第3話 奇妙な新兵

「暇」

 軍基地の休憩所で、携帯をいじりながらヴェスペは呟いた。エインヘリヤルは一般兵と違い、訓練がほとんど要らないので、出撃命令がないときはだいたい暇だ。

「ひまぁ!」

 叫んだところで、迷惑がる人は誰もいない。不毛だ。軍から支給される携帯端末は、自由に扱うことが許されているものの、基本的な機能しかなく、娯楽的要素はほぼ皆無だ。

 と、手の中の端末が唐突に震えた。

「わ」

 思わず落としそうになる。メールの着信だ。差出人のメールアドレスは、シュティーアのものだった。

『業務連絡あり。明日十時に第一会議室へ来ること』

 何の面白みもない一行のメールだった。しかもタイトルはなし。ヴェスペは手早く返信を打つと、携帯をしまった。このままここにいるよりは、基地の中を歩き回っていたほうがまだ退屈がまぎれると思ったからである。

 ヴェスペの所属する第五部隊は、シュティーアとヴェスペの二人のみで構成されている。そんな状態で半年が経つというのに、二人はまったく仲がよくなるということがなかった。

 というのも、シュティーアの無愛想さが原因だ、とヴェスペは考える。はじめのころは、距離を近づけるための工夫もした。だが、向こうが応えてくれなければどうしようもないのだ。何しろ、彼ときたら、こちらがいくら話を振っても、絶対にそこから話を膨らませようとしないのだ。なので、最近は、仕事の付き合いと割り切って、事務的な話しかしないことにした。第一ここは職場なのだから、そういうドライな関係しか築けないのは、当然なのかもしれない。

 でも、とヴェスペは思う。

「可愛い後輩でも来てくれたらなあ」


「今日から、我が第五部隊に、新人が配属される」

 ヴェスペは耳を疑った。

「は?」

「新人が配属される」

 シュティーアは同じ文章をもう一度繰り返したが、ヴェスペの耳には入っていなかった。

 まさか、つい昨日考えたことが、こうも都合よく現実になるとは。ヴェスペは分かりやすく喜んだ。

「どんな人?」

「俺も今日初めて会う。十時半には来るはずだ」

「ふーん」

 十時半まではあと十五分だ。椅子に腰掛けて足をばたつかせる。待ちきれない。


 そして、会議室の白い扉が開いたとき、今度は目を疑った。

「え……?」

 そこに立っていたのは、大人一人が入れそうな大きなドラム缶に、八本の鉄の足が生えたような形をして、あちこちが錆びついた、ロボットにしか見えない何かだった。


 二時間後。

「で? なんだって?」

 ヴェスペは、再び一般兵の食堂に顔を出していた。

「だから、あたしの隣にいるのが、新しく来た後輩のリーゼなんだってば」

 いましがたシュティーアから紹介された、ドラム缶の形のエインヘリヤルをつれて。

 その異様な二人(?)組にややうんざりしたような顔を向けるのは、ちょうど昼食をとっていたベンノだ。

「ほう? エインヘリヤルはロボット兵も導入したのか」

「ちがーう!」

 呆れたような声で怒るヴェスペ。器用だ。

「どこに目つけてるのおっさん。よくよく見れば、この子がロボットじゃないって分かるよ」

 改めて観察してみるが、八本足だわ、表面に埋め込まれているのはのぞき穴ではなくカメラのレンズだわで、およそ人間らしさとは無縁のように思われた。

「ふーん……」

 ベンノは温野菜を口に入れて、こう結論を出した。

「まあ、お前がそう言うんなら、そうなんだろ」

「いまいち納得してもらえた感じがしないけど……」

「俺は、あんまり難しいことは分からん」

 ヴェスペはしばらくじと目でにらんできていたが、やがて気を取り直し、ドラム缶に向き直ると、明るく笑いかけた。

「それはいいとして。昼食を取ってこようと思うんだけど、リーゼも食べる?」

 ところが返答はなく、彼(?)はただ置物のように佇んでいるのみだった。

「いらない?」

 なおも応答なし。パンをかじりつつ、ベンノは思う。電源落ちてるんじゃないのか、こいつ。

「それとも、いる?」

 まだ若い一般兵が、リーゼを見るなりぎょっとした顔をして通り過ぎていった。

「……」

「……」

 無言で向かい合う二人を横目で見つつ、ベンノはソーセージを大きめに切り分けていた。

「……んー。じゃあ、気が変わったら、合図してね?」

 ここで待っててね、と言いおいて、ヴェスペは歩いていってしまった。ベンノは軽く手を振って見送る。

 しばらく、ナイフとフォークの音だけが響いた。隣のテーブルでは、かなり会話が盛り上がっているようだったが。この前の砲兵が、何故自分は遠征前に恋人を作ることができなかったのかと周囲に涙混じりに尋ねている。何故ってそりゃあお前……。顔のせいだろ。パンの最後の一かけを飲み下すと、ベンノはトレーを持って立ち上がった。カウンターまでトレーを返しに行くのだ。

 リーゼの前でいったん止まり、その錆びた外装を拳でノックするように軽く叩く。

「『意思表示ができない』と、『意思表示をしない』は、ほとんど同じ意味だってのが、俺の持論だ」

 これで、もしこいつが本当はただのロボットだったりしたら、俺ってかなり痛い人だよなあ。などと考えながら歩き出すと、後ろからキィ、という小さな音が聞こえた。振り返ると、リーゼが上半身――ドラム缶の部分。つまり足以外――を回転させて、こっちを見ていた。

 とりあえず手を振っておく。


 途中で、リーゼのところに戻ろうとするヴェスペと出くわした。

「あ、おっさん。もう食べ終わっちゃったの?」

「おう。別に早くもないと思うけどな」

 じゃ、と言って歩き出すと、何故かヴェスペもついてくる。

「おい、戻るんじゃないのかよ」

「もうちょっとお話してからにしようかなって。この前は邪魔も入ったし」

「お前は俺に気があるのか」

「いや別に」

 バッサリ。

「そうかよ」

 カウンターにトレーを返して、方向転換する。リーゼが待っている場所は食堂の入り口のすぐそばなので、ヴェスペがリーゼと合流するのを見てから出る形になりそうだ。

「敵軍で来るのって、全部ロボットだからさ」

 ヴェスペが唐突に話し始めた。

「人の乗ってない機械は見慣れてるんだ。あたしたち」

 彼女の話はまだ続いているようだったので、無言で次の言葉を待った。

「それで、リーゼを見たとき、あいつらとはなんか違うなって、思ったんだ。うまく言えないけど、細かい動き方とか、雰囲気、とか」

 新緑の色の瞳がベンノを見上げる。

「どう思う?」

 ベンノは軍服のポケットに手を突っ込んだ。

「お前がそう思うなら、そうなんじゃねえの」

 再びのじと目。

「真面目に考えてよ」

「難しいことよくわかんねえ。つうかよ、あれが可愛い後輩だって言うんなら、少しは意志の疎通を図ったらどうだ? あの状態だ。声が出せねえにしても、モールス信号とか、いろいろあんだろ」

「モールス信号、知らないんだけど」

「勉強しろよ」

「えー」

 ドラム缶型のシルエットは、いい目印になった。


 そろそろ出撃要請が来るんじゃないか、と思っていた矢先、基地内にけたたましいアラートが鳴り響いた。

 来た!

 ヴェスペは携帯端末の画面から顔を上げた。前の出撃から一週間、いい加減退屈していたところだったのだ。立ち上がってスカートの裾を軽く整え、休憩室を出る。ブリーフィングルームでは、無表情な上司と新しくできた後輩が待っているはずだ。

 戦いは楽しい。彼女にとって、戦場は苦痛や惨劇とは無縁の場所だった。敵はすべて自律機動のロボットで、だから敵兵から憎しみの目線を浴びることはなかった。それでも味方は生身の人間で、怪我をしたり時には死んでしまったりすることも知っている。ただ、彼女はまだ味方に多大な損害が出るような激戦区に行ったことはなかったし、そんな場所なんて数えるほどもなかった。この前会った負傷兵が、怪我が治ったら今度こそ戦果を挙げてやると笑っていたのを憶えている。ヴェスペは純粋に、戦場を駆け敵をひねり潰すことを楽しんでいた。

 最近は、日々の楽しみであった任務にも飽きつつあるのが、悩みといえば悩みだろうか。何しろ、単調なのだ。敵のロボットは数パターンしかおらず、戦況も作戦も似たり寄ったり。

 だから、リーゼが入ってきたことは本当に嬉しかった。

 その奇妙な見た目に驚きはしたけれど、そんなことは些細な問題だった。どんな人なんだろう、仲良くできるだろうか、何が好きなんだろう、どんな武器を持ってる? どんな戦い方をするんだろう。とにかく、彼の行動のすべてが楽しみでならなかった。


 ところが。

「今日の任務では、リーゼは戦闘に参加させないこととする」

 ブリーフィングルームに集まった部下二人に、シュティーアはそんなことを言った。

「はあ!? なんでよ、ひどくない?」

 普段はシュティーアとは距離をとっているヴェスペも、このときばかりは突っかからずに居られなかった。なにしろ、この三日間ずっと楽しみにしていたのだ。

「まだ、リーゼが加わった場合の戦術を立てていない。戦場に不確定要素を持ち込みたくないんだ」

 上司は無表情を少しも崩すことなく、書類から僅かに顔を上げた。

「ひどい、とは、どういうことだ?」

「それは、えっと。ほら! リーゼだってせっかくの初陣だし、活躍したいはずでしょ?」

「ふむ」

 二人そろって部屋の隅っこのリーゼを振り返る。

「どうなんだ? リーゼ」

「活躍したいよね!?」

 二対の視線を向けられたリーゼはアイカメラをキュイ、と鳴らし、脚を少し動かすと、

「……」

 例によって何も言わなかった。

「では、今日は戦車の列の後ろで待機していろ」


 そんなわけでトレーラーの中では終始膝を抱えて頬を膨らませていたヴェスペだったが、目的地に到着すると流石に気持ちを切り替えた。

「敵は小型の自律歩行砲台が三十機、中型の飛行型レーザー兵器が五機だ。まず俺が中型を打ち落とすから、ヴェスペはその後小型を掃討しろ。討ちもらした分はミサイルで破壊する。リーゼは打ち合わせ通りその場で待機。以上だ。行くぞ」

 シュティーアは戦車の列の前に進み出ると、肩の武装を展開した。この前のミサイルポッドとは違い、二メートル程度の長さを持つ長大な高射砲のようなものを、肩から左腕に沿わせるようにする。両足を前後にずらした姿勢で撃つ。

 そして五発の砲声が鳴り終えるころには、UFOのような形の中型ロボットは一機残らず撃ち落されていた。

「ヴェスペ」

「はーいはい」

 ヴェスペは軽く返事をし、整然とした敵の隊列に突っ込んでいった。

 残った敵はすべて同じ型で、二本の脚の上に砲台が付いたような単純な形をしている。大きさは背丈が一メートル半といったところか。どれかが司令塔の役割をしているのかもしれなかったが、見分けが付かないので探すだけ無駄だ。まず、目の前に居たやつを背中のアームでつかんで後ろへ放り投げる。かなり高く投げたので、地面に叩きつけられて壊れるだろう。最初使ったのとは別の、左側のアームの五本指をそろえて前から横へなぎ払う。三機撃破。敵がこちらの頭を狙って撃ってきたので、首を傾けて避ける。横合いから飛んできたいくつかの弾丸は、鋼鉄のアームに弾かれた。前方に居る四、五機をまとめて串刺しにする。

 ミサイルの発射音が聞こえた。多くの敵はヴェスペに引きつけられているはずだが、多少離れたところに居るのはどうしようもない。近接戦闘しかできないのだから。この前シュティーアと自分の撃破数を比べてみたが、やはり圧倒的に負けている。範囲攻撃や遠距離攻撃を習得してみたほうがいいのかと思わなくもないが、ヴェスペはスコアよりも楽しさを優先する性格なので、特に深刻な悩みでもなかった。

 敵の弾丸が肩を掠めて、軍服の袖が少し切り裂かれた。

「よくもやったね」

 右のアームで握りこぶしを作り、振り下ろして叩き潰す。だいぶ数を減らした敵のロボットを次々と壊しながら、軍服を買い換えるか繕うかで真剣に悩む。

 そうこうしているうちに、周りには物言わぬガラクタが積みあがるのみとなっていた。大きくジャンプして山を飛び越え、シュティーアの近くに戻る。一般部隊の戦車はとっくに退却してしまったようだ。あれ、リーゼは? と思って見回すと、ドラム缶のシルエットはヴェスペたちの数メートル後ろに佇んでいた。戦車の列に取り残されてしまったらしい。ヴェスペが手を振ろうとすると、隣のシュティーアが突然ミサイルポッドを展開してリーゼに向けた。

「ちょっ、何してんの」

「敵が残っていた」

 よくよく見れば、前方に転がるロボットが僅かに身を起こそうとしていた。ヴェスペは一つ面白いことを思いついて、シュティーアの肩をつかんだ。

「あ、そうだ。ちょっと撃たないで」

「理由は?」

「ほら、リーゼの力量を測るにはいい機会でしょ? あんなのに撃たれたところで傷は付きようがないし、他の敵は倒しちゃったんだから、不確定要素にはならないよ」

 シュティーアは無言で武器をしまった。

 小型ロボットはリーゼに向かってよろよろと歩みを進める。リーゼはまだ敵が近づいてきていることに気づいていないようだ。両者の距離が二メートルほどになったとき、敵が弾丸を放ち、ガインッとくぐもった音を立てて弾かれてようやく、リーゼは目の前のロボットが倒す目標だと認識したようだった。ガクガクと身体を揺らし、ドラム缶の表面に小さな窓が開いて、銃身が飛び出す。そしてそれを、ろくに狙いもつけないまま連射した。半数以上の弾は外れたが、小型ロボットはもともと壊れかけだったこともあり、あっけなく動かなくなった。それでもリーゼは撃つのを止めない。弾切れになっても、しばらくカチカチと音を鳴らしていた。

「……」

 どう考えても戦いに慣れていない。なんだか、怯えた子供のようだとヴェスペは思った。

 

***


「なんで喧嘩なんかしたの、カイくん」

 頬にできた傷を手当てしてもらいながら、カイは心配そうなアイリから目をそらした。

「向こうが悪いんだ」

 事の顛末はこうだ。

 カイはこの日、いつも通り学校に行った。そこで偶然、一学年上の先輩が仲の良い友人の悪口を言っているのを聞いてしまった。内容は、まあ、あいつは生意気だ、とか、どうせ教師に媚売って成績上げてもらってんだろ、とか、ありきたりなものだったように思う。ただ、カイは彼らのことが激しく気に食わなかった。

 そんなわけで、その場で殴りかかって、見事に返り討ちに遭って今に到る。

「でも、口で言うだけでも良かったんじゃない?」

 大好きなアイリ姉ちゃんの言葉も、このときばかりは癇に障る。彼女の口調は穏やかというより平坦で、昔から教えられてきたことをそのまま繰り返しているようだった。

「本当にそう思ってんの?」

 八つ当たりじみていたと自分でも思う。

「どういうこと?」

「大人たちはみんなそう言うけどさあ。それじゃ駄目だろ、実際。あいつらは馬鹿だから、口で言ってもなんとも思わないに決まってる。一発殴ってやるくらいしないと」

「結局返り討ちに遭ってるじゃない」

「やられるばっかりだったわけじゃないよ! 一人の顔を殴って痣を作ってやったし、もう一人は足をつかんで転ばせてやった」

「ほら、腕出して」

 ん、と袖をまくって二の腕の引っかき傷を見せる。

「それに、それじゃお友達も喜ばないわ」

「いいや、あいつのためにもこれで良かった」

 消毒液のしみる痛みに顔をしかめる。

「あいつの名誉が傷つけられたんだぜ? たとえあいつ自身が許しても俺の気がすまないんだよ」

 自分の言葉がどんどん熱を帯びていくのがわかる。やめたほうがいい。アイリにこれを言ってどうするんだ。

「つーか、アイリ姉ちゃんはどうなんだよ。大事な人が居なくなって、ただ悲しんでるだけでいいの?

敵討ちとか、考えたことないのかよ?」

 アイリの手が止まる。手だけじゃない。視線さえも硬直している。しまった。これは、俺なんかが話していいことじゃないのに。

「あの、アイリ姉ちゃん、ごめん……」

 ガタッと、アイリは椅子から立ち上がった。救急箱と、その中身がバラバラと床に落ちる。そのまま、二階の自分に貸し与えられた部屋へ駆けていってしまった。

「手当て、終わった? ……あら」

 店じまいをしていたエマが顔を出し、目を丸くした。


 その夜は最悪の気分だった。エマにことの次第を話すと、案の定怒られた。

「あの子が昔のことを引きずってるのはあんたも知ってたはずでしょ!? なのに、自分の喧嘩の引き合いに出すなんて……」

 本当にその通りだと思う。エマはアイリの部屋のドアをノックして、大丈夫かと聞いていたが、返答はなかったようだ。

 なんてことをしてしまったんだろう。あの子の一番触れてほしくないであろうところに触れてしまった。後悔が胸を締め付けて、一晩中眠れなかった。

 次の朝も最悪の気分は変わらなかった。母の用意したトーストをもそもそと口に詰め込みながら、もうアイリは自分と口を聞いてくれないかもしれないな、などと考えては、さらに落ち込んでいた。

 そのとき、階段を下りてくる足音がして、カイは身体を強張らせた。程なくして、アイリが入ってくる。

「あ、アイリ姉ちゃん……」

 彼女はこちらにゆっくりと顔を向けると、

「おはよう、カイくん」

 明るく笑った。

 は? 笑った? 今まで一度も、楽しそうな表情を見せなかった彼女が。

「おはよう、アイリちゃん」

 エマが台所から出てくる。

「おはようございます、エマおばさん」

「夕べは大丈夫だった? ごめんね、うちの馬鹿息子が考えなしなことを言って」

「いいえ。全然気にしていませんよ」

 母はほっとした顔で台所に戻っていった。何も思わないのだろうか。彼女の笑顔を見て。

「昨日はありがとう、カイくん」

「……え?」

 アイリはカイの向かいの椅子に座った。なんだろう、変な汗が出る。

「そうよね。ただ悲しんでるだけじゃ駄目だわ」

 彼女は女の子らしく両手の指を絡ませてこちらを見た。

「復讐しないと」

 乾ききったようなとび色の瞳は、ぞっとするほどきれいだった。


***

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