第2話

 昼。わたしと里子との密会が始まった。

 同じ教室にいながら、あまりしゃべる機会が持てないまま、お昼のお弁当の時間だけが彼女とのひと時になった。

 こそこそと弁当を持ちだして小さな中庭に向かう。

 ちょうど校舎の特別教室あたりにある場所なので、ひとのいるクラスからは死角になる。ちょっとした植え込みの桜の木があるくらいなもので、ちゃんとしたベンチがあるわけでもなく、中庭の真ん中にあるただの小高く連なった石のオブジェのようなものに腰掛けるのが特等席だった。

 里子と一緒に向かうことはなく、大抵はわたしが先に着き、はやる気持ちを抑えながら弁当箱を抱えるのが常だった。

「上野さん」

 少し首を傾げて微笑みながら、里子が現れた。

「おまたせ」

「じゃあ、食べようか」

 里子が隣に腰掛けた。もうそれだけで舞い上がって踊りだしそうなのに、彼女はいつもこう言うのだ。

「あ、上野さんのお弁当今日もおいしそう。玉子焼き、もらってもいい?」

 あげるあげる。いくらでもあげるわ。だけど、その、どうして自分の箸で取らずに「あーん」と口を開けるのですか。

「山崎さん、雛鳥みたいよ」

 精一杯の冗談を言ったつもりだったが、「え、変?」と困らせてしまったようでわたしは慌てた。違う違う! 全然そんなのじゃなくて、むしろ、わたしなんかでよければいくらでも……!

 震える手をごまかしながら玉子焼きをつかむ。

「は、はい。あーん」

「あーん。うん、やっぱりおいしい!」

 その笑顔のために、彼女好みのお弁当を作っているということは、わたし以外には知る由もない。


 昼食のあとは少しの談笑タイムとなる。

 未だに下の名前で呼べないわたしは、「山崎さん、」とまるで他人行儀に接するほかなかった。

「上野さんは休みの日何してる?」

 少し鼻にかかった可愛らしい声で彼女が問う。

「んー、家にいることがほとんどかなあ」

「えー! もったいない!」

「そ、そう?」

 大きな目を見開いてこちらをまじまじと見てくる。彼女の声が、視線が、わたしをどんどん支配していくのがわかる。

 このお昼の密会が始まってからというもの、彼女は思っていた以上に活発な子なのだということがわかった。ただ見ているだけではわからないこともあるのだ。


「じゃあ今度、デートしない?」


 え。なに。いま、なんて。

 あまりの衝撃発言に口から心臓が飛び出そうになった。

 特別な意味などないことなどわかっている。けれど、けれど。

「土曜日、ランチしてからお買い物行こうよ! ピザがおかわりし放題の、いいお店あるんだー!」

 嬉々として話す彼女を見てわたしは少し安堵していた。

 脳内では何を着て行こうか、どんな話をしようかとめまぐるしく考えながら。

 ふとよぎる「わたしなんかでいいのか」という暗い気持ちを覆い隠すように。


 その夜、わたしはシャワーから自室に戻るなりぼうっとしていた。髪を乾かそうとドライヤーをあてるのだが、風をただ吹かせるだけでまだ水滴がこぼれてくる。

 わたしにとっての里子が、どこで何をしていても、もはや生活の一部になっていると気付いたのは最近のことではない。

 もうずっとわかっていて、でもそうだと確信すると何かが壊れそうで、ただひっそりと自分ひとりの問題として抱えるだけにしたかった。いや、いまでもしたいのだ。

 里子は本当に可愛らしい。愛くるしくて、側に置いておきたくて、独占欲のようなものがふつふつと湧き上がる。

 触れたい。そう、触れたいんだ。手を繋ぐのも、髪を触りたいとおもうのも、きっとわたしが素直になれないからで、ふとしたきっかけさえできればわたしにだってできるに違いない。そう強く祈ることしか今はできないけれど、わたしはもっと里子を知りたいし、知ってほしい。

 それはわがままなのだろうか?

 相変わらずぐるぐるする頭で必死に考えるけれど、答えは出ない。

 わたしは、里子を、独り占めしたいの?

 それはきっとそう。だけど。


 女同士。

 一番の論点がここにあるのはもう間違いない。

 超えちゃいけない一線。

 高い壁。

 同じ染色体を持つもの。ただそれだけなのに、それだけでは済まない現実。突き付けられる、現実。

 里子のことは好きだ。ただ見ているしかなかった一年を経て、ようやくここまできた。でも、わたしは今を壊すことができるの?

 そんな度胸も勇気もないくせに、出口のない迷路を歩いている。ここは暗い。暗くて、何も見えなくて、光を求めて彷徨ってる。明けない夜はないというけれど、じゃあ、わたしはその希望の朝を呑気に待っていればいいの?

 考えはいつも堂々巡り。

 もう寝よう。この暗闇でうずくまってひとりでいることが、いまのわたしにできる精一杯の強がりなのだから。

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