第6話 私立軍、始動
バルツ基地より三キロ、国境付近の旧市街地にて、ベンノは戦車の中で敵襲に備えていた。しかし、ここからわずか五キロ北で、昨日戦闘があったばかりだ。いくら敵に余裕があるといっても、こうも時間を空けずに攻め込んでくることはまずないだろう。ベンノすらそう思ってやや気を抜いていた。だが、
「隊長! 前方に何かいます!」
戦車から頭を出して双眼鏡を覗いていた操縦手がそういうのを聞き、ベンノはハッチから身を乗り出した。
「なんだと!? どこだ!」
「十一時の方向です!」
双眼鏡を借りて、目を凝らす。やや左にずれた前方、確かに何かがこちらへ近づいてくる。だが、いつものロボットたちとは違う。
どこが、と言われれば、いくらでも挙げられるが、最も大きな違いは、歩兵がいる、ということだった。つまり、今度来たのは、人間が指揮をとって、人間が戦車に乗っている、そんなこちら側となんら変わらない軍隊なのだ。
「な、なんでだ……?」
これまで頑なに無人機しか送り込んでこなかったのに。双眼鏡を持つ手に力がこもる。まだ攻撃しないほうがいい。敵の罠である可能性など、様々なことが考えられるからだ。そのことを無線で味方全体に簡単に伝え、再び敵影に目を凝らした。そして、つい先日の新聞の記事を思い出した。
「まさか、西の国の私立軍、か!?」
そう呟いた瞬間、敵の戦車の砲塔が一斉に火を噴いた。攻撃されては仕方がない。軽く舌打ちをして、迎撃するよう命令を出す。
「嘘だろ、あの軍はまだ発足から一年のはずだ。いくらなんでも早すぎる……!」
そのとき咄嗟に頭に浮かんだのは、あの奇妙な姿のエインヘリヤルのことだった。彼らは一体、どうするのだろう。
基地内にアラートが鳴り響く。それを聞き、ヴェスペは目を輝かせた。たった七日だが、ひどく久しぶりな気がする。この時は、いつも通りの単調な任務だと思っていた。だが、いつもはブリーフィングルームで待っているシュティーアが早歩きで武器庫へ向かっているのを見て、あれ? と首を傾げた。
「何、どうしたのさ。そっちはブリーフィングルームじゃないよ」
「ヴェスペか。今日は急を要する任務のため、移動中に説明をする。メールを送ったはずだが」
「あ、ごめん。見てなかった」
並んで歩いている間にも、変わらずアラートは鳴り続けている。数人とすれ違ったが、誰もが余裕なく動き回っていた。
「で、いつもと何が違うのさ」
上司は前を向いたまま淡々と答えた。
「敵の政府と関わりのない私立軍が攻めてきたんだ。正規の軍隊であれば、ある程度侵攻の予測もできる。だが、今回はそれができなかった」
「って、いうことは、つまり……」
もう一人のアイリの率いる軍が、すぐそこまで来ているということだ。本人も、おそらく近くにいるだろう。
「おい、どこに行く」
リーゼに知らせなければ、と踵を返しかけたヴェスペを、無機質な声が呼び止める。
「いや、ちょっと用を思い出して」
「急を要する任務だと言っているだろう。あとにしろ」
任務のあとじゃ遅いんだってば! とは口に出せず、ヴェスペは唇を噛んで従った。彼もアラートを聞いて武器庫へ移動していてくれればいいのだが、おそらくそれはないだろう。武器庫に行ったところで、戦いには参加できないのだから。連絡しようにも手段がない。そもそもあの子、携帯は持ってるんだろうか。
そんなことをつらつら考えているうちに、到着してしまった。地下の重そうな扉の前で、シュティーアは急に立ち止まった。
「……ヴェスペ」
こちらに背を向けたまま呼びかけてくる。いつも通り、その声色は完全に無色透明で、なんの感情も伝わっては来ない。
「何?」
「この任務は特殊だ」
「特殊って……。ただ敵を倒せばいいんじゃないの?」
「ああ、そうだ。要らぬ心配をした」
心配してたのか。だが、何を心配していたのか、何が特殊なのかは話してくれないままだった。彼にしては珍しいことだと思う。ああ、もやもやする。そんなヴェスペの気持ちをよそに、シュティーアは電子キーを開けた。すると、そこには見知った後ろ姿があった。
「あら、ヴェスペじゃない」
燃えるような赤毛の女性、ドラッヘは、飛行機のような翼を装備していた。彼女も、これから出撃するようだ。
「あたし、準備できちゃったから先に行くわね」
わざとらしく口角を上げてみせる様子はいつもと変わらなかったが、心なし、目つきがぎらついているように思える。
「何か、嬉しいことでもあった?」
ドラッヘは呆れたように、しかしその理由を話せることを喜んでいるように、大げさに目を見開いた。
「聞いてないの?」
何を? どうしてか、いやな予感がする。
「今回の敵は、人間なのよ」
彼女は、今回は退屈しなさそうだわ、と心から嬉しそうに笑った。退屈を好まないのはヴェスペも同じはずだ。それなのに、どうしても笑うことができなかった。
いつもは楽しいだけの任務が、今日ばかりはひどく憂鬱だった。しかし、ヴェスペのそんな気持ちをよそに、トレーラーは到着してしまう。
ガッタンという振動とともに停車するトレーラー。それでも頭を抱えて動かないヴェスペに、シュティーアは声をかけた。
「ヴェスペ」
「え? あ、ああ! もう着いたんだ」
急いで降りながら、自分に言い聞かせる。大丈夫、いつも通り、出ていって敵を倒すだけ。大丈夫……。
シュティーアが何か言っているが耳に入らない。でも、どうせいつもと同じ作戦の確認だから、別に問題はないだろう。話が終わったのを見計らって走り出す。程なくして、前方に敵が見えた。
敵は武装はしていたが、やはり見るからに人間だった。戦車一台と、歩兵三人。ヴェスペが近づいてくるのを見たその人たちは、一斉に銃を構え、発砲してきた。しかし狙った場所に彼女はもういない。
歩兵の持つ銃を弾き飛ばしながら進み、後ろにいた戦車を突き刺そうとして、その細長い覗き窓から人の視線を感じて一瞬動きを止める。逸れた攻撃は砲塔を切り落とした。後ろを振り返って力を溜めるが、そこにいるのはやはり人間だ。
「駄目」
攻撃手段を奪われて呆然とする敵兵は、ヴェスペが立ち止まっても遠巻きに見ているだけだった。その距離すら、ヴェスペは一瞬で詰められる。でも、そんなことはできなかった。嘘つき。頭の中で呟く。人との戦いなんて、全然楽しくないよ、ドラッへ。
「やっぱり駄目。逃げて。自分の国に帰って、二度と戦争に関わらないで」
後半は敵兵に向けた言葉だった。ただ、小さすぎて聞き取れなかったようだ。
「お願いだから、逃げて!」
叫ぶような言葉に、三人の歩兵は最初こそ訝しげに顔を見合わせていたが、やがて、我先にと背を向けて走ってゆく。砲塔の欠けた戦車も、Uターンして帰っていった。よかった。これでいいんだ。こうやって逃がせば、少なくとも自分と戦った人たちだけは、生かしてあげられる。
そのはずだったのに。
助けたはずの歩兵の後ろ頭、迷彩のヘルメットに覆われたそれが、いきなり赤いものを噴き出した。ほとんど間を置かないでもう一人。二人はほぼ同時に倒れた。その様を見て腰を抜かした最後の一人も、すぐに仰向けに倒れて二度と起き上がることはなかった。
ヴェスペは一連の出来事を、ただ突っ立って見ていた。その場が静かになって初めて、口を開く。
「何してんの、シュティーア……!」
振り返らないまま、後ろから近づく足音の主に問いかける。
「お前こそ何をしている。聞いていなかったのか?この作戦の目標は敵の殲滅。逃がすという選択肢はない」
違う。そんなことが聞きたいんじゃない。ヴェスペは耳鳴りをこらえるように両手を頭に当てた。
「なんであんた、こんなことして平気な顔してるの。どっかおかしいんじゃないの!」
シュティーアは答えないまま、ヴェスペを追い越して歩いていく。
「戦車も一台逃がしただろう。追うぞ」
ヴェスペはキッと顔を上げ、シュティーアの前に立って道を塞ぐように翼を広げた。
「……何がしたい」
「あんたがあの人たちを殺すって言うなら、あたしはここを通さない。勝負でもしてみる?」
目の前の男を睨みつける。彼は思考を巡らせるように黙っている。
この時、ヴェスペは頭に血が上っていて、シュティーアの顔がいつもよりさらに青ざめていることに気が付かなかった。
「なんだって今日はこんなにみんな慌ててるんだ?」
ベンノの部下の砲兵は、偶然近くにいた新兵のハンスに話しかけた。
「さあ?あ、でも、さっき聞いた話によると、なんかいつもとちょっと違う敵が来たそうです」
「ちょっと違う?」
「はい。知りませんか?ほら、アイリとかいう女の子が始めたらしい……」
突然、ガッシャンという金属音が響き、二人は振り返った。すると、ドラム缶から八本足が生えたような妙なロボットが、せかせかと足を動かして廊下の角を曲がっていくのが見えた。
「なあ、ハンス」
「はい?」
「ロボットも、慌てるもんなのか?」
「さあ……。ロボットによるんじゃないですか」
「あらあ? 鳴り物入りでやってきた割には、弱っちいわね」
ドラッへは撤退していく敵の戦車をレーザーで撃ち抜いて、同僚のフロイラインに無線で話しかけた。彼女は今、一つ隣の大通りで同じように敵を殲滅している。
「それは、戦闘をより有利に進めるために必要な情報ですか?」
フロイラインの事務的な声が聞こえる。ドラッへはフン、と鼻を鳴らした。この幼い同僚は、一年前初めて会ったときからこの調子だ。愛想のかけらもない。女の子としてどうなのよ、と思う。まあ自分には関係のない話であるが。
そのとき、斜め下から弾丸が飛んできた。だが容易に避けられてしまい、当たらない。それを撃ったのは、足元で戦意喪失したと思っていた若い兵だった。
「ふうん。ある程度の意志はあるみたいね」
ドラッへは彼の前に屈み込むと、にっこりと笑ってみせた。
「あなた、どんな風に殺されたい?」
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