第3話

 土曜日はすぐにやってきた。

 待ち合わせは十一時。駅の改札前。

 なんだかんだでなかなか眠れなかったわたしは出かける前に気休め程度に美肌パックをし、睡眠不足のごまかしを図った。

 時計を見ると十五分前。少し早めに着いたなと思いながら、適当なひとの邪魔にならないところで立っていた。

 そこでメールを飛ばす。

『先に早く来過ぎちゃたから改札前で待ってるね。』

 返事はすぐに来た。

『私も早くに着いちゃったの。いまどこ?』

 ふたりともフライングしていることが可笑しくて、くすくすと笑いがこぼれる。彼女が近くのカフェで時間つぶしをしているというので、わたしもそこに合流することにした。

「あ、上野さーん! こっちこっち!」

 アイスラテを運んでいたわたしを後ろからあの声が呼び止める。振り返って確認すると、いつもの黒髪の美少女が、今日はハーフアップにした頭で微笑んでいた。

「随分早く着いたのねえ」

 どぎまぎしつつニ名がけの片方に腰掛ける。

 秋らしくアースカラーのカーディガンを羽織って、ゆっくりとした動作でミルクティーを飲む彼女は、少しだけお嬢様のような佇まいがあった。

 わたしはといえば、あんなに考えていたのに結局思いつかず、無難な黒のトップスにパーカー。かろうじてスカートを引っ張り出してきたものの、お世辞にも可愛いとは言えない。

「上野さんだって早かったじゃない」

 里子に言われてはっとする。そうだった。今度はふたりで笑う。


「これからどうする? もうランチ行く?」

「行く行く! もうおなかペコペコ」

「じゃあ出よっか」

 同時に立ち上がり、ごちそうさま、と声をかけながらトレーを返却口に片付けて外に出た。


 道案内は彼女に任せた。

 自分の知らない通りを歩いていることが新鮮で、なにより隣に里子がいるのが嬉しくて、他愛もない話をしながら目的地に向かう。

 あのお店よさそうだね、とか、ここ今度行きたいね、とか。

 学校のことも少し話したが、お互いどこか避けるようにあまり話に花は咲かなかった。

「ここだよー! ここのニ階!」

 そこはたくさん立ち並ぶビルに挟まれた、飲食店がいくつか入る店だった。

 ニ階までは階段で上り、目の前に現れたドアを開けると、もうチーズのとてもいい匂いが鼻腔をついた。

 店員に案内されて通された席に座ると、周囲では同じくランチ目当ての客が思い思いに食事を楽しんでいた。

 わたしと里子もランチメニューを注文し、先に運ばれてきたサラダを食べながら、店員が近くに回ってきたところで焼きたてのピザをもらう。

 店に入ってきたときに感じたチーズの香りが一層濃厚に感じられ、いただきます、とふたりで言ったところで頬張った。

「うん、おいしい!」

 サラミやベーコンの散りばめられたクリスピー生地のピザはさくさくで、お腹いっぱいになるまでおかわりし続けた。

 マルゲリータにきのこのピザ、どれもおいしくて幸せな気分に浸る。

「いいお店だね」

「でしょ? ランチなら安いし、穴場だよー!」

 里子はシーフードピザを頬張りながらまた首を傾げて微笑んだ。

「このあとはお買い物?」

「うん、ちょっと雑貨が見たくて」

「何買うの?」

「入浴剤のかわいいのがあればなーって」

「入浴剤?」

「うん、そう! 今ハマってるんだーいろんなのがあって可愛いんだよ」

「じゃあ今日誘ってくれたお礼にプレゼントするよ」

「えー! 申し訳ないよー!」

「いいのいいの、わたしがプレゼントしたいんだから」

 里子の笑顔が見られるなら、わたしはどんなことでもしたいとおもう。

 今日のデート(とわたしは信じている)で少しでも距離を縮めたいわたしは、それがたとえちょっとずつでもこんな日々を重ねていきたい。

「じゃあ、行こうか」

 ここは割り勘で支払いを済ませ、いざ雑貨店へ。


 里子が機嫌よく隣を歩いているのを見るだけで幸せになるのは、片想いが昇華しているせいなんだろうとおもう。


 ――ああ、手を繋ぎたい。


 ぐっとこらえて隣でニコニコしている里子を横目で見ながら、自分の感情を抑えるのに苦労するのは、これが恋なんだと強く思い知ることになる。

 一年見守ってきたわたしには、そろそろ我慢のしどころが難しくなる時期でもあるのかもしれない。

 触れたい。手を繋ぎたい。もっともっと、近くにいたい。

 小さな彼女は雑踏に紛れるとそのまま消えてしまいそうで、ぐっと引き寄せて側に置いておきたくなる。

 離れたくない。このままどこか遠くへ行ってしまいたくなる。

 わたしの渦巻く感情を、彼女は当然知らない。

 伝えたいことはたくさんあるけれど、いまはまだ、その時ではないと自分に言い聞かせる。

「ここ、ここ!」

 里子が指をさす。

「ここの中に雑貨屋さんがあるんだよー」

 一見するとファッションビルだが、おそらく小さなテナントが入っているのだろうとわたしは推測した。


 予想は当たっていた。

 本当に小さなスペースにカラフルな雑貨が整然と並んでいて、どれを取っても可愛らしく、きょろきょろと目移りしてしまう。

 里子はそれらをひとつひとつ見ながら、お目当ての入浴剤のコーナーに辿り着いていた。

「どう? 欲しいのあった?」

「キューブもいいしソルトもいいし、迷っちゃうよお」

 一口に入浴剤といっても、たしかにこれは迷うほどの可愛さだ。

 詰められた容器もそれぞれに個性があり、ハート型のバスキューブがお菓子のように入っていたり、キャンディーのようにバスボムが包まれていたり、なるほど見ているだけでも楽しい。

「あ、これ」

 わたしが見つけたのはバスグッズセット。

 タオルや石鹸なども入っていたが、オレンジやピンクなどのポップでカラフルなバスキューブとバスソルトがかごにひとつになっている。

「これ……どう?」

 センスないかなとか、無難すぎるかなとか、そのかごを見つめながらどきどきと反応を伺う。

「うん! いい! 上野さんナイスチョイス!」

 里子はグッと親指を立てる。

「このかご、別の入れ物にも使えるしね!」

 わたしはほっと胸を撫で下ろして、そのバスセットをレジに運ぼうとした。 と、里子がわたしの服をちょっとだけ引っ張った。

「本当にいいの? やっぱり申し訳ない……」

「わたしがプレゼントしたいのよ」

 引っ張られた服のほうに気が行ってしまい、ますますどきどきしてしまう。

 だめだよ里子。これ以上、わたしを困惑させないで。

 どこかぎくしゃくとしながらとりあえず里子をその場に置いて、わたしはこっそりとギフトラッピングを頼んだ。

 店員のお姉さんはてきぱきとかごを包み、あっという間にプレゼントの出来上がり。

 わたしはそそくさと里子の元に戻ると、照れくささに少しうつむきながらその小さな青い紙袋を手渡した。

「はい、どうぞ」

「ありがとうーっ! 嬉しい! 大事にするね!」

 安い買い物だったが、それでもこんなに喜んでくれるのなら、わたしはいくらでも尽くしたいとおもってしまう。

 里子は受け取った紙袋を愛おしそうに見つめ、いつもの首を傾げた笑顔でこちらを見て言った。


「ねえ、上野さん、下の名前で呼んでもいい?」


 青天の、霹靂。

 驚きと照れとなんだかもうたくさんの感情が入り乱れて、自分を保つのに必死になっていた。

「ど、どうしたの、急に」

 そう言うのが精一杯だった。

「だって、こんなにしてもらったのに、いつまでも『上野さん』だなんてよそよそしいよ」

 わたしだって本当は呼びたい。里子。里子。いつも心の中で呼んでいた名前。

「いいよね? ね、梓」

 心臓が破裂してどうにかなりそうだった。彼女が、わたしを、名前で呼んでくれている。これはシミューレーションの中の話なんかじゃない。

 今までの人生でも下の名前で呼ばれる機会は少なく、やはり照れくさく、そして、新鮮だった。

「じゃあわたしも……さと、こ」

「ふふ、なーに?」

 これで、一歩近づけたんだろうか。

 いや、もう二歩も三歩も近づけた気分だ。

 名前で呼び合うことがこんなにも特別だったなんて知らなかった。


 里子は、名実ともに、「里子」になった。

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