第4話 二人のアイリ

 ベンノが朝のトレーニングメニューを終え、食堂で休憩がてらコーヒーを飲んでいると、例によってあの二人(?)組がやってきた。

「お前ら、暇なのか?」

「うん、暇。とりあえず十時まではね」

 ヴェスペは相変わらずの能天気な笑顔で、ベンノの隣の席に座った。リーゼはその後ろに立つ。

「今新聞読んでんだよ。邪魔だからどっか行け」

「それより、なんか面白そうな話あった?」

 しっしっと手を振って見せてもまったく意に介さず、手元の朝刊を覗き込んでくる。顔が近い。

「何々……? 『西の国で私立軍が発足』?」

 西の国、というのは、現在わが国と戦争状態にある隣国のことだ。なんだか長ったらしい名前があったはずだが、国内向けのメディアではまず使われない。また、それと対比して自分たちの国を東の国と言うこともある。

「どういう意味?」

「俺もよく分からんが、敵が増えたってことじゃないのかね。こっち側に対抗する軍だって言ってるし。今までロボットしか来なかったのが、生身の兵士が来るようになるかもな。あ、いや、その前に内部で粛清が起きるのか? 向こうの上層部から見れば邪魔かもしれんし……」

「ふーん。ところで、リーダーの女の子可愛いね」

「話を聞けよ。つーか、可愛いかあ?」

 というより顔立ち以前の問題で、写真が荒すぎる。長い髪を結い上げた少女が、民衆に向けて演説しているようだが、少女の顔は、もはやのっぺらぼうに点を三つ打ったみたいになっていた。

「この子、名前は……。アイリ?」

 ヴェスペがその名を口にした瞬間、リーゼがガッシャンと身体を揺らした。

「なんだよ。ドラム缶」

「新聞、見る?」

 新聞を目の前に差し出すと、しきりにカメラを動かして文章を追い、荒い写真を凝視した。しばらくすると、ガタガタと震えだす。

「あの、リーゼ? この女の子が、どうかしたの」

 ヴェスペの言葉も聞こえていない様子で、新聞を食い入るように見つめている。その間にも、振動は続いている。

「……ああもう、うるっせえんだよ!」

 ベンノが突然、リーゼを殴り飛ばす。ガイィンッといい音が鳴った。

「ガタガタガタガタ、言いたいことがあるなら口で言えってんだ。あと硬えんだよ。手が痛くなっちまっただろうが!」

「……」

 リーゼはやっぱり何も言わなかったが、とりあえず震えは収まったようだ。

「あーっ!」

 今度はヴェスペが大声を出した。その手には携帯端末が握られている。

「もうすぐ十時じゃん! ブリーフィングが始まっちゃうよ」

 ほら行くよ、とリーゼを促し、ベンノには軽く手を振って去っていった。

「なんなんだ、一体……」

 手のひらに返された新聞の文章に目を落とす。

 写真の少女は、どんな顔で軍を率いるのだろう。


「しかし、アイリ、ねえ。アイリ、かあ……」

 ヴェスペの独り言にリーゼはカメラアイを向けたが、彼女はそれ以上何も言わず、より一層歩調を速めた。


 二人が息を切らせて到着したとき、ブリーフィングルームにはすでに三人が集まっていた。そのうちの一人はシュティーアだが、あとは面識のない女性二人だった。

「あら、どんな子が来るのかと思ったけど、案外可愛いじゃない」

 椅子の一つに座った女性が、ヴェスペを見てにっこりと笑う。歳は、ヴェスペよりいくらか年上といったところだろうか。ポニーテールにしたボリュームのある赤い髪は、目に痛いほど鮮やかだった。染めているのかもしれない。残る一人は、こちらに背を向けていて顔は窺えなかったが、これまた赤毛だ。しかし彼女のほうは自然なオレンジがかった色で、地毛のようだった。

 ヴェスペが席に着き、リーゼもその後ろに落ち着くと、シュティーアが書類を手に持って立ち上がった。

「これよりブリーフィングを始める。今回は第二部隊と第五部隊の合同任務となる。指揮は私、シュティーアがつとめることとなるが、よろしく頼む」

 そこからはひたすら退屈な説明が続いた。まあ要約すると、第五部隊は大体前回の任務と同じで、第二部隊は勝手にやってくれていい、ということらしかった。そしてリーゼはまたもや後列で待機。ヴェスペは、第二部隊だという二人にどこかで見覚えがある気がして、話の間中もやもやしていた。

「以上だ。質問があれば言ってくれ」

「んーっと、質問とかじゃないけど」

 ずっと興味なさげに天井を見ていたポニーテールの女性が、口を開く。

「聞くところによればあなたたち、エンブレムも持たない弱小部隊らしいじゃない。なんでそんな人たちがわたしたちと一緒に戦うことになったのかしらね?」

 それから横目でシュティーアを見る。たしかにこれは質問じゃない。牽制しているのだ。今日の主役はわたしたちだと。ヴェスペは苛ついた。あたしたちのほうが弱いって決まったわけじゃないのに。なので、シュティーアが何か気の利いたことを言い返してくれないものかと少しだけ期待したのだが、

「それは、私ではなく上司に聞くべきことだな」

 期待するだけ無駄だった。

「ふーん。まあ、せいぜい頑張って」

 女性はがっかりしたように鼻から息を吐いた。これにてブリーフィングを終了する、という言葉と共にシュティーアが退室すると、第二部隊の二人はヴェスペに近寄ってきた。ポニーテールのほうは正規の軍服を着崩して、ズボンのポケットに両手を突っ込んでいた。もう一人は、やや幼く、それなのに無表情やきちんとした姿勢のせいで歳相応の快活さが見られなかった。さきほど後ろ姿を見たときにはわからなかったが、彼女の軍服には袖がない。そしてその右腕は、真鍮の輝きを持つ機械仕掛けの義手だった。

「はじめまして。あなた、なんていうの?」

 あのむかつくポニーテールが笑顔で話しかけてくる。

「……ヴェスペ」

「そう。わたしはドラッヘ。こっちは部下のフロイライン」

 そのコードネームを聞いたとき、ヴェスペは五日前に見た戦闘のテレビ中継を思い出した。

「あ、もしかして『赤いバラ』の二人組!?」

 『赤いバラ』といえば、エインヘリヤルの中でもトップクラスに有名な二人だ。何故さっきまで分からなかったのだろう。ドラッヘは飛行機のような姿で空を飛びながらバーナーのようなレーザーブレードで敵を焼き焦がし、フロイラインは巨大な機械の右腕で粉砕する。防御をまったく考えない攻撃的な戦法で人気を博していた。

「そうよ、その通り」

 ドラッヘは満足げに頷くと、ヴェスペの顔を覗き込むようにした。

「あなた、可愛いわね。今度一緒に甘いものでも食べに行かない?」

 いくら有名人だとわかっても、さきほどまでの腹立たしい発言は取り消せない。ヴェスペがどう答えるべきか考えていると、ドラッヘは楽しそうに笑い声を漏らした。

「そんな真剣に考え込まなくてもいいわよ。機会があればでいいわ」

 ひらりと手を振って部屋を出て行く。フロイラインはこちらに軽くお辞儀をすると、自らの上司に続いてドアの向こうに消えた。

「あんまり仲良くなれそうにないね。リーゼ」

 リーゼはガシャンと音を立てたが、それが肯定なのか否定なのかは分からなかった。


 数十分後、第二、第五部隊の面々は国境付近の平原に集まっていた。まだ戦闘開始時刻までは時間がある。

 ヴェスペは伸びをして、一緒に背中のアームを大きく広げた。測ったことはないが、四、五メートルくらいあると思う。シュティーアはいつも通りの白い機械の鎧と機械のマント。だが、今は背中の武装を外し、一部を分解して何やら作業していた。地面に引いた布の上にあるのは、砲身らしき筒、ミサイルポッド、弾薬の収まった容器……。そのほとんどが、白く塗装してある。ヴェスペはその中に、なんだかそぐわないものを見つけた。

「あれ、これ……」

「触るな」

 手元を見て作業をしているはずなのに、間髪入れずに声が飛んできた。もしかして、シュティーアのゴーグルは三百六十度見渡せるのだろうか。

 それよりも。

「ねえ、これ、医療機器だよね。なんで持ってくの? 衛生兵に任せればいいじゃない」

「応急処置が生死を分ける場合もある。念のためだ」

 シュティーアは細い銃身をいじりながら答えた。

「ふーん」

 なんとなく、今までのイメージと違うな、と思った。

 話は終わりだと言わんばかりに黙り込む。ヴェスペも、これ以上は特に話すこともない。しかし手持ち無沙汰なので、なんとなく『赤いバラ』の方に視線を向けた。彼女らは、もうすでに戦いの準備を終えているようだった。

 ドラッヘは背中に飛行機のような、あるいはグライダーのような羽をつけていて、羽、という点で自分とイメージが被ると思ったヴェスペは、人知れず唇を噛んだ。だが、見た目で一番インパクトがあるのはフロイラインだろう。細い義手は取り外され、代わりに彼女の身長ほどもある大きなハンマーのような武器が肩から生えている。

 前方には、もともとは東の国の製糸工場であった敵の陣地と、それを守るたくさんのロボットが見える。こいつらを蹴散らして、工場を取り戻すのが今日の戦闘の目的だ。まあ、そんなことは憶えなくても特に問題はない。とにかく敵を壊しまくればいいだけだ。

 シュティーアが合図をする。同時にドラッヘは空へ飛び上がり、フロイラインは重装備とは思えない身軽さで駆け出した。会敵すると、空中のドラッヘの両手のひらから炎が噴出する。それは二メートルほどの剣となり、敵や地面に触れてバチバチと音を立てた。ついでフロイラインが上半身を大きくひねり、ハンマーをロボットに叩きつける。火薬が仕込んであったのだろうか、爆発音が鳴り響く。さすが、多大な人気を誇るエインヘリヤルだけあって、軽く見惚れてしまった。

「ヴェスペ?」

 後ろにいる上司のいぶかしげな声で我に返り、自分も戦場に飛び出す。ほどなくしてミサイルの発射音も加わって、周囲は一気に騒がしくなった。

 ヴェスペはこのお祭り騒ぎのような戦いが好きだった。理由は考えたことがない。ただ楽しいのだ。些細な日常の嫌なことも全部忘れられる。

 最近、リーゼが仲間に加わったり、合同任務をやることになったり、予想外のことが続いたせいだろうか。気づけば、いつもより敵の中に深入りしたようだった。視界は鈍く光るロボットの装甲で埋め尽くされていて、前後左右に敵、敵、敵。

 あれ、もしかしてやばい?

 そう思ったときには、目の前に銀色の弾丸が迫っていた。もう、避けるのも防ぐのも間に合わない。ぎゅっと目を瞑ると、肩の辺りに衝撃が走り、横に突き飛ばされた。

 頭を振って身体を起こし、ぶつかってきたものが何なのか確かめる。すると、目の前に転がっていたのは、

「……リーゼ」

 横倒しになった、大きなドラム缶型のボディと、八本足。後列で待機していたはずの後輩だった。

「ど、どうしたの?」

 返事はない。それどころか、横倒しになったまま動かない。

「ねえちょっ……。うわっ」

 頭を再び弾丸が掠めた。そうだった。ここは戦場なのだ。

 戦わなければ。しかしリーゼを置いていくわけにもいかない。ヴェスペが困っていると、やや遠くに居たシュティーアが駆け寄ってきた。

「どうした」

「あの、リーゼが助けてくれたんだけど、動かなくなっちゃって」

 爆音の中、耳を澄ませると、リーゼの内側からキュラキュラという異音が鳴っていることに気づいた。噛みあわない歯車が回るような。

「……ちっ」

 ん? とヴェスペは顔を上げてシュティーアの顔を見た。今、舌打ちをしたような。常に冷静で品行方正な彼には似合わない仕草だ。だが、彼は特別苛立っているふうでもなく、いつも通りの無表情だった。

「リーゼを連れて下がれ。後は俺一人でやる」

「て言ったって、あんた後衛じゃん。大丈夫?」

「ああ」

 そう言うなり、ミサイルポッドを展開しつつ走っていってしまった。

「だってさ。行こ」

 リーゼの装甲に手を置くと、微かに震えているようだった。新聞で、あの少女の名前を見つけたときのように。


***

 ある日、アイリが満面の笑みで家に帰ってきた。

「ねえ、聞いて聞いて! あのね、軍の人が、私たちに協力してくれるって!」

 コートを脱ぐのもそこそこに、アイリはカイに今日の成果を話しはじめた。

「軍の人……って、偉い人?」

「そうよ。武器とか、その他装備を用意するって言ってくれたの!」

 復讐しないと、と言ったその日から、彼女は活動を始めた。具体的には、まずは国立軍の本部へ行き、自分にできることはあるかと尋ねたそうだ

ところがまったく取り合ってもらえず(それどころかこの国の軍隊は徴兵もしていないらしい)、それならば、とアイリは自分で軍隊を作って敵国に攻め込むと言い出したのだ。そして、店の仕事の合間を縫っては、町に出かけていって演説をするようになった。

 エマもカイも、まさか成功するとは思っていなかった。アイリ自身だってそうだろう。だが、予想外に多くの人々が彼女に同調し、アイリの名が広まると共に、私立軍もどんどん膨れ上がっていった。

そして今日、唯一と言ってもよかった武器の調達という問題が、解決されてしまったらしい。

 エマはふさぎ込むよりは、と黙認しているようだったが、カイは心配だった。アイリが遠いところへ行ってしまうような、というより、暗いところへ走っていっているような、そんな気がして。

 なぜ、そんな多くの人々が彼女のもとに集まるのだろう。大義がないわけではない。しかし、それを掲げるのはごく普通の女の子だ。カイはそれをここのところずっと考えていたが、答えは出ないままだった。理由のわからないことは、怖い。

「それでね、カイくん」

 カウンターに突っ伏すカイに、アイリが声をかけた。声は楽しげに弾んでいる。以前の彼女からは想像もできないことだ。

「あ。う、うん。何、アイリ姉ちゃん」

「これからちょっと忙しくなりそうで、毎日はお店で働けそうにないの。だから、エマおばさんとお話しなくちゃいけないんだけど、私だけじゃ心配で……。カイくん、一緒に説得してくれない?」

 はっきり言って、嫌だ。そんなことをしたら、アイリがますます遠くに行ってしまう。もうこれ以上、復讐にのめりこんでほしくない。だが、カイがそのことを口に出すその前に、彼女は顔の前で両手を合わせ、こちらに頭を下げた。

「お願い!」

「!」

 その言葉と共に、カイの視界が揺れる。彼女の『お願い』は、何か妙な力を持っていた。今まで頭の中を占めていた、不安とか恐れが、どろどろと溶けていく。

 彼女の、望み、を、叶えてあげなくちゃ。


***


「それで、リーゼはどうしたんだ?」

 合同任務の次の日、第五部隊の三人は再び集まっていた。

「うーん。なんか、足が動かなくなっちゃったらしいんだけど……」

 リーゼは八本の脚を力なく投げ出し、ドラム缶型のボディを直接床につけている状態だ。

「どうやって退却したんだ」

「あたしが運んだ」

「そうか」

 エインヘリヤルの強化された筋力に物を言わせて抱えあげたが、流石にかなり疲れた。

「どうしたら治るんだろ」

「自然治癒するものでもなし。研究所に送るしかないだろうな」

 つまり、治るまでの間リーゼとは会えないというわけだ。ヴェスペはあからさまにため息をついた。

「研究所には、軍の上層部を通して連絡することになっている。足が動かないわけだから、それまで面倒を見る必要があるが、ヴェスペ、よろしく頼む」

「はーい」

 部屋を出て行くシュティーアにひらひらと手を振る。ヴェスペはリーゼに近づくと、冷たい装甲をぺしぺしと叩いた。

「しかし、災難だねえ、リーゼ。まあ、原因の半分くらいはあたしにありそうだけどさ」

 なにしろ、ヴェスペを敵の弾から助けた直後に動かなくなったのだ。

「ありがとうね。助けてくれなかったら今頃死んでたかも」

 キュイ、とカメラが回る。どういたしまして、と言っているのだろう。ヴェスペは勝手にそう思った。あながち間違ってもいないはずだ。

「さて。これからどうしよっか。一々あたしが抱えて歩くのもなんだし……。あ、そうだ!」

 ちょっと待っててー、と言いながら、ヴェスペは部屋を飛び出していった。


「……以上の用件で、研究所に連絡をする必要があります」

 シュティーアから今回の任務でのリーゼについての説明を受け、ヘルガー・ライツ中佐は驚きを隠せなかった。

「エインヘリヤルが故障……? 聞いたことないぞ」

「そうですね」

「どんな間抜けだ? 西の国のガラクタに負けるようなやつは」

 中佐は自分のパソコンに向き直り、軍の名簿を開いた。キーボードとクリックの音だけが響く中、シュティーアがしばらく待っていると、唐突に中佐は訝しげな声を出した。

「お?」

「どうされました」

「お前、真面目すぎるくらい真面目なやつだと思っていたが、こんないたずらをするとはなあ」

 液晶の画面を覗き込んでいた中佐は、椅子を回してシュティーアを見た。

「いないじゃないか。リーゼなんていうエインヘリヤルは」

「……は?」


「そんなわけで、台車に乗っけてみたよ!」

「おう、そうか」

 あのあと、部屋を飛び出したヴェスペは、地下の武器庫から大きめの台車を持ってきて、リーゼを乗せた。そして、新しい脚のテストと称して基地内を台車を押して走り回っていたところ、ベンノに会ったので、一部始終を報告していたところだ。

「つか、勝手に持ってきてよかったのか?」

「ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ」

 じゃあばれたらどうするんだ。

 まあ、なんだ、とベンノは後ろ頭をガシガシ掻いた。

「そこら辺走り回って、怪我人を出すんじゃねえぞ」

「はい、わかってますとも!」

 ふざけて敬礼をするヴェスペ。その姿に軽く笑ってしまう。

「早いとこ治るといいな」

 じゃ、と去っていこうとしたベンノを、ヴェスペは呼び止めた。

「あ、おっさん」

「なんだよ。あとおっさんって呼ぶんじゃねえ」

「おっさんはおっさんじゃん。それよりさ、アイリちゃんのこと、あれから新聞とかでなんか言ってた?」

「新聞くらい自分で読めよ」

「めんどくさい」

「あっそ。で、アイリって……。ああ、あの」

 ベンノは昨日ヴェスペとリーゼに会ったときのことを思い出した。

「リーゼのカノジョ」

「……!!?」

 それまで微動だにしなかったリーゼが、ガッタンと身体を揺らす。それからボディを高速で回転させてベンノに向き直った。

「違うみたいだよ、おっさん」

「いや、俺にはわかるぞ。こいつは図星を指されたから慌ててるんだ」

 ますますガッタンガッタン揺れるリーゼ。なにやら余裕なさげなのはわかったが、これでは否定してるんだか肯定してるんだか分からない。

「で、リーゼはとりあえず置いといて、どうなのさ」

「お前なあ。そんなたった一日で何か変わるわけねえだろうがよ」

 ヴェスペは面白くなさそうにふーん、と生返事をした。

「妙に気にするじゃねえか、アイリとかいう子のこと。どうしたんだ?」

「いや、まあ……。なんとなく、他人事に思えなくって」

 軽く目を伏せるヴェスペ。いつも明るい彼女にしては、珍しい表情だとベンノは思った。


『差出人:シュティーア

宛先:ヴェスペ

タイトル:

本文:研究所への連絡途中で、問題発生。リーゼの修理はやや遅くなると思われる。

もうしばらく世話を頼む。』

 二日後。上司からメールが来た。

「え、ちょっとありえなくない? こんなことをメール一つで言ってよこすとか。もうちょっと事情を詳しく話してくれてもいいんじゃない? 例によってタイトルはないし」

 と、ここにはいない人に向かって文句を言ってみるが、本人のもとへ押しかけてまで言う気はない。面倒くさいから。

 先日の合同任務の後出撃要請はなく、ヴェスペはほぼずっとリーゼに付き添っていた。その間特に劇的な出来事はなかった。ちなみに今二人がいるのは、軍基地内のヴェスペの私室だ。昨日見たときは、主に衣服などで本当に足の踏み場もないほど散らかっていたが、一日かけて片付けたところ、なんとかリーゼの台車が入れるくらいまでになった。

「ってなわけで、まだ治せないらしいんだ。リーゼ」

 ヴェスペは寄りかかっていた円柱、もといリーゼに声をかけた。

「……」

「でも、いつまでも自分で動けないのは不便だよねえ」

 リーゼは何も反応しない。そこまで主張すべきこともないのだろう。

「問題って何よ問題って。どうせお偉いさんがいちゃもんつけてきたとかなんでしょ。それとリーゼと、どっちが大切だっての」

 携帯端末のアドレス帳を見ていたヴェスペは、一つの名前に目を留めた。

「あ、そうだ。この人にお願いすればいいんじゃない」


「うん。だから空いてる時間があったらできるだけ早く来てほしいなって……。何、休日なの? じゃあすぐ来て。すぐ」

 ヴェスペが電話をかけてから二時間。二人の前には、大きめのトランクを抱えた男が息を切らせて立っていた。

「一時間遅刻だよ。叔父さん」

「国の中心部からここまで、どれだけ距離あると思ってるのさ……」

「リーゼ、これからこの人に治してもらうからね」

 やや白髪の混じる黒髪の、やたらとやせた男だ。歳は三十代半ばほど。いかにもインドア派ですといった日に焼けていない顔は、軽く頬骨が浮いていた。

「で、直してほしいのは、こっちの彼?」

「うん、そう」

 男はリーゼの前に歩み出ると、しばらく眺め回した後、ヴェスペを振り返った。

「外側を見ただけではなんとも言えないな……。念のため聞いとくけど、ここ、誰かが突然入ってきたりしないよね?」

「さっき鍵かけといたから、大丈夫だよ。なんで?」

「職務外でこういうことするのは、本当は駄目なんだよ」

 今回は特別、と笑う。しかし、こけた頬のせいでかなり不気味だった。

「じゃ、始めようか」

 トランクを床に置き、工具を取り出す男。かなり慣れた手つきだったので、研究者というよりは技術者なのだろう。もしかすると両方兼ねているのかもしれない。

「自己紹介が遅れたね。僕はトーマス・エルスター。国立研究所の職員だ。一応、そこにいる君の同僚の叔父にあたる」

 その場に座り込んでリーゼの身体の脚の付け根辺りに工具を差し入れながら、男はそう話しかけた。その口調にヴェスペは軽く驚く。

「叔父さん、リーゼは人間だって、最初から信じてくれるんだ」

「ん?」

 トーマスは手元から目を離さずに返事をする。

「まあ、そりゃね。これでも科学者だし」

 鉄板をいくつかはがすと、外装と同じく錆びかかった関節部分が見えた。

「あー。これは……」

 なにやら深刻そうな声だ。

「な、なに? なんか大変なことになってる?」

 ヴェスペは急激に不安になった。ここでお手上げだなどと言われたら、自分にはもうどうしようもなくなってしまう。リーゼも固唾を呑んで次の台詞を待っている……ように見える。

 二人の心配そうな視線を受けたトーマスは、工具を置いてあごをさすり、いや? と打って変わって気楽そうな声を出した。

「全然大したことないね。ジョイントが一つゆるんで歯車がうまく噛みあわなくなってただけ」

 これなら替えの部品も持ってきた分で足りるね。などと呟きながら再び工具箱をあさり出した。ヴェスペはがっくりと肩を落とした。

「そうだった……。叔父さん、妙な癖があるんだった……」

 なんでもないことにすごく深刻そうな前置きをする癖。

「わざとじゃないんだけどね」

 けらけらと笑うトーマス。

「じゃあ、すぐ治る?」

「うん。一時間ってところかな。部品替えるだけだし」

「見ててもいい?」

「どうぞ」

 ありがとう、と言って、ヴェスペは自分のベッドに腰を下ろした。

「神経系の問題だったら本当にお手上げだったんだけど、ただの部品の劣化でよかった」

 トーマスは鼻歌でも歌いそうな顔で、作業を続ける。一つずつ部品を取り出し、あるものは磨いて元に戻し、あるものは工具箱の中身と交換した。

 しばらく無言で作業が続き、ヴェスペは思わずあくびをした。

「もう少しで終わるよ」

「そう?」

 それから、不意にトーマスは真顔になった。しばらく何か言いたげに唇を噛んだりした後、意を決して口を開いた。

「ねえ、アイリちゃん」

「あたしはアイリじゃない。ヴェスペだよ」

 急に冷たくなったヴェスペの言葉を無視して、トーマスは話を続けた。

「兄さんと義姉さんに、連絡する気はないの?」

 それまで身を乗り出してトーマスの手元を見ていたヴェスペは、興味を失ったように後ろに手を突いて天井を見上げた。

「やだね」

 馬鹿にするように舌を出す。

「でも、二人ともすごく心配して……」

「叔父さんさあ」

 ヴェスペは苛立ったようにトーマスの話をさえぎった。

「あたしがどうしてここに来たのか分かってないでしょ。あの人たちと縁を切るためだよ? あたしはもうあの家のお嬢様じゃないの。エインヘリヤルのヴェスペなの。なんで今さら話なんかしなきゃいけないのさ」

「そうか……」

 トーマスは少し悲しそうな顔をして、工具箱を閉めた。

「さて。これで治ったはずだよ。ちょっと動いてみてごらん」

 リーゼは言われたとおりに台車から立ち上がってみせた。それから部屋の中を数歩動き回る。

「どう?」

 ガッタンと前後に身体を揺らす。

「それならよかった。でも、またどこか動かなくなったら、そのときは研究所に出向くべきかも。かなりあちこち古くなっているようだから」

 もう一度身体を揺らしてみせるリーゼに、トーマスは一つ頷くと道具箱を持って立ち上がり、ヴェスペに話しかけた。

「じゃあ、僕はこれでお暇するよ。久しぶりに話せてよかった。鍵、開けてくれる?」

「あ、うん。今日はありがとう」

 どういたしまして、と微笑むと、目の下の僅かな隈が際立って見えた。そのままスタスタとドアを出て行こうとする。

「叔父さん! あたしがここにいるってこと、あの人たちには言っちゃ駄目だからね!」

 トーマスは振り返らずにひらりと手を振った。

「分かってる。君が言わないんなら、僕も言わないよ」

 ヴェスペはしばらく目線でトーマスを見送った後、ドアを閉めてベッドの上に戻った。そして靴を脱ぎ、膝を抱える。

「はぁあ。なんで掘り返しちゃうかな。せっかく忘れてたのに」

 リーゼは胴体を回転させてヴェスペのほうを向いた。黒いカメラアイは、何かを聞きたがっているようだった。

「……そうだよ。あたしの本名はアイリ。驚いた?」

 ヴェスペはくすくすと笑った。靴を履かずに床に下り、ドアのほうに回り込んでリーゼの前に立つ。

「リーゼは、向こうのアイリちゃんに会いたい?」

 返答はない。

「あたしは、会ってみたい。リーゼが望むなら、アイリちゃんのところに連れて行ってあげる」

 ますます楽しそうに、歌うようにヴェスペは言う。

「一緒に来るなら、一歩前に出て。来ないなら、下がって」

 ギギ、と音を立てて俯くリーゼ。長い沈黙の間、ヴェスペはずっと笑顔で待っていた。

「……」

 そして彼は足を動かした。

 前へ。

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