一人の青年が箱の上に置いたタブレット端末に見入っていた。画面から出る光に照らされた顔は、道を歩けば十人中九人が振り返るくらいに整っている。年齢は二十かもう少し上だろうか。
端末に映し出されているのは、一ヶ月と少し前にあったエインヘリヤルの戦闘の映像だ。マスコミが編集したらしく、昨今民衆の間で人気の二人組を中心に映しているが、青年が見たいのはその二人ではなかった。彼女らの華々しい戦闘の合間合間に申し訳程度に映る、白い武装の男。
「……似ているんですよね」
青年が首を傾げながら独り言を呟いていると、後ろから声がかかった。
「おい、テオ! こんなところで何してんだ」
「いえ、まあ……」
テオと呼ばれた青年が言葉を濁すと、同年代に見える男はずんずんと歩み寄り、テオが見ていた端末を覗き込んだ。
「あ? 『赤いバラ』の二人組じゃねえか。ファンなわけじゃないだろ」
まさか、と答えて、タブレット端末をスリープモードにする。
「今、少しだけ映った人が、昔の知り合いに似ていたものですから」
男は、ふーんと気のない返事をしてテオが端末をしまい込むのを見ていた。
「ん、そういや、オスカーのやつもエインヘリヤルに知り合いに似た奴がいるとか言ってたな。よくあることなのか?」
「さあ? でもまあ……」
テオは床から立ち上がってズボンについた埃を払い落とした。
「多分気のせいだと思いますよ。彼は、戦いなどできないような人でしたから」
なんとなくつまらなさそうな様子の男に、テオは何の用ですか、と聞いた。
「ああ、もうすぐ会議が始まるんだ。お前が来ないってんで、探しに来た」
「そうですか。今行きますと伝えてください」
「しっかりしてくれよ、お前がリーダーなんだから」
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