第32話 怪物の形而上学的再生と形而下学的限界
魔導列車が動き出し、それを追随する肉が随分と薄くなった骨の化け物。
怪物の背中から伸びてきた触手が中の人間を
もはや怪物に
また狂花に及ばないながらも堅実に仕事をこなしている萩離にも苦しめられているのかもしれない。
何処か鷹揚であった貫禄は消え失せ、なりふり構わずに仕留めようとしているように見えた。
それは怪物が狂花の[再生限界が来るまで只管に削り続ける]という
仕掛けた網代に魚が掛かったら、あとは網代を持ち上げる者の技量の見せどころである。
「行きます。あとは作戦通りに」
「……わかった」
それまで忘れていた
彼の方が作戦を次の段階へ進めるという蓋然性が高いのであるから。
列車から飛び出した狂花は怪物の懐に潜り込むと、列車に攻撃が行かないように攻撃を引きつける。
「〈起爆竜光〉」
呟けば、狂花の掌には太い杭があった。
そして攻撃を捌きながら、肉と骨の隙間に杭を埋め込む。
その杭は光り輝いていて、狂花の五指へと糸のようなものを伸ばしていた。
粗方杭を打ち終わると、狂花は新たな武器を創り出す。
「【
【
流麗な装飾に見惚れ、刃に触れたが最期、全てを両断され、絶える。
鷲羽を象った鍔に焔のような柄。
青黒い刃文が刃に焼き付いている。
その刀は斬れ味が鋭すぎて、悉く収まる鞘を切り裂いてしまったという。
そのため、地上最強格生物の一角である鬼も肌にひとたびその刃が触れれば他の鬼が慟哭するような結果となると言う。
故に〈鬼哭〉であり、〈鞘伏〉であるのだ。
「さて、もうそろそろお別れの時間ですね」
【
その様はまさに抜刀術を扱う侍の如し。
それは侍の十八番〈抜刀術〉とも言うべきものだった。
その格好は精神を統一し、自らの周辺に簡易領域を作る。
そして、領域に入るものをその手にした武器で両断する。
狂花の領域を穢す触手や骨の弾丸は瞬く間斬り伏せられる。
伸びてくる触手に刃を合わせるだけで触手は裂け、骨の弾丸は両断される。
そのままの勢いで、狂花は怪物の脚を切ろうと【
途中何とか刀身を止めようとする攻撃もあったが悉く両断され地に落ちた。
【
軈て千年は生きた杉の木の幹よりも太い脚をまるで熱したナイフで切り裂くバターの如く刃を走らせていく。
四本目の最後まで刃を走らせると、一気に振り抜く。
澄んだ音を響かせる【
場所が違えば誰もが聞き入っていたであろう美しくも残酷な音。
そして数瞬後、狂花の視界のものが全て切れる。
怪物は勿論、地下鉄の壁や非常ベルのようなものまで。
「少しこれは斬れ味が鋭すぎましたね。【ガルガンダの手甲】」
今度は鈍く黄金色に輝く巨大な手甲が地面から生えてきた。
それは巨人の手を覆うために作られたのか、怪物を振り回せるほどに大きい。
手甲は怪物のしっぽを持つと列車を跳び越すように投げる。
怪物が投げられると当然狂花の指に繋がっている糸を通して狂花の体も引っ張られる。
それに狂花は抗うことをせず、自ら飛び上がる。
そして糸を後ろに引くことでさらに加速する。
糸を引くと、杭からカチンという音がして、白く瞬いたと思うと、爆発した。
仕掛けられていた場所が肉と骨の隙間であったので爆発は肉を内側から弾き飛ばした。
怪物が列車の手前に落ちるまでには殆ど脊椎にあたる骨しか残っていない。
斬撃を止める強固な筋肉も衝撃を殺す分厚い脂肪ももはや残っていない。
「『
列車の中から萩離は列車全体に加速の魔法を行使する。
列車が魔法陣を通り抜け、さらに加速する。
それに対して怪物は骨を何とかして変形し、受け止めようとするが再生限界が近いのかまともに再生も変形もままならない。
列車はぐんぐんぐんと速度を付け、ついに硬そうな骨へと衝突する。
ガリガリガリとヒバナと嫌な音を撒き散らしながら拮抗したかに思えたが怪物の骨が列車の下に巻き込まれる形で何十メートルも引き摺られる。
ついに硬そうな骨にヒビが入り、中から大きな男が傷だらけの状態で飛び出してきた。
胸からはチェーンソーが突き出ていて双刀刃は体に半分突き刺さり、頭は体に半ば格納されている。
そのまま列車にはね飛ばされ、転がる。
その頃には列車も勢いを失っており、脱線していた。
そんな酷い状態であるのに、ほんの少しだけではあるが男は再生の兆しを見せる。
萩離も愛香も列車の中にいるのですぐには対処できない。
「あとは頼んだぞ!」
「始末を!」
タン、と軽く列車を踏み台にする音がする。
「ええ。お任せください」
列車から一気に敵の元まで加速する。
いつかの再現のように双刀刃で頭を跳ね飛ばし、チェーンソーを引き抜いて、今度は心臓を正確に潰す。
少しの抵抗もなく入った回転刃は確かに敵の心の臓をバラバラに引き裂いた。
最後の支えを失っており前のめりに倒れる死体。
今度こそ、ピクリとも動かなくなった。
狂花は少しの間黙祷を捧げると、死体を燃やした。
肉が焼ける臭いが辺りに充満する。
程なくして、萩離が愛香に肩を貸しながら列車から出てきた。
「狂花さんこの度は御協力ありがとございました。つきましてはお礼も兼ねてお話を…?」
「狂花さん…?」
「ちょ、待て!どこに行った!?」
「さっきまでそこにいましたわよね?!」
そこに狂花の姿はなく、残されていたのは天井に空いた穴と墓標代わりの双刀刃と灰だけだった。
先程雨雲は晴れたと言うのに、雨は勢い変わらず降り続いている。
「シーナ、さん?その…大丈夫ですか?」
「…?さん付けなんて必要ない。私たちの間にそんな遠慮は必要ない」
「でも、僕は…」
「あの人ではなくただのあの人の代わり?…それでいい。あの人の代わりに願いを叶えてくれる人を邪険にする理由がどこにあるだろうか」
「でも、あの人の名前も何もかも…僕はッ!」
「それを考えつくのにやめないのは、理由があるから。そうでしょう?その理由もきっとあの人はわかってる。アシュの名前を使うならうじうじしないで。受け継いだ思いを守って」
「…ごめん。わかった」
アリスを抱えながらシーナは諭す。
あの人の真似をする者を不愉快に思わなかったといえば嘘になる。
しかし、彼女の思いが受け継がれていることは素直に嬉しかった。
今度こそきっと世界からこんな悲しみを消せるように。
「あの、先生が居ないんで…だけど大丈夫…かな?」
「大丈夫だと思う。あの人とっても強いから。きっともうすぐ倒して帰ってくる頃だと思う」
「物凄い勢いで吹き飛ばされても?」
こくりと頷くシーナを見て、アシュは驚愕した。
「人間……?」
「人間だと思う……多分。私より、強い。あれだけのオーラを纏って人の形を保っているのが不思議」
「……え?」
「朝起きたら怪物になっててもおかしくない」
「……」
「…冗談」
「冗談か……良かった」
シーナはアシュには心臓に悪い冗談を能面のまま言い終えると、すくっと立ち上がってアシュに言う。
「私はアリスを病院に連れていこうと思う。あの人が来たら、病院に居るって伝えて」
「わかっ──ちょっと待った。大丈夫?」
「道順はわかってる」
「いや、そうじゃなくて。だってシーナは病院を襲った犯人ってことになってるんだよ!?絶対トラブルが起きるよ!」
「私が行ったら確かに起きるかもしれない。でも、私がアリスを抱えていたら?きっと話は聞いてくれると思う。それよりもあの人が戻った時に誰もいなかったら連れ去られたって勘違いが起こる」
「確かに……」
「それに、アシュがここに残ってももう危険はないのだから、大丈夫だと思う。襲われない」
「わかったよ。僕はここで待ってる。アリスを頼んだよ」
「任せて」
少し微笑み、サムズアップで答える。
それに少しばかり見蕩れて、アシュは見送る。
巨大な爪と美しい二人の女性が、見えなくなるまで。
「…ウッ」
シーナが居なくなると、先程まで全く感じていなかった人を殺したという感覚が途端にアシュの胃袋を刺激する。
喉が弱酸でじわじわと溶かされるような、酸っぱいものが口に広がるような気がする。
こんな世界で人殺しなんてしないし、できる訳もないと高を括っていたが、早くも手を染めてしまった。
自衛だとか必要な犠牲とかそんな考えに逃げることも出来ない。
アシュの中でそれは大きくなっていく。
心の底に消えない爪痕としてずっと残り続けるだろう。
アリスが無事であったという安堵は薄れ、背に伝う汗が冷える。
そんな吐き気に嘔吐いていると、優しく背中をさすられた。
「全くアシュ君は優しいですねぇー。もう少しで死んじゃうところでしたぁ」
「えっ?」
先程聞きなれた声がした。
その声にアシュの背筋が凍る。
比喩表現ではなく、感覚がまるで霧が掛かったかのように途絶える。
それは次第に全身に広がっていく。
「いやぁアシュ君が隙をみせてくれて助かりましたぁ。もう少しで私の存在ごと消してしまうところでしたぁ」
「そう……か。そういう仕組み……」
唇にすらも上手く力が込められず、途切れ途切れで応じるアシュ。
背中を摩っているのはいつの間にか意識から居なくなっていた香澄だった。
そっと手を添えているだけなのにアシュはその手からすら逃れられない。
「さぁ、力を使ってください。橘さんは無事だってぇ」
「なん、だって…?」
「私たちだって生きているんですよぉ?レドも、あてぃしも、橘さんもぉ、みんな、みんな生きてるんです。好きな人の無事を願うことの何がいけないんですかぁ?」
「…ッ!いけないことは、ない、けど」
「けど?」
「僕は、あなたたちにも、そんな、人を愛する気持ちがあるなら、…どうして他の人を傷つけるんだ、って、思う。みんな、あなたたちにも、生きる権利があるのに、どうして踏みねじって……僕たちの生きる権利を……」
「…はぁ。アシュくんには分からないですよ。私はもう昔の私じゃないんです。誰にも彼にも愛想を振り撒いて、愛してもらおうだなんて純粋な私じゃないんです」
どこか甘ったるい声から一転、その真剣な声音には今まで受けてきた仕打ちと、経験が積み重ねられていた。
「他の人達の生きる権利を尊重した所で、私たちみたいな排斥される側はいつだって虐げられるんですよ。人と少し肌の色が違う、声が違う、身長が違う、できることが違う、趣味が違う、嗜好が違う、取るに足らない行動が違う。それだけで大多数は少数を駆逐しようとするんです。人のそれは特に顕著。そんな差別主義者に差し伸べる手はないです」
「僕は、僕たちはそんな差別を…」
「しない?それとも跳ね除ける?どちらでもいいですけど、そんなんじゃアリスちゃんは守れませんよ。差別主義者では無いということはアシュくんはこちら側ですね。大衆に同調しないのですから。でも、大衆はそんな異物をつまみ出そうとしますよ。思考が異常だなんだと騒ぎ立てて、貴方をきっと差別します。それを跳ね除けるのなら、アシュくんははやはり差別する側。それを受け入れるのなら、死ぬだけです。万人に優しいままじゃ誰かは守れない」
「極論──」
「そうですか?なら、橘さんを生き返らせてくれないのは何故?」
「それは、他の人に迷惑がかかるから」
「私たちは火の粉が生じる前に潰したり、生きるためにお仕事をしてるだけですよ。それを人の迷惑と言って切り捨てるんですか?差別、するんですかぁ?」
「そんな、ことは」
敵の内に秘められていた思いを聞いてしまい、立ち止まってしまう。
アシュも正義がそのまま敵や万人にとっての正義だと言う一面性のものではなく、コインの裏表のように二面性を持つものということは理解していた。
だが、この現実はあまりにも惨い。
救いようがない。
自分とは相容れない。
幸せの真名は悲劇と言うのだろうか。
「だから私はアシュくんに要求します…橘さんを、生き返らせて……」
「そんなこと、出来な─」
思考に靄が掛かる中、必死に拘束を振りほどこうと藻掻くと、ポタポタと体に雫が垂れてきた。
「橘し゛ゃ゛ん゛を゛返し゛て゛!」
「…ッ!」
ギブソンタッグの髪を揺らしながら、必死に涙を堪えようとしているが、却って堪えることに失敗しているようだった。
ポロポロと頬を伝う
思いの丈は、大事に思う心は本物だということの証明であった。
アシュにとってそれは残酷な仕打ちだった。
「橘し゛ゃ゛ん゛を…助け゛て…」
「泣かないでよ…僕たちが、悪者みたいじゃないか…」
声に力はない。
アシュを拘束する手にも力はない。
悪者みたいじゃないか、ではなく彼女にとってアシュは正しく悪者なのだろう。
橘を殺したのは他ならぬアシュなのだから。
降りしきる雨は慟哭と共に全てを洗い流そうとよりいっそう勢いを強めていく。
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