第33話 It's up to you
慟哭は雨と、更に霧を伴って苛烈さを増す。
木の板程度では水は塞げないのだ。
人の意志という物や心というものは、鋼鉄であり、ダイヤであり、ゴムであり、水晶であり、磨りガラスであり、薄い紙切れであり、ゴミであり、風化した石のような儚く脆い物でもある。
硬いようで硬くないような、価値があるようでないような、伸びるようで伸びないような、透き通っているようで透き通っていないような、そんな曖昧模糊の定義の中にすら収まらない。
霧は、止めどなく溢れ出し、遂にはアシュの足元を完全に白く染めてしまった。
アシュはここで迷う。
否、自分がずっと迷っていることを自覚した。
──破滅してしまえばいい!
願いの通り敵は今しがた破滅している。
これで願いが叶ったと喜べるのだろうか。
ここで終わらせてしまえば、アリスは平穏を得るだろう。
しかし、誰かの不幸の上に置かれた幸福は果たしてアリスの望む幸せの形なのだろうか。
それは自分が望んだ未来なのだろうか。
「返して、返して、かえして!」
霧は
それは巻き込まれた者への脅しであり、それと同時に生き残ってしまった自分への罰だったのかも知れない。
泣き叫ぶその姿を見て、心を砕かれない人はいるのだろうか。
救いたい。
でも、救えない。
結局自分はこんな困難すらも打破できないのだろうか。
「かえして!」
「僕はっ!」
バンっと銃を打つ音が響いて、慟哭は、悲しみの連鎖は遂に途絶える。
「おい、蓮。進みすぎるなよ。何がいるか分からないんだぞ」
「わかってますって先輩。危険は常にそばに居るってことくらいスラムにいた時に学んでますよ」
背の高い腰まである灰色髪を片方に垂らし、頬のホクロがある女がライターの火を頼りに進んでいく少年を置いながら諌める。
それに振り返りもせずに答える少年。
小さな灯に照らされた首筋には爆弾のようなものが描かれていた。
「なら、なんでそんなズカズカと入り込んでいくんだ」
「そりゃ、このライターの火があるからですよ」
「お前、ほんと炎が好きだな。いっそ炎使いに改名したらどうだ?」
「二つ名は別に俺が名乗ってるわけじゃないですって。先輩が広めたんじゃないんですか?」
「〈
「じゃあ誰だって言うんです?」
「〈
「あー。確かにあの腹黒後輩エルフならやりかねないっすね」
「後輩って言っているが人間基準で言えば誰よりも年寄りだけどな。いや、短命種と比べると、か」
〈エルフ〉という種族は1200から2000年生きる種である。
この世界では人間も色々な要因によって200年は生きるが、それに比べてもなお、とても長生きである。
そのため、100歳を超えてもまだ子供とみなされる場合が多く、また体の成長も遅く、時間の感覚も人間とはあまり馬が合わない。
決して種族間の仲は悪くない、というか仲はとても良いのだが、それ故にエルフと人間のような短命種が婚姻すると、悲劇を産みやすいというのは教訓話としても有名である。
それでもなお求められるのは彼ら彼女らが平均してもとても美しいからであろう。
〈エルフ〉の間であれば、相手の美醜に関わらず魂の年齢とも言うべきもので相手がどれだけ生きているかわかるが、人間にはある程度の年数までは見目麗しい種族にしか見えない。
だから人間で言う20代の若者の中に40を過ぎるものを紛れ込ませても人には分からないのである。
それほど歳を取らない長寿の生き物として知られている。
ただ、〈人間〉も〈エルフ〉も〈ダークエルフ〉も〈女〉というものに年齢の話がタブーである事は変わらないようである。
「なんか寒気してきましたよ」
「私もだ。これ以上突っ込むのはやめよう」
「にしても暗いし、血は至る所にあるし、ここなんなんですかね。事前情報だと人気のスーパーなんすけど」
「さて、な。しかし〈
「『今世紀はやばい』って取り乱していましたからね。取り敢えず他の五人と合流しましょ。戦闘専門の俺ら二人より、護衛付きとはいえ調査専門がいる方が捗って居るでしょ」
ドアを開けて、血が河を作っている廊下に出る。
ライターの頼りない灯りに照らされている、停電したスーパーマーケットはなんとも不気味であった。
か細い灯りが途絶えた時、自分たちの命の灯火さえもが吹き消されてしまうようなそんな感覚がした。
その無機質な廊下の奥にチラチラと揺れるライトの灯りがあった。
揺らめく炎は静かに足を速める二人を照らしていた。
ライターを三回消したりつけたりすると、あちらからは六回ライトの点滅があった。
「よう、戻ったか。蓮、四之宮」
ライトを持っていた大柄な鼻ピアスを開けた男が安心したように言う。
名をハラ・アウグニドラ。
二つ名は〈
それに先輩──四之宮も安心したよう返す。
四ノ
立ち振る舞いは容姿も含めて絶世の美女に相応しい美しい姿だが、闘う姿は百合乙女とは言えない。
「ハラか。異常無かったか?」
「あぁ。それよりも凄いことがわかった」
蓮が集団に合流すると、甘ったるい声音に歓迎された。
後ろから抱きしめられたが、蓮はするりと抜けた。
「蓮先輩♡見回りご苦労さまです」
「うわ、腹黒後輩」
「腹黒ってなんですか!こんなに可愛い後輩なのに!」
「……いやー〈
「先輩ィィィ?〈
「いや、それは、ちょっとマジ勘弁」
スラム街出身の蓮が酷く怯えていると、奥からやってきたスライムのようなドロドロとしたピンクと橙色を混ぜたような色の粘体が寄ってきた。
正確な種族名は〈
鉄を瞬間で溶かすほど強力な酸など様々な酸を分泌でき、魔法に対する耐性が非常に高い。
また魔法の扱いも巧みで、胎内に容れた物質を触媒に魔法を使うことも出来る。
そんな彼の名は プロント・ニールセンブルク。
略してプニである。
二つ名は〈
身に付けたマントをバサりと広げ、注目を集める。
「蓮とイミーナの熟年夫婦みたいなコントはいいから、早く来なよ。もうすぐで事件にたどり着くかもしれない」
「じゅ、熟年夫婦だなんて……いやですねぇ、プニさんはぁ」
「プニさん、後輩の実年齢が熟年なのは兎も角、夫婦なんてやめてくれませんか」
「……先輩、後で屋上」
「蓮はイミーナの70年に引き摺られているのだと思うけど、エルフの70年なんて人間換算なら10年ちょっとだよ。この娘、ピチピチだけれど。それにこんなアピールされてるのに」
「そうですよ先輩!エルフが異性にアピールすることなんて滅多にないんですよ!それにこんな可愛い後輩ポジの生娘がですよ?男なら上手いこと運んでおっせっせぐらいは考えるでしょう?据え膳食わぬは男の恥ですよ!」
「プニさん、俺の守備範囲は確かにピチピチの女の人ですけどね、10代前半なんてただのロリコンじゃないですか。それによしんば俺がロリコンだとしてもこんな耳年増エルフなんて願い下げですって。……胸ないし」
「おんどりゃあァァァ!吐いた唾飲めんぞォォ!」
今にも蓮に飛び掛りそうなイミーナを薄い光沢のある橙色のスライムは何とか抑えながら説得する。
「胸はこれから育つんじゃない?いくらエルフでも壁と同じではないだろうから。ほら、まだ来てない時間とかあるじゃない」
「プニさんまでどうして私を虐めるんですか!離してください、先輩にお仕置するんですからぁ!」
ジタバタとイミーナが暴れていると、奥からさらに一人──いや、一体現れた。
下半身は巨大な蜘蛛で、その上に人間の上半身が生えている。
性別はくっついているのが女の体なので、雌だと思われる。
種族は〈
近縁種には下が蠍になっている〈
二つ名は〈
「ほら、イミーナちゃん、野蛮な男どもは捨ておいてこっちにおいで」
胸はイミーナと比べて天と地ほどの差があるのに、その天上の果実を飢えた
「うわぁーん、イファニスさぁん!」
「プニでも宥められないとか、どんな天才でも女心は分からない物なんだなぁ」
そこに感慨深げに現れるハラ。
うんうん、と頷いてはなにかに納得している。
「イミーナの気持ちはともかく、常に裸になりたいと言ってる奴の気持ちなんてわかりゃしないよ」
「ハラの発言に腹を立てる……なんつって」
プニがハラの言葉に若干腹を立てたのか触手のようなものを突きつけて、言い放つ。
後半のハラのクソ寒いギャグはみんなにスルーされた。
「あら、そう言ったらあなたなんて裸にマントをつけたようなものじゃない。羨ましい。というかね、胸が窮屈なのよ。ほんっと人間種の世界は窮屈ね」
「あれ?みんな無視?」
布切れを触る度にまろび出そうな程震えるサイズの胸にイミーナはキッと睨みを効かせる。
イミーナにしてみれば背後から刺された気分だった。
やはり敵は敵であった。
胸がある人は須らくイミーナの敵なのだ。
「やっぱりイファニスさんも敵です!」
「ほら、やっぱり全裸女郎には分からない」
「まぁ、まぁ、みんな落ち着け。イミーナのそれは今に始まったことじゃないだろう」
四之宮が合流して、六人が一堂に会する。
事態は終息するかに思われたが、今までで一番イミーナが反応した。
まるで主人を守らんとする飼い犬のように、財宝を守る番人かのように四之宮を警戒する。
きっと尻尾があれば、かってないくらいぶわっと膨らんでいだろう。
「なんでイミーナは私に心を開いてくれないんだ……?」
「先輩がエルフに引けを取らないくらい可憐で、胸も大きいからじゃないですか」
「そんな……こんな脂肪の塊で可愛い子に嫌われるのなら、私はこんなもの要らない!」
「ガルルルルルル」
憎悪が燃えている。
それはそれはもはやマントルの熱さもかくやという程に。
だからこそ、身近にあったポリタンクを手に、その火を消そうとしたのだが、残念ながら火に油を注ぐ結果であった。
ポリタンクに入っていたのは油だったらしい。
「「(どう考えたって蓮が四之宮にベタ惚れだからだろう)」」
みなはそう思ったが、それこそそんなことを言うのは野暮と言うものだ。
「それで、プニさん何見つけたんですか?」
当の本人は呑気にライターの炎を見つめているのが何となく腹立たしい。
「この先に血痕があったんだけど」
「これで喜ぶのは不謹慎だからなんか嫌だけど、漸く手掛かりらしい手掛かりが」
「それが謎が深まるんだなぁ、これが。血痕大量にあるんだけどさ」
「はい」
「全部一人の血なんだよね」
「まさかのスプラッタですか?」
「いやー人体のどこ切り裂いてもあんな量の血出てこないと思うよ。だからこそ、怪事件なんだけど。ありゃ確かに取り乱すわ。でも、取り乱してでも見つけたことはとても素晴らしい」
「国が隠す前に決定的な証拠見つけて、これまでの事件を解決しなきゃいけないですもんね。海上貿易ビル倒壊事件だって結局何が原因かすらも明らかにされてませんしね。ガスマスクの正体とか、ウイルス漏洩の危険のための周辺地区の封鎖とか」
「それに繋がりそうな証拠をみつけよう。そうすればボスも少しは喜んでくれるだろう」
怒りのためか壁を殴りつける蓮。
パラパラと破片が床に落ちる。
それを宥めるようにプニは触手を伸ばし、肩を優しく叩く。
「概要は説明し終わったか?なら
「
「んお?来たか。噂をすれば影」
暗がりから姿を現したのは、このチーム最後の一人。
樹を捻りながら人のようにした二足歩行の胴体と、枝分かれした首らしき部位からぶら下がっている赤い果実のような球体が二つ。
その間に鎮座しているのは山羊の頭の骨。
果実の中では渦が巻き起こっており、時々仄かな色の違いが顕れる。
歩く度にパキパキと樹が軋む音がしそうな見た目だが、その実この身体はとても静かである。
礼服のようなものを着ているのに、その革靴も提げている懐中時計も何もかもが静かすぎる。
名を
二つ名は〈
「〈
「おい、亜聯。今私の二つ名に変なルビ振らなかったか?」
鋭い指摘に余裕綽々な態度で亜聯は返す。
もちろん都合の悪いことを誤魔化すために。
唇があれば口笛を吹いていただろう。
「
「本当か?」
「
「ならいいが」
四之宮の鬼ですら受け止められない拳をたらふく食わされては堪らないと考えた亜聯は話をはぐらかし、深く追求される前に話を進める。
「
「あー、もう話していいの?なら僕から。大量の血痕が見つかったんだ。それもすべて同一人物の。しかもヒト種だ」
「同一人物……
命には奇跡が宿るとされ、血術とはその命の象徴たる血を持って為される
主に自身の血を使う派と他の命や血を使って行使する派があり、マナをほぼほぼ必要としない。
血操術とは似て非なるもの。人身御供、内的御供、外的御供によって贄とする。
それが
「それも考えたんだけど、外的御供にしろ内的御供にしろ、人間の体内にあんな量入っているとは思えない」
「輸血パック方式で培養した血液とかの線もあるんじゃないっすかプニさん」
「僕なら培養した血液ならそうとわかるよ」
「確かにプニならわかりそうだな」
「それはそうと、ハラ。なにかあなたの異能に引っかかるものはないの?」
「あぁ。この奥に二人……いや、五人いるな。あぁ、近くに一人いるな。そして外に一人……か?」
「
「危なそうではあるが、事件究明のためには行くしかあるまい。頼りにしてるぞ。〈
「おいハラ?お前もか?」
「みなさーん、仮面舞踏会を始めますよ!これで変装してくださいねー!」
「……さっきまで不貞腐れていたくせに、ほんっと仮面を被るのが上手いんだからこの腹黒後輩は」
「私がいつも素で話してないと言いたいんですか!?」
「そう言ってるだろ」
それぞれが手渡された仮面を被り、変装が完了すると戦闘員を先頭に奥へ続く扉へと進んでいき──
バタン、と扉が開かれ、中からフルフェイスマスクを被った現れた。
遠目でもハッキリとわかるほど戦闘服に血を滲ませて、覚束無い足取りでこちらに近づいてくる。
「お前たちは、何者だ?…何故、こんなところに居る?」
「…そりゃ、こっちのセリフだぜ。そんな格好で、ここで、一体何が起きてる?」
「それは…──伏せろ!」
瞬間、フルフェイス男が今しがた自身が出てきた扉を勢いよく閉め、警告をする。
その意味を全員が理解したのはそのすぐ後であった。
視界を、炎と爆発とが覆い尽くしたことによって。
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