第7話 錆びた箱の中身は、

 とうの昔に役目を終えた時計台。アイリとカイ、それにたった数人の護衛は、展望台を兼ねた最上階から戦場を眺めていた。状況は、悪いようだ。大きなガラスの窓からは、仲間たちが敵に倒されていく様子が見える。

「アイリ姉ちゃん、見ない方がいいよ」

 ガラスに手のひらと額をつけて、祈るように仲間たちを見ていたアイリは、戦場から目を離さないまま首を横に振った。

「ううん。私は、これを見てないといけないわ」

 きっと彼女は、その丸い眦をひきつらせて、手の震えを必死に押し殺している。けれど、自分にはどうしてあげることもできない。カイに彼女をガラスから引き離す権利はない。仲間が死んでいっていることよりも何よりも、そのことが悔しくて、悲しくてたまらなかった。

「ね、カイくん」

「何?」

 少しなりとも声が弾んでしまったのは、仕方のないことだろう。

「……勝てるかな」

「大丈夫だよ!」

 彼女がなにを言うかは予想できたので、すぐに切り返す。そんなことを言わせてはいけない。彼女の過去を知る者として、カイにはアイリを元気づける義務があった。

「大丈夫! ほら、みんな訓練とかすごく頑張ってくれたじゃないか! 負ける理由なんてどこにもないよ!」

「そ、そうかな」

 多少なりとも表情を和らげたアイリの顔に、

「うん、私が暗い顔してちゃ、格好がつかないもの……」

 十五階の窓の外に現れた何者かによって、黒い影が落ちた。

 一早く気づいたカイがアイリを腕の中に庇いこむ。彼の背中はまだ小さかったが、痩せたアイリを破片から守るには十分だった。次いで、派手な音とともにガラスが割れる。すぐに立ち上がって、侵入者を迎え討とうと振り返る、はずが、

「カイくん?」

 意に反して、体は動かなかった。それどころか、アイリに体重を預けてしまっている。これではいけない。そう思って、力を振り絞って彼女の肩を押し、仰向けに倒れる。途端、激痛が襲った。背中に刺さっていたガラス片が、一斉に食い込んだのだ。だが、彼には今そんなことまで考えていられるほどの余裕はなかった。侵入者にも、意識が回らない。

「~~!」

 声にならない悲鳴を上げる。揺れる視界に、泣きそうになったアイリの顔が映った。彼は少しだけ我に返る。横倒しの姿勢で、呆然とその顔を見上げた。

 あれ、俺、なんでこんなところにいるんだろう、なんで戦争なんかやってるんだろう、なんで大怪我してるんだろう、なんで、

「カイくん!」

 なんで、大好きなアイリ姉ちゃんを泣かせてるんだろう。

「……笑ってよ、ねえ」


 急がないと。

 すでに戦闘が終わった旧市街を走る。この機械の体は、あまり速度が出ない代わりに疲れというものを知らないみたいだ。散々呪ったこの体も、この時ばかりは好都合。

 急がないと。もう二度と、あの子を危ない目に合わせたりはしない。


 少年の手が血だまりに落ちる。それとともに、うるさく叫んでいた少女も静かになる。ドラッへはパチパチと気のない拍手をした。

「大したナイト様ね。……もう死んじゃったけど」

 少女が何か反応する前に、扉が開いた。ぞろぞろと入ってきたのは、東の国の一般兵たちだ。

「あんたたち、こんな小さい塔一つ制圧するのに、どれだけ時間かけてるのよ」

「はっ、申し訳ありません、ドラッへ様。そこにうずくまっているのが、私立軍の指導者ですか?」

「多分ね。後はあたしがやるから、あんたたちはそこで見てて」

「了解しました」

 ドラッへは少年の死体と少女の前に屈んで視線を合わせた。少女の表情は前髪に隠れている。

「あなた、負けたのよ。ここで参りましたって言えば、助けてあげないこともないけど、どうする?」

「みんな、死んじゃった……?」

「そうよ」

「……」

 少女は少年の死に顔を眺めるばかりで、 それ以上何も言わない。どれくらい経っただろうか。ドラッへは痺れを切らして立ち上がった。

「じれったいわね! いいから、あなたはあたしと来るのよ!」

 細い腕に手を伸ばす。少女はそれを払いのけたりはしなかった。だが、

「触らないで」

 その静かな一言が発せられると、ドラッへの指先は一ミリたりとも動かなくなった。

「あ、あら? どうして……」

 左手を添えて力を入れてみてもどうにもならない。ドラッへの焦った様子を見て、一般兵たちは身構えた。

「……て」

 思い通りにならない自分の腕から、うずくまる少女に視線を移す。こちらを見上げるその顔は、ひどく歪んでいる。怒っているように、悲しんでいるように、苦しんでいるように、泣いているように、笑っているようにも見えた。

「出ていって! 今すぐここから、出ていって……!」

 自らのどを潰すようなその叫びを聞くと、一般兵たちは何かに急き立てられるように扉から出て行った。ドラッへも例外ではない。状況も飲み込めないまま、羽を広げ、ガラスのなくなった窓から飛び出した。


 三年と少し前の話だ。西の国、国境近くの寒村に、小さな孤児院があった。村全体が貧しかったから、その孤児院はより一層貧しかった。自分とアイリは、そこで一番目と二番目に年長の子供で、子供たちを養うため、いつも遠いところへ出かけている園長先生の代わりに、他の子たちの世話をしていた。まだ手のかかる年ごろの子供も多い。ろくに自分の時間も取れないような毎日だったが、それなりに幸せだった。

 アイリがいたからだと思う。どんな辛いことも、二人で話せば笑い話にしてしまえた。いつかこの孤児院を出て、自分の力で生きていくのだとしても、アイリとはずっと一緒にいるものだと思っていた。

 ある日、何の用だったか忘れてしまったが、二人で少し遠出していた。とは言っても、歩いて三十分程度の隣村だった。夕方になって、帰る途中、村の様子がなんだかおかしいことに気づいた。寒村とはいえ、この時刻はいつもなら夕飯を作る匂いが村中に漂って、穏やかな空気を作り出しているはずだ。だが、今日はそれがない。村から、人がいなくなっている。何かを恐れて逃げ散ってしまったかのように。

 さらに進んでいくと、いくつかの家はガラスが割られていたり、焼けていたりした。村の中でも東に向かうにつれてひどいことになっているようだった。嫌な予感を押し殺しながら、南東のはずれにある孤児院に向かう。

 悪い予感ほど、的中してしまうものだ。生まれ育ったその小さな孤児院は、炎に包まれていた。隣でアイリが地べたにへたりこむ。残してきた子供は、一番上の子でも七歳。無事に逃げられるはずがない。そのことがわかっていながら、生存者を探すために炎の中へ駆け込むようなことはできなかった。怖くて。

 しばらくして、こちらへ近づいてくる複数人の足音が聞こえた。はっと我に返る。ここは安全じゃない。少なくとも、あの人たちには見つかってはいけない。ほぼ直感的にそう考えると、アイリの手を引いて立ち上がらせ、比較的無事な民家を探し出すと、そこのクローゼットの中に入るように言った。孤児院の様子を見てショックを受けていた彼女は、考えることを放棄したように素直に従った。

「周りで何も音がしなくなるまで、ここから出ちゃ駄目だ。わかったね?」

 彼女は光のない目でこくんと頷いた。

 それから外に出ると、一様に黒い服を着て、死神のようなその人たちに故意に姿を見せ、できるだけアイリのいる民家から離れるように走った。孤児院の子供たちは助けられなかったが、せめてアイリだけは。お兄ちゃんとしての、最後の役目だと思った。

 案の定すぐ追いつかれて、足を撃たれて走れなくなる。ほかにも数箇所、撃たれたようだった。痛みで気を失う寸前、笑みを含んだような男の声が聞こえた。

「ああ、そうだ。おいお前、『エインヘリヤル』って知ってるか?」

 そこからのことは、ほとんど何も覚えていない。気がつけば、ドラム缶のような形の機械の体になっていた。だからといって何をしろと言われるわけでもなく、物言わぬ機械たちとともに倉庫の隅でうずくまっていた。まあ、もうすでに死んだようなものだったし、自分がどうなろうとあまり興味はない。ただ、アイリの安否だけが心配だった。それでも確かめる手段はどこにもない。そのうち、深い眠りに落ちてしまったようだ。

 無意識に叫んで喉を潰したのか、最初から取り去られてしまっていたのか、その時からもうすでに、声は出なかった。


 これは、報いなのだろうか。

 もう一度顔を見たいとあれほど願った亜麻色の髪の少女は、敵意に満ちた目でこちらを見ている。

 孤児院の子供たちを助けられなかったことの、アイリを一人にしてしまったことの、それとも、彼女と同じ名前を持つ少女との日常を、少しでも楽しいと感じてしまったことの、報いなのだろうか。

 アイリの傍らに横たわる少年は、もう息をしていない。ここに来るまでの間、仲間であろう人々が血を流すのを散々見てきた。自分は何のためにここに来たのか。アイリを、もう二度と悲しませたくなかったはずなのに、結局手遅れだ。

 そんな目で見ないでほしい。三年前までのように、兄として彼女の前に立つことを望んでいたわけではない。そんなのは過ぎた願いだ。それでも、味方になってあげたい。

 一歩、近づくと、彼女はびくりと体を震わせた。

「どれだけ、どれだけ私を追い詰めれば、気が済むの?」

 声すらも震わせて、彼女は呟く。限界まで見開かれた目が痛ましい。違う、追い詰めたかったわけじゃない。早く誤解を解きたかったが、やはり声は出なかった。

「そんなに急かさなくたって、何をすればいいかなんて分かってる……」

 アイリはゆらりと立ち上がると、吹きさらしになった窓に近づいた。何を言っている? 窓枠に立ってこちらを振り返る彼女の何もかも諦めたような顔に、寒気を感じた。

 その白い右手には小さな折りたたみ式ナイフが握られている。それを使って、戦いを挑んでくれればどんなによかっただろうか。しかし、あろうことか、彼女はそのナイフを自分の胸に突き立てた。

「……ぁっ?」

 一瞬、本当に一瞬だけ、頭の中が完全な空白になる。直後、今までにない速度で思考が回りだした。

 駄目だ。それは駄目だよアイリ。一番悪い道筋だ。少女は仰向けに倒れていく。背にしているのは虚空。落ちていってしまう。引っ張り上げないと。どうせ死んでいるなんてことは分かってる。じゃあ、何のために彼女を追いかけるのか。そんなの自分のために決まってる。『孤児院の優しいお兄ちゃん』は死んだなんて思ってたけどあれは嘘だ。まだ僕は生きてる。まだ死なせたくない。そのためには君が必要なんだよ、アイリ!

 細い金属のアームなんかじゃ、彼女の体を支えられない。内蔵した武器なんてなおさら役に立たない。本当の、本物の腕を伸ばす。

 バキリと、亀裂が走る音がした。


 懐かしい声が聞こえた気がして、アイリは薄く目を開けた。なんだか夢を見ているような気分で、視界が白っぽく染まっている。何もかも曖昧な世界で目を凝らすと、懐かしい声の主がそこにいた。

「……マルク」

 ああ、何年ぶりだっけ。ずっと会いたかった。なんでそんな悲しそうな顔をしているの? せっかく会えたんだもの、笑ってよ。もっと彼の顔を見ていたいのに、どんどん景色がぼやけていく。でも、きっと大丈夫だ。次に目を覚ました時も、彼はきっとそこにいてくれる。

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