第2話 白いゴーグル、黒のストレート
国立軍バルツ基地、食堂にてベンノは昼食をとっていた。今日の献立は、丸くて固いパン、ポトフ、そしてベーコン。ごく普通だ。
前回の防衛任務から三日が経った。別の地域では小さな戦いがいくつかあったようだが、ベンノの隊はあの日以来出撃していない。とりあえず、ハンスとかいう舐めた新兵には、一日十八時間のすばらしい訓練スケジュールを組んでやった。
そういえば、あのときの増援のエインヘリヤル二人は、どうしているだろう。よく分からないやつらだった。男のほうは一般兵を馬鹿にしてるのかと思ってつっかかってしまったが、今から考えれば、他意のない事務連絡だったのかもしれないし、女のほうはまるでただの子供だった。あれ、あいつら、名前はなんていった? 確か……。
「ふむふむ、今日のランチはポトフとベーコンか」
「うおわぁ!?」
気が付くと、横合いから一人の少女が食事を覗き込んでいた。くせのない肩までの黒髪に、特徴的な緑色の猫目。もしかしなくてもあいつだ。
「おっと、パンを床に落とすところだったよ。危ないな」
「ああ、ありがとう……じゃなくて、何でここに居るんだよ、……えっと」
忘れかけていたその名前を頭の中から引っ張り出す。
「ヴェスペ!」
「ひどい。一瞬忘れてたでしょ」
ヴェスペは椅子には座らず、テーブルに肘をついた。寄りかかるような格好だ。
「で、なんで居るんだよ。エインヘリヤルの食堂は別だろ」
「んー、気分? 今日はこっちで食べたかったの」
「そうかよ」
しかし、さっきから彼女になんとなく違和感を感じる。
「……あ」
「何?」
「いや、背中のって外せるのな」
あの翼のようなアームが、今の彼女にはない。
「まあね。つけたままだといろいろ不便だし。ドア枠に引っかかるよ」
「それもそうか」
会話を打ち切って食事を再開する。しかし、ヴェスペは食事を取りに行く気配がない。横を見ると、妙ににこにこした彼女と目が合った。
「まだなんかあんのか」
「いや、まあ」
口元で笑みを作ったまま困ったように眉を寄せるヴェスペ。
「……それ、どこで貰えんの?」
「知らないのかよ! あそこのカウンターだよ。早くしないとなくなるぞ!」
「ありがとー」
小走りでカウンターに向かう彼女を見送って、さて、と改めてスプーンを手に取ると、またもや後ろから声をかけられた。
「少しいいか」
「ん……、んぐふぉお!?」
振り返って、思わずポトフを吹きそうになった。
「どうしたんだ。こぼしたぞ、ハンカチを貸そう」
「ああ、すまん……。じゃ、なくて!」
言わずもがな、そこにいたのは先日のエインヘリヤルの片割れ、シュティーアだった。
「んだよ、お前もこっちで飯な気分なのかよ」
「? いや、俺はもう昼食は済ませた。ここに来たのはヴェスペに用があってだ。見なかっただろうか」
「あいつならカウンターのほうに行ってるぞ。もうじき戻ってくるんじゃねえか?」
「わかった。待とう」
今のシュティーアは、ヴェスペと同じく肩の武装やアーマーを外していたが、なぜかゴーグルはそのままだった。フォーマルな軍服姿にサイボーグめいたゴーグルというのはなんとも違和感があったが、あれはきっと眼鏡のようなもので、なくては日常生活に支障をきたすのだろうと、ベンノは勝手に納得した。
「しっかし、なんだぁその髪の毛は。色抜いてんのか」
彼の髪の色は、ここより北の地域でもそうはいないだろうというほど色の薄い灰白だった。
「いや、地毛だ」
「そうかい」
それにしても、生白い顔しやがって。ちゃんと食ってるか? 寝てるか? ベンノはシュティーアの口にベーコンを突っ込んでやろうかと思ったが、やめた。こいつに二枚しかない貴重なベーコンをくれてやる義理はない。
「……先程から俺の顔ばかり見ているようだが、何か気になることでも?」」
「んあ? 別に」
そうこうしているうちに、ヴェスペが戻ってきた。トレーを両手で持って、花のマークでも飛び散らせそうな笑顔の彼女は、シュティーアを見るなり表情を反転させた。げっ、という顔だ。
「なんで居んの」
シュティーアはおもむろに一枚の紙を取り出し、ヴェスペに見せた。
「始末書……。何の?」
「お前がこの前の任務で壊した建造物についてだ」
「え、今日書かなきゃだめ?」
「本来なら昨日までに書かれているべき書類だ」
「あー……。まあ、とりあえずさ、ご飯食べさせてよ」
そこからは特に会話もなく、食事を終えた。ヴェスペは幾度となく何か話したそうにベンノに視線を向けたが、結局のところシュティーアが居るので諦めたようだった。
「ごちそうさまー」
ヴェスペが食器を置くと、シュティーアは席を立った。
「行くぞ」
「はーい。おっさん、話し相手になってくれてありがとね」
「部下が世話になった」
「おう」
食堂の出口に向かって遠ざかる背中を見送りかけて、ベンノはふとエインヘリヤルに言ってやりたかったことを思い出した。
「おい、お前ら!」
振り返った二人に声を張り上げる。
「いつか、お前らが驚くような戦いをして、『流石は一般兵』って言わせてやっから、覚悟してろよ!」
シュティーアはただ僅かに頷き、ヴェスペは大きく手を振った。本当に対照的な二人だ。ベンノは満足して、椅子に座りなおした。
「……あ」
すっかり冷めたポトフを口に運んだとき、ベンノは小さく声を上げた。一つ、言い忘れていた。
おっさんって呼ぶんじゃねえ。
―――エラー発生、エラー……
永遠に続くかのようなまどろみの中、彼はノイズのようなメッセージを受け取った。
―――修正は可能、しかし外部からの操作が必要です。
錆びついた歯車とモーターが軋みをあげる。
―――お願いします……
その悲痛な響きに何かを感じたのか、それともただ外界からの刺激に反応しただけなのか。
ともあれ、こうして彼は目を覚ました。
****
「アイリちゃん、アイリちゃーん?」
穏やかな昼下がり。街角の喫茶店にて。店番で居眠りをしていたカイは、母親の声で目を覚ました。どこー? などと言いながら二階から下りてきた母のエマは、カイを見るなり、眉を吊り上げた。
「あんた、また居眠りしてたね?」
「し、してないよ」
すっと頬を指さす母親。
「帳簿の字が写ってるよ」
「あっ、やべ」
慌てて袖で拭うと、エマはこれ見よがしにため息をついた。
「まあ、いいわ。あんた、アイリちゃんどこ行ったか知らない?」
「牛乳が残り少ないからって買い物に行ったよ」
「あらそう。こっちも買い物をお願いしたかったのだけど」
彼女は買い物メモらしき白い紙切れを取り出してみせた。カイは思った。チャンスだ。
「じゃあ、俺が渡してくるよ」
母の手からメモをひったくり、外に飛び出す。
「ちょっと! 店番は!?」
「母さんやっといて!」
アイリ姉ちゃんと二人きりになるチャンスだ。
「はい、チーズをおまけしてあげよう」
「そんな、悪いです」
「遠慮しなさんな。アイリちゃんは可愛いから」
「……ありがとうございます」
「こらあ! おっちゃん、アイリ姉ちゃんにセクハラすんじゃねー!」
見慣れた亜麻色の髪が見えたので、全速力で走って、その手前でブレーキをかける。
「カイくん? どうしたの」
いつもは清楚な印象の彼女だが、驚いた顔をすると、とび色の瞳に少し幼さがにじんだ。
「母さんが、これも買ってきてほしいって。悪いけど、ついでに頼める?」
ポケットに押し込んでいたせいでしわのよったメモを、念入りに伸ばしてからアイリに手渡す。
「うん。わかったわ」
アイリは、メモに目を通すと、それをきちんと折りたたんでしまいこんだ。
「俺も荷物持ちについてく」
「ありがとう」
店のおっちゃんに軽く挨拶をしてから、二人並んで歩き出す。カイは、まつげ長いなーとか考えながらアイリの横顔を眺めていた。
アイリが、カイの母親が経営する店に転がり込んできたのは、二年前のことだった。店の前に、ひどくやつれた様子でうずくまっていたのだ。もう少しでみぞれでも降り出しそうな重苦しい夕方だった。ひとまず中に入れ、ホットココアなどを出してやって、落ち着いたところで話を聞いてみると、どうも帰るところがないらしい。母は戦災孤児、という言葉を使った。意味はわかったが、一度も罹災したことのないこの町では、縁遠く、現実味のない言葉だった。とにかく、彼女は国境近くの村からここまで歩いてきたらしいのだ。
仕方がないので、とりあえず、ということで店に住まわせ、そのまま今に到る。これが、とてもよく働く娘で、もともと人手不足だったエマの店にとっては大きな助けとなった。二年も経った今となってはほとんど家族のようなもので、エマも、もうどこかへ養女にやろうという気はないようだ。
「でも、これで笑えば、もっといいのにねえ……」
母は、いつだったかそう言ってため息をついた。カイも本当にその通りだと思う。
アイリは、口元にあるかないかよく分からないくらいの微笑を浮かべることはあっても、声を上げて笑うことはなかった。カイが憶えている限り、ただの一度も。それどころか、一人でいるときなどはだいたい悲しそうに目を伏せているのだ。
「なんでいっつも暗い顔してんの?」
彼女がやっとここでの生活に慣れてきたくらいの時期、聞いてみたことがある。アイリは、言い訳を探すように目を泳がせたあと、やっぱり話そうかな、と呟いた。
「大事な人がね、いなくなったの」
「恋人?」
「ううん。むしろ、お兄ちゃんみたいな感じ。いつも一緒にいたのに、私はもらうばっかりで、あの時だって、守られるだけで、何もできなくて、悔しくって……」
噛み締めた唇は白くなっていた。カイは何も言えなかった。下手な慰めは、かえって彼女の心を抉るだろう。
この話は、ここでやめることにした。これ以上聞いても、何もいいことはない。
カイは、その『お兄ちゃん』は死んでしまったんだろうな、と思った。少なくとも、アイリの心の中では、死んだことになっている。
****
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