第29話 際限ない恐怖の最小値

猛る腐肉で出来た歪な列車が全てを挽き潰さんと迫る。

規定のレールを外れて、箍も外して、軛を解いてただ猪突猛進に。

誰もが驚怪駭愕するその威容は秒針一刻み事に大きく映る。

それを前にしたら、手の中にある道具だなんて全く心許ない。

自らの命だなんて風前の灯火で、いかに矮小な存在かを自覚させられる。


「Agaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」


王者の咆哮で下々は萎縮する。

地下に轟く暴力的な音は勲を上げんとするものの心胆をも寒からしめる。

パキパキと枯れ枝が折れるような音がすれば背中から変形した骨が出現し、パラベラム弾のように発射された。

狙いは大してつけられていないが、それでもなお脅威である。

骨肉の弾丸は地下鉄の壁を穿ち、咆哮は弱きを萎縮させ、その巨躯は小さきを踏みつぶす。

──だが、それに対抗するのが


「──我々、〈槍の穂先スピアヘッド大隊〉だ!総員迎撃体勢!何としても民間人の避難を完了させろ!」


大柄なマホガニー色の短髪を刈り上げた男が吼える。

すると傍に置かれたプラネタリウムの投影装置のようなものから不可視の力場が展開され、骨肉でできたパラベラム弾を弾く。

男より後ろには一発も通過していない。

これがさる『逢魔が時』に使用された兵器である。

一定以上のマナを保有する物質を通さないバリア発生装置【ファランクス】。

バリアはその名の通り盾のような六角形がいくつもくっついたような模様をしている。

この【ファランクス】は余程の攻撃でない限り、接触して居るもののマナを奪い、逆に障壁を分厚くする。

つまり強ければ強いほど守りが抜けづらくなるのだ。

しかし、それは同時に問題も孕んでおり。


「前進せよ!敵を倒せなければ我々に退路がないと思え!」


敵も味方も一定以上のマナを持っていたのなら展開した範囲から出られないということだ。

これで悪鬼共の標的を民間人からに向けることで避難完了と悪鬼殲滅部隊の編成までの時間を稼いだのだ。

勿論、〈槍の穂先スピアヘッド大隊〉の力量は高い。

悪鬼を殲滅できないとはいえ閉じ込められた空間の中で生き残り、時間を稼いだのだから。


(死したものの魂が上手く輪廻せず、恐ろしい姿をとった形態…幽世かくりよから出る怨霊の中でも『逢魔が時』によく顕れる〈悪鬼〉。鬼のような膂力と竜のような大きなからだ、凶暴な性質。鬼のような人型とはとても言えないその存在と今向かってくる奴が同じだとは思いたくないが…)


もし同じくらいの脅威度だったらと〈槍の穂先スピアヘッド大隊〉大隊長 飛羅ひら 萩離はぎりは戦慄する。

一体で『逢魔が時』と危険度で肩を並べるとは思わないが、悪鬼一体相当だと考えてもとてつもない災害だ。

しかしそんな不安は勇ましい仮面の奥底に仕舞っておく。

隊長たるもの部下に恐れを見せては行けない。

率先して先頭にたち、指揮をするべきだ。

それが萩離が前隊長から受け継いだ隊長をやるうえでの信念だ。

確かに臆病さも生き残るためには大切だ。

しかしそれは自分一人が助かる道であって誰かを助けるために必要な要素ではない。

冷や汗が軍服の下の肌を流れ落ちて気持ちが悪い。


逢凛あぐり小隊長、愛香中隊長、伙神伍長、そして俺で奴の突進を防ぐ。その隙にありったけの弾を打ち込め。なるべく心臓や重要な器官を狙い打て」


槍の穂先スピアヘッド大隊〉はというより魔導隊の〈機攻士ドラグナー〉の部隊は全て一般人が占める割合が殆どである。

魔道士では無い、または魔道士としての才能が著しく乏しいものたちが所属する部隊である。

魔導隊には魔法によって敵を殲滅する部隊や重機のようなものに乗って出動する部隊もあるが、街の警邏にそんな大仰なものは必要ないと一般人が武装したもの達が警邏として存在している。

武装と言っても火器が関の山で対物ライフルすらも扱えない。

そんなものたちが竜なんてものに対抗出来るわけが無い。

鎧袖一触になぎ払われて終いだろう。

隊長クラスになれば魔化が施された一点物の武器が支給されるが、それでも圧倒的に少ない。

ちらりと視線をやると、小隊長と中隊長は怪我をしたらしいと話をしている。

柱に激突したのだろうか。


(それにしてはピンピンしてるが…てか早く来てくれ。俺だけじゃ止めらんねぇよ)


部下の前という都合上早く来いと言う態度はおくびにも出さず、まっすぐ前を見つめる。

と言うか見つめてないと不安で押しつぶされそうだったというのが本音だ。

今聞き取り調査なんて悠長なことやってるなよと萩離は思う。

けれど聞き取り調査を否が応でもしていたのは敵の脅威度を測るためであり、大隊長がいるからきっと食い止めてくれるという信頼であることぐらいわかった。

それに多分直ぐに彼らは来るだろう。


「接敵まで残り百メートル!」

「よし、各員覚悟を決めろ!勝って帰るぞ!」

「萩離大隊長、遅れてすみません。…例の陣形で行くッスか?」

「あぁ。共に戦って貰うぞ」

「喜んで。大隊長となら地獄までもお供するッス」

「萩離大隊長、来ますわよ」

「各員、戦闘配置…伙神かがみ伍長はどうした?」


途端に流暢であった言葉が詰まる。

愛香はなるべく視線を彼方へやりながら恐る恐る答える。


「……どうやら迷子になっているらしいですわ」

「…は?……ま、まぁ居ないなら仕方がない。我々三人で止める」


萩離の流す冷や汗は滝のようになる。

ここに来て一番心にダメージを受けた。


(なんで伙神かがみ伍長は迷子になってんだ!お前がいないとダメだろ!)


ここにいない〈槍の穂先スピアヘッド大隊〉のまさに穂先も呼ばれる人物を思い出し、心の中で愚痴る。

ないものねだりしてもしょうがない。

そう理性は納得しているが、弱い心の声は止まらない。


(クソ、怖ぇよ!誰か、助けてくれ!時継様でも誰でもいい!早く誰か救援に来てくれ!このままじゃ全滅しちまうよ!)


勢いに乗った列車怪物は止まらない。

それを見ながら、逢凛小隊長が問いかける。


「アイツ、愛香中隊長の【紫金紅葫蘆しきんべにひさご】でどうにかならないッスかね?」


視線がホルスターに吊るしてある美術的な価値がありそうな瓢箪に向けられる。

期待の眼差しから来た希望的観測による提案は冷たい視線で一蹴される。


「逢凛小隊長、あの化け物に返答する知能があると思ってるのかしら?だとしたら交渉してきてくれない?こっちに来ないで、と」

「ハイ、デスヨネー、私が悪ぅございました!」

「返答さえしてくれればいみなだろうがあざなだろうが関係ないんだがな」

「大隊長それは…難しいと思いますわ。溶かした端から再生しそうですもの」


紫金紅葫蘆しきんべにひさご】。

それは太上老君の元配下で【紫金紅葫蘆しきんべにひさご】、【羊脂玉浄瓶ようしぎょくじょうへい】、【七星剣しちせいけん】、【芭蕉扇ばしょうせん】、【幌金縄こうきんじょう】を盗んで下界に逃げた金閣、銀閣の兄弟が持っていた瓢箪である。

〈西遊記〉では弟の銀閣が所持していたとされている。

名前を呼べば忽ち瓢箪に吸い込まれ、中に入っている液体で溶かされてしまう恐ろしい代物。

摂魂せっこん』なる呪術と似て非なるその性質は本名だろうが偽名だろうが応えてしまうと直ぐに瓢箪に吸い込まれてしまうという。


「そう言えば、愛香中隊長、近接戦行けます?」

「火器だらけのおまえには言われたくないのだけれど… 【紫金紅葫蘆しきんべにひさご】が通用しないとなると…どうしようかしら。五宝のうち【紫金紅葫蘆しきんべにひさご】しか持ってこなかったのが悔やまれるわね」

「斬馬刀でも貸しますか?」


逢凛が軍服の上に羽織っている外套の中から斬馬刀を取り出す。


「あら、おまえにしては気が利くわね。で、どんな斬馬刀なの?呂布奉先や劉玄徳が使っていたものかしら?」

「呂布奉先や劉玄徳が斬馬刀を使っていたかは知りませんが、何の変哲もないただの斬馬刀ッスよ」

「いいわね。ここで活躍してその刀に銘を刻んでやるわ」


斬馬刀を指でなぞり、切れ味を確認してから愛香は飛び出す。

捨てられた煙管が宙を舞う。

何故なら、敵はもう、目前だからだ。

肉と鋼の激突とは思えない甲高い鍔鳴りのようなものが聞こえる。


「逢凛小隊長、俺の武装をくれ」

「了解ッス。【鉄峡てっかい】ッスね?」

「ああ。二枚頼む」


またもや外套から武装を取り出す逢凛。

今度は取り出すのを少し苦戦するほど大きい。

取り出したのは二枚のタワーシールド。

それぞれ黒い金属でできている。

艶のない黒は全てを飲み込むような孔を思わせた。

それを両腕に構えたら、人間鉄壁の完成だ。

その魔化が施された二対の盾は魔力を流し、構えている間は全ての衝撃を殺す。

両腕の盾などまるで無いかのように軽やかな身のこなしで愛香と怪物の間に割って入る。

巨大な尻尾の振り下ろしが来る。


「──!!」


声にならない叫びを上げ、愛香の代わりに飛び出して、縦を真上に掲げる。

尻尾が盾に触れた瞬間、ありえないほど軽く、尻尾が後退した。

まるで熱い薬缶に触れた手のように。


「今ですわ!」


その声とともに旖旎いじする外套を肩にかけながら、怪物の口へと直行する人が。

手にはロケットランチャーらしき物が。


「【対魔導障壁弾頭】装填!ファイヤ!」


口の中で赤紫色の弾頭が爆ぜ、緋色の花弁が咲き乱れる。

圧倒的な熱量に敵味方ともに喉を焼かれる。

しかし、それに負けず尻尾へと疾走する影も。

斬馬刀が乱れ、尻尾が微塵になる。

口は焼かれ、尻尾は微塵になった醜竜に鋼鉄の雨が降り注ぐ。


「愛香中隊長、どうだ?削り切れそうか?」

「少し難しそうですわ。元々、レールガンのようなレーザーガン?……まぁどちらでもいいですけど、それすらも耐え抜くような再生力とオーラをしてますわ。きっと強い生物を取り込んだか、再生する時にオドを大量に取り込んだのでしょう。それがさっきの攻防でさらにオドを取り込んでしまった……つまり先程よりも手強くなりますわ」


オドというのは空間を満たす魔力であり、これが生物の体に入り、マナという生物を構成する物質となる。

そして魔導師などはこれを特殊な器官で魔法にしたりするのだが、それとは別の器官で魔導師に限らず全ての生物はマナとオドを混ぜてオーラという物にする。

オーラは作れば作るほど体を強くし、生身でも刃物を防ぐようになったりもする。

このオーラというのはその性質上傷ついたり、オーラ濃度が濃いものを取り込むことでより生成を促進できる。

つまり、怪物は再生する度に硬度が増すということになる。

降り注いでいた鋼鉄の雨は上がるが、空かさず傷は塞がっていく。


「【対魔導障壁弾】使って見た感じ、コイツ魔導障壁による硬さじゃないっスね……天然のオーラだけでこの硬さッス」

「斬馬刀か何かもう一本くださらない?もう刃こぼれが酷いのだけれど」


外套から新たな斬馬刀を引っ張り出しながら逢凛あぐりは愚痴る。


「うへぇー、バリ硬ッスね。俺の持ってる武器の中に【エクスカリバー】とか【アスカロン】とか【クラウソラス】とか毛色は変わるッスけど【ゲイ・ボルグ】とかがあればいいんスけどねー」

「おまえは火器専門なんだからあっても宝の持ち腐れではなくて?お前が欲するべき物は百歩譲って【ゲイ・ボルグ】…はいいとして遠距離なんだから…【夷羿いげい】あたりではないかしら?」

「いやーそれが最近近接戦闘させられっぱなしでそうも言ってらんないッスよ。確かに投げたら必中とか太陽を射殺す弓とかがあれば楽なんすけどねぇ…中々遠距離に専念する機会なんて…ってか伙神伍長が居れば話は別なんスけどねぇ──危ない!」


咄嗟に愛香を突き飛ばした逢凛は巨大な顎に挟まれる。

そして、愛香に近づいていた萩離も尻尾で叩き潰す。

他のものも、巨躯に吹き飛ばされ、踏まれ、押し潰される。

槍の穂先スピアヘッド大隊〉が瓦解した瞬間であった。






















ガヤガヤと騒ぎ立てる民衆。

しかし、囁かれるのは希望の言葉。

救いを与えられることを信じて疑わない態度であった。


「〈槍の穂先スピアヘッド大隊〉がもう倒してくれる」

「それはそうだけど、取り敢えず避難しよう」

「俺も戦うぞ!見てろよ美香、俺の勇姿を!」

「健二、やめて!馬鹿なことしないで!」


無限大に増殖していた恐怖ジョーカー希望スペードの3によって返された。

熱気に湧き、蛮勇に踊らされる影もチラホラと散見される。


「おい、俺達も戦うぞ!」

「俺だって魔導師志望だ……こんな状況見逃せない!」

「危ないよ!お願いだから変なことしないで!任せて避難しよ!?」


魔法を使ったり、武器を召喚したり、曲がりなりにも戦う力はあると一部の民衆は武器を手に取る。

熱に浮かされ、勝利を確信したような声さえ聞こえる。

それ蛮勇を嘲笑うかのような出来事が起きるまでは。

ガコン、と蓋が外れるような音がして、絶望が降り立つ音がする。

ぴとぴとと言う擬音が相応しい音を立てて天井から降り立ったのはぬらぬらとした肌をもつ黒い異形であった。

鮫のような人のようなその姿は不気味で、目はないが大きく裂けた口はまるで嘲笑うかのような角度を描いている。

そんな存在が三体、上のダクトから現れた。

目はないはずなのに、ニタニタとこちらを嗤って居るようなその口角と余裕のある足取りが強者としての格を示している。


「♦%ღ¥±$@@∬Å∛∜∟⊗∅£₦₩₪₪!!!」

「@@&¥Å☆♡&♦♦∬₦ £₪ ღ!」

「%∟Å♦♦∬♛✧♣♠♧★□❈❊♛▏▕!!」


人語を介さないそのおぞましい言葉気味の悪い音は心臓を鷲掴みにされたかのような震えと恐れを齎す。


「う、うあ、やれ、やれぇ!撃て!」

「『火球ファイヤ』」

「『風刃ルビリピ』」

「確たる炎熱で君臨者を焼く。生命いのちを喰らい、喉を干上がらせ、眠りを与える──『炎の大剣フー・ドー』!──死ッね!」


箍の外れた悲鳴に押され、バレーボールくらいの火球と可視化された緑の刃が走り、滅茶苦茶になる駅入口。

民衆の中でも勇ましく吠えていたもの達から正式な魔導師に比べると頼りない魔法が飛ぶ。

その中のオレンジと赤のハーフ髪の男が炎でできた大剣を手に、鮫の化け物へと勇猛果敢に斬り掛かる。

火焔が猛り、ぬらぬらとした皮膚を断ち切る。

体の斜めから刀身が入り、一瞬爆発したかとおもうと、鮫の怪物の体は地面に落ち、まるでコールタールのようにぬらぬらからヌメヌメそしてドロドロとなり、溶けて消える。


「よっしゃ、やったぞ!」

「コッチもだ!」

「見たか俺の魔法の腕!見掛け倒しの雑魚が!」


風の刃によって右半身を絶たれた鮫はバタリと倒れ、火球に風穴を空けられた鮫は倒れ伏した。

思わぬ戦果に雄叫びを上げ、歓喜に湧く。


「やった…のか?」

「やったぞ!倒した!」

「死んだぞ!」

「この調子でアイツも…」

「───¥+$@@¥¥↑↑♪??☆#(<$>)」

「♠♦♦♣&♡₪ 」

「₦ Å★♧❈」


悪趣味な嗤い声は決して途絶えたりはしない。

逆再生のように風穴を空けられた部分が、切り飛ばされた半身が、溶けた全身が元に戻る。


「##♠♦₪ ♡₦ ♡♦☆&!!」


一匹がなにか音を発したかと思うと三匹一斉に突撃してきた。

狙いはそれぞれ攻撃でしてきた個体へ。


(なんで、クソ!俺の全力の一撃だぞ…。全力で倒せないなんて…)


前屈みで背鰭を見せつけるその様は狩猟者の愉悦なのであろうか。

それは少年含め全ての生物に死の象徴として写った。


(こんなの死──)


人馬一体の白き稲妻が駆けるまで。

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