第27話 ボクノソンザイハムゲンダイ
大衆を恐怖に陥れることは容易だ。
大衆の先導をするものを目の前で殺してもいいし、無作為に引きちぎってもいい。
一撃で葬ってもいいし、じわじわと嬲り殺しにしてもいい。
血や臓物があればさらに悲劇を演出できる。
圧倒的で退廃的で救いのない現実を。
それだけで大衆を構成する個は悲鳴をあげ、逃げ惑う。
所詮個体は個体。
いくら数の利があろうとも、立ち向かう意思を統一できなければ呆気なく死んでいく。
その混沌の中で痛みと恐れは廉価。
そして逃げ惑う個を見て、他の個も逃げる。
例え地の底を覆い尽くすほどの数がいようが、恐怖は伝染し、喧伝して、誇張されていく。
虚妄の『恐怖』を投射し、恐れ、慄く。
力を持たない個体は己の常識が通用しない存在を恐怖の対象として視認する。
それがどんなにおちゃらけた存在であろうが、恐怖する。
タダより怖いものは無い。
万人が万人に対し、憎悪し、自らの生存をかけた争いをする。
留まることなく無限に恐怖は、憎悪は、悪は増殖していく。
薄暗い闇が狂花を包んでいる。
辺りには仄かではあるが瓦礫が辺りに散らばっているのが見て取れる。
下にはレールやコンクリート出できた枕木がある。
(──地下鉄ですか。あそこからここまで飛ばされるとはなんともまぁ、鈍りましたね)
すくっと立ち上がってパンパンと埃と汚れを落とす狂花。
(とはいえ
次の手を考え、力を貯める。
前回よりも強く、強く、強く。
今度こそあのふざけた筋肉ダルマに食らわせられるようにと。
そして自分が貫通してきた跡を見て、サッと身を引く。
振動と共に瓦礫がさらに増え、天に空いた穴も増える。
パラパラと破片が飛び散り、辺りに粉塵が広がる。
「ヌゥゥゥン!」
人型の穴をさらに押し広げながら落下してきたのはゾンビ白洸であった。
その肥大化した腕の一撃は剛腕であり、ビルなど軽々と粉々にして吹き飛ばす。
そんな馬鹿げた存在と地下鉄という逃げ場のない場所で1対1。
普通の人ならとうに挫折しているところだが、狂花は違う。
「地下鉄ならこちらとしても好都合ですね」
心做しか嬉しそうに語る狂花にゾンビ白洸は眉を顰める。
圧倒的優位は自分にあるのに、
暗い場所で恐怖は廉価なはずなのに何故恐れないのだ。
自分よりも確実に劣っている存在がなぜ慄かないのか。
不思議でならなかった。
そしてなりより腹が立った。
いけしゃあしゃあと生を謳歌するその姿勢が気に食わなかった。
だからこそ──
「──潰ス!粉微塵ニナァ!」
踏み出す一歩が豆腐のように地面を陥没させ、コンクリートでできた枕木を踏み抜き、塵へと変える。
爛々と赤く輝く双眸は目の前の憎き対象を見つめて離さない。
「ここなら、人目を憚らずに済むというものです。───これは些か巨大に過ぎる」
生きているように、そして纒わり付くように現れたのは巨大な兵器。
右腕全てを覆い尽くし、肩まで伸びた白い体躯に灰色の砲塔。
そして両肩から噴出する二つの突起。
赫く脈打つそれは、果たして何なのだろうか。
狂花の左手がソレに着いているレバーを引く。
するとガコン、と音がして砲塔が上下に裂け、中からレールが出てくる。
その照準を定めながら軽く言い放つ。
「ゾンビモノでも最終兵器の一つとして名高いロマン武器。と、言ってもレールガンではなくてレーザービームなんですけどね」
巫山戯たその声音とは反対に、凄まじい存在感が空間を軋ませる。
その様子に狂ったように笑って胸を張る。
そんなもの効かんとばかりに声を張り上げる。
「ソンナモノ撃ツ前ニ壊シテクレルワァ!『
突進するその速度は更に早くなり、やがて、やがて、やがて、亜光速に達する。
亜光速に達すると物質の相対性質量は無限に近くなり、相対性理論により、体感の時間がそれだけ遅くなる。
そして無限の地獄で精神は摩耗し、肉体は崩壊する。
ソニックブームや亜光速によって生じたブラックホールにより周りの質量を持つ物体はその重力に引き寄せられ、全ての存在値が無くなる。
──なんてことはなく、闘いの高揚が体感時間を引き伸ばした。
速さは凌駕できなかったが、充分驚異と言えるだろう。
筋肉の塊が音速に近い速度で迫ってくるのだから。
ただ──その男の前ではあまりにも無力。
その男は動く速度が速くて、一撃一撃が重くて、攻撃方法が多彩であるのだから。
突進してくる肉塊を真上に蹴り上げ、自らも跳び上がってレーザー砲を押し当てる。
「少し、痛いですよ?」
引き金が引かれる。
凄まじい明滅を繰り返し、直後青白い光が軌跡となって暗い地下鉄に仄かな流星を描く。
それは幻想的な破壊の跡を残し、彼方へと敵を吹き飛ばす。
全てを青く染め、時間すらも彼方へと置き去りに。
三秒ほど続いていた照射も徐々に勢いを失い、やがて煙を上げて沈黙する。
レバーを引くと、エネルギーを充填していた薬莢のようなものが転がり落ちる。
それは直径五センチ程のある大きな注射器から針を取ったようなガラスの容器だった。
カラン、カランと反響する音と熱を発するレーザー砲とが静かな
人が勝利の美酒に酔うようにと、酩酊するような甘い香りを静かに奏でながら幕引きまでをも奏でようとして。
しかしそんな音楽にも変調が訪れる。
音楽の変調とは何も急に変わるだけではない。
ひたりひたりと滴り落ちるように音楽を構成する要素が抜けて、真の姿が露になるのだ。
一つ一つ皮を剥ぐように、それでいて虫食いのように所々が孵化する怪物は。
暗き底から出る。
纏いしは
それは『進化』といって然るべきかもしれない。
進化とは普通一個体に起こりうるものでは無く、子孫を残すときに変異が発生するまたは環境の変化によって長い時を経て変異を獲得するものだが、その怪物はより強くなって舞い戻ってくる。
地獄の底から地の果てから奈落の底から。
それが進化と言わなくて、変異と言わなくてなんと形容すれば良いのだろうか。
「なかなかどうして、『強化』とは厄介な代物ですね」
「コロスゥゥ」
大地を割り、雲海を切り裂く突進に煙を上げて唸る〈怪物〉は新たな〈牙〉を剥く。
音速以上の拳。
小細工無しの一撃。
殴打、乱打、強打の三拍子が揃った拳を煙を上げて物言わぬレーザー砲で受け止め、襲い来る衝撃を上に受け流す。
時に攻め、時に守り、時に流され、時に力み、攻防は苛烈を極める。
拳と巨大な砲塔。
振り回しやすさでも速度でも負けているはずなのに互角の勝負になっているのは両者の差か。
いや、片方に
「オラオラオラオラ!」
「───」
一方は叫んで、一方は静かに、闘気を研ぎ澄ませて。
闘志の籠った拳は難敵をも打ち砕く拳となるが。
それを打ち砕くのもまた、想いの籠った打撃である。
思いの丈が拳を振り抜く強さとなるのか。
はたまたその傲慢さがその拳の硬さとなるのか。
拳と砲塔が激突する音は剣戟のそれだ。
一合拳と砲塔とを交える度にキンッ、と甲高い悲鳴が地下鉄に木霊する。
シャイニングドライブを身軽に掻い潜り、ラリアットと砲塔が鎬を削り、ハイキックと銃弾が交差する。
両者とも弾かれながらも距離をとる。
「『
白洸は腰だめに拳を構え、拳を何も無い空間に向かって突き出す。
その動作に嫌な予感を覚えた狂花は本能に身を任せる。
壁を背にしながら走る。
ズレる度にボコボコと壁に等身大の穴が空いていく。
「空気弾ですか。そこら中にあって、目に見えない…なかなか厄介ですね。攻撃手段として実に合理的だ」
「キサマノ、上カラ講釈垂レルソノ悪癖ヲプライドゴトヘシ折ッテクレルワァ!」
「そう簡単に、人の意志は挫けませんよ」
空気弾をスライディングで躱し、砲塔を盾にしながら次の武器を創造する。
まず握る柄が出現し、左右共に同じ長さの片刃が出る。
ボコボコボコと砲塔に凹みをつけながらも、創造を完了する。
それは両刀や双刃刀と呼ばれる種類の物だった。
それが左右に二つ。
計四つの刃が狂花の手にある。
青龍刀や刀など片刃の刃を上下左右逆に繋ぎ合わせたような形。
常人ではまず片手では振り回すどころか持つことに精一杯で片手使用には向かないが、両手で持とうとも片方の刃を敵に向ければ片方は自分に向くことになり、振り回しにくく、体重を乗せずらい。
つまり、常人では充分な戦い方すらできない。
双刃刀が闇に煌めき、狂花の体を這い回るかのようにくるくると回りながら空気の弾を切り裂いていく。
クルクルと回しながら中空に留め置くことで常に二本の双刃刀を持ちながらも両手で薙刀を扱うように持つという離れ業をする。
腕を支点にして回したり、プロペラのようにしたり、腰から右手から首周りを回しながら左手に移すなどまるで演舞のようだ。
拳砲と比べても、手数は比較にならない程多い。
「『
水色の魔法陣が武器を通り抜けると、水色の結晶が双刃刀に付与されていた。
結晶塊が一振する度に散弾と化し、攻撃と防御を成立させてしまう。
一撃必殺のその塊は数え切れないほど白洸に迫るが。
「『
彼の魔法によって弾かれる。
否、弾かれるのではなくそれは衝突して粉々に砕け散ったのだ。
いくら結晶とはいえ、生身の肉体に粉砕出来るほどやわではない。
有り得ぬほどの強靭さを手に入れたと考えるべきか。
「ソノヨウナ
「…そんなに生意気ですか?十年も修行を積めば誰でも出来ると思うのですが」
「ソノ自ラガ上ダト信ジテ疑ワナイ態度モ、口調モ、全テガ小生意気ト言ッテ居ルノガ分カランノカ小僧!脳ミソを全テ置イテキタノカ?」
「それは失礼。あのようなレベルの低い煽りで怒りを露にされるとは…どうやら貴方の取るにくだらないプライドを傷付けてしまった様ですね」
「貴様ァァァァァァ!」
「先程の忠告の御礼に、此方からも一つ。──そのすぐに怒る癖、直した方が良いですよ」
一気に彼我の距離を詰めた狂花は脚を振り上げる。
飛燕の動きの如く振り上げられた踵は処刑台のギロチンのように首に迫る。
振り下ろされるのは絶死。
処刑者からの忠告は懺悔の猶予を幾許か与える。
己の愚行を嘆くたった一刹那を。
「このようになりますから」
「──イツノ間──。ガァァァァ!」
白洸の首から決して鳴ってはいけない音がする。
それは生々しい、聞いただけで体に震えをもたらす音だった。
しかしそこで容赦をするようでは寝首をかかれる。
油断怠慢は須らく強き者の敵なのだ。
踵落としからのそのまま踵を起点に体を上へと持ち上げ、キリモミ回転。
必殺から必殺へとコンボを繋いで行く。
ギロチンから回転刃へと変化する狂花。
そしてめいっぱい空中を舞えば、醜悪なオブジェが後ろに鎮座している。
最後に背中から胸へ
赤黒い血は至る所から止めどなく流れ、サラミでもスライスするような感じで肉が削ぎ落とされて行く。
肉片は辺りに散乱し、黄色い汁が撒き散らされる。
残るのは直立する肉の塊である。
絞め殺される鶏のような断末魔すらない。
あるのは機械的な機械の無慈悲な駆動音と命が流れ出て、喪われていく音だけ。
ガクガクと白目を剥きながら痙攣し、硬直し、膝から崩れ落ちる。
どさり、と音を立てて血溜まりに伏す。
じわりじわりと広がる血溜まりが彼の納められる墓となる。
もはや物言わぬ骸。
そして、そこに狂花が近づき、完全に首を落とそうと双刃刀を首に振るったその瞬間。
唸っていたチェーンソーや双刃刀が呑み込まれ、じゅくじゅくと一つの生物へとなっていく。
筋肉はもはや原型を残さない程肥大化し、神経は触手のようになり、質量は何倍にも膨れ上がる。
地下鉄の天井ギリギリまでの高さを有するその個体の名は。
「竜…」
それは地上最強の生物と名高い名であった。
「おい、
赤髪の女性が一人で歩き、怒鳴っている。
肩まで伸びたウェーブのかかった赤髪に、猫のようなつり目。
肩を怒らせながら歩くその姿は少し近寄り難い。
肩に飾ってある肩章や襟章はその人物が伍長だということを表している。
「
ちなみにそちらは駅とは反対側だった。
そちらへ進むとカラン、カランと下駄を履いているような音がして、声をかけられた。
「もし、そこの
ふわっと気持ちのいい色気を羽織り、男を虜にするような甘い声と仕草で誘惑してくるのは着物を着崩して羽織った女性だった。
「なんだ、テメェ。…堅気の人間じゃねぇな」
「まぁ、主さん怖いわぁ。わっちはそないな怪しいものじゃござりんせん。普通の人よりちょいとばかし強いだけの
露出した肩を撫でるようにして抱き、上目遣いではんなりと微笑む。
それと同時にその着物を押し上げる形のいい果実が手に取るようにわかり、もしここに男がいたのなら釘付けになっていただろう。
「わっちの名は
花魁というのは遊女の位の中で最高位の呼び方であった。
花魁の他に、
要は入れあげ過ぎて国さえも傾かせるほどの美女ということだ。
その女の美貌を思えばそれも頷ける。
「へい、おいらんちの姉さん!主さん、あちきは
「オレは
花魁の背中から出てきたのは明るい髪色をした齢10ばかりの小さな女の子だった。
花魁と同じく下駄や着物を来て、肩をさらけ出しているがその着物を押し上げる膨らみはない。
もちろん、痩せているという訳では無い。
肌は白くて綺麗だし、身長も高すぎず、低すぎず、程々にある。
しかし色気だけはあまりない。
返事ははんなりと言うよりは元気だし、態度は女々しいと言うより溌剌である。
「あちきはおいらんちの姉さんの元で
禿というものの語源は毛が生えてないから禿げという文字を当て嵌めたという説がある事を伙神は思い出した。
そして、顔を少し顰める。
「こんなちっちゃいのにか?花街業界も大変だな。うちの国じゃ禁止されてんぜ、それ。未成年保護法とか売春防止法とかでな。……まぁ人の身の振り方までとやかく口を出すつもりはねぇよ。アンタら、〈オロス〉っていう犯罪組織を知らねえか?」
その発言にはて、と小首を傾げる花魁。
頬に手を当て、考えながら喋るその様は一挙手一投足全てが美しく、色気があった。
「〈おろす〉でありんすか?主さんがおっせぇす名前は聞いた事がござりんせんが…」
考え込んだ末に出てきた言葉に伙神はそうかと頷く。
「そうか?んなら気を付けた方がいいぜ?アンタらみたいな激マブな手弱女なんてちょちょいのちょいで連れ去られちまうよ。魔法の腕も巧みだ。並の術士じゃ歯が立たねえ。──そうだ、道案内ついでに護衛してやろうか?」
「主さんの提案は嬉しゅうございんす。しかし、わっちらもわっちらでやることがありんす。誠残念でありんすが遠慮しなんす。その様な野暮な殿方にはわっち自ら退場させまし」
花魁ははんなりともう一度微笑むと、下駄を鳴らしながら去ろうとする。
しかしそれを伙神は許さない。
「おいおい、一人でそんなことできる奴をな、人は手弱女なんて呼ばねぇんだよ。どーもオレの勘が、アンタらが無関係って言ってねえんだよなぁ…。ご同行願おうか」
警戒してジリジリと距離を取って、ホルスターから銃を突きつける伙神。
それを見た花魁は嫌そうな顔──そのような表情をしても傾城傾国の美しさは全く損なわれない──をする。
番傘を伙神に突きつけ、去鳴に命令を下す。
「主さん、さしな人でありんすねぇ…。
「わかりやしたおいらんちの姉さん!」
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